(670) モンゴル日記(385)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて133 】

 道を譲ったあのピックアップ・トラックの後を追うように走った。あのプラドの立ち往生以後は、道も手こずる箇所はなかった。しかし、周囲の森林の様相がしだいに変わってくる。立ち枯れの木々が林立し、まるで死んだ森のようになってきたのだ(上の写真)。

 この光景はしばらく続いた。そして本来は青々とした森林空間を通り抜けるのだから、気分が塞ぐわけがない。しかし,この黒と灰色の世界である。ここを抜ける間、気分が落ち込んでしまった。商売で生きた植物を相手にしているせいか、枯れ木の”死骸”はとても気になった。こうした木々の立ち枯れ現象も、以前述べた削孔虫の被害なのだろうか?

 とはいえ下の写真のように、やがてまわりの木々の緑葉が徐々に増えてきた。何か景色が明るくなってきた。そして気分も,もとの軽やかさをとり戻してきた。この後,来るときに見たあの立ち枯れ林以外、こんな光景には出くわさなかった。ただ,新たな不安がひとつ体内に生まれていた。”大”がしたくなって来たのだ。隣で運転を続けるB氏に訴えたら、「ちょっとガマンして下さい」と言うだけ。こちらにすれば、”大”問題なのに。

 今までこんな事は無かった。ずっと揺られたせいか、それとも何か食い物にあたったろうか?念のために持って来た日本の漢方胃腸薬を取り出した。

 日々快食、日々快便だったのに・・・。 (K.M)

(669) モンゴル日記(384)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて132 】

 写真上・下は林の中だ。後ろからやって来た他のグループに先を譲り、マイペースで進む筆者たちである。この林の中では、2つのグループが追い越していった。中にはアメリカのピックアップ型トラックのようなSUVも通過して行った(写真上)。

 その荷台にはいろんなモノが積まれていたようだ。けれど,カバーに覆われていて中身は分からなかった。面白かったのはその他に、キャビンの屋根や荷台との間にも様々な道具(キャンプ用品や何かのカバンなど)が載せられていたことだ。またこの車にも国旗ではなかったが、何かの旗が掲げられていた。とにかく外観が賑やかな車体で、”満艦飾”のオフロード車だった。

 ところで,しばらく経ってもT氏のプラドとJ氏のレクサスが来なかった。その2台はわがXトレイルの後ろにさっきまで続いていたはず。それで前を行くBa氏と共にクルマを止め、彼とB氏,筆者の3人で進んできた道を戻る。

 そうしたら,あまり歩かないうちにプラドが止まっていた。小さな峠のような岩混じりの所で、どうやら後輪が岩に乗り上げたような状態だった。それで動けなかったらしい。

 結局,筆者も加えた男連中4人がプラドを後ろから強力に押した。それで幸いにも1回で脱出!その後,プラドの後ろに控えていたJ氏のレクサスは、難なく乗り越えてきた。

 今のところ大事なし、小事で済んでいる。 (K.M)

(668) モンゴル日記(383)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて131 】

 筆者たちの後から、元気なオフロード車の集団が追いかけてきて追い越していった。以前触れたが、こうして同じ車種や似た車種でグループを組み、山野を走りまわるツアーが最近モンゴルでは盛んになってきているらしい。

 そんなグループを見ていると、イメージが膨らむ。つまり先祖が偉大な騎馬民族で,一時ははるかヨーロッパにまで遠征した人々である。その末裔たちの民族的DNAが騒ぎ出し,馬をオフロード車に乗り換えて山野を駆けめぐる。これは以前にも書いたかもしれないが、そんな理解となる。

 ともあれ,そうしたオフロード車の軍団にときどき追い抜かれながらも、筆者たちの4台は進んだ。来た時と同様に、筆者はB氏のXトレイルの助手席に座っていた。そして、しばらくはアクシデントもトラブルもなく順調だった。

 上・下の写真は、そうした集団のひとつが筆者たちの後からやって来て,やがて追い越して行った姿だ。車種はみなジープのようだった。上の写真はそのグループの最後尾車がやって来たところ。最後尾とはいうが、こいつは上り坂をガンガン飛ばして来た。筆者たちはしぜんにそのクルマに道を譲る。通り過ぎる際,感謝の意味か助手席の女性が左手を挙げ、過ぎて行った。そして彼らはまもなくグループに合流し(下の写真)、小休憩をとってから再びスタートしていった。

 順調な滑り出し、マナー良き通過人。 (K.M)

(667) モンゴル日記(382)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて130 】

 さらばダルハッド・バレー、レンチンルフンブ村よ。いつかまた来るぞー?! それでもって,ツーリストキャンプを出発。一路ウランバートルに向かう・・・。が,そうはならなかった。結局ウランバートルに着くまで2泊もした。でもこれまで通り、筆者は事前に何も聞いていなかったが。

 上の写真はあの見慣れたロシア国境沿いの山並みである。今回が見納めだった。これは出発数分前の風景。しかし,これが朝早くではなく、時間は10時をとっくに過ぎていた。たしか前夜の申し合わせでは、7時スタートだったはずだが。”新潟時間”ならぬ”モンゴル時間”だった。概してモンゴルの人々は時間に鷹揚である。まァ厳格さに欠ける。

 とは言え,あちらに滞在していると、この”モンゴル時間”も場合によっては合理的か、と思うこともある。たとえばウランバートル市内の交通渋滞は慢性化していて、ひどい場合は時間が読めない。その結果,約束時間に10分,20分遅れるケースがある。けれど,この程度は「約束時間の範囲内」のようで、これくらいの遅刻は連絡を受けたことがない。

 さて下の写真は、4台がしばし止まった場所だ。奥の残雪を抱く連山はやはり国境沿いなのだろう。オフロードを順調に進んできて、最初の休憩をとった。その見晴らしの良い場所でふり返った風景である。

 今のところ順調な帰路、見晴らしの良い帰路。 (K.M)

(666) モンゴル日記(381)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて129 】

 あの二つの川の合流場所から,ひとりでキャンプに戻ってきた。途中 牛の水浴びも眺めながら、無事に帰還。今宵がダルハッド・バレーで過ごす最後の夜となった。いつもながら7時頃だというのに、外はまだ明るい。ところで,戻って早々あの牛の行動についてB氏に報告し尋ねたら、「暑ければ牛も川に入るよ」と,驚きの反応は全く示さなかった。

 ところで上の写真は例の城砦だが、改めて眺めると迫力がある。景観としても,地質や歴史の点でも貴重だと思う。日本ならきっと名所旧跡になろう。でもこれが見納めとなるかも知れない。あすこの地を離れると思うせいか、ちょっと感傷的になっただろうか。

 さて下の写真は、夕食準備の1シーンだ。今回の夕食の調理人はBa氏。彼は料理の腕がいちばんと言われている。ひと通り準備は済んだようだ。が,まだ強い日差しを避けて、皆が日かげに逃げ込んでいる。ただ男性軍はアルコールがすでに入っていた。

 ところで,キャンプでは食事作りがいつもひと仕事だ。しかしB氏ら4人の間では,その担当調理者を事前に決めておく。そして誰でも気持ちよく引き受ける。また担当でない場合でも、他の人は様々な手伝いをする。これはどんな場合も変わらなかった。だから筆者も何度か経験をしていた。

 レンチンルフンブ村も今日が最後、明日は一路ウランバートルめざし♫ (とは,ならなかった?!)

(665) モンゴル日記(380)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて128 】

 ”牛の水牛化”を目の当たりにしていたら、カモメらしき鳥がやって来た。「おおっ」、それも撮ろうとしてあせった。その結果,こんなボケた写真!それはビックリしたからだ。水牛が現れるやら海鳥が現れるやら・・・。カモメらしき鳥が海からはるかに遠いこの地を飛んでいたのだ。(信濃川では河口からかなり上流でも海鳥が飛ぶのをたまに見る。しかしこんな内陸部で海鳥がいようとは?!鳥博士から話をお聞きするまで、半分信じられなかった。なお,こいつもあのセグロカモメらしかった。)

 ひょっとしてこのカモメも、牛が川の中にいるのを不思議に思ったのかもしれない。だから,あたりを行ったり来たりしたのカモメ?! それくらいのサプライズだった。こうした場面はひょっとしてモンゴルでも稀で、貴重な写真となるのではなかろうか?!と筆者が思ったほどだ。

 ところで,牛たちである。4,5頭が体格の良いボス?に従い、しだいに深い方へ進んで行った。しかし,彼らはちゃんとした判断力を持っていたようだ。いったん川の中ほどに向かったが、まもなく引き返してきた。そして,流れの緩やかな岸辺近くの淵で、体を水に浸けはじめた(下の写真)。とはいえ,そこが浅いわけではなく、完全に腹まで浸っていた。

 キャンプに戻り,この事件をB氏に報告しても、そっけない反応。でも異国人には 日々発見、日々驚き。 (K.M)

(664) モンゴル日記(379)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて127 】

 ふたつの川の合流地点から帰るときのことだ。日本では見たことがないような出来事に遭遇した。何と目の前で、放牧されている牛が”水牛”になったのだ!

 写真上の場面で,まずビックリした。牛は全部で9頭いたが、彼らはためらうことなく筆者の目の前で、シシケッド川に入っていった。そして,こんな風に川の水に浸かったのだ。こんな場面を見るのはもちろん初めてだし、興味深かったのでしばらく眺めていた。でも,そのうち上がって来るんだろうな、と予想して、再びキャンプに向かって歩き出した。

 気になったので、しばらく歩いてから振り返った。そうしたら彼らは川から上がるどころか、だいぶ上流まで遡上していた。そして,何と深い方に入って行っていくではないか!たまげた!! 9頭全部ではないが、4,5頭がさらに真ん中の方に進んで行った。この写真の右側の牛などは戸惑っている様子。見ているこちらとしても、「大丈夫かいな」と心配した。

 けれど間もなく,その4,5頭は進むのを止め、川岸に戻るように反転した。続きは次号で述べるが、この間,筆者は初めて見る牛の集団水浴びに出くわして、一人で興奮していた。でもひょっとしたら、彼らは水に浸かりなれているのかもしれない。それはキャンプに戻ってからB氏にこの話をしても、全く反応が無かったからだ。

 水生植物で大感激、牛の行水で大興奮。 (K.M)

(663) モンゴル日記(378)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて126 】

 沼で目にした水生植物について引きつづき記す。上の写真の水草はちょっと調べたが、この写真だけでは結局分からずじまい。筆者の感覚でいうと、マツモに近い沈水植物かなァ。

 実はこれが岸から少し離れた所に漂っていた。それで何とか引き寄せようと、色々やってみたが,ダメ。ええい面倒だ!と,靴・靴下を脱ぎ散らかし、右手に切り枝を持ち、左足を水中に入れた。おおっ・・・ズブズブ こりゃ,ぬかる!膝まで潜って、慌てた!と,腿あたりで止まった。それですぐ,この”モ”を引き寄せた。

 そして下の写真である。恥ずかしながら,この植物が一体全体何だか分からない。今もって不明だ。長さは30~40㎝で、底に生えていたのではないと思う。これを見つけた時は興奮した。帰国してから、何冊かの水生植物図鑑にもあたってみた。が,該当植物がまったく見つからない。前号の葉の大きな水中葉と同様、日本の関係書には載っていないようだ。

 やはりヒルムシロ属かなァ・・・。前号で紹介した,葉脈のクッキリした水中葉の植物と何か関係があるのだろうか・・・。ジーっと見つめていたら、まるで超小型の宇宙船のようにも思えた。

 ところで腕時計をのぞいたら、5時。キャンプに戻る約束の時刻になっていた。すぐ帰らねば!遊びほうけていて、家に帰る時刻を忘れてしまった小学生のようだった。

 日々探究、日々童心。 (K.M)

(662) モンゴル日記(377)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて125 】

 目がよくないので,メガネをかけ沼の沖の方を凝視する。そうすると浮葉植物も見えてきた。・・・そばに寄りたいが・・・。けれど,一人で沼に入るのは思いとどまった。B氏でも岸辺にいてくれればよいが・・・。やはり異国の見知らぬ土地では単独行動を避けるようにしていた。何かあった場合大変だし、多くの人たちに迷惑がかかるからだ。

 さて写真上はその浮葉植物の一群である。おそらくヒルムシロ属(Potamogeton)の何かだろう。近づけないのが残念だが。まァ,この属の植物はときに水面に浮葉を展開したり、ときに水のなかに水中葉を伸ばしたりする。変化に富む面白いグループなのだ。また世界的にみても種類はなかなか多いらしい。

 前に述べたが、シシケッド川の方にはこのヒルムシロ属の水草が生育していた。ただし,そこは流れの速い流水域だから水中葉だけしか伸ばしていなかった。浮葉はあまり見られなかった。それに対して,ここでは同じグループだとにしても、止水域なので浮葉主体に生育しているのだろう。

 ところで下の写真、これが岸辺に引っ掛かっていた。葉脈がくっきりとした大きな葉で、ヒルムシロ属の何かの水中葉だと思う。帰国してから調べているが、今のところ何物か分からない。日本では見たことがない。端整な美しい姿だが,何の葉だろう。

 ここで一句・・・合流点 異国人ひとり 興奮し。 (K.M)

(661) モンゴル日記(376)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて124 】

 二つの河川が合流して一つになる場合、その形態がいくつかあると思われる。関係学会ではそうした区分があるのかも知れないが、ここでは以下に自己流で記す。

 まず「卜」型に合流する場合。大きな本流があり,そこに小さな支流が流れ込むようなパターンである。次に,規模のあまり違わない二つの川が一本になるケース。これを「Λ」型と言うことにする。シシケッド川とテングス川はこのパターンだろう。そのΛの中に止水域が生まれ、そこが沼のようになったというわけだ。

 そこには写真のように、ホタルイの仲間と思われる小形の抽水植物が多く生育していた。ただ観察していて気づいたことがひとつあった。それは岸に近い方で、その先端の多くが何らかの理由で切られたような跡があったことだ。まさか誰かが刈ったわけではないだろう。だいたい切られた穂先が周囲に見当たらない。とすると,牛が草穂を食ったと考える方が妥当だろう。だいいち,これまでも牛が川辺で草を食べる姿は目撃していた。牛は水をあまり恐れない。それは後の号でも紹介する。

 ところで下の写真である。その集団のなかには広葉の抽水植物が混じっていた。それは日本のエゾノミズタデに似ていたのだが・・・。

 若いころ休日になると、水生植物の観察に出かけていた。その時の記憶が少しよみがえってきた。

 合流地点で思い出し、合流地点でチョイ興奮。 (K.M)