(636) モンゴル日記(351)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて99 】

 上の写真は引きつづき、テングス川左岸を上って行くメンバーだ。ちょっとボケた映像か?! ともあれ彼らは危なげない。日本で言えば、小学校低学年の頃から乗馬を経験しているんだもの。

 下の写真は、川岸コースを外れて山越えのコースに向かうところだ。彼らの中には馬を駆けさせる者まであらわれた。

 それに対して、こっちは生まれて2度目の乗馬体験。最初の経験もやはりこのモンゴルで。前述したが、6年前の国立公園テレルジでのこと。その際はBさんがズーッと一緒だというので、チャレンジした。そして,馬を降りる直前までは何も起きなかった。

 時間が来て,終点で筆者が降りようとした時、アクシデントが起きた。後ろから追っかけてきたB氏の跨る馬が、目の前でつんのめった。と,B氏が馬から落とされた!それに気づいた筆者の馬が、仲間に一大事が,と思ったか、落ち着きを失い、暴れ出したのだ!いや,こっちはあせった!しかし,すぐ傍らにいたトレーナー氏が馬を落ち着かせ、馬を降りることができた。B氏の馬が転倒した原因は、草原に針金が隠れていてそれに足を引っかけたらしい。

 さて,今回はそのB氏が同行しないから、トレーナーに頼るしかない。彼は「トレーナーによくお願いしておいたから大丈夫ですよ」。・・・何がダイジョウブだというのか。しょうがない、スタートした。

常に緊張、常に手に汗。 (K.M)

(635) モンゴル日記(350)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて98 】

 乗馬は気が進まなかった。が,11時過ぎにはトレーナーと共に7頭の馬たちがやって来た。結局メンバーは若者5人と筆者という顔合わせになった。もちろん若者たちは乗馬に馴れたモンゴル人である。

 それに対して、こっちは日本人。生まれて2度目の乗馬でしかない。それも高齢者に近づいている。思えば最初の経験もやはりこのモンゴルでだった。それは6年前のこと。落馬こそしなかったものの、緊張の数時間だった。その時に教わったことをひとつだけ覚えていた・・・馬の後ろ側には行くな!蹴られるかもしれないからである。

 モンゴル馬はアラブ系などより小形だという。だから足の短い筆者などには向いていると思う。でも乗る際も降りる際もトレーナーの手を必要とした。ただし,彼は日本語を解さないから身ぶり手ぶりだ。見送る立場のB氏は、「シャチョー、ダイジョウブ,ダイジョウブ」。何が大丈夫なのか・・・。とは言え、ともかく手綱を離さず,鞍を両足できつく挟んで出発した。でも常に筆者が最後尾だった。

 下の写真の風景は、少し乗りなれてちょっと余裕ができた瞬間に,馬上から撮ったものだ。この川岸をしばらく上って行くのだ。美しいテングスの清流だったが、それを観賞する余裕などほとんどなかった。とにかく落馬しないようにするのが精いっぱい!

 馬上では緊張しっぱなし。時々あぶら汗、時々ケツ痛。 (K.M)

(634) モンゴル日記(349)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて97 】

 写真上はイワレンゲの仲間だと思う。つまりセダム類。これはツーリスト・キャンプのまわりで、乾燥しがちな場所なら,あちこちで見かけた。シシケッド川の岸辺でも、また例の断崖の手前の小段などにもよく生えていた。

 草丈はせいぜい20cm。地面にベタッと貼りついていて、花としての色香はまったく漂わない。しかし見るからに,たくましさや強靭さといったものを感じさせてくれる。冬にはマイナス40℃以下となり,夏には乾燥激しいこの地で、ズーッと生き抜いているのだ。

 一方、下の写真はあのアカツクシガモである。ただし正直言うと、この写真は以前この紙面で用いたことがある。(614号)でだ。そこでも述べたが、この一家は全部で11羽いるはずなのだが、この時は1羽欠けていたようだ。父鳥みたいだが。

 この2枚の写真とも、同じ日の”朝の観察・撮影散歩”のときに撮ったものだ。それは、他のメンバーが起き出して来る前の1時間ほど、カメラを首からぶら下げてキャンプ周辺を歩き回るのである。そこには清々しい空気が満ち、心地よい時間が流れる。それに万歩計の歩数も稼げる?!

 ところで前日、Bさんから「シャチョーの分も馬を頼んでおいたからね。明日は必ず参加してね。馬は11時頃来るからね」と言われていた。強く遠慮したのだが、乗馬に誘われていたのだ。気が重かった。

 日々花々、日々鳥々。 (K.M)

(632) モンゴル日記(347)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて95 】

 北モンゴル最奥部を訪ねて95

 上の写真、こりゃあんたの撮り損ねだろうと思われるかも知れません。(まァ,それは少なくないですが・・・)しかし,写真上部のやや右側に何かぼやけているモノが見えるでしょう?実はこれがバッタの飛行中の姿です。唯一の写真です。その撮影を何回も試みましたが,成功しませんでした!ですが、何とか偶然これだけ撮れたのです。この飛行バッタの姿、一見,小さなヘリコプターみたいにも見えますね。

 しかし,下の写真です。そうした飛行バッタも草原に着地せず、誤って着水することがあるようです。それは死を意味するでしょう。時間が経たないうちに、きっと魚のエサにでもなるでしょうから。これは上の写真のバッタと違いますが、たまたまシシケッド川方向に飛んで行ったバッタを追っかけて行ったら、偶然,撮れたものです。

 前に述べた「環境ポリスのおじさん」の話ではないですが、自然界にはそれを維持するために厳然たる原理が存在します。食物連鎖もそのひとつです。日々こうしたことがあちこちで起きていて、このダルハッド・バレーでも自然界の複雑な関係が成り立ち、維持されているのでしょう。

 この落ちバッタ、その後ゆっくりとシシケッド川を下っていきました。しばらくは浮いていましたが、100mも流れないうちに姿が消えていました。・・・哀れというも,なかなかおろかなり。

 日々学び、日々認識。 (K.M)

(631) モンゴル日記(346)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて94 】

 少し目を凝らさないと、地面と見分けがつきにくい。上・下ともあの飛行バッタの写真である。ただし上のヤツは地面のような体色、下は草に近い緑色を帯びていた。どちらも体長は数センチだが、彼らはいったん飛ぶと数百mも飛翔することがある。このことは以前にも述べた。

 ところでこのツーリストキャンプの周辺には、この飛行バッタたちが何種類も棲息していたように思う。彼らが飛び立たないギリギリのところまで近寄って観察をしてみると、そのタイプは様々いるようだった。バッタなどまったくの門外漢なのだが、大きさも模様も,そして体色も多様で、簡単に一括りにはできないように思った。だから,分類学上の種としては、いくつかに分かれるのだろうと推測する。

 さてこの飛行バッタ、体色がこの通りなので、近くに寄っても分かりにくい。いや視力が劣る筆者はなおさら分からない。だから,ヤツをいったん飛び立たせて、その飛行ルートをとらえて着地点を確認する。その後,静かーにそこに近づき、拡大モードで写真撮影すること十数回。

 ところで,このバッタたち、午前中はそれほど動きが目立たなかったように思う。けれど午後に入ってからは活動的となり、それも現地時間で20時,21時ころまで活発に動いていた。”夜の蝶”は聞いたことがあるが、”夜のバッタ”というのは耳にしたことがない。

 日々飛翔、日々発見。 (K.M)

(630) モンゴル日記(345)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて93 】

北モンゴル最奥部を訪ねて93

 釣り名人Ba氏は料理も得意だった。上の写真で包丁さばきを披露しているのが、その人。調理をしている魚は、テングス川で釣り上げたものらしい。それを,いつどこでどう処理したのかは分からなかった。

 けれど話を聞いていくと、そもそもBa氏が筆者のためにこの魚料理を作ってくれたという。毎日,肉料理では日本人は参るだろう。それで,この特別メニューをこしらえてくれたという。それを聞いて感激!それじゃあ不味くても,後で食あたりになっても,まずは箸をつけねば・・・。ところが不安は笑顔に変わった。美味だった。

 彼の持って来た調理道具は多種多様だった。包丁,ナイフ類に加えて、ペンチみたいな工具も使っていた。これは魚のトゲ抜き用ということで、上の写真で実際 使っている。なお参考までに書いておくが、食後に腹痛などはまったく起こさなかった。

 ところで下の写真である。夕方になってやって来たのは、また牛だと思っていた。ところがン?,目を凝らすとそうではないようだ。身体が牛っぽくない。だいいち体の毛がふさふさしているではないか。結論から言うと、若いヤクか,ヤクと牛の合いの子だろうと考えられた。

 ヤクと牛の交配種については,B氏から以前に聞いていたし、実際に見たこともある。どちらにしても手前の1頭はもちろん、奥の3頭も牛ではないようだった。

 日々牛、時々ヤク。 (K.M)

(628) モンゴル日記(343)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて91 】

北モンゴル最奥部を訪ねて91

北モンゴル最奥部を訪ねて91

 このページも例の”環ポリおじさん”が持って来た啓蒙パネルの話題だ。ただしこの号で終わりとする。興味を抱いたモノにはやはり紙面を割いてしまう傾向がある。

 さて上の写真だ。左ページには動物たちが載っている。カモシカらしき四つ足動物、オオワシやアネハヅルのような鳥類、魚類。それにヘビも載っている。蛇足だが、筆者はまだ一度もこの国ではヘビに出会っていない。また右ページには蝶類、それにサンショウウオらしきものも載っている。

 一方,下の写真だ。今回,博学のB氏から北モンゴルに暮らす少数民族のことを聞いていた。彼らはトナカイを放牧したり、狩猟をしたりしながら生活を営んでいるという。下の写真の人々はその少数民族の人たちかも知れない。狩猟を含む彼らの生活の一コマがこのパネルには載っていた。

 ところで,そのパネルの写真をよく見たら、若い頃の”環ポリおじさん”らしき人物が、彼らと一緒に写っているではないか。指をさして示したら、ニッコリしながら彼は認めた。

 一方,パネルの写真の人々がその少数民族かどうかは確かめられなかった。しかし,帰り道でそれらしき人々に遭遇した。ある村で、トラックの荷台に何頭ものトナカイを載せた人々に出会ったのだ。筆者や若いメンバーが珍しがって、その荷台にいる立派な角を持ったトナカイたちを興味深く覗いた。

日々多面性、日々多様性。 (K.M)

(627) モンゴル日記(342)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて90 】

北モンゴル最奥部を訪ねて90

北モンゴル最奥部を訪ねて90

 写真の上・下は、引きつづき”環ポリおじさん”持参の啓蒙グッズだ。これらのパネルは生態系や食物連鎖などを説明しているようだった。

 ご覧のように写真上のパネルは昆虫類か?その種類や棲息場所が示されているのだろう。が,それ以上はよく分からない。一方,下の写真はまだ分かりやすい。この辺りに棲息する魚類とそのエサらしきものが描かれている。魚は11種が示されていたが、もちろん全て淡水魚なのだろう。左側の下から4番目がタイメンだろうか?絵の下にはTynと書かれていることだし。

 また右下の方にはドジョウ類も見える。こんな寒冷の地にも彼らいるんですねェ。また下の図は彼らの棲息場所だろうか。こうやって推測しながらでもパネルを開いていくと、なかなか興味が尽きない。

 その間,料金の徴収も終えた”環ポリおじさん”は、盛んに何やら皆に向かって話をしていた。おそらくこの地域の生態系などの話なのだろう。けれど,親友B氏はいちいち日本語訳はしてくれない。彼は、何となくこうした話はうっとうしいと感じているのか、頼まないと訳してくれなかった。それも日本語に訳してくれても、簡略な説明しかなかった。

 ところでその親友B氏、国費留学生として旧ソ連で学んだ経歴を持つ。そうした事もあって,彼はロシア語,英語,日本語を話す。なかなかのインテリなのだ。

日々勉強、日々問題意識。 (K.M)

(622) モンゴル日記(337)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて85 】

北モンゴル最奥部を訪ねて85

北モンゴル最奥部を訪ねて85

 シシケッド川は流れが緩やかだった。水深もあり、川底は泥土帯が広がっているみたいだ。それに対して、反対側のテングス川は流れが速く、石だらけの清流。このように二つの河川は対照的だった。そして,ときどき釣り人の姿を見かけるのは、テングス川の方だけだった。

 上の写真はそのシシケッド川の浅瀬を泳いでいた稚魚である。体長10㎝にも満たなかった。体の表面にはちょっと複雑な模様。ただ,こいつは鋭い動きを示さなかったので、おそらく調子が悪かったのだろう。ひょっとしてタイメン(モンゴルイトウ)かもしれないが、こんな様子だと,この後 死んだかもしれない。

 正直いうと筆者はこの稚魚よりも、水中の水草の方に興味が向かった。この浅瀬には、このようにびっしりと若い沈水植物が生えていた。流れが緩やかで水底が泥土だから、このように繁茂しているのだろう。

 下の写真のように沈水植物に限っても、シシケッド川にはヒルムシロ属を中心に5,6種類は生育していたと思う。それもかなりの規模でびっしりと水底から茎を伸ばしていた。後日,船で川を横断したとき、そのことを確認した。

 若い頃,休みごとに新潟県内の河川や湖沼を歩き回ったことがある。そのとき,その水生植物の多様性に驚いたものだ。しかし,このシシケッド川はここだけで豊かな水生植物を養っている。

日々探索、日々発見。 (K.M)

(614) モンゴル日記(329)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて77 】

北モンゴル最奥部を訪ねて77

北モンゴル最奥部を訪ねて77

 引きつづき例のアカツクシガモ一家の話題である。筆者にとって彼らの観察は、ここでの張り合いのひとつになった。

 上の場面では,どうやら片方の親鳥(オス?)が欠けているようだ。時々こうした場面はあった。エサでも探しに行ったのだろうか?さて,この写真の背景にある抽水植物帯は、彼らにとって生活環境の一部になっていると考えられる。実際に餌場や避難場所となっていたようだ。ある時には、彼らがここに逃げ込む姿を目撃している。なお抽水植物は,水生植物のなかで水の中から突き出て成長するようなタイプ、たとえばマコモ,ガマなどだ。これらは群落を形成しやすく、川でも植生基盤である泥土と、ゆるい流れがあれば成立しやすい。

 下の写真はきれいに撮れた。これには親ガモ2羽と子ガモ9羽すべてが写っている。いちばん手前の前・後にいる,大型で明るい茶色の羽で頭が白の2羽が親鳥。それに比べ小型で、羽色も頭も親鳥ほど明るくないのが子鳥だ。

 彼らをずーっと追っかけていても、見飽きなかった。ただ彼らはたいてい一ヶ所に留まっているわけではない。だから彼らが移動するときは、こちらもそーっと少しづつ移動する。しかし,いったん彼らから見て,目立つような動きをすると、彼らは警戒して泳ぎを早めて遠ざかって行った。

 どうも筆者の方が彼らのカモになっていたカモ?! 日々鳥みだし、日々ワクワク。 (K.M)