(174) チューリップ試験栽培③

チューリップ試験栽培

チューリップ試験栽培

 写真のチューリップは花が対照的な二品種である。上は「オールザットジャズ」という桃・白の一重咲き。下は「オルカ」というオレンジ色の八重咲きである。系統で言うと、前者はDH(ダーウィン・ハイブリッド)、後者はDE(八重晩生)である。

 ところで、チューリップの園芸上の系統というのは、以下の略号で示される14タイプに分けられている。それは開花期や花形,由来等を元に分類されたものである。・・・①SE(一重早生),②DE(八重早生),③T(トライアンフ),④DH(ダーウィン ハイブリッド),⑤SL(一重晩生),⑥L(ユリ咲き),⑦FR(フリンジ咲き),⑧V(ビリディ フローラ),⑨P(パーロット咲き),⑩DL(八重晩生),⑪K(カウフマニアナ),⑫F(フォステリアナ),⑬G(グレイギー),⑭M(その他)。気づいた方も多いと思うが、これらの標記は英語の頭文字である(例えばSEはシングル・オーリーなど)。

 さて 写真の二品種のうち、個人的には「オールザットジャズ」の方が好ましく思える。けれど、「オルカ」の咲き始めの淡いオレンジ色も捨てがたい。ただし この品種は写真のように開花の後半に至ると、目が疲れてくるような気がする。この色彩と八重咲きゆえに、眩しすぎるのだ。イベントや何かのディスプレイに用いるのには向くかもしれない。しかし 正直のところ、家の中に飾るのは気が進まない。

インターネットで検索したら、「オールザットジャズ」という競走馬がいることが分かり、楽しくなって   日々好日、日々感謝。 (E.O)

(173) 3月のウランバートルで⑫(終り)

春の兆し

【モンゴル 春の兆し】

 チンギスハーン空港を飛び立ってから、20,30分は経ったろうか。写真はモンゴル航空の成田行き501便から眺めた下界の風景である。1月には見わたす限り白銀の世界だったが、このように黒々とした森や山肌が現われてきたのだ。

 ところで 前回記したが、滞在後半に起こしたぎっくり腰のことである。そのために帰国日のスーツケースの移動は、恐縮ながら全てBさんにお願いした。だから、空港のチェックインの手前まで不安はなかった。

 けれど、問題はその搭乗手続きである。できれば後方の座席でゆったりしたい。来る時のように満席だったら大変だなァ、と心配していた。チェックインの人に変な英語でもいいから腰痛を訴えよう。そして、なるべく良い場所にしてもらおうと考えた。

 辞典を引きながら、腰痛はbackacheでいいのかなァなどと調べているうちに、チェックイン・カウンターの前まで来てしまった。「アイ,アイ ハバ ア バッケイク・・・ソゥ,アイド ライク リアシート・・・」。ところが、「日本語は話せますよ。後ろの席がいいですか?今日は割りに空いていますが。」との返事。エッ!

 いやァ、助かった。日本語を話す女性だったのだ。彼女はすかさず「荷物が重量オーバーですよ。あちらで超過料金を払って来て、またこちらにおいで下さい。」「了解了解、いつも払っていますから。」それ以降は全く支障なく進んだ。そして、希望した後部座席にゆったりと座り、帰って来た。

腰の痛みは帰国して数日で消え 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(172) 3月のウランバートルで⑪

氷上の走行

【氷上走行】

 前号で書いたスキー場からの帰り道である。写真はBさんがトール川の凍った川面を走っている時に、筆者が助手席から撮ったものだ。クルマは日本製の4WD車だった。

 Bさんは平気でクルマを進めるが、奥さんは氷に不安の声を上げたようだ。けれど、モンゴル語の会話だから よくは分からない。筆者もちょっとは心配したが、正直のところスリルも感じていた。前のクルマ2台が何事もないので大丈夫だろう。だが 窓外の氷をよーく見ると、割れ目とまではいかないが、小さな亀裂や筋が何本も認められる。「おおっ!チトやばいかなァ・・・。」

 だが、この氷上走行は日本人を喜ばすアドベンチャーなどではなく、Bさんの筆者への配慮だったようだ。実は前日から、何年かぶりにぎっくり腰を起こしてしまっていたのだ。(モンゴルでは何でも起きる!)その結果、何かと行動が不自由になり、痛みも伴った。けれども、モンゴルのスキー場は見てみたい。それでBさんご夫妻に連れて来てもらったわけだ。ただ、スキー場までの川べりの道路が途中から未舗装になっており、凸凹がひどかった。腰痛の身にはこたえた。

 その姿を彼は運転席で見ていたのだ。だから、帰りには舗装道路を通ろうと思ってくれたようだ。そのためには対岸に行かなければならない。それで凍った川の横断を試みた。幸い無事に渡ることができ、舗装された幹線道路に乗れたのだ。

 親友Bさんは口に出さずとも、時々こんな風に心優しい行為をやってくれる。

良きモンゴルの友人がいてくれて 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(171) 3月のウランバートルで⑩

スキー場

【スキー場】

 写真はモンゴルでは数少ない、ひょっとしたら唯一のスキー場ではなかろうか。最近造成されたものらしい。場所はウランバートルの郊外にある。営業期間は11月1日から翌年4月15日までというから驚いた。半年間なのだ。

 訪ねた時は、滑る人より眺める人の方がはるかに多かった。写真のように、人々は外に置いてある椅子に座り、時間を過ごしていた。紅茶などを飲みながらスキーヤーを眺めたり、お喋りに興じていた。外は日が照っていても気温が低い。しかし、そんな事はお構いなしの様子だ。午後2時は過ぎていたが、この建物の中にあるレストランもかなり混み合っていた。

 良質なパウダースノーが降る土地である。小さい頃、家の周りでスキーをやることはあったが、スキー場という施設は無かった・・・連れて来てもらったBさん夫妻は、そんな話をしていた。

 しかし、近ごろモンゴルでは経済発展を背景に、生活のさまざまな分野でも豊かさを示す現象が現われている。それは、こうしたレジャーの多様化や高級化といったことにも反映されていると思う。

 ところで、このスキー場に隣接する広大な敷地はゴルフ場なのだそうだ。そう言われると、薄っすらと雪が被っているものの、コースらしいことは分かった。そして、このスキー場もゴルフ場も、モンゴルの有力企業=MCSが経営をしているという。同社はビールから電話まで、多角的に事業を展開している会社だという。急速にこの国も変貌しつつあるようだ。

モノの豊かさと心の豊かさの並存を願って 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(170) 3月のウランバートルで⑨

猪の肉

【食卓の牡丹肉】

 U氏から、Bさんと共に自宅での夕食に招かれた。彼はエヘガザル社のD社長の兄で、グループ内の園芸売店の経営を任されている。その店は市中心部にあり、同社の創業の場所らしい。そこで彼らの母親が花屋を始めたのだという。現在ではその店が入居しているビル全体が、エヘガザル社の所有となっている。

 招待日は婦人デーも去り、こちらの展示会も終わった帰国日前日となった。写真は、その際に食卓に並べられた奥さんの手料理である。この後からも次々とご馳走が出された。注目してほしいのは写真の上の方,二本の瓶の手前に置かれた皿である。

 これはU氏が昨年秋に狩猟で射止めた猪の肉のスライスである。これだけは彼が独特の手法で保存をし、調理をしたらしい。これが実にうまかった。臭みも全くなく、軟らかい。舌が鈍感な筆者でも、豚肉とは違う美味しさは分かった。彼の話では、冬に備えて秋に猪が松の種子を食べ込む。そうした猪が美味しいという。ただ雄・雌の別も話したように記憶しているが・・・ウォッカの酔いが回ったのかよく覚えていない。ただ最初は恐る恐る手を出し、しまいには一人で何切れも食べた。

 日本では一度も口にしたことがなかった牡丹肉である。硬いとか臭みがあるとかいう噂を耳にしていたので、食してみようという気が起きなかった。しかし、「郷に入っては郷に従え」である。モンゴルでの体験はこれを基本にしてきた。今回もU氏が強く勧めるので、挑戦したという訳だ。

モンゴルの味にも親しんできて? 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(169) 3月のウランバートルで⑧

宴の後

【国際的な!?酒宴】

 写真は、借りたアパート近くにある韓国料理店「サンギ」の店内である。実はこの場所で、昨夜遅くまでというか今朝早くまでというか、3ヶ国の人間たちが大いに酒を酌み交わし喋り合った。それはひじょうに盛り上がった酒宴となった。ただ残念なことに、みんな飲むのと話すのに忙しく、誰もその歴史的な!?場面を撮影していなかった。

 昨夜は最終的に8人の男たちが集まった。周りのテーブルと椅子が寄せられ、テーブルの上にはウォッカやビール、それにジンロも置かれた。けれど 出されては無くなり、無くなっては出された。また様々な韓国料理も次から次へと並べられた。

 皆が飲んでは喋り、喋っては飲んだ。笑っては料理をつまみ、つまんだらまた笑った。談論風発それも四ヶ国語が飛び交い、乾杯は何度重ねられたことか。これまで全く味わったことのない不思議な興奮を覚えた。

 もともとこの飲み会は、筆者と親友Bさんが彼の留学仲間と一杯やろうと持たれた。彼らはBさんと同じく、旧ソ連時代に名門カザン大学に同じ頃留学したメンバーである。だから年齢もほぼ似たり寄ったりで、学部は違ってもいわば同級生と言ってもよかった。それゆえ彼らの絆は強く、現在でも親交が保たれているらしい。とくにT氏やJ氏とは仲が良いようだ。

 彼ら二人とも業種こそ違え、経営者である。例のアパートの部屋の持ち主で、アパレル関係の仕事をやりながら、鉱山の権利も持っている資産家T氏。彼は英語も話せるし、どうやら日本語も少し解するようだ。

 また、J氏は食肉卸と輸出を手がけている。その上、T氏と同様に別の鉱山の権利も持っているらしい。彼は若い頃の泉谷しげるにそっくりだった。ただ今回は、大事なビジネス上の交渉が終わってから加わるということで、だいぶ遅くにやって来た。彼はすでに酒が入り、上機嫌だった。どうやら交渉はうまく運んだようだった。

 その前後である。J氏のお得意先だというブリヤート共和国の食肉業者2人がやって来て加わった。いとこ同士だという彼らは、1台のクルマで5時間かけて首都ウランウデからやって来たという。Bさん,T氏,J氏はいずれもロシア語が堪能だ。それにJ氏は当たり前だが、Bさん,T氏も以前からこの2人を知っているようだった。それで話も弾んだらしい。

 ワイワイやっているうちに、さらに同じ留学仲間が2人やって来た。彼らは予定外だったらしいが、もちろん加わった。それで賑やかさがいっそう増した。会話ではモンゴル語とロシア語、それに英語、それに若干の日本語が混じり、まるで議長のいない酒の入った国際会議のようになった。

 話題はあちこちに飛んだらしい。そのうちに、ウランウデを含む東シベリアや極東ロシアでの花ビジネスに話が及んだ。ここで少しだけ日本語の出る幕ができた。ロシア人も花は大好きだが、あちらには分かりにくい独特の諸事情が存在すること。それで詳しくは書けないが、継続してあちらに花を輸出するという事業は容易ではないこと、などなど。信じられないような裏話も聞かされ、何度も「えーっ!?」を繰り返さざるを得なかった。

 筆者の酩酊も進んだ。そうしたら、今回の展示会で販売した新潟産チューリップに話が移った。婦人デーの前日、T氏もJ氏も展示会に顔を見せ、チューリップの花束を買い求めてくれたのだ。彼らの話によると、そのチューリップを自宅に持ち帰り、奥さんに贈ったのだそうだ。すると、その品質が良くとても長持ちし、奥さん方から喜ばれたと言う。

(追伸:飲み会も長かったが、文章も長くなった。お許しあれ。)

3ヶ国のモンゴロイドが寄って 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(168) 3月のウランバートルで⑦

地上の波

【地面の白波】

 これはソヨーチの農場で、砂地部分に一面に形成された氷結群だ。これを表わす適切な言葉を知らないが、ちょうど白波のようにも見える。大きさは数cmから十数cmくらいである。繋がっているものも多い。

 こんな風景は初めて目にした。じっくり眺めていると、なかなか美しい。見飽きないが、まだ寒さ厳しく長くは見ていられない。

 時期は3月上旬である。氷点下40℃や30℃の世界ではなくなったものの、夜間はまだ-10℃以下になることが多い。日中でもプラスの気温に達することは少ない。

 この農場はウランバートル郊外にある。人の出入りがそうあるわけでなく、限られた関係者が行き来するだけだ。その人たちも既にできた踏み跡をたどり、普通このような砂地には足を踏み入れない。この時期になると、地面にはパウダースノーが無くなっている。その代わりこうした氷の波が出現し、場所によっては壊れずに残るのだろうか。

 今回は農場を2度ほど訪れた。みんなに可愛がられていて、以前紹介した猫のモラーの姿も見かけた。元気で相変わらずマイペースだったが、1月よりは外出していたようだ。まだまだ寒いのに、いったいどこに出かけているのだろう。

 農場の人たちとは、もう顔見知りになった。だから「サンベノー」(お早うございます,こんにちは)と挨拶すると、何人かが笑顔を添えて返してくれる。申し訳なかったが、今回は持ち物が多くて、彼らへのおみやげは持参できなかった。次回は絶対持って行こう。

農場では何か発見があり 日々好日、日々感謝。 (E.O) 

(167) 3月のウランバートルで⑥

モン農場機械

モン農場機械2

【イタリア製機械】

 写真はソヨーチの農場で見た大型機械である。プラグ苗(専用容器で大量生産された幼苗)を、自動的に栽培容器に植えつける機械だという。これなら花にも野菜にも使える。コンピュータが組み込まれたイタリア製だった。(写っている人物で右端のメガネの人が親友Bさん、左側が同社のB副社長である。)

 ソヨーチの親会社エヘガザル社のD社長は、こうした新鋭機械を購入することが時々あるようだ。いや、機械どころではない。この大温室や昨年開店させたソヨーチ・ガーデンセンター2号店の建設など、確かな戦略と投資の裏づけがあって下す経営決断なのだろう。感心してしまう。

 この農場にも既にいくつかの高額機械が導入されている。キュウリをラップで自動的に包む機械だとか、樹木を掘り取る大形の特殊車両とか。おそらく日本円でいうと、数百万円では買えないものかも知れない。

 さて、写真のイタリア製のプラグ苗植え付け機である。昨年は見かけなかったので、これも最近導入したのだろう。これを発見した時には、驚いたりあ、眺めまわしていたりあ・・・(※分かってくれるかなァ)。あっ、また買っちゃった!と思った。

 そのうち博学のBさんが面白いことに気づいた。下の写真で、STARTとSTOPが記された長方形のスイッチがイタリア国旗になっているという。真ん中の白部分が少し幅が狭いが、確かにそう見えるようだ。あの三色旗である。なるほど・・・さすがイタリア人、なかなか粋なことをやるもんだ。

面白いデザインがあって 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(166) 3月のウランバートルで⑤

異国で『下山の思想』を読む

【異国で五木寛之を読む】

 写真はアパートの部屋の窓から眺めた朝の風景である。以前紹介したホテル代わりの宿泊先である。時差は日本より1時間遅く、現地時刻で7時過ぎになると外が明るくなってくる。

 昼間は出かけたが、朝と夕食後はここに“住んだ”。ただ朝はウランバートルの標高が1,500mもあるせいか、起きがけの20分,30分は身体や頭がシャキッとしない。けれど、動くにしたがって全身が本調子になってくる。そうすると、しだいに爽やかな気分が満ちてきて、読書や思索には絶好の朝の時間が訪れる。

 日本にいた数日前から、五木寛之の『下山の思想』を読み始めていた。もともと読書のスピードは速くない方である。しかし、異国の地の朝ではそれも変化し、一気に読み進む。たちまち読み終えた。窓辺にある一冊がそれである。

 以下は同書の終盤の記載だ。「・・・郷愁にひたるためには、まず年寄りでなくてはならない。過去に少なくとも半世紀ちかい記憶の集積がなければ無理である。・・・現実から目をそらし、過去を追想することは、はたして逃避だろうか。・・・現実とは、過去、現在、未来をまるごと抱えたものである。未来に思いをはせて希望をふるいおこすことと、過去をふり返って深い情感に身をゆだねることと、どちらも大したちがいはないのだ。人は今日を生き、明日を生きると同時に、昨日をも生きる。・・・」

 こんな文章に心惹かれる年代になったのかなァ、とウランバートルで気づかされた。

本を読み、来し方・現在・未来を想って 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(165) 3月のウランバートルで④

モン鉢植え防寒

モン鉢植え防寒

【鉢植えの防寒対策】

 写真の観葉植物はカラテアと思われる。その鉢植えをお客さんが持ち帰る際、防寒のために包んでいる場面である。2,3人の女性店員さんが、表面に銀紙が貼られた薄い発砲スチロール状のシートでくるんでしまうのだ。次から次へと、手際よくこなしていくのである。

 これは展示会の会場となったソヨーチ・ガーデンセンターの出入り口に設けられていた。冬場だけの特設コーナーのようだ。どうやら希望者にはどんなものでも、こうした防寒サービスを行っているらしい。たいていの人たちが依頼するようだ。中には花束を頼む人もいた。また、何もしてもらわないで小鉢を抱えて駐車場のクルマへと急ぐ女性もいた。

 まだ戸外は日中でも0℃を上まわることが少ないこの時期である。鉢植えなどを買って家に持ち帰る際、それを保護するために何かするのだろうなとは思っていた。それが一目で分かる場面に出くわしたのだ。

 そう言えば、以前からそんな事を親友Bさんに話していた。だからだろう、彼が「シャチョー、あったヨ,あったヨ。」と、このコーナーまで引っ張ってきた。しかし、最初は何があったのか分からなかったが、この場面を見て合点した。植物をいたわる心づかいである。

 このソヨーチ・ガーデンセンターを経営するエヘガザル社のD社長が、以前から語っていた。1月,2月は花が売れないと。気温が-30℃,40℃といった厳冬期には、きっとこうした防寒対策を施しても持たないのだろう。

植物をいたわる心があって 日々好日、日々感謝。 (E.O)