(296) NHKラジオ

NHKラジオ

 今回の話題は久々に日本の話題だが、この号が公開される頃はまたモンゴルに行っているはずだ。

 さて写真は、筆者のクルマについているカーナビやラジオなどの操作パネルだ。ふつう車に乗っている時間は、一日数十分から1,2時間に及ぶ。それで、CDなどもかけるが、ついつい聴いてしまうラジオ番組がある。その一つが、NHK第一の土曜午後に放送される『ぼやき川柳』である。

 毎週ちゃんと聴いているわけではないが、運転していて時間帯が合う場合は、チャンネンルを合わせてしまう。そして 思わず、クスッと来ることもあるし、ゲラゲラ笑い出したりすることもある。時には、深く考えさせられたり、しみじみ感じさせる句もある。

 「すきま風 孫が時々 埋めに来る」なるほど、そういうもんかねェ、近くに孫はいないけど。「貧乏が 団体で来る 年の暮れ」金がなくても、カラッとしていて気持ちがいいくらいだ。「もう少し 美人だったら 他人(ひと)の妻」そうかもしれんかったなァ。

 「この先も 死ぬまで朝の ゴミを出す」わかる、わかる、筆者もいつの間にか担当になっている、もう30年以上は続けているよなァ。ちょっと考えると、笑えない次のような秀作もある。「我が家では 突っ込みおらず ボケ二人」

 昨年だと思うが、選にはもれたが、忘れられない面白い作品があった。「馬が合い 一緒になったら 牛だった」これには、車の中で笑い転げてしまった。

 また、こういうモンゴルがらみの句もあった。「モンゴルへ 移転させたい 国技館」

日々ぼやき、日々笑い。 (K.M)

(295) モンゴル日記(22)

モンゴル日記

【日本に富士山、モンゴルには富士ガーデン】

 日本に近づいてきたら、空には霞がかかっていた。この写真は、おそらく長野県あたりの上空だと思う。北アルプス付近を過ぎて、手前の山並みは八ヶ岳連峰だろうか。そのはるか先、中央やや左の位置に富士山が見えた。遠くからでも、やはり神々しい。

 海外へ出かけていて、滞在を終え帰国の途につく。搭乗したその飛行機が、やがて日本に近づく。そうすると、その機内から富士山が望める場合がある。それは、気分の良いものだ。その姿を目にすると、一挙に郷愁めいたものも湧き上がってくる。そして 成田に下りると、“日本人モード”に変わる。

 若い頃は、オランダをはじめ欧米やオセアニアにまで足を伸ばした。記憶に残っているのは、35歳で訪問したニュージーランドからの帰りだった。南太平洋を北上してきたカンタスの飛行機の窓から、運よく富士山の姿を眺めることができた。それは雄々しく、それでいてやさしく、改めて感激したものだ。

 ところが 今回、今まで抱いていた「富士」に新しいイメージが加わった。実は、モンゴル側パートナーであるソヨーチ社(昨年、エヘガザル社を社名変更した)と当社との合弁会社の名称が、日本語で言うと「富士ガーデン」という社名に決まったのだ。この社名案が出た時、筆者は同社のD社長に質問してみた。「“富士”はモンゴルでは広く知られているのか」と。そうしたら「富士はサクラの次くらいに、よく知られている。心配ない」と言った。

日本に、そしてモンゴルにも富士ありて 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(294) モンゴル日記(21)

モンゴル日記

モンゴル日記

【搭乗前 そして搭乗後】

 写真上は、ウランバートルのチンギスハーン空港ちかくの山並みである。土色の部分が増してきた。「おっ、ようやく春めいてきたな」と、思わず撮影。左下に写っているのは飛行機の尾翼だ。搭乗前のことである。

 写真下は搭乗後に機内で写したもので、被写体は朝青龍その人である。帰路 同じ飛行機に乗り合わせた。ただし、彼はビジネスクラスだった。はじめのうちは分からなかったが、エコノミークラスの後ろに座っていた日本人の女子大生たちが騒ぎ出したのだ。「あっ、本物のアサショウリュウよ」。

 彼女たちは、卒業旅行でモンゴルを訪問したのだという。卒業旅行先としてモンゴルを選ぶのは、かなり珍しいのではなかろうか。

 実は筆者、朝青龍に会ったのは2度目だ。2011年秋だったと記憶するが、ウランバートルのレストランで、家族連れの彼と出くわした。その時はもちろん、親友Bさんが一緒だったのだが、彼は朝青龍にお願いして写真にいっしょに納まってもらった。

 そのとき二言三言、彼とことばを交わした。「横綱、だいぶ細くなりましたね」「うん、20kgはやせたよ」「中田さんらと大震災の義捐金集めに、一生懸命のようで。日本の首相に代わって、お礼申し上げます」「うん。その関係で、あさってまた日本に行くんだよ」こんな会話だった。恥ずかしながら、あきれるくらい筆者も調子がよかった。けれど、彼に関する日本でのマスコミ報道と、筆者が受けた印象とはだいぶ違う。そんな悪い人物とは思えなかった。

モンゴルでも日々観察、日々見きわめ。 (K.M)

(293) モンゴル日記(20)

モンゴル日記

モンゴル日記

【テレビ放送 ③】

 モンゴルのテレビで園芸番組が放送されていた。モンゴル版『趣味の園芸』である。「こうした番組までやってるのか・・・」。写真上のようにチューリップだけではなく、多肉植物や洋ランなども紹介されていた。

 さらに、その後に登場した人物の顔を見て、驚いた。何と、あの時の取材カメラマンではないか。写真下の男性である。あの時というのは2年前、ソヨーチ社の花温室に女性キャスターと共に彼が取材にやってきたのである。彼らはそこで、日本からの花を栽培している様子を撮影したり、筆者にインタビューのマイクを向けた。

 そして、彼らは正式の取材を終えたあとも、しばらくそこで植物を眺めたり、筆者にいろんな質問をしてきた。今思えば、それはこの園芸番組への出演と関係があったわけだ。その番組をしばらく見ていたが、彼はどうやら植物の解説をやっていたらしい。

 ところで 婦人デーの午後、その“解説者”と街なかで出くわした。その日は昼食をとるのに、苦労したことは以前 述べた。その最中である。5人で何軒目かのレストランを探しながら、人波が絶えない歩道を足早に進んでいた。そこで、すれ違いざまに声をかけた男性がいた。うん?彼だった!筆者はまったく分からなかったが、彼は瞬時に我々を発見したのだ。これにもビックリした。

 この一瞬にして人の顔を見分ける能力は、モンゴル人特有のものではないか。親友Bさんも、長い遊牧生活のなかで養われてきたものだろう、というようなことを話している。

モンゴルでも 日々出会い、日々感謝。 (K.M)

(292) モンゴル日記(19)

モンゴル日記

モンゴル日記

【テレビ放送 ②】

 モンゴルで日本の大相撲放送を初めて見た。二つの放送局で放映していたが、そのうち一つはNHKが映像提供しているのかも知れない。なぜなら 上の写真で、この局の画像左上にはNHKの文字が入っていたからだ。ウランバートルではテレビ放送が20局以上は流れていよう。そのうち、二つで大相撲をやっていたのだから、それだけ視聴者が多いのだろう。

 番組の構成は日本と似ているようだ。一番一番取り組みが映り、モンゴルの解説者とアナウンサーが会話を入れたり、勝負の解説をしていく。そんな進め方のようだった。

 写真は上が日馬富士の取り組み、下が白鵬の取り組みだった。 いずれも3月10日(日)の放送である。しばらく、この二つの大相撲番組を交互に見ていた。番組そのものにはさほど違和感はなかった。でも、ちょっと考えると妙な気がしてくる。つまり、モンゴルで日本人(筆者)が日本の国技を見ながら、そこで活躍している上位力士の多くがモンゴル出身者というわけだ。何か変だよなァ・・・。

 ところで前回、NHKに対して苦言を呈したのは、筆者なりにテレビにはこだわりがあるからである。というのは、日本でテレビ放送が始まったのが、昭和28年からなのだ。それもNHKが他社に先がけて、本放送を始めたのが同年2月からである。実は筆者の誕生月である。だから、テレビ放送の歴史と筆者のそれが60年間ダブるのだ。もの心ついてから、テレビの映像はとても身近にあって、その中で育ってきたのだ。

小さい頃から、日々映像、日々観賞。 (K.M)

(291) モンゴル日記(18)

モンゴル日記

モンゴル日記

【テレビ放送 ①】

 ウランバートルでも日本のテレビ放送は見られる。ただし 映るのは NHKだけで、日本時間の1時間遅れだが。でも、それは気にならない。朝・晩の日本のニュースが分かるだけでもありがたい。昼間は出かけるので、どんな番組が流されているのかは知らないが。

 けれど、いつも気になることが一つある。それはニュースの中でスポーツの話題を流すときだ。いい場面になると突然、事もあろうに画面が静止する。そして、その画面に変なテロップが写しだされる。「放送権上の制約のため海外ではご覧いただけません ご了承ください」と。

 これはぜったいに無粋だ。こんなことをやるNHKの考え方が理解できない。写真は上・下ともそうした場面だ。決定的シーンを突然こんな静止画面にされたら、大半の人はただの意地悪!と思うだけだろう。とくにスポーツファンなら。

 さらに腹の立つのは、その静止画面がしばらくすると(いい場面でなくなると)、再び動く画面に戻ることだ。「放送権上の・・・」という文言は何なのだ。いっそのこと、「いい場面になったら、静止します」と出せばよい。

 こんなことを平然とやる、○○の穴の小さい連中がいるのは嘆かわしい。実質的には国営放送なのに、“国をあげて海外への情報発信が今こそ重要”といわれる時代だ。その事は筆者ですら実感する。どうしてこんなことを続けているのか!その真意が分からない。たかがスポーツニュースではないのだ!

もし、このブログを読んだ関係者がいたら、その訳をぜひ聞かせてほしい。日々不思議、日々不快。 (K.M)

(290) モンゴル日記(17)

モンゴル日記

【表彰される女性たち】

 写真の手前の広場はスフバートル広場、そして右側の建物は国会議事堂である。ウランバートルの代表的な観光スポットの一つである。普段こんな光景は目にしたことがないのだが、この日はその議事堂の中に入っていく人々がひっきりなしにいた。

 広場の東側で車窓から眺めていたので、彼らがどういった人たちか分からなかった。しかし、 同乗していた親友Bさんがちゃんと解説してくれた。この日は、いろいろな分野で功績をあげた女性たちを、国会議事堂内で表彰するのだという。これは婦人デー恒例の国家的セレモニーらしい。

 ところで、ここは通りかかっただけで、目的は遅い昼食を繁華街でとるためだった。展示会でお客さんへの対応が忙しく、とても昼飯どころではなかった。それで、忙しさも一段落した午後3時過ぎに、交代で食事をとりに出た途中のことだ。この光景を目にして、婦人デーは国をあげて女性たちを持ち上げようという日なのだ、と納得した。

 そうしたムードがレストランにも及んでいた。この日、家庭の女性たちは家事をしなくてもよく、昼食や夕食は豪華な外食をとる家族がたいへん増えているらしい。だから、レストランをあちこち訪ねたが、どこも家族連れが多く満員だった。

 ウランバートル市民の平均年齢は30歳代前半だという。また、ここ2年は経済成長率が二けたを達成している。市民の消費意欲は旺盛なのだ。とくに外食産業は伸びているらしい。

ウランバートルでは、いよいよ回転寿司も登場した。味はともかく、うれしい!日々好日、日々感謝。 (K.M)

(289) モンゴル日記(16)

モンゴル日記

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【婦人デー当日の店内】

 3月8日の婦人デー当日は、ソヨーチ・ガーデンセンターの売り場も大変にぎわった。ご承知のように、ここはモンゴルで唯一のガーデンセンターで、今回の展示会の会場になった場所だ。(正確には、2号店も開設しているが、そこは今のところ生花や鉢物が多くない。)

 写真上は、その生花売り場に並ぶ男性客である。この列が絶えずに、夜までつづく。こうした光景を2009年3月に初めて目にしたとき、「男がまあ、恥ずかしげもなく・・・」などと、園芸屋のおやじである筆者ですら思ったものだ。ところが、彼らはそんな日本の中年男の屈折した意識など全く感じさせない。

 一方、写真下は出入り口近くにこしらえた、臨時の生花売り場である。ここには主に女性たちがひっきりなしに寄った。もちろん女性たちも、この日は花を求める。だから、この日が一年で最も花が売れる日なのだ。やはり、男たちだけでその実績をあげるのは無理なのだろう。

 とにかく この日は昼ごろからお客がどっと増え、ここ一番の稼ぎどきなのだ。だから、この日は従業員たちも大忙しだ。けれど この日は閉店後に、女性従業員のために慰労会を兼ねて婦人デーのミニパーティが催された。これは恒例なのだ。今回はそこに、Bさん,筆者,新潟農商さんのI社長3人が招かれた。その際にBさんのアドバイスで、それぞれシャンパンとワインを持参した。立食パーティだったが、明るく和やかな雰囲気だった。

今こそ日本の花消費を増やす方策を、業界あげて考えねば・・・。日々思案、日々問題意識。 (K.M)

(288) モンゴル日記(15)

モンゴル日記

モンゴル日記

【展示即売会 ⑥】

 うちのブースにはときどき面白いお客もやって来た。

 写真上は7日つまり婦人デーの前日昼ごろ、ブースにやって来たお客さんである。スキンヘッドで少しいかつい表情だったので、思わず「おおっ!」と緊張した。その彼がチューリップを6本も買い上げてくれた。それは意外だったが、みな違う品種を選び出した。そして、それらを一本一本きれいに包んでくれというのだった。

 こうした要望は時々あったが、6本というのはあまり無い。女性スタッフ二人はすぐに、慣れた手つきで作業を始めた。セロハン紙で一本づつきれいに包み、仕上げにリボンを付ける。ところが、それで間に合わないと判断したのだろう、新潟市役所のTさんが気を利かして、不慣れながらその作業をはじめた。彼は今回、市農林水産部から派遣されて、筆者たちの支援業務にあたっていたのである。

 彼はおそらく、そんな事を今までやったことが無かったのだろう。だから、作業がぎこちなく、花もなかなかきれいに包めない。何度か、やり直した。それを目の前で見ていた“スキンヘッドさん”は、苦笑いをしながら「そうじゃない、こうやるんだよ。俺がやるから、あんた手伝って」とでも言ったのだろう(勿論モンゴル語で)。その場面が上の写真である。

 また写真下は、少年たちが母親に渡すのか,ガールフレンドにプレゼントするのか、ブースにやって来た場面。このうち、2人がチューリップを買ってくれた。

日本ではなぜ、バレンタインデーがチョコレート業界に食われたのだろう? 日々競争、日々切磋琢磨。 (K.M)

(287) モンゴル日記(14)

モンゴル日記

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【展示即売会 ⑤】

 筆者たちの両隣りの出展者を紹介する。いずれも、まだお客さんの少ない開店直後の様子だ。写真上は右隣、中国=昆明のラン業者のブースである。昨年も出展していたが、各種のコチョウランを並べていた。まァ、商品が違うから、こちらはあまり関係ない。

 一方、写真下は左隣、モンゴルの出展者=MF社のブースである。今年がはじめての出展だった。スタッフが準備のために出入りしていたが、運ばれてきた販売品を見て、ちょっと驚いた。ブースには球根コンテナで栽培したチューリップが、ドカーンと置かれた。チューリップの切り花がメインの販売品なのだ。何とこれじゃあ、いわばライバルではないか!

 けれど、彼らの販売するチューリップの品種は、一重の赤と黄色の2種類だけだった。だから、少しは安心したが。次に、値段を確認するためにそばに近寄り、覗き込んだ。日本円で換算すると、100円ほどだ。うちの販売品のほぼ半額である。うーん・・・。

 そこで、うちのスタッフM嬢に質問した。「もうちょっと、値段を下げようか。どう思う?」。彼女は「下げなくてもいいですよ。だって花色はこっちがすてきだし、8品種もあるからきっと売れますよ」との答え。結果としては、彼女が正解だった。

 ところで このMF社に関しては、これだけに止まらなかった。ソヨーチ・ガーデンセンターのD社長が語ったところによれば、同社は親会社がモンゴル最大手の薬品・化粧品会社なのだという。彼は警戒感を隠さずに、渋い表情を浮かべた。

ライバル出現?! 日々競争、日々進化。 (K.M)