(589) モンゴル日記(304)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて52 】

北モンゴル最奥部を訪ねて52

北モンゴル最奥部を訪ねて52

 写真は前号のヤナギランと共に、峠で咲いていたキキョウである。そこに広がる森林は針葉樹が主体だったが、落葉樹も混じっていた。明るい林相だったが、多少でも湿気を保っているのだろう。乾燥が強い場所では、ヤナギランもキキョウも生育が難しいだろうから。

 上の写真で所々に綿毛状になっていて、ひょろっと伸びているのは花の終わったオキナグサだ。これもモンゴルでは珍しい植物ではない。

 ところで,この「キキョウ」はキキョウ科植物には間違いないようだった。が,キキョウ属ではないように思えるとのこと。詳細なデータに基づかないから正確なことは言えないが・・・というのはO先生の指摘だ。また,ついでに推測すると、下の写真でキキョウの後ろでアクセサリーのように咲いている白花はハナシノブの仲間かも知れない、ともおっしゃっていた。ともあれ,このキキョウ、やはり清楚で品がある。

 ところでBさんの話では、森林を横断するこの峠の先には湖があるという。「ほっ,うれしいね」。オフロードに入って十数時間。悪戦苦闘しながら揺られに揺られ、ボロ橋をいくつも渡り,”河川”を何ヶ所も横断して来た。しかし、湖はスタートのとき以来だ。

 けれど,その湖にたどり着く前に,また障害が出現するのだった。それも横断するのに,これまでで最も困難そうな水場であった。日々、一難去ったらまた一難。 (K.M)

(588) モンゴル日記(303)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて51 】

北モンゴル最奥部を訪ねて51

北モンゴル最奥部を訪ねて51

 おっかなびっくり,あの木橋を渡りおわってから約40分。走り続けていたら、ちょっとした峠に着いた。標高はあまり上がっていなかったが、そこには明るい森林が広がっていた。

 実は橋を渡ってからしばらくして、前を走るBa氏のクルマと筆者たちのクルマが、後続の2台と大きく離れてしまっていた。後ろを走っている彼らの姿が見えないのだ。そこでこの峠で待つことになった。

 ここには立派なオボーがあった。それで筆者たちはまず、それにお参りをした。いつもやるように小石を3個手にし、オボーの周りを1回まわるごとに1個づつ放っていった。

 後続2車が追いつくまで,けっこう時間が生まれた。それで付近の森を,用足しがてら散策していたら、写真のようにヤナギランとキキョウの集団を見つけた。

 ヤナギランは以前にも記したことがあるが、こちらでは珍しいというほどでもない。昨年の釣行の際にもあちこちで見かけた。花は派手ではないが、温かみを与えてくれる。

 「この先はどうなるんですかね?スマホは全く通じないし・・・。会社と家のことがやはりちょっと気にかかるし・・・」。と,B氏にこっそり訴えた。そして尋ねた。すると彼は、「この調子だと,夜も走らざるを得ないでしょうね・・・。でも心配しなくていいですよ,シャチョー。Baさんはしっかりしているから」?!

日々一進一退、日々一喜一憂。 (K.M)

(587) モンゴル日記(302)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて50 】

北モンゴル最奥部を訪ねて50 -009

北モンゴル最奥部を訪ねて50 -010

 この危うそうな橋を筆者たちが渡ることがなければ、上の写真のようにのんびりした高原の橋の風景だった。しかし,筆者たちはここを渡って先に進まなければならなかった。

 まず4台のクルマから運転手以外の人たちが降りる。そして橋を歩いて渡った。この点は(563)号で書いたのと同様である。その後,最初にBa氏が運転するランドクルーザーがゆっくりと渡った。続いてB氏のXトレイル,T氏のプラド。そして,しんがりはJ氏が運転するレクサスだった。

 下の写真はランドクルーザーが渡った後に続く3台である。橋の下の流れは勢いがよく、落ちたら深刻な状況になることは想像がついた。筆者は渡りおわった左岸側から、息を凝らして3台を見守っていた。・・・「ふーっ」、何事もなく全車が渡り終えた。あの”屏風岩”の橋の時より緊張した。水量と川幅、そして橋の様子があの時より不安だったからだ。

 実はこの橋、帰路でも渡らざるを得なかった。 しかしその際は,水量はだいぶ減っていたのに簡単には渡れなかった。なぜなら,こちら側に地元自治体の役人2人が待機していて、橋を渡るならお金を払ってくれというのだ。日本では聞いたことのない話だ!

 彼らが言うには、今回の大水で橋が傷み、修理をしなければならない。そこでその費用に充てるので、協力をしてほしいというのだった。日々ビックリ、日々想定外。 (K.M)

(586) モンゴル日記(301)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて49 】

北モンゴル最奥部を訪ねて49-007

北モンゴル最奥部を訪ねて49-008

 トラブルやアクシデントに会わない,のどかな走行がしばらく続いていた。しかし,やがて行く手にこんな構造物が現れた。水が満々と流れている川に、怪しげな橋がかかっていた。以前(563)号で書いた”屏風岩”のあの橋よりも危うい!こちらはオール木製なのだ。

 隊長Ba氏もクルマで渡ることに不安を抱いたようだった。それで,他の運転手3人と一緒に歩いて向こう側(左岸)に行った。とくに彼は橋のあちこちを入念に観察しながら渡った。(上の写真)

 と,そこへオートバイが・・・。地元民らしい男性の二人乗りだった。彼らは二人乗りのまま、その橋をあっさりと渡りきった。すでに渡っていたBa隊長は、向こう側に行った彼らから話を聞き始めたようだった。(下の写真)

 そして,結論を出した。向こう岸で彼は片手を上げた。「渡ろう!」の合図。こういう場合、彼は他の人たちに相談する,あるいは意見を聞く等ということはしない。これまでそうだったし、この場合もそうだった。彼が旅のこと,地理的なことにはいちばん詳しい。そして,彼が下す判断は間違っていないはずだ。このツアーのリーダーに彼は最もふさわしい。だから,彼が決めたことには従おう。そうした認識が皆に徹底していたように思う。

 さあ行動開始!Ba氏とその友人たちから、本物のリーダーシップをかいま見せてもらった。日々選択、日々決断。 (K.M)

(585) モンゴル日記(300)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて48 】

北モンゴル最奥部を訪ねて48-005

北モンゴル最奥部を訪ねて48-006

 4台のクルマは脇目もふらずにドンドン走った。上の写真のように、周囲には大草原と森,なだらかな山々とその稜線、こうした風景が展開していた。これ自体は美しく、のどかだった。それに幸いにも進路の大転換をしてここまで、トラブルめいたことは全く起きていない。

 この頃になると,どういう訳か、放牧された家畜にも出会うことが少なくなった。辺りがちょっとばかり,うす暗くなってきたせいだろうか?日本では信じられないほどの明るさだった。腕時計を見ると、もう午後9時近かったが。

 その後,目的地に着いてから調べてみたら、この時期,晴天の日ならば午後11時ころまで暗くならなかった。その事が今回の”アドベンチャーツアー”では大きな助けになったのだが。しかしその裏返しで、朝は7時を過ぎないと明るくなって来なかった。

 ところで,下の写真も牧歌的な風景である。けれども,この写っている川の下流には怪しげな橋が待ち構えていた。しかし,そんな事は知る由もない。

 次号で詳しく述べるが、こちらは以前おっかなびっくり渡った”屏風岩”の橋より、さらに危うそうな代物だった。だいたいオール木製橋だった。それも数日前に大水の洗礼を受けたのだ。そのうえ川の水は多く、流れも速かった。

一難去ってまた一難。モンゴルの神よ、どうか筆者たちを見捨てんでくれ。日々神頼み、日々祈り。 (K.M)

(584) モンゴル日記(299)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて47 】

北モンゴル最奥部を訪ねて47 -003

北モンゴル最奥部を訪ねて47 -004

 この先どれくらい時間がかかるのか、きょう中に目的地に着けるのか。そうした事は誰も聞かしてくれないし、筆者からも尋ねない。(だいいちB氏から「シャチョー,そういうことは聞かないで」と,釘を刺されているんだもの・・・。)

 4台はスピードを落とさずどんどん北上した。それらしいことは磁石で分かった。やがてフタコブラクダがまた現れた(上の写真)。10頭くらいは群れていただろうか。ちょっとビックリした。が、もうそんなに感動はせず。

 やはりホンネは情報を得たかった。これから先、新しい目的地までどれくらい時間を要するのか?夜間行軍をするつもりなのだろうか?と,しだいに辺りの風景は変わってきた。

 4台はあせったように走り続けた。だから,休憩などは1時間半くらいは取らなかった。下の写真は、進路変更後にはじめて休憩をした場所の風景である。この草原にはあの飛びバッタがあちこちで遊んでいた。けれど,時刻はすでに午後8時を過ぎていたのだが。

 ところで,この辺りは標高も上がってきたようだ。この手前の草原と森林の向こう側に、見えないが,あの涸れ川が流れているという。彼方の連山はズーッと続いていた。持って来たスマホはもう全く通じない。結局このあと1週間ほど、筆者は”音信不通”となってしまった。

 モンゴルの人たちは 日々不安なし、日々心配せず?! (K.M)

(583) モンゴル日記(298)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて46 】

北モンゴル最奥部を訪ねて46-001

北モンゴル最奥部を訪ねて46-002

 隊長Ba氏はあの涸れ川を横断し、タイガにとりつく当初のコースを断念した。そして別の大回りの進路を選んで、さっそく走りはじめた。

 その変更コースを進みだしたら、ほどなく写真上の変な大型自動車に出会った。トラックの荷台を改造して座席にし、その上をすっぽり覆った特製の「観光バス」だった。ただし後輪は4輪。乗客は全て女性だったようで、20人近くは乗っていたろうか。

 どうやら,彼らもこの風光明媚な地を観光で訪れたらしい。しかし,例の河原をこのバスで渡るのを断念し、引き返してきたという。そこでBa氏は「観光バス」の運転手と話をはじめた。

 下の写真は,その時に広がっていた背景である。草原とタイガと山岳で構成された風景。これ自体はやはり美しかった。そして手前から広がる草原と、彼方のタイガの間にはあの涸れ川が流れていた。

 さてBa氏はバスの運転手から、より多くの情報収集を終えたようだった。そして4台が再び移動をはじめた。どうもあのタイガに近づかず、それと並行して進みはじめた。どうやら北上らしかった・・・。

 Ba氏に全て託したメンバーなのだが、不安な表情はさほど見えなかった。その中では筆者がいちばん不安そうな顔つきだったかも知れない。

 新しい目的地に明るいうちにたどり着けるというのは、どうやら望みがうすくなって来た?!  日々変更、日々冒険。 (K.M)

(582) モンゴル日記(297)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて45 】

北モンゴル最奥部を訪ねて45 -05

北モンゴル最奥部を訪ねて45 -06

 前号,前々号で述べてきたように、筆者は山岳風景をいわば味わっていた。しかし,そんな悠長な話ではなくなってきた。目的地にたどり着くまでの進路が、大変なことになっているらしい。道路状況である。

 Ba氏はまずこの涸れ川の下流,上流と歩き回っていた。川岸の状態を観察しながら、クルマが対岸に取りつく良い場所を探っていたのだ。その彼の表情がしだいに厳しくなってきた。どうやら,わがXトレイルを含め4台が右岸にうまく渡れる箇所が見つからないようだった。

 上流は泥土と砂利が現れていた。それが畝を立てたような有り様で、上の写真のとおりである。これだとここを突破できない。

 とその時,オートバイがタイガの方からやって来た。隊長Ba氏はそれを止めた。若い男女の二人乗りで、彼らは筆者たちが通り過ぎて来たあの町に行くとのこと。そこで、彼らが通ってきたここまでの道路状況を彼は尋ねはじめた。

 彼らの話によれば、数日前の大雨の影響で、道路や河川の状況が一変したという。この先も道路がかなり傷んでいてズタズタらしいこと。バイクでさえもここまで来るのに大変だったこと等々聞かしてくれた。

 結局,ここを横断できたとしても、先々には色んな障害が待ち受けているようだった。そこで隊長Ba氏は決断した。このルートと目的地を変更しようと。

 決めてからは早かった。日々決断、日々変更。 (K.M)

 

(581) モンゴル日記(296)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて44 】

北モンゴル最奥部を訪ねて44 -03

北モンゴル最奥部を訪ねて44 -04

 写真上・下の山はお分かりの通り,同じ山だ。裏側は見えないが、ほぼ三角錐のようなカタチをしているらしい。とにかく1度目にすると、忘れられない独特の山容である。全山これ岩肌といったようにも見える。

 これほどの”名山”なら名前はあるのだろう。博識なB氏に尋ねた。「あの山は昔から人々に知られてきました。それで名前はデルゲルハンガイ山といいます。高さは4,000mくらいはあるのかな。この数字は正確ではないかも知れません。でも,この山脈の中では最も高い山です」との答え。

 ふーん,なーるほど・・・まるで人を寄せつけないような容姿。それに何かしら別格といった雰囲気を持っている。筆者などは、なぜか”魔の山”というようなイメージさえダブらせていた。大山脈ではないものの、遠くの連山の中では唯一の単独峰で屹立していた。

 記憶をたどると、モンゴルでこんなに尖った山はこれまで見たことがない。今回を含めてこれまでは,いわゆる老年期というべきなのか、ゴツゴツしていない,なだらかな山々を多く目にしてきた。しかしこのデルゲルハンガイは違う。過ぎゆく雲もしたがえて、聳えていた。うーん,ともかく風格というか威厳のある山だわなァ・・・。

 「シャチョー、いつまで眺めてるの。行くよー!」B氏の声が聞こえてきた。と,この先にツアーの大変更が待っていた。日々楽観、日々悲観。 (K.M)

(580) モンゴル日記(295)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて43 】

北モンゴル最奥部を訪ねて43-01

北モンゴル最奥部を訪ねて43-02

 (576)号で述べたように、タイガ地帯に近づいているようだった。やがて,そんな風景が目の前に広がってきた。上の写真がそれである。その中ほどには、タイガを構成する黒緑色の針葉樹林の帯が左右に延びている。そして,その彼方には急峻そうな山々が並んでいた。

 一方,下の写真はタイガの奥の同じ山並みでも険しい姿をしていない。これらは比較的近く、山容もなだらかな山々である。また手前の白っぽい木々はヤナギ類だ。つまりこの場所も川原の縁なのだった。その事は上の写真の手前のようすでもお分かりかと思う。

 この場所に達するまで、二つの涸れ川を突っ切った。これは上記(576)号に書いた通り。その後,ガソリンスタンドと食品スーパーが共にある最後の町を抜け、ここにたどり着いた。その間に難所はなく平地がつづき、比較的スムーズに来れた。

 「この先はどっちに進むんだろう?きっとこの川を越えて前方のタイガの方に行くんだろうなァ。B氏に見せてもらった目的地の唯一の写真も、こんな風景だったけど・・・。」

 辺りはまだまだ明るいが、すでに夕方6時半は過ぎていた。「まァ,ここまで来たのなら早いうちに目的地に着けるだろう。そしたら,簡単な酒盛りくらいは・・・」と内心考えていた。

 しかし,このあと状況は急展開した。まだ明るくても,一寸先は闇なのだ!日々意外、日々想定外。 (K.M)