(316) モンゴル日記(42)

モンゴル日記 画像

モンゴル日記 画像

【第23学校】

 写真は、ウランバートル市の第23学校の外観である。上の写真は西南方向から、下の写真は正面から撮ったものだ。樹木の植え込みも噴水も見える。校舎はそれほど大きくはないが、後ろに見える四階建ての瀟洒な建物だ。繁華街に近い場所の学校である。

 手前の空間は、ほんとうは学校の敷地ではなく公園なのかも知れない。噴水前のベンチには若いカップルがいたもの。けれど、この学校はまるでその公園の中に建っているような印象を受ける。生徒と思われる子供たちも、あちこちで遊んでいた。

 今回は偶然だが、もう一つの学校(第5学校)の前も通りかかった。そこでも多くの子供たちが、元気に外遊びに興じていた。そうした光景に出くわすと、日本の小・中学校との落差を感じさせられる。

 ところで モンゴルの学校教育制度は、日本のそれとだいぶ異なる。それはかつての社会主義時代に、旧ソ連の制度が模倣され導入されたという。日本の6・3・3(小・中・高)制と違い、10年間同じ学校に通いつづける普通教育学校が設けらたのだ。つまり この国では、日本でいえば小学1年から高校1年までを通した10年制が義務教育として採用されている。

 また、この普通教育学校には地名などではなく、全て番号が冠せられている。だから、この学校は歴史が新しいのだろう、第23学校と名づけられているわけだ。因みに、バータルさんらはウランバートル第1学校の卒業生である。そこは名門校らしい。

筆者は新潟市の割野小学校と両川中学校の卒業生だ!関係ないか? 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(315) モンゴル日記(41)

モンゴル日記 画像

モンゴル日記 画像

【ウランバートルの桜?!】

 ウランバートルで桜が咲いているという話を聞いた。ソヨーチ社のD社長と親友Bさんの奥さんからである。ちょっと信じがたい話だったが・・・。しかし 今回それを確かめるべく、Bさんと探訪に出かけた。場所は彼が聞いていたので、その2ヶ所を訪ねた。そのうち1ヶ所はすでに花が終っていたが、もう1ケ所の“桜”が満開だった。写真がそれである。

 その“桜”は、集合住宅前の緑地に植えられていた。木は小ぶりで1.5m前後、花は八重である。バラ科の植物であることは間違いないようだった。

 うーん、モモにも似ているが・・・。また、葉が花といっしょに出る八重ザクラとは違うようだ。花弁も小さいし、細長い感じがする。花柄も短いようだ。だいたい、こうした花の付き方は、狭い意味のサクラの仲間ではないような気もする。それに、たいした大きさに達してもいないのに、花付きがいい。恥ずかしながら、筆者のレベルはこの程度だった。戻ったら、「先生」に訊いてみよう。

 それで 帰国してからさっそく、親しくさせて頂いているO先生にお聞きした。O先生は国内のみならず、国外で最も名前の知られた日本の天才的な植物研究者である。今や、新種の発見数では100を超えたようだ。そのO先生曰く、「ニワザクラの仲間だと思います。どうも背丈が伸びないようだし、モンゴルの-40℃という気温にも耐えるから、おそらくそうでしょう」、との明快なお言葉。

実は先生とビートたけしとの対談が『新潮45』5月号に載った。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(314) モンゴル日記(40)

モンゴル日記

モンゴル日記

【常設展示場】

 写真は、モンゴルで初めて建設された常設の展示場である。最近オープンしたらしい。写真上は施設の外観で、建物の規模も小さくはないが、その周りのスペースもすごい。こんな広大な駐車場は、おそらくウランバートルには無かったのではないか。親友Bさんに連れて来てもらったのだ。

 また、下の写真は内部のようすである。日本の同種の施設に比べると、やや通路が狭いように感じた。けれど 平日だったが、食品のゾーンなどでは人込みができていた。

 モンゴル経済は一昨年,昨年と実質経済成長率が10%を超え、今年も推計ではそれを達成する見込みらしい。現にウランバートルの建築ラッシュは止まらないし、食品スーパーなども確実に増えてきている。だから、個人消費に直結するこうした施設の賑わいは、確かなものなのだろう。

 ところで 食品のほかには、電気製品,工具・機械,衣料品,園芸品などが出ていた。はてはマンション販売のブースまであった。園芸品ゾーンでは、もちろん花屋や園芸店も出展していたが、ソヨーチ社のブースも見られた。

 食品ゾーンでは面白いモノを見つけた。ヤクのチーズを販売していたのだ!あのウシ科のヤクである。好奇心をおさえきれずに買い求め、ホテルで食べてみた。「牛乳のチーズとは一味違う。やはりヤクの味だ?!」。もちろん生まれて初めての経験だった。どうも モンゴルに通ってくると、食品に対する許容度が広がるようだ。若い頃の筆者なら、絶対に口にしなかったろうに。

ヤクのチーズは重い味だが、悪くない。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(313) モンゴル日記(39)

モンゴル日記

モンゴル日記

【咲いてくれた輸出植物】

 写真上がスズラン、下がアジサイである。場所はソヨーチ・ガーデンセンターの売り場だ。いずれも、苦労してモンゴルに送り出した植物である。その辺の経緯はすでに書いた。

 4月に航空貨物として、新潟~インチョン~ウランバートルのルートでモンゴルに輸出した植物は、2回に分けて送った。そのうち一回目がアジサイなど鉢植え3品目、計900本。そして 二回目がスズラン(芽),ダリアなど5品目、計1,200本である。

 1回目の輸出植物はインチョン空港に5日も置かれたりして、大変な目にあった。さらに、2回目の植物もスンナリとはいかなかった。モンゴル側の輸入許可が、なかなか出なかったのだ。それで対応策として、許可が下りて出荷できる時まで冷蔵保管することにした。だから 植物検疫を受けたら即、当社の小型冷蔵庫に入れた。

 だから、スズランは二回目の輸出品の代表のようなものだった。それは冷蔵しておいた芽だったが、昼間は温度がだいぶ上がるソヨーチ社の温室で、それがまともに育つかどうか、それが気になった。しかし、何とか咲いてくれた。

 一方、アジサイはいわば一回目の輸出品代表である。開花が期待できそうな良品を選んだが、出荷の段階では花芽が確認できる苗はなかった。しかし、諸事情からすぐに販売にまわさざるを得なかったので、こちらもたいへん気がかりだった。だから 写真のように、蕾がはっきりと認められる苗を見つけて、本当にうれしくなった。

輸出した植物が目的地に無事に届き、花が咲き 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(312) モンゴル日記(38)

モンゴル日記

モンゴル日記

【ソヨーチ社の第二温室】

 写真は上下とも、ウランバートル近郊にあるソヨーチ社の温室の中である。農場に建てられている三棟の温室のうち、これが二番目の大きさだ。とは言え、面積は6,000㎡もある。今年この温室内では、面積的には9割ほどを草花の栽培に、1割ほどを樹木の実生苗の生産にあてていた。数年前までは春が訪れ暖かくなると、ここではトマトを栽培していたのだが。

 草花ではマリーゴールドやペチュニアを播種し、現在は30万本の苗が育っているという。写真上がその状況である。また、ここは4月に新潟から輸入した鉢花の臨時栽培場にもなった。

 ウランバートル市内でも、近ごろは緑地や広場には花壇が設けられ、また道路の所々にも草花が植えられるようになってきた。そして、そういった場所に花苗を植栽する仕事も、近ごろソヨーチ社は受注している。昨年は、スフバートル広場の花壇に一年草を植える業務も頼まれたらしい。

 そうした用途に大量の花苗が使用されても、当然 使い切れない場合もある。けれども そうなった場合、同社は自前のガーデンセンターで一般販売に転用する。それはそれで売れるらしい。

 一方、写真下は樹木の実生苗の栽培の様子である。どうやら針葉樹らしい。発芽率も悪くないようだ。これだけでもひょっとして、何十万本にも達するのではなかろうか。なお 列状に等間隔で伸びている管は、暖房用の温湯が流れるパイプである。これが毎年5月15日になると、供給がストップされる。

大量の植物が元気に育つようすを眺めて 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(311) モンゴル日記(37)

モンゴル日記

モンゴル日記

【5月の雪】

 この号から、先月(5月)下旬にウランバートルに渡ったときの話になる。

 まず今回ビックリしたのは、新潟~インチョン経由で訪れたウランバートルの低温だった。5月27日の夜のことである。乗り継ぎのために午後の2時間ほどを過ごしたインチョンでは、半袖の人たちも少なくなかった。しかし、チンギスハーン空港に到着し、いつものように迎えに来てくれたBさんと外に出たら、「おおっ寒う!」

 小雨だったが、Bさんは「カタオカさんが雨を持って来てくれたよ」と、喜んでくれた。多くのモンゴル人が訪問客のあった時に雨降りだと、こう言うのだ。

 しかし、何度も「寒いっ!」と口にしたら、Bさんは「シャチョー、そんな薄いコートしか持ってこなかったの。昨日から寒くなって、今は0度だよ。明日わたしの厚いコートを貸すよ」「大丈夫。下に毛糸のベストを着てるもの」

 いつも通りにインターネットでこちらの天気予報は調べてきた。滞在期間中の最低気温 は0℃、最高気温は26℃となっていた。正直、朝晩は寒くても昼間はどうせ暖かくなるんだ、とタカをくくっていた。しかし こうなると、ベストを持ってきたのはベス トの策だった。それに半長のズボン下も持ってきていた。

 写真上は、ホテルに向かう途中、車のフロントガラスに降ってきた雪である。雨が雪に変わったのだ。また写真下は、翌朝のホテルからの眺めである。周辺はうっすらと白くなり、近くの山々は完全に雪化粧となった。

新潟の冬と初夏が同居しているようなモンゴルの五月。でも、日々好日、日々感謝。 (K.M)

(310) モンゴル日記(36)

モンゴル日記

モンゴル日記

【国際会議】

 写真の上下とも、同じ日である。とにかく、人もクルマもひじょうに少ない日だった。

 写真上は、スフバートル広場に面して建っている国会議事堂だ。この広場は、ふだんなら多くの人が集まる場所である。しかし、この日は観光客らしき姿もほとんどなかった。ただ議事堂前のポールには、多くの国旗らしき旗が風になびいていた。その訳は、後で親友Bさんの話を聞いて納得した。

 一方、下の写真はソヨーチ・ガーデンセンター前の幹線道路である。東西を結んでいるが、いつもなら両方の車線にクルマがあふれ、渋滞が夜遅くまで続く。とくに最近はひどい。けれど、この有様である。

 ウランバートルのこんな閑散とした風景は、初めて目にした。Bさんの話では、国連関係の大きな国際会議が開かれていたのだという。そして そのために、さまざまな規制が行われたようだった。ことに自動車の乗り入れ制限などが実施されたらしい。また、スフバートル広場でも何らかの入場制限が行われたと聞く。それで合点がいった。

 外国の政治家などが、この国を訪れた際にとられる交通規制は、これまで何度か目撃している。空港から市街地へ(または市街地から空港へ)向かうその車列が通り過ぎるまで、一般車両は一時的に止められていた。それはたいてい、古くからの友好国が多い東欧からの訪問者(ハンガリー,チェコなど)だったと記憶している。3月末に安倍首相が同国を訪問したが、最上級の歓待とそれなりの規制がなされたことだろう。

モンゴルは今や日本の戦略的友好国で 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(309) モンゴル日記(35)

モンゴル日記

【モーガン】

 前号でとり上げたレストランを出たら、店の前に風変わりな自動車が一台止まっていた。Bさんがこのクルマを見るなり、「おおっ、モーガンだ、モーガン!」と叫んだ。筆者「ンッ?」。Bさん「シャチョー、この車を知らないんですか?」。「ただのクラシックカーじゃないの」。「違う違う、イギリスの有名なクルマです」。「日本で言うと、いわゆる名車?」。「うん、それそれ」。そんな説明を受けて改めてよく見ると、確かに味わいのある姿かたちではある。

 Bさんは新潟に住んでいた頃、中古車輸出のビジネスに携わっていた。そして、モンゴルに戻って来てからも、それを業務の一つとして手がけている。だから、クルマにはなかなか詳しいのだと思った。

 けれど 同時に思い出したのが、モンゴルをよく知る日本人の方が語っていたことだ。つまり、モンゴルの人たちはけっこう見栄っ張りで、クルマ,携帯電話,靴にはとくに気をつかうと。だから、これらのことには関心が高いのだろうか。ただ、こうした傾向は極東ロシアに通っていた頃に、日本の関係者からロシアの人々も似たような面があるとは聞いた。そして、そうしたいわば“見栄っ張り消費”というものがあるんだと。

 ところで、名車モーガンである。インターネット検索で調べた。それによれば、この自動車は英国モーガン社の手造りなのだという。同社は100年以上の歴史を持ち、英国の自動車産業で他社の資本が入っていない唯一のファミリー企業らしい。

ウランバートルで“走る伝統”に出会って、日々好日、日々感謝。 (K.M)

 

(308) モンゴル日記(34)

モンゴル日記

モンゴル日記

【アメリカン・レストランにて】

 写真上は、モンゴル語で書かれたメニューである。キリル文字なので、さっぱり分からない。ちょっとしたレストランなら、英語のメニューも用意されているものなのだが。

 Bさん夫妻,Uさん夫妻と共に夕食をとろうと、「カリフォルニア」というレストランに入った。最初、ウェイターがモンゴル語メニューしか持って来なかったので、少し面食らった。もしかして筆者がモンゴル人に見えたのだろうか?すぐにBさんがウェイターに指示した。そして、改めて持ってきた英語版メニューを見てから、料理を頼む。ただこの後、日本に比べると料理が出てくるまでけっこう時間がかかる。それで、たまたまテーブルの隅にあった金属製の置物に目がいった。

 「おお珍しい。チンパンジーかな」よく観察もせずに言ってしまった。一瞬、Bさん夫妻に沈黙が流れたようだった。日本語の分かる二人には、筆者のこの発言はすぐに理解できたのだろう。

 「うん?」と、手もとに引き寄せ、よく見た。どうやら類人猿などではない。「あァ!もしかしてモンゴル相撲の・・・」観察すると、明らかにモンゴル相撲の力士のようだった。「しまった、よく見てから発言すべきだった!」

 写真下が、その力士像である。じっくり眺めてみると、力強さすら伝わってくる。しかし、モンゴルの人たち四人の前で、まったく失礼な発言をしてしまったのだ。彼らの誇りを少しでも傷つけたとしたら、正直おわびするしかない。

けれど、ここのサーモンの味噌味ソテーはなかなかイケる。日々慎重、日々配慮。 (K.M)

(307) モンゴル日記(33)

モンゴル日記

モンゴル日記

【遊園地】

 写真は団地の中の遊園地である。上は、滑り台などが設置されている年少者向けゾーン。下は、高いフェンスに囲まれてバスケットゴールが据え付けられた、いわば少年向けゾーンである。

 ここはBさんのアパートにほど近い、集合住宅の谷間のような場所である。ウランバートルの繁華街、その通りの裏にちょっと入ると、アパート群が立ち並び、こうしたスポットが随所にある。最近は、写真のような高層アパートも増えてきている。何せ地震がない国だから、いいよなァ。

 ところでアパートといっても、近ごろウランバートルで建設されているものは、日本の高級マンションと変わりがないほどだ。それは部屋が広くて数も多く、床も壁も頑丈につくられているようだ。そして 冬用に都市暖房が行き渡っている。

 昨年の春に滞在した折、ホテル代わりに利用させてもらったアパートがそうだった。それはBさんの友人T氏が所有するアパートの部屋で、居間もダイニングキッチンも広く、寝室は3つ,浴室は2つあった。そして、毎朝やっているラジオ体操のジャンプも、気兼ねなく行うことができた。街なかだったが全く静かで、そのうえ借り賃も格安だった。

 さて 冬は厳しく長いモンゴル。だから春になると、子供たちが一斉に外遊びを始める。小さい子は母親が付き添いながら。それはほのぼのとした風景で、見ていて飽きなかった。Bさんの話によれば、今の日本の子供たちと違って、モンゴルの子供たちは冬でもとにかく外遊びをしたがるらしい。

東京の孫のことを思い出して 日々好日、日々感謝。 (K.M)