(352) 晩秋の三日月

 11月上旬の夕方、当地でも美しい三日月が望めた。それで撮影道具を持ち出して、信濃川の堤防の上で構えた。実をいうと、前日の夕方も出現したのだ。「めったにないシャッターチャンス!」と、あわてて準備に取りかかった。が、手間取ってしまい、その間に月は雲に隠れてしまっていたのだ。

 筆者は今回はじめて試みたのだが、三脚にカメラを据えつけてシャッターを押した。その時の「作品」がこの写真である。まぁ何とか、輪郭の線がきれいに出たと思う。プロや趣味家からみればアホらしいだろうが、素直に喜んだ。だいいち、レンズのついた数十センチの黒い箱が、天空の月を切り取ってしまうんだもの。

 ところで 三日月であっても、月を長時間見つめていると、どうも魅入られるというか、気持ちが引き込まれる。かぐや姫のように、この世界からいなくなってしまうかも知れない。このことは、これまでも何度か述べている。月の風景はパワースポットならぬパワービューとでも言うべきものなのだろうか。

 それにしても、冷たく優美な三日月だった。きっと、これにふさわしい俳句があるだろう・・・そして、探しあてたのが下の一句である。新潟に住む人たちや新潟をよく知る人には、イメージが容易に浮かぶと思う。

 三日月の 沈む弥彦の 裏は海 (高野素十)

30日から、またモンゴルに飛ぶ。かの地はもう-15℃の世界なのだ。 日々冷日、けれど日々感謝。 (K.M)