(639) モンゴル日記(354)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて102 】

 上の写真は筆者を除いたメンバーの6人である。2度目の休憩の際に撮影したものだ。ただ左から2人目は今回のトレーナー役の男性である。彼も若そうで、20歳代だろうか。その左隣の黒ずくめでサングラスをかけた若者が、ときどき馬を疾駆さていた。彼がいちばんの乗り手のように思えた。

 ところで紅一点の女性はT氏の娘さんM嬢だ。分かりやすい英語を話してくれたが、筆者はそれにきちんと答えられるレベルではなかった。けれど,何かと親切で、この休憩のときにも持って来たお菓子を皆に分けてくれた。

 さて,この休憩が終わってから再び進む。と,道がしだいに小石混じりになってくる。やがて両側は崖状になってきた。馬の歩く速度が落ちる。そして右側は断崖絶壁になってきて、まもなく岩の崩落現場のような所が現れた。下の写真がそれである。

 道はかなり岩混じりになってきた。そうしたら、最後尾にいたトレーナー氏が「Stop,stop」と声をかけてきた。それで筆者は手綱を引いて止まる。そうしたら彼は,岩が多くなってきた路面とこの絶壁を指さしながら、「Please down,please down」と言う。危険だから降りろ?それで筆者は指で自分をさしてから、道の方に降りるしぐさをした。それを見てトレーナー氏はうなずいた。

 危険は避けよう、とくに外国では。チョイ降馬、チョイ歩き。 (K.M)

(638) モンゴル日記(353)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて101 】

 テングス川の河畔から離れ、今度は山越えのコースに入る。進路はすっかり山中だが、あたりは明るかった。進むにつれ、針葉樹の立ち枯れが目につくようになってきた。既出(566)号で述べたように、これらも樹木の幹を食い荒らす削孔虫の被害だろうか。

 ところで写真は2枚ともぶれている。どうやら筆者の心中を表わしていたようだ。つまりズーッと不安が去らなかった。少しづつ強くなってきた尻の痛みと、落馬への恐怖である。

 上の写真で赤いジャンパーを着て、白馬に跨っている男性はJ君といった。彼はメンバーのどなたかの親戚で、今回たまたまプラハから帰って来ていて、誘われたからついて来たという。好青年で筆者と何となく波長が合った。また彼は筆者のヘタな英語でも理解しようとしてくれた。それで後日、彼と二人でシシケッド川を船で渡る経験もした。さて?この写真の下端には筆者の馬の頭の先っぽが写ってしまっている!

 筆者は常にビリだったが、馬上にいた時はこのJ君の赤ジャンパーを自然に追っかけていたように思う。ところで,下の写真は筆者の乗った駄馬?いやいや迷馬の頭部である。とにかくこの馬、山道に入ってから突然止まって草・葉を食べだすことが増えた。だから,乗っている時はもう余裕がなくなって、周りの植物などには目がいかなかった。あー,休憩がほしい。

常に緊張、常に余裕なし。 (K.M)、

(637) モンゴル日記(352)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて100 】

 写真の上・下とも、テングス川河畔の林の中だ。ここで皆が馬から降りて、最初の休憩をとった。誰かがドリンク類を携えてきたようで配給された。筆者もミネラルウォーターをもらう。

 休憩にはホッとした。まず馬上の緊張感から解放されるから。そして,始まっていた尻のヒリヒリ感が薄れるからだ。尾てい骨のすぐ下、尻の端の両側部分が少し痛みだしてきたのだ。ふだん刺激を受けない尻の後ろ部分を、鞍の上でカパッと開く。そして,そこに乗馬による上下動が加わり、絶えず刺激を受ける。すると,ヒリヒリ感が生まれ、やがて痛みに変わる。まァ一言でいうと、乗り方が下手なのだろう。

 さて下の写真だが、手綱をつながれた2頭のうち正面の方が筆者の馬だ。同行者には日本語を話す人が誰もおらず、この馬の癖などはもちろん教えてもらっていない。けれどこの馬、なかなか手こずった。

 というのは、この若そうな馬はエサをちゃんと食べて来なかったのだろうか。進路沿いに,エサになる草や葉を見つけると、突然止まる!そして,それを頭を動かしながら喰いはじめるのだった。これが怖い!とくに頭を大きく下げたりされると、こっちは慌てる。とっさに落ちまいとして、体をのけぞらせ両足を鐙で踏ん張って、手綱をしっかりつかむ。これが何度あったか。

 結局,この馬に舐められていたのだろうか。日々モンモン、日々悶々。 (K.M)

(636) モンゴル日記(351)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて99 】

 上の写真は引きつづき、テングス川左岸を上って行くメンバーだ。ちょっとボケた映像か?! ともあれ彼らは危なげない。日本で言えば、小学校低学年の頃から乗馬を経験しているんだもの。

 下の写真は、川岸コースを外れて山越えのコースに向かうところだ。彼らの中には馬を駆けさせる者まであらわれた。

 それに対して、こっちは生まれて2度目の乗馬体験。最初の経験もやはりこのモンゴルで。前述したが、6年前の国立公園テレルジでのこと。その際はBさんがズーッと一緒だというので、チャレンジした。そして,馬を降りる直前までは何も起きなかった。

 時間が来て,終点で筆者が降りようとした時、アクシデントが起きた。後ろから追っかけてきたB氏の跨る馬が、目の前でつんのめった。と,B氏が馬から落とされた!それに気づいた筆者の馬が、仲間に一大事が,と思ったか、落ち着きを失い、暴れ出したのだ!いや,こっちはあせった!しかし,すぐ傍らにいたトレーナー氏が馬を落ち着かせ、馬を降りることができた。B氏の馬が転倒した原因は、草原に針金が隠れていてそれに足を引っかけたらしい。

 さて,今回はそのB氏が同行しないから、トレーナーに頼るしかない。彼は「トレーナーによくお願いしておいたから大丈夫ですよ」。・・・何がダイジョウブだというのか。しょうがない、スタートした。

常に緊張、常に手に汗。 (K.M)

(635) モンゴル日記(350)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて98 】

 乗馬は気が進まなかった。が,11時過ぎにはトレーナーと共に7頭の馬たちがやって来た。結局メンバーは若者5人と筆者という顔合わせになった。もちろん若者たちは乗馬に馴れたモンゴル人である。

 それに対して、こっちは日本人。生まれて2度目の乗馬でしかない。それも高齢者に近づいている。思えば最初の経験もやはりこのモンゴルでだった。それは6年前のこと。落馬こそしなかったものの、緊張の数時間だった。その時に教わったことをひとつだけ覚えていた・・・馬の後ろ側には行くな!蹴られるかもしれないからである。

 モンゴル馬はアラブ系などより小形だという。だから足の短い筆者などには向いていると思う。でも乗る際も降りる際もトレーナーの手を必要とした。ただし,彼は日本語を解さないから身ぶり手ぶりだ。見送る立場のB氏は、「シャチョー、ダイジョウブ,ダイジョウブ」。何が大丈夫なのか・・・。とは言え、ともかく手綱を離さず,鞍を両足できつく挟んで出発した。でも常に筆者が最後尾だった。

 下の写真の風景は、少し乗りなれてちょっと余裕ができた瞬間に,馬上から撮ったものだ。この川岸をしばらく上って行くのだ。美しいテングスの清流だったが、それを観賞する余裕などほとんどなかった。とにかく落馬しないようにするのが精いっぱい!

 馬上では緊張しっぱなし。時々あぶら汗、時々ケツ痛。 (K.M)

(634) モンゴル日記(349)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて97 】

 写真上はイワレンゲの仲間だと思う。つまりセダム類。これはツーリスト・キャンプのまわりで、乾燥しがちな場所なら,あちこちで見かけた。シシケッド川の岸辺でも、また例の断崖の手前の小段などにもよく生えていた。

 草丈はせいぜい20cm。地面にベタッと貼りついていて、花としての色香はまったく漂わない。しかし見るからに,たくましさや強靭さといったものを感じさせてくれる。冬にはマイナス40℃以下となり,夏には乾燥激しいこの地で、ズーッと生き抜いているのだ。

 一方、下の写真はあのアカツクシガモである。ただし正直言うと、この写真は以前この紙面で用いたことがある。(614号)でだ。そこでも述べたが、この一家は全部で11羽いるはずなのだが、この時は1羽欠けていたようだ。父鳥みたいだが。

 この2枚の写真とも、同じ日の”朝の観察・撮影散歩”のときに撮ったものだ。それは、他のメンバーが起き出して来る前の1時間ほど、カメラを首からぶら下げてキャンプ周辺を歩き回るのである。そこには清々しい空気が満ち、心地よい時間が流れる。それに万歩計の歩数も稼げる?!

 ところで前日、Bさんから「シャチョーの分も馬を頼んでおいたからね。明日は必ず参加してね。馬は11時頃来るからね」と言われていた。強く遠慮したのだが、乗馬に誘われていたのだ。気が重かった。

 日々花々、日々鳥々。 (K.M)

(633) モンゴル日記(348)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて96 】

 北モンゴル最奥部を訪ねて96

 北モンゴル最奥部を訪ねて96

 まず上の写真。空は快晴ではなかったが、山々は美しかった。国境沿いに連なる例の山並みである。正面から見ていると,あまり分からなかったが、右側(北側)にも峰々を引き連れている。手前の低い山々,そして奥の連山・・・三列,四列に山並みが重なり、奥行きを感じさせる。この撮影場所はツーリストキャンプから西に進んだ所だ。

 右側のオレンジ色の屋根を含む住居群が、筆者たちが最初に泊まったツーリストキャンプなのだ。夜中に到着しながら、結局一泊だけしかしなかったところだ。まァそれについてはB氏がお詫びを兼ねて、滞在中に伺ったようだが。やはり筆者が知らない事情もあったようだ。ご主人が病気持ちらしいということも、あとで聞いた。

 ところで,下の写真である。この奥地にやって来た別グループの人々が去って行く様子である。土ぼこりをあげながら、5,6台が通り過ぎて行った。最初はビックリした、こんな奥までやって来る人々が他にもいることに。彼らはオフロード車を駆って、わざわざ悪路を通るらしい。何やら冒険スポーツみたいなのだ。B氏の話によると、こうしたグループは同じ車種の者どうしがやることが多いという。そう言われれば、このグループも日本車と思われる同じ車種だったように見えた。

 結局,こうしたグループ3組が筆者たちのキャンプ前を疾駆していった。日々ビックリ、日々たまげ。 (K.M)

(632) モンゴル日記(347)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて95 】

 北モンゴル最奥部を訪ねて95

 上の写真、こりゃあんたの撮り損ねだろうと思われるかも知れません。(まァ,それは少なくないですが・・・)しかし,写真上部のやや右側に何かぼやけているモノが見えるでしょう?実はこれがバッタの飛行中の姿です。唯一の写真です。その撮影を何回も試みましたが,成功しませんでした!ですが、何とか偶然これだけ撮れたのです。この飛行バッタの姿、一見,小さなヘリコプターみたいにも見えますね。

 しかし,下の写真です。そうした飛行バッタも草原に着地せず、誤って着水することがあるようです。それは死を意味するでしょう。時間が経たないうちに、きっと魚のエサにでもなるでしょうから。これは上の写真のバッタと違いますが、たまたまシシケッド川方向に飛んで行ったバッタを追っかけて行ったら、偶然,撮れたものです。

 前に述べた「環境ポリスのおじさん」の話ではないですが、自然界にはそれを維持するために厳然たる原理が存在します。食物連鎖もそのひとつです。日々こうしたことがあちこちで起きていて、このダルハッド・バレーでも自然界の複雑な関係が成り立ち、維持されているのでしょう。

 この落ちバッタ、その後ゆっくりとシシケッド川を下っていきました。しばらくは浮いていましたが、100mも流れないうちに姿が消えていました。・・・哀れというも,なかなかおろかなり。

 日々学び、日々認識。 (K.M)

(631) モンゴル日記(346)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて94 】

 少し目を凝らさないと、地面と見分けがつきにくい。上・下ともあの飛行バッタの写真である。ただし上のヤツは地面のような体色、下は草に近い緑色を帯びていた。どちらも体長は数センチだが、彼らはいったん飛ぶと数百mも飛翔することがある。このことは以前にも述べた。

 ところでこのツーリストキャンプの周辺には、この飛行バッタたちが何種類も棲息していたように思う。彼らが飛び立たないギリギリのところまで近寄って観察をしてみると、そのタイプは様々いるようだった。バッタなどまったくの門外漢なのだが、大きさも模様も,そして体色も多様で、簡単に一括りにはできないように思った。だから,分類学上の種としては、いくつかに分かれるのだろうと推測する。

 さてこの飛行バッタ、体色がこの通りなので、近くに寄っても分かりにくい。いや視力が劣る筆者はなおさら分からない。だから,ヤツをいったん飛び立たせて、その飛行ルートをとらえて着地点を確認する。その後,静かーにそこに近づき、拡大モードで写真撮影すること十数回。

 ところで,このバッタたち、午前中はそれほど動きが目立たなかったように思う。けれど午後に入ってからは活動的となり、それも現地時間で20時,21時ころまで活発に動いていた。”夜の蝶”は聞いたことがあるが、”夜のバッタ”というのは耳にしたことがない。

 日々飛翔、日々発見。 (K.M)

(630) モンゴル日記(345)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて93 】

北モンゴル最奥部を訪ねて93

 釣り名人Ba氏は料理も得意だった。上の写真で包丁さばきを披露しているのが、その人。調理をしている魚は、テングス川で釣り上げたものらしい。それを,いつどこでどう処理したのかは分からなかった。

 けれど話を聞いていくと、そもそもBa氏が筆者のためにこの魚料理を作ってくれたという。毎日,肉料理では日本人は参るだろう。それで,この特別メニューをこしらえてくれたという。それを聞いて感激!それじゃあ不味くても,後で食あたりになっても,まずは箸をつけねば・・・。ところが不安は笑顔に変わった。美味だった。

 彼の持って来た調理道具は多種多様だった。包丁,ナイフ類に加えて、ペンチみたいな工具も使っていた。これは魚のトゲ抜き用ということで、上の写真で実際 使っている。なお参考までに書いておくが、食後に腹痛などはまったく起こさなかった。

 ところで下の写真である。夕方になってやって来たのは、また牛だと思っていた。ところがン?,目を凝らすとそうではないようだ。身体が牛っぽくない。だいいち体の毛がふさふさしているではないか。結論から言うと、若いヤクか,ヤクと牛の合いの子だろうと考えられた。

 ヤクと牛の交配種については,B氏から以前に聞いていたし、実際に見たこともある。どちらにしても手前の1頭はもちろん、奥の3頭も牛ではないようだった。

 日々牛、時々ヤク。 (K.M)