(679) モンゴル日記(394)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて142 】

 上の写真は来た道を振りかえった風景だ。川は奥から手前の方に流れている。実はこの川、来るときに最初に渡ったあの橋の下を流れていた。

 その橋は(563)号で書いたが、建設費の関係なのか、橋の中央には床板がなかった。つまり左右にだけ床板が設けられていて、真ん中からは水面が見えた!それでドライバー以外はみな降りて渡った。

 しかし今回はその橋を渡らず手前で右折し、川沿いに進む。下の写真はその川に沿ってだいぶ下流まで走ってきた景観だ。そして,テント設営地として決めた岸辺の方を望んだものである。曲がりくねった川の右岸、正面にちょっと広く見える流れの下流部にテントを4つ張ることにした。筆者はもちろんB氏と一緒のテントだった。

 とは言え、テント設営地点を簡単に決めたわけではない。候補地を2ヶ所に絞り、アウトドアのベテランBa氏の意見を聞きながら、現地踏査をした上で決めた。そんなこんなで結局テントを張り終わったのは、20時を過ぎていた。まァ,まだ明るいからいいものの。

 それから全員で協力しながら、夕食の準備に入る。3組の夫婦とB氏は、手際よく調理に取りかかった。そして若い男の子たちと筆者は、周囲に枯れ木や朽ち木を集めに出かけた。燃料の収集役だった。

 夕食後、飲んだ缶beerが効いてきた。そして一番早く寝袋に入った。

 日々ほろ酔い、たまに夢見。 (K.M)

(676) モンゴル日記(391)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて139 】

 写真上の木橋は行くときには渡らなかった。この橋を横目に見ながら、大回りになる違うルートをとったからだ。しかし今回の帰り道では、この橋を対岸からこちら側に渡った。水の流れはせいぜい幅4,5mくらいだろうか。ふだんは濁りもなく、おとなしい清流のようだった。

 4台のクルマが橋を渡ったあと、皆で休憩をとる。それでメンバーの中には背伸びをしたり、歌を口ずさむ人もいた。メンバーの間にはリラックスした雰囲気が生まれた。それにこの橋はお金をとらなかった!それというのは、1時間ほど前に渡ってきた橋のことである。(587)号でも述べた橋だが、帰って来るとき,そのたもとには地元役人らしき人間2人がいて、「大水で橋が傷んだから修理をしたい。それで橋を渡る人たちから、その修理代の一部を負担してもらっている。皆さんにもお願いしたい」と言う!渡らないわけにはいかないから、払って来た。

 さて写真下は、この橋の下流に広がる河原である。砂利の原っぱのあいだを本流が流れていた。そして対岸のズーッと先には白いゲルが4棟、またその彼方には三角錐のようなあのデルゲルハンガイらしき山も見えた。来るときにはこの辺りに、女性観光客たちを乗せたあの”観光バス”がいたことを思い出した。

 この頃になって、この日の夜はテント泊するという話を聞いた。日々遅い情報、日々後まわし?。 (K.M)

(675) モンゴル日記(390)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて138 】

 ナーダムを見物していたサガンヌール村を後にした。そして休憩もとらずに進む。4台は結局 3時間も走り続けた。やがて来るときに眺めた、あの連峰が見えてきた。そして,それが望める草原で一服。

 来るときには,この連峰の東側を流れていた川が、大水の影響であちこち氾濫した跡に遭遇した。そして道路の寸断の情報も通行人から聞かされもした。それで当初計画していた進路と目的地を断念し、別ルートで北上。それは(582)号で述べた通りである。そして何とか新しい目的地レンチンルフンブ村にたどり着いた。

 こうして眺めると、絵になる山岳風景ではあった。けれど緑が少なく、山々は峨峨たる様子の連なりだった。その中には最高峰であるデルゲルハンガイ山も見えた。(写真下の左側の尖った山容。)

 浮雲が流れていたが、日差しは強かった。この日も30℃を越したが、風はやわらかく湿気が少ないので、爽やかだった。筆者の腹の具合は徐々に回復してきた。サガンヌール村で飲んだ漢方の胃腸薬が効いてきたようだ。もちろん,それは日本から持参したものである。

 ところで写真とは全く関係ないことだが、気づいた事がひとつ。それはリスの死体である。この帰り道、進路を横切って轢かれたと思われるリスの多いこと!実はこの休憩場所までで10匹以上は目撃した。

 リスにとっては 日々受難、日々リスキー! (K.M)

(672) モンゴル日記(387)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて135 】

 サガンヌール湖は、その周囲の大半が草原か岩地のようだった。だから障害物がほとんど無く、近くならその湖面はたいていの場所から望めた。上の写真の通りである。

 そして,湖畔にはサガンヌール村があった。ここは来るとき最後にガソリンを入れた、最奥の燃料補給基地である。ところでこの日は村の大イベントの開催日で、運よくそれに出くわした。たまたま村のナーダム、つまりモンゴル夏祭りの真っ最中だったのだ。ナーダムはモンゴル正月と並ぶ、モンゴル最大のイベントで国全体が休暇に入る。そして期間中,モンゴルの大半の市町村では競馬やモンゴル相撲など,いくつかの伝統競技が行われるのだ。下の写真はその会場の一角である。

 「シャチョー、何か見たい?」、B氏が聞いてきた。「初めてだから見たいですよ」。それを受けて、B氏など男性陣が相談して次のような段取りとなった。「私たちはおなかが空いたので、会場の食堂に昼飯を食べに行きます。あなたはおなかの調子が良くないようだから、食べない方がいい。でも,あなたの分は買っておきます。その代わり,相撲でも弓でも見ていればいいですよ。競馬は時間がかかるから、最後までは見られないと思います。」という。

 そう,実をいうと、筆者の”大”問題は腹痛がらみだったのだ。それはさておき、初めてのナーダムだった!

 食には日々注意、たまに不注意?! (K.M)

(671) モンゴル日記(386)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて134 】

 ツーリストキャンプを出発してから2時間後。前号で述べた”大”問題は片付いた。しつこくB氏に頼み込んで、森の外れで行なったからだ。笹はなかったが、ササッと済ました。

 そして長く続いた森林のオフロードを抜けると、美しい湖面が現れた。サガンヌール湖である。来るときB氏から、”サガンヌール”はモンゴル語で「白い湖」という意味です、と聞いた。なるほど耳にした時、言葉の響きも意味も悪くないと思った。そして何よりも姿が美しかった。

 その湖岸は入り組んでいて、様々な景観を見せてくれた。しばらく走り、湖岸で休憩をとる。とはいえ、そこは湖面から100m以上は離れた乾燥地。下の写真はその時に見つけ、撮影しておいた植物だ。写真中央、イワレンゲの下で鮮やかな赤い実をつけた細い葉のヤツだ。その時は何だろうと思ったが、忘れていた。

 ところが帰国してから、今回の写真にじっくり目を通す機会があった。その際,「これは何だったろう」と、あの川の合流地点で撮影した水生植物も含め、あれこれ調べた。そして,これについては日本とモンゴルの関係書籍や資料、そしてWikipediaでも確認して結論が出た。マオウである。

 マオウ科マオウ属という一科一属の,日本にはない植物と分かった。乾燥厳しい地で生育し、薬用にも使われるらしい。

  森の後は湖だった、湖の後はナーダムだった?! (K.M)

(670) モンゴル日記(385)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて133 】

 道を譲ったあのピックアップ・トラックの後を追うように走った。あのプラドの立ち往生以後は、道も手こずる箇所はなかった。しかし、周囲の森林の様相がしだいに変わってくる。立ち枯れの木々が林立し、まるで死んだ森のようになってきたのだ(上の写真)。

 この光景はしばらく続いた。そして本来は青々とした森林空間を通り抜けるのだから、気分が塞ぐわけがない。しかし,この黒と灰色の世界である。ここを抜ける間、気分が落ち込んでしまった。商売で生きた植物を相手にしているせいか、枯れ木の”死骸”はとても気になった。こうした木々の立ち枯れ現象も、以前述べた削孔虫の被害なのだろうか?

 とはいえ下の写真のように、やがてまわりの木々の緑葉が徐々に増えてきた。何か景色が明るくなってきた。そして気分も,もとの軽やかさをとり戻してきた。この後,来るときに見たあの立ち枯れ林以外、こんな光景には出くわさなかった。ただ,新たな不安がひとつ体内に生まれていた。”大”がしたくなって来たのだ。隣で運転を続けるB氏に訴えたら、「ちょっとガマンして下さい」と言うだけ。こちらにすれば、”大”問題なのに。

 今までこんな事は無かった。ずっと揺られたせいか、それとも何か食い物にあたったろうか?念のために持って来た日本の漢方胃腸薬を取り出した。

 日々快食、日々快便だったのに・・・。 (K.M)

(667) モンゴル日記(382)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて130 】

 さらばダルハッド・バレー、レンチンルフンブ村よ。いつかまた来るぞー?! それでもって,ツーリストキャンプを出発。一路ウランバートルに向かう・・・。が,そうはならなかった。結局ウランバートルに着くまで2泊もした。でもこれまで通り、筆者は事前に何も聞いていなかったが。

 上の写真はあの見慣れたロシア国境沿いの山並みである。今回が見納めだった。これは出発数分前の風景。しかし,これが朝早くではなく、時間は10時をとっくに過ぎていた。たしか前夜の申し合わせでは、7時スタートだったはずだが。”新潟時間”ならぬ”モンゴル時間”だった。概してモンゴルの人々は時間に鷹揚である。まァ厳格さに欠ける。

 とは言え,あちらに滞在していると、この”モンゴル時間”も場合によっては合理的か、と思うこともある。たとえばウランバートル市内の交通渋滞は慢性化していて、ひどい場合は時間が読めない。その結果,約束時間に10分,20分遅れるケースがある。けれど,この程度は「約束時間の範囲内」のようで、これくらいの遅刻は連絡を受けたことがない。

 さて下の写真は、4台がしばし止まった場所だ。奥の残雪を抱く連山はやはり国境沿いなのだろう。オフロードを順調に進んできて、最初の休憩をとった。その見晴らしの良い場所でふり返った風景である。

 今のところ順調な帰路、見晴らしの良い帰路。 (K.M)

(660) モンゴル日記(375)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて123 】

 合流地点手前のシシケッド川の岸辺から、舌のようにカーブになった縁を移動。つまりシシケッド川右岸からテングス川左岸方向に動くカタチになった。すると,こんな場所が広がっていた!おそらく水深はそれほどないが、底が泥土らしき止水域だった。これは意外、こんな場所があろうとは!さらに,ここでは水生植物が目に入ってきた。

 モンゴルではこれまで,水生植物を一ヶ所で何種類も見つけた場所はなかった。以前 訪ねたことのある国立公園のテレルジにもそれはなかった。筆者が見た限りでは、せいぜい2,3種類。しかし、ここダルハッド・バレーではシシケッド川の抽水植物,沈水植物だけでも、きちんと調べ上げれば6種以上にはなるだろう。

 つまりシシケッド川右岸側では浅瀬から川中にかけて、びっしりとヒルムシロ属と思われる沈水植物(浮葉植物)が川底に生育していた。それにその他,マツモの仲間のようなモ(藻)も見られた。一方,左岸側の浅水域にはヨシやガマが群落を形成していた。またカヤツリグサ科らしき植物も1種見られた。

 そのうえ,この止水域での水生植物である。数種類が新たに加わろう。だから合計すると,ここでは10種以上にはなるだろう。中でも興味をそそられたのが、下の写真に見られる浮葉植物である。それは日本のエゾノミズタデに似ていた。

 合流点 意外な場所に、意外な植物。 (K.M)

(659) モンゴル日記(374)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて122 】

 水面の広がる雄大な景観が待っていた。写真はシシケッド川とテングス川の合流地点だ。そこの川幅は広く、30m以上はありそうに思えた。それに水量も豊富で、りっぱな「大河」だった。そして,おとなしいが、涼しげな水音も聞こえてくる。写真はシシケッド河畔からのものだ。

 結局ここにもB氏から送ってもらった。彼は筆者を降ろすと、キャンプに戻っていった。「帰りはシシケッド川沿いに上れば大丈夫。一人でも迷わずに戻ることができますよ、シャチョー」と言われ、単独行動となった。

 このダルハッド・バレーに来てから、いずれはこの二つの川の合流地点を見たいと考えていた。昔から川の合流場所とか、川と湖が接する場所とかに興味を抱いてきたからだ。しかし結局ここにはこの日,つまり帰る日の前日の午後遅くに訪ねることになった。でも,やはり来て良かった。これら二つの川が交わるこの景観は、今回の旅で印象的なひとつとなったからだ。

 さて写真下はテングス川方面の景観だ。川沿いの山岳風景はこちらが優れていた。丘陵と山々が三列に並んで奥行きをつくり、いちばん後にはロシアとの国境がある峻険な山々が聳えていた。また,テングス川はシシケッド川に比べると、川幅は狭いが流れは速い。けれど水は清い。釣り師たちも自然とこちらに集まった。

 魚座のせいか、水のある風景が好きだ。日々水ぎわ、日々水面。 (K.M)

(657) モンゴル日記(372)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて120 】

 この岩壁は例の「城砦」の北側だ。上の写真はその全体の姿。このように垂直に近い角度で切り立っている。下の写真は、その絶壁上部の節理部分を拡大したものだ。そしてこれが見納めとなった。

 ボートでシシケッド川左岸に渡り、戻って来てからは皆としばしティータイム。そのうちB氏から、今度はあの城砦の北側を流れているテングス川の方に行ってみないか、と声を掛けられた。そんなにあれこれ誘わなくてもいいのに・・・ああ,そうだった、明日ここを発ち、ウランバートルに戻る段取りが決まったのだ。それで、筆者を色んなことに誘ってくれるのか・・・。そう考えると,感謝。

 それでB氏のXトレイルに乗り、ここまでやって来た。それにしても,この日は何台ものクルマにすれ違っている。今までにはないことだ。彼の話によれば、ナーダム(モンゴル夏祭り=休暇)に入ったので、この辺まで足を延ばす人たちが増えてきたとのこと。それを裏付けるように、すでに川沿いにはテントを張っているグループや、バーベキューを囲む人たちがいた。

 ところで下の写真の方である。柱状節理が斜めになってはいるが、これがなかなか美しいのだ。そして,こうした風景を見ていると、この城砦を下りて来るときに踏み越えてきた岩の凸凹は、やはり節理が地上に現れ出たものだったように思う。

 撤収日の前日、やる事多し、見るもの多し。 (K.M)