(346) 出雲の〝お・も・て・な・し〟

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 ほぼ一年ぶりに島根県に行って来た。訪ねた先は現在の雲南市である。最近の市町村合併で生まれた新しい市だが、最初にその名前を聞いたとき、ちょっと驚いた。「うんなんし?」それじゃァまるで、あの国にある雲南省の省都みたいじゃないか?! 地元の方に失礼かもしれないが、筆者としては南出雲市の方がしっくりくるような気がする。それはともかく、今回の島根行きは、その地で伝統園芸植物を栽培する名人Tさんを訪ねたのだ。毎年1回はおじゃまする。

 前号でも触れたが、雲南市のその名人のところまで当社から約900kmもある。ここ数年は3人で伺っていて、ドライバーは親友Kさんと筆者のふたりだった。しかし今回は、若手がひとり加わって総員4人となり、その若手が3人目のドライバーとなった。だから 筆者は運転する時間が相対的に減り、だいぶ楽だった。

 さて、写真のご馳走である。これは名人宅で出された昼食なのだ。毎回こんな風にスゴく、初めて伺ったときにはビックリした。一家をあげて、歓待してくださるのだ。大皿には煮しめあり、天ぷらあり、サラダあり。それに焼き魚も並べられている。奥さんの話では、それは隠岐でとれたイサキだという。小ぶりだが、あっさりして美味だった。そして 写ってはいないが、このあと刺身などが加わり、ご飯とみそ汁の置き場に困ったほどだ。

新潟弁で言うと、ごっつお,ごっつお!で 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(345) 北アルプス遠景

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 今回からしばらくの間、モンゴルの話題を離れる。というのは 8,9月は彼の地を訪問しなかったし、今月も予定がない。逆に前号で書いたとおり、今月はあちらからソヨーチ社のD社長と親友Bさんが来てくれた。

 さて モンゴルの二人が帰ってから、クルマで県外出張に出かけた。3日間、一年ぶりに島根県を訪ねたり、兵庫県や愛知県をまわった。

 新潟からクルマで島根県の雲南市に行く場合、北陸道~名神~中国道~米子道~山陰道というコースをとる。全行程は約900km。西日本へクルマで出かける場合、必ずといってよいほど北陸道は利用する。当地を出発し北陸道に乗り、富山県に入るまでおよそ170km。通るたびに、新潟県は地理的に長い県だと思う。

 新潟平野を抜けて、途中で日本海は望めるものの、上越市から富山県朝日町に至るまで多くのトンネルが続く。約70kmのその間には、長短26ものトンネルが連なり、平均2.7kmにひとつのトンネルがあることになる。それが時にうっとうしい感じを与える。

 だから、そこを抜け出し富山平野に入ると、心が軽やかになってくる。とくに晴天で、進行方向の左側に北アルプスの連山が拝めると、快適なドライブとなる。この日は雲が多く、すっきりした山並みは見れなかった。けれど 今回たった1ヶ所、有磯海SAから望むことができた雄峰が写真である。

初雪の北アルプスが拝めて 日々好日、日々感謝。 (K.M)

 

(344) モンゴル日記(70)

モンゴル日記

【来日したD社長】

 実はソヨーチ社のD社長が、親友Bさんと共に今月 来日した。彼は9日から6日間、日本に滞在し、そのうち後半の3日間は新潟で過ごした。

 まず9日午後、成田空港で彼らを出迎えた。そして 筆者がレンタカーを運転しながら、印西市のホテルには直行せず、まず千葉ニュータウンにあるホームセンターに寄った。もちろん見学のためである。翌日は幕張メッセで開催中の〝IFEX〟を、7時間もかけて見て回った。そして 10日夜、上越新幹線に乗って新潟入り。

 翌日は県庁や新潟市役所を訪問。その後、イチゴ栽培農場などを視察。また 当地滞在中は時間ができると、ホームセンターや100円ショップなどにも足を向けた。とにかくD社長の情報収集の意欲は強く、幅ひろい。

 写真は、うちの事務所で打ち合わせをしていた時の一コマだ。左が筆者、右がD社長で、Bさんが撮影してくれたものだ。この時は、合弁会社フジガーデンに関する打ち合わせを、3時間にもわたって行った。いま建設中の温室で一年目に栽培する植物について、意見を交わしたのだ。

 その建設中の温室は、当初の予定どおり11月下旬には完成する見込みだ。それと対照的に、8月末が完成予定で、その一室を筆者が購入したマンションは、いまだに出来上がっていないとのこと。とほほ・・・。

来月末あちらに渡ったら、どこに泊まろうか・・・それでも 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(343) モンゴル日記(69)

【バヤン・チャンドマン農場④】

 写真上・下とも、農場に自生していた野草である。上はエーデルワイスで、アルプスを象徴する花として有名である。けれど、実はこの国の草原でも珍しくはない。よく知られた園芸事典には、この種はアルプスのほかシベリア,ヒマラヤなど広くユーラシア大陸に分布、と記載されている。

 モンゴルで初めてこの花を見つけた時、うれしくなって親友Bさんに告げたら、「シャチョー、この花なら田舎に行けばどこにでもあるよ」。それを聞いて、ガックリきた記憶がある。

 一方、下はカセンソウだ。黄色い花弁と花弁の間にすき間があく、この独特の姿が何とも言えない。好きな野草のひとつだ。かつて新潟県内で水生植物を調べまわっていたときに、初めて出会った湿性植物である。日当たりのよい湿地に生え、ここでは草原のくぼ地に小群落を形成していた。

 ところで たまたまエーデルワイスもカセンソウもキク科植物であることに気がついた。意図したわけではなく、農場の草原で比較的多く見られ、花色が白と黄色ということでとり上げた。だいたいキク科はとても大きなグループなのだもの。

 明るくなるにつれ、虫たちの鳴き声があちこちから聞こえてきた。そして、筆者が草原を進んでいくにつれ、その先々に潜んでいたバッタが飛び出し、逃げていった。

モンゴルの草原では、短い夏に花々が咲き、虫たちが飛び回る。 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(342) モンゴル日記(68)

【バヤン・チャンドマン農場③】

 写真は2枚とも、農場の一角に整然と植え込まれたマツである。その数、500本以上はあろう。たぶん日本のアカマツに近いものだと思う。D社長の説明によれば、これらは〝ヤマどり〟らしい。〝ヤマどり〟とは、山地などに自生している植物を掘り取り、それを圃場などに植えて育成したり、流通にまわすことをいう。また、そうやって採取した植物を指す場合もある。業界用語だと思っていたが、広辞苑にはちゃんと載っていた。ただし最近、日本では自然破壊と連想されてマイナスのイメージが強い。

 さて これらの植栽されたマツの中に、ところどころ赤茶色の枯れた木が目立つ。この植えた木が枯死する率を枯損率と呼ぶが、このマツ類をざっと眺めると、枯損率3~4割といったところか。日本でも一般的には、〝ヤマどり〟の樹木は植えてから根づいて生きる割合(活着率)が良くないとされている。だから、これでも成績がよい方かも知れない。

 また 写真下の白っぽい柵の向こうには、電柱が立ち並び電線も走っている。その先には放牧された数十頭の牛たちが草を食んでいた。白黒牛あり,黒牛あり、茶色牛あり。一心不乱に朝食に精を出している。こんなにのどかな風景をボケーッと眺めていると、時間や居場所を忘れてしまいそうになる。

ところで、こちらの朝食はまだ出来ないようだ。もう少しマツことにしよう。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(341) モンゴル日記(67)

【バヤン・チャンドマン農場②】

 夜が白白と明けてきた。草原の農場の朝である。爽やかで、とても気持ちがよい。

 写真上の左の建物は、筆者たちが泊まったログハウスである。駐車している乗用車がソヨーチ社=D社長のベンツ、右側手前のゲルが先発組の宿泊場所である。先発組のメンバーは、男性従業員とその子供さんのふたりだ。参考までに記すと、このゲルはもちろん、ログハウスや大半の施設は従業員たちが自前でつくったという。

 また 写真下は、貿易用コンテナを改造した道具置場と従業員宿舎だ。背後の山並みが、明るくなってきた空によってシルエットのように引き立てられていた。

 さて 外が明るくなってきたので、植物観察に出かける。知らず知らずのうちに、農場の端っこにまで来ていた。草原には、短い夏の間に種子を実らせようと、何種類もの野草が花を咲かせている。と、誰かが起きてきたようだった。D社長の秘書役Sさんらしい。彼女は昨夜のここでの打ち合わせにも同席した。筆者と同様、朝いちばんの用務をこなすため例の場所に向かったようだった。

 次にログハウスの前でも、人が動きはじめた。おそらく、きのうD社長が一緒に連れてきた料理人のおばさんのようだ。彼女はふだん、ウランバートル農場の食堂で従業員たちに昼食をつくってくれる。彼女はきっと朝食の準備に取りかかったのだろう。

さあ、農場の一日が始まった。日々好日。日々感謝。 (K.M)