(629) モンゴル日記(344)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて92 】

北モンゴル最奥部を訪ねて92

北モンゴル最奥部を訪ねて92

 写真上はご覧の通り、ヤマハのオートバイだ。この”環ポリおじさん”の大事なアシ。排気量は200ccらしく、AG200と記されていた。実は,筆者も若い頃オートバイに跨っていた。それもヤマハ製。それは当時もっとも大きな排気量(350㏄)のトレールだった。2サイクル単気筒という特異なエンジンで、その吹き上がりはすごかった。はじめの加速がとてもするどく、強烈なスピード感があった。

 そんなことを”環ポリおじさん”に話したら、彼は大喜びをした。そして,握手を求めてきた。そして彼はヤマハを褒めたたえるのだった。後日,参考までにWikipediaでヤマハのAGシリーズのことを調べる。それによれば,このAGというのは農業Agricultureの頭文字で、牛追いや干し草の運搬などを想定して開発されたとあった。そして,この車種はオーストラリアなどに輸出販売されているらしい。

 ところで,喜んでくれた彼に水を差すと悪いから,「山の斜面でひっくり返った体験をしたので、バイクは卒業した。」とは言い出せなかった。気の小さいニホンジンなのだ。

 彼が帰るときに、若手がツーショットを撮ってくれた。それが下の写真だ。こうして二人を見ると、服装こそ違え,顔も肌の色も似てるわなァ。やはり系統的にはどこかで繋がっているのだろう、日本人とモンゴル人は。

 日々実感、日々体感。 (K.M)

(628) モンゴル日記(343)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて91 】

北モンゴル最奥部を訪ねて91

北モンゴル最奥部を訪ねて91

 このページも例の”環ポリおじさん”が持って来た啓蒙パネルの話題だ。ただしこの号で終わりとする。興味を抱いたモノにはやはり紙面を割いてしまう傾向がある。

 さて上の写真だ。左ページには動物たちが載っている。カモシカらしき四つ足動物、オオワシやアネハヅルのような鳥類、魚類。それにヘビも載っている。蛇足だが、筆者はまだ一度もこの国ではヘビに出会っていない。また右ページには蝶類、それにサンショウウオらしきものも載っている。

 一方,下の写真だ。今回,博学のB氏から北モンゴルに暮らす少数民族のことを聞いていた。彼らはトナカイを放牧したり、狩猟をしたりしながら生活を営んでいるという。下の写真の人々はその少数民族の人たちかも知れない。狩猟を含む彼らの生活の一コマがこのパネルには載っていた。

 ところで,そのパネルの写真をよく見たら、若い頃の”環ポリおじさん”らしき人物が、彼らと一緒に写っているではないか。指をさして示したら、ニッコリしながら彼は認めた。

 一方,パネルの写真の人々がその少数民族かどうかは確かめられなかった。しかし,帰り道でそれらしき人々に遭遇した。ある村で、トラックの荷台に何頭ものトナカイを載せた人々に出会ったのだ。筆者や若いメンバーが珍しがって、その荷台にいる立派な角を持ったトナカイたちを興味深く覗いた。

日々多面性、日々多様性。 (K.M)

(627) モンゴル日記(342)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて90 】

北モンゴル最奥部を訪ねて90

北モンゴル最奥部を訪ねて90

 写真の上・下は、引きつづき”環ポリおじさん”持参の啓蒙グッズだ。これらのパネルは生態系や食物連鎖などを説明しているようだった。

 ご覧のように写真上のパネルは昆虫類か?その種類や棲息場所が示されているのだろう。が,それ以上はよく分からない。一方,下の写真はまだ分かりやすい。この辺りに棲息する魚類とそのエサらしきものが描かれている。魚は11種が示されていたが、もちろん全て淡水魚なのだろう。左側の下から4番目がタイメンだろうか?絵の下にはTynと書かれていることだし。

 また右下の方にはドジョウ類も見える。こんな寒冷の地にも彼らいるんですねェ。また下の図は彼らの棲息場所だろうか。こうやって推測しながらでもパネルを開いていくと、なかなか興味が尽きない。

 その間,料金の徴収も終えた”環ポリおじさん”は、盛んに何やら皆に向かって話をしていた。おそらくこの地域の生態系などの話なのだろう。けれど,親友B氏はいちいち日本語訳はしてくれない。彼は、何となくこうした話はうっとうしいと感じているのか、頼まないと訳してくれなかった。それも日本語に訳してくれても、簡略な説明しかなかった。

 ところでその親友B氏、国費留学生として旧ソ連で学んだ経歴を持つ。そうした事もあって,彼はロシア語,英語,日本語を話す。なかなかのインテリなのだ。

日々勉強、日々問題意識。 (K.M)

(626) モンゴル日記(341)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて89 】

北モンゴル最奥部を訪ねて89

北モンゴル最奥部を訪ねて89

 件の”環ポリおじさん”が持って来た解説板や冊子を、みなが回覧し始めた。解説文はモンゴル語のため全く読めなかった。が,写真はよいものが多く、また頑丈な装丁だった。その中でまず気に入った写真が上・下だ。

 上の写真はそのなかの,ある冊子の表紙の下半分だ。この地方独特の美しい風景である。湖沼,河川,樹林そして雪を頂く連山。どうやら,今回のツアーの当初の目的地がこの写真の地域だったらしい。ああ,行きたかった!ただ,この表紙に貼られたテープやあちこちの傷みは、かなりの回覧者数と年数を感じさせた。そして、彼の仕事熱心さのようなものも感じさせた。

 一方,下の写真は1ページ全面の、トナカイたちの渡河のようすである。彼らは泳ぐのだ!かつて『ダーウィンが来た!』で、単独で海を泳ぐシカを見たことがある。が,ふつう鹿たちは泳がない(泳げない?)と思う。奈良公園のシカが池で泳いだ,なんて話は聞いたことがない。しかし,この写真のトナカイたちは群れで川を泳ぎ渡るのだ。ビックリした。そして,その美しい風景に見入った。

 ところで,この下の写真、時期はおそらく秋ごろだろう。なぜなら,川の中の抽水植物が枯れ始めている。それに対岸の岸辺のおそらくヤナギ類の紅葉?,また一部針葉樹の黄葉も見られるからだ。

 一度はトナカイの渡河を実際に見てみたいものだ。日々刺激、日々新鮮。 (K.M)

(625) モンゴル日記(340)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて88 】

北モンゴル最奥部を訪ねて88

北モンゴル最奥部を訪ねて88

 このキャンプで滞在生活を始めて2日目のこと。昼ごろ,「環境ポリス」の人がやって来た。その「環境ポリス」という表現は、親友B氏が筆者向けに分かりやすく考え出した言葉だ。上の写真で迷彩服を着て帽子をかぶったおじさんである。おそらく日本でいうなら、環境省の自然保護官(レンジャー)みたいな感じかなァ?!

 さて,この”環ポリおじさん”はユニークだった。あちらも,筆者を日本からやって来た変な男だと判断したのかも知れない。いろいろ教えてくれたし、聞いてもきた。彼はこの国立公園内の自然環境はもちろん、終いにはヤマハのことまで語ってくれた。

 最初に,まず彼は乗って来たヤマハのオートバイのところに行き、積んでいた箱を手にして戻ってきた。そして,その中身を広げ出した。それは彼の大切な啓蒙グッズのようで、その中に納められた特製の解説板や冊子をメンバーに回覧しはじめた。下の写真はその一枚だ。見ているのはBa氏。勉強中,その足もとに”ゴールデンゴビ”(モンゴルビール)の缶があるのがまたいい。

 その合間に,彼はこの国立公園の入園料も徴収し出した。しっかりしてるのだ。それに訳が分からないが、筆者は外国人なのでモンゴル人より料金が高いのだという。彼がまじめそうな人物だったので、要求された倍額をはずんだ。そうしたら,たいへん感謝の言葉を頂いた。

日々啓蒙、日々徴収。 (K.M)

(624) モンゴル日記(339)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて87 】

北モンゴル最奥部を訪ねて87

北モンゴル最奥部を訪ねて87

 上の写真は前号で書いた断崖の南東側から写した全景である。この写真でも分かる通り、やはり節理の岩崩れは起きているようだ。けれど全面的な崩壊にまで至らないのは、降雨量の少なさが要因かもしれない。この国の降雨量は日本の3分の1,4分の1くらい。長雨や集中豪雨などはめったにない。8年前からモンゴルに通っており、夏場には5,6回滞在しているが、一日じゅう降り続ける”長雨”などに会ったことはない。それに特筆すべきことだが、地震もない国なのだ。

 さて下の写真は、断崖手前の小段からの眺望だ。中ほどにはテングス川の水面ものぞく。やがてこの先で左側から流れ込んでくるシシケッド川と合流し、大河に変貌する。この写真の左手奥で木々が連なっているルートは、その一本になった河の川筋を示している。

 さて右側のテングス川に沿った山側の小段は、ひょっとしたら河岸段丘だろうか。あちこちにこの小段は認められるのだ。けれど,シシケッド川の方にはこうした地形は確認できなかった。

 一方,奥にはロシアとの国境が引かれたあの高山がドデンと座っている。この山は様々な表情を見せてくれた。この風景はまさに山水で、ズーッと眺めていても厭きなかった。この辺りは山と山に挟まれた,いわば谷間の地で、モンゴルではダルハッド・バレーと呼ばれ、熱心なファンがいるらしい。

 日々山紫、日々水明。 (K.M)

(623) モンゴル日記(338)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて86 】

 北モンゴル最奥部を訪ねて86

 北モンゴル最奥部を訪ねて86

 上・下の写真はこれまで何度か載せてきたが、例の断崖の近景である。その手前の小段に上って撮影したものだ。上が北側,下が南側。小段を除いた岩壁だけだと、高さは20mくらいだろうか。

 遠くから眺めていると、景観としてはそれなりに美しく風情もあった。けれど,こうしてそばに寄ってみると、まさにアバタのような感じ。が,目を凝らすと、それは柱状節理のようだった。太古の昔、火山活動か造山運動によって形成されたものだろうか。

 下の写真つまり南側では、ひょっとしてその節理が崩れつつあるのかも知れない。崖の上部から岩石が崩れ出しているように見える。後日,この裏側(北側)にまわった時は、これよりひどい崩壊を目にした。

 ところでこの断崖,こちら側から眺めていると、とても近寄れないように思っていた。けれど後日,B氏らとアプローチしたら、南側からはアタックできた。それで上まで登ってみる。そうしてB氏が言うように、ただの断崖ではなく城砦でもあったという話を否定する気持ちが薄らいだ。

 なおチョイ調べしたら、この辺つまりモンゴル北部の山岳地帯は今から4億数千年前に最初に海上に姿を現した陸地だという。(『地球の歩き方 モンゴル』) 日本列島よりはるかに古い,永ーい歴史をもつ大地なのだ。

 遥かな時間の流れと空間のなかで感じることは少なくない。日々悠久、日々雄大。 (K.M)

(622) モンゴル日記(337)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて85 】

北モンゴル最奥部を訪ねて85

北モンゴル最奥部を訪ねて85

 シシケッド川は流れが緩やかだった。水深もあり、川底は泥土帯が広がっているみたいだ。それに対して、反対側のテングス川は流れが速く、石だらけの清流。このように二つの河川は対照的だった。そして,ときどき釣り人の姿を見かけるのは、テングス川の方だけだった。

 上の写真はそのシシケッド川の浅瀬を泳いでいた稚魚である。体長10㎝にも満たなかった。体の表面にはちょっと複雑な模様。ただ,こいつは鋭い動きを示さなかったので、おそらく調子が悪かったのだろう。ひょっとしてタイメン(モンゴルイトウ)かもしれないが、こんな様子だと,この後 死んだかもしれない。

 正直いうと筆者はこの稚魚よりも、水中の水草の方に興味が向かった。この浅瀬には、このようにびっしりと若い沈水植物が生えていた。流れが緩やかで水底が泥土だから、このように繁茂しているのだろう。

 下の写真のように沈水植物に限っても、シシケッド川にはヒルムシロ属を中心に5,6種類は生育していたと思う。それもかなりの規模でびっしりと水底から茎を伸ばしていた。後日,船で川を横断したとき、そのことを確認した。

 若い頃,休みごとに新潟県内の河川や湖沼を歩き回ったことがある。そのとき,その水生植物の多様性に驚いたものだ。しかし,このシシケッド川はここだけで豊かな水生植物を養っている。

日々探索、日々発見。 (K.M)

(621) モンゴル日記(336)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて84 】

北モンゴル最奥部を訪ねて84

北モンゴル最奥部を訪ねて84

 上の写真は前号で触れた隣り組?の奥さんらしき女性である。通りかかった彼女に向かって、手に持ったカメラのシャッターを押すしぐさをして、”OK?”と打診。すると彼女はにっこり。それで撮らせてもらった。これは今回のツアーで唯一の女性の写真となった。ちょっと緊張したような顔つきだったが、きりっとした良い表情を見せてくれた。

 後日,撮影した写真を拡大してみると、彼女は若そうに見える。おそらく20歳代だろう。彼女は上流のゲルから何かをかごに入れて歩いてきた。撮影後に”Thank you”とお礼を言い、遠ざかる彼女を目で追った。すると,すぐ下流のゲルに入って行った。何か届け物だろうか。ひょっとして彼らは一族なのかもしれない。

 ところで,下の写真はオートバイに乗った男たちだ。これまでなら、おそらくどこかへ行くための移動手段は、まず馬だったろう。しかし、彼らはすでにこのように生活の中でオートバイを乗り回していた。3台のうち前の2台は2人乗り。そして,オートバイのものだけでないようだが、坂道には轍がくっきりと付いていた。

 「遊牧民が馬に乗らずにどうするの?!」と異国人が思ってもしょうがない。彼らには彼らなりの”生活の近代化”があろう。ともあれ,あのオートバイは日本製である可能性が高かった。そのことは後日述べる。

日々日本製品、日々近代化。 (K.M)

(620) モンゴル日記(335)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて83 】

北モンゴル最奥部を訪ねて83

北モンゴル最奥部を訪ねて83

 写真上が、毎朝利用していた原始的な和式トイレだ。立て付けが悪いのか、このドアはピチッとは閉まらない。だから内側から引っ張っても、かなりすき間があいた。もう面倒なので、開けっ放しで用を足すようになった。けれど,こちらの方が開放的で落ち着いた。

 それに筆者は毎朝,早い時刻に起きていたから、誰かとかち合うことはほとんど無かった。たまーに他の誰かが用を足そうとこちらに近づいてきても、けっきょく前号で紹介した隣のトイレに入ったようだ。

 それに,この外がよく見えるトイレに入っていた時には、楽しいシーンに1度遭遇した。目の前の草地をリスたちが忙しげに行ったり来たりしたのだ。そのときは力むのもこらえて、静かーに眺めていた。後で分かったことだが、どうやら彼らは前号で書いたトイレ跡の窪みで生活しているようだった。

 ただ,この和式トイレ、実は2人用だった。内部には仕切りもないのだが、もう1人が入れるような作りになっていた。つまり,隣も写真のように床板を1枚外してあって、人が跨ぐようになっていた。さすがに誰も入って来たことはなかったが。

 ところで下の写真は用を足したあと向った、朝のシシケッド川だ。爽やかな空気が漂い、あたりは無風で静寂に包まれていた。この後,隣り組の遊牧民一家の奥さんらしき女性が近づいて来た。

 あーっスッキリした!日々快便、日々快朝。 (K.M)