(225) ジャノメマツ

ニシキマツ

ニシキマツ

 写真は、知り合いのKさん宅の前に植わっていたジャノメマツである。高さは2.5mほどあろろうか。当地では鉢植えがわずかながら生産されていても、植栽されているのは珍しい。

 このジャノメマツ、ちょっと見だと松枯れかな、などと判断してしまう。なにせ最近この地域では、また松枯れが猛威を振るっているからだ。うちのアカマツもクロマツも、この3年で共に枯死してしまった。

 さて、この木を遠くから眺めていても、その良さがあまり分からない。やはり、近づいて葉をじっくり見入ると、その美しさが伝わってくる。観賞のポイントは樹形や枝ぶりより、その白い斑が入った葉なのだろう。その葉を上から見ると、葉の付け根と葉先が緑色(茶色)であり、それ以外は白い。それで、名前のとおり蛇の目のような模様になる。先日は1ヶ月ぶりに本格的な雨降りとなったが、この雨によって木全体に潤いがもたらされ、葉は輝いていた!

 ところで、ジャノメマツに関する情報は多くない。文献でもインターネット上でも、解説が詳しく載っていない。けれど、どうやらジャノメマツの大半がアカマツの園芸品種らしい。しかし、クロマツ系もわずかだが存在するようだ。

 親友の同業者M氏によれば、ジャノメマツの中で冬場になると葉がピンクに変色するものがまれにある。見たことのある人に言わせると、ひじょうにきれいで見事だという。どうしても見たいとは思わないが、機会があれば拝みたいものだ。その出会いをマツとしよう。

最初に見たときは病気だと勘違いしたジャノメマツ。日々好日、日々感謝。 (E.O)

(224) 雲のかたち、思い出のかたち

不思議な雲

 先日の夕方、変わった雲が東の空にいっとき現れた。左右に伸びたこの雲をじーっと見つめていたら、ある女性とその腕の記憶が蘇ってきた。

 活動的だった彼女は、学生時代いろんな事にチャレンジした。探検部に所属し、洞窟調査に加わったこともある。また、ときどき単身で海外にも出かけた。大柄な美人だったので、旅先で難に会わないよう心密かに願ったものだ。水泳が好きで、商社に勤め出してからも、時間を見つけてはスイミングスクールに通っていた。

 その彼女が突然、病に襲われた。けれど、それに立ち向かう彼女の意思は強かった。「きっと治して見せるわ」。そして 、半年ほどの闘病生活を経て、見事に回復した。その能力を高く評価していた会社が復職を願ったが、彼女はあっさり辞めてしまった。

  「病み上がりの女を見たかったら、来てもいいわよ」その言葉に挑発され、再び彼女がプールで泳ぐ日、赤いバラの花束を持ってスイミングスクールを訪ねた。そこで 久しぶりに、その明るい表情とやせた水着姿を目にした。

 「・・・色気より痛々しさを感じてしまうねェ・・・」「しょうがないわ。心も体も、よけいなものは全部そぎ落としたんだもの。必要なものまで失くしたかも知れないけど・・・」彼女はさらりと言った。けれど、二の腕の筋肉がげっそり落ちたとはいえ、かつて絡め合ったこともある、あの長くて上品な腕の美しさは残っていた。

 しかし、この時が最後となった。病気が再発し、彼女はその年のうちに逝ってしまった。

若い頃には甘くて苦くて切ない思い出もあって 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(223) かもうり

かもうり

かもうり画像2

 切り口の直径24cm、長さが半身で21cm。二つ割りにしたものでも、ズシッと重かった。肥満のラグビーボールのようなこの巨大な果実は、「かもうり」と聞かされた。初めて耳にする名前だったが、親しい鉢物生産者の方がわざわざ8個も持ってきてくれた。

 おそらく「とうがん」の仲間だろう、と推測はした。けれど 念のため、それに興味もあったので、文献からインターネットまで調べてみた。それによれば、まず「とうがん」も「かもうり」も同じものと思われること。原産地は東南アジアなどだということ。また、呼称については「かもうり」の方が「とうがん」よりは古いという説もあった。また 現在では需要が少なく、特定の地域でしか作られていないようだ。インターネットで検索したら、能登や京都あたりの栽培が紹介されていた。

 ところで、この「かもうり」を持ってきてくれたYさんによれば、栽培は難しくはないらしい。それに今年のような猛暑や乾燥にも強いという。

 印象的だったのは、切り口からのぞく果実の内部である。神秘的ともいうべき構造なのだ。切り口から奥の方が、まるで白く輝くタテ穴洞窟のようで、六本の“わた”(あの繊維状のひも)はみずみずしく、その間にびっしりと種が並び詰まっていた。この様子がなかなか美しいのだ。

 また特筆したいのは、クジラ汁にこの「かもうり」を入れると、実にうまい。茄子を加えると、さらに美味しい。ぜひ、あのシーシェパードとかいう連中にも食わしてやりたいくらいだ。

猛暑の時でもうまいものがあれば 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(222) 闇夜の点滅

工事ランプ

 夜遅く、人を送った帰り道のことである。来た時とは別の近道を通った。信越線の踏切を越えた前方に、赤,緑,赤,緑・・・と光が点滅していた。たまに通る場所だが、こんな風景はこれまで見たことがない。それはところどころ途切れてはいたが、線状に伸びていた。それが闇の中でなかなかきれいなのだ。長さにして数百メートルくらいだったろうか。

 工事灯かな・・・あたりは田園地帯で、ところどころ設置された白い街灯以外は何もないはず。時刻はもう11時を過ぎていた。近づいて車を降り、その赤・緑の点滅を眺めていたら、何だか楽しくなってきた。

 結局この点滅する正体は、やはり道路沿いに置かれた工事用バリケードに取り付けられた工事灯だった。それが、規則正しく赤と緑に点滅する。興味を覚え、後日の昼間そこに寄って現物を見てみた。それで簡単な構造もメーカー名も分かったので、インターネットで検索してみた。それによると、この製品は最新のソーラータイプで、どうやらライトもLEDらしい。こうした分野でも、確実に技術革新が進んでいるようだ。

 眺めていた時間は、2,3分どころではなかったのだろう。「もう、戻りませんか?」助手席の配偶者が帰宅を促す声だった。

 写真は3枚撮ったのだが、出来上がったものはみなボケていた。機械のせいではなく、やはり腕だろう。それはともかく、ある意味ゆかいなこの点滅ライトは、何か別の用途でも使えるのではないだろうか。

この時代 大切なのは、点滅でもいいから自ら灯りを照らし続けることだろう。日々好日、日々感謝。 (E.O)

(221) ツバメの旅立ち

並んだツバメ

 つい最近まで、ツバメの動きが活発だった。数も多かった。天気が良い日の早朝には、事務所まわりでも多ければ20羽くらいが飛んできた。そして、架線や建物の外側の鋼管に並んで止まっていた。この周辺には巣は全くないのだが。

 ツバメは昔から益鳥として親しまれてきた。体は細めで均整がとれている。そうした体つきだからこそ、あの軽やかな身のこなしや、飛行スピードを保てるのだろう。見ていても気持ちがいい。スピードはふだん時速50km程度だが、最高時速は軽く100km以上は出すらしい。

 ところで、彼らはそろそろ南下を始めないのだろうか?猛暑が続くから、まだなのだろうか?・・・それで、いつもの鳥博士にいろいろ尋ねてみた。お話は以下の通りだった。

 まず、 南下はそろそろ時期だという。稲刈り頃から始まり、それがすっかり終わる頃にはほとんどのツバメが南下しているそうである。それは稲刈り中に飛び出してくる虫が目当てで、それを腹いっぱいに食べ、栄養を蓄えて南下に備えるのだそうだ。

 また 数多く集まるのは、今年巣立った雛を連れた家族がいるからだろう、ということだった。もしかしたら、写真の6羽も家族かも知れない。

 ところで、ツバメの名のついた植物は2つある。日本にも自生するツバメオモトというユリ科植物と、メキシコ原産のヒガンバナ科のツバメズイセンである。面白いことに、この二つの花はツバメという名を冠していながら、前者は白い可憐な花、後者は真っ赤なツバメに似た花を咲かす。

南方にたどり着くまで 日々飛翔、日々感謝。 (E.O)

(220) 8月のモンゴル④(終わり)

青と青の世界

【青の世界】

 モンゴルからの帰路、能登半島にさしかかる20,30分前だったろうか。筆者たちを乗せた飛行機が、凪いだ日本海に入ってからである。写真のように、窓の外には吸い込まれるような二種類の青の世界が広がっていた。

 空路の詳しいコースは知らない。けれど新潟発着だから、日本海でこうした風景に出会えたのではないだろうか。成田発着でも、条件に恵まれれば見られるのかも知れないが、これまで目にしたことがない。水平線は雲で隠れていたが、大空の青と大海原の青で構成された風景が、微妙に変化を見せながら、窓の外で展開した。読んでいた本を閉じ、その光景が終わるまで眺めていた。それは読書で疲れた目を休めることにもなった。

 こうした飛行機から眺める大きな青の風景で、最も印象に残っているのは、ニュージーランドからの帰路だった。それはオークランド空港を離陸し、高度をどんどん上げながら目に入ってきた情景だった。南太平洋の真っ青な海と、それに負けないほどの雲一つない青空。若かったこともあるのか、その時の感動は忘れられない。

 ところで ある色彩心理学の専門家が、本の中で人の色の好みについて論じていた。最も好まれる色彩は、①青②赤③緑④紫・・・なのだそうだ。その説からすると、筆者の好みと大違いはない。また、以前この欄で述べたデルフィニウムの品種改良で、西洋人が多様な青い花を求めた歴史などを知ると、この傾向は古今東西を問わないのかも知れない。

考えてみれば、“青春”はよくできた言葉だと思う。日々青日、日々感謝。 (E.O)

(219) 8月のモンゴル③

ウランバートル遠望

ウランバートル

【変貌とげるウランバートル】

 写真は上・下とも、ザイサンの丘からウランバートルの中心部方面を写したものだ。上が今回、下が昨年4月中旬の風景である。

 1年数ヶ月でこれほど変容するのだ!変わらないのは手前右下の展示された旧ソ連製の戦車と、中ほどを流れるセルベ川とその河畔林だけだろうか。もっとも下の写真では、水面がまだ氷結していたが。

 目を凝らすと、奥に立ち並ぶビルも増えていることが分かる。とにかく街の中でもいたる所で、新ビルや建築中のビルが目立った。現在、ヒルトンとシャングリ・ラも建築の真っ最中である。

 2009年に最初に訪れたころと比べると、街の変わりようには驚く。建築ラッシュだけではない。車の増加もすごい。だから、慢性的な交通渋滞である。現地の人が説明していたが、もともとウランバートルは人口50万都市として設計された街なのだという。そこに現在140万人が住んでいるのだ!

 昨年が17%、今年は20%前後が予想されているこの国の経済成長率。基本的には、この急激な経済成長に起因するさまざまな問題が同時に発生している。その解消や緩和のために手は打たれているようだ・・・急ピッチで進む道路整備、住宅十万戸増設プロジェクト、5番目の発電所建設計画など。けれど、そう簡単に効果が表れるなものではないだろう。

 今回モンゴルを初めて訪れたS社長が、感想を漏らした。「問題を抱えていようと、この街にみなぎるエネルギーや活気はすごい!」

確かにこの国に来ると、何かしら元気づけられる。日々好日、日々感謝。 (E.O)

 

 

(218) 8月のモンゴル②

チンギス像と新郎新婦

【チンギスハーン像と新郎新婦】

 帰国する前日、スフバートル広場に寄った。それは今回同行してくれた同業のS社長に、少しは観光をしてもらおうと、モンゴルの親友B氏が発案したことだった。それで、筆者も一緒について回った。

 ザイサンの丘を訪ねたあと、ここに来たのだ。天気も良く、大勢の人々が広場に集まっていた。その中に、民族衣装を着た一団がいた。彼らをよく見ると、その中心には白いウェディングドレスの女性と黒いモーニング姿の男性がいた。おっ、結婚式だったなァ・・・。B氏が頷いた。

 しばらく彼らを眺めていると、新郎新婦は国会議事堂の方に進んで行った。そして、チンギスハーン坐像のある正面階段の護衛と一言二言はなしをした後、警備ロープをくぐらせてもらい正面階段を上がっていった。一般人は立入禁止らしいのだが。

 その後、両親か兄妹なのだろうか、5,6人が同じように階段を上がって行った。写真はこの時のものだ。どうやら記念撮影でもするらしい。気づかなかったが、写真屋と思われる男性が上で待ち構えているではないか。気のせいか、坐像のチンギスハーンも苦笑していたように見えた。

 B氏に尋ねたところ、「昔は考えられなかったけど、こういうことは最近ときどきあるようです。それに民族衣装を着て、こんなことをするのは、だいたい田舎の人たちですよ」との皮肉まじりの答え。

 そう言えば、親友B氏はウランバートル育ちのシティボーイだった。

少子化・非婚化のすすむ国から見ると、どうであれ結婚は意義深いと思うのだが・・・。大安吉日、日々感謝。 (E.O)

(217) 8月のモンゴル①

花屋の賑わい

【花屋の賑わい】

 お盆の後に、またモンゴルに行ってきた。今年はこれで4度目となる。

 その理由はまず、新潟空港発着のモンゴル向けチャーター便が出たからだ。また、大事な用件も二,三あった。それに本音を語ると、涼しい所に行ける!という思いも強かった。新潟でも連日33~37℃という猛暑続きだったもの。

 今回のモンゴル行きはいつもの単独行ではなく、役所の方々を含め同行者が何人かいた。彼らと共に初めて訪ねた店舗もあったり、久しぶりに日本大使館にも伺った。

 さて、写真はエヘガザル社グループの花屋の一つである。同社はウランバートルの繁華街に「フラワーセンター」というビルを所有している。そこの一階にある店で、D社長の末弟Bさんが経営している。

 訪問した日時は20日(月)の昼ころだったが、お客は少なくなかった。この日は日本の「大安」のような縁起の良い日とされ、結婚式が多かったらしい。その関連で花束を求めに来た人たちも、何人か居たようだった。新潟で月曜の昼ころに、何人もの男性客が花屋に寄るといったことはほとんど考えられない。

 ところで以前から聞いてはいたが、生花の多くが中国から入っている。この日 店頭にあったバラ,キク,ユリなど全てが中国産らしい。鉢物でも中国産は増えているようだ。したがって、こちらから輸出する植物は、この中国産商品との差別化を常に考えねばならない。だから、面白いのだが。

 さて、かの国の気温は昼なら27℃以下、朝晩は10℃を下回ることもあった。

この時期モンゴルでは 日々涼日、日々感謝。 (E.O)

(216) 花のある生活①

花のある場所

 人様にあまりお見せできる空間ではないが、台所の一角である。猛暑のさなか、こんな場所でも花があると、朝から気分が違う。ちょっと爽やかに一日が始められる。

 手前に淡い黄色のヒマワリ。それは存在感があっても、暑苦しくない。また、奥にはヒペリカムの実も覗いている。こちらも穏やかな赤である。手前の円柱形のものはオブジェなどではない。逆さに立てた花器だ。お盆前だったので、配偶者がいろいろ引っ張り出し、前夜 洗った後に乾かしておいたものだ。ガラス花器に花が立てられ、そのそばに陶器の花器が逆さになっている。この点も、面白く感じられた。

 ごく身近な日常生活の一場面に花を置く。人様に見せることはほとんどない、こうした生活空間に花を添える。こんな花の飾り方も悪くはない。むさ苦しい中にも、美あり。床の間や客室テーブルの上に花を活けるのもよい。またアートのような花の装飾があってもいい。けれども、こうした生活臭に満ちた空間に置いた花にも風情は漂う。

 この日の朝はこんな風にちょっと良い気分になったので、いつもの蒸しブロッコリーや茹でアスパラガスのほかに、酢の物までこしらえた。

 野に咲く花は別にして、身近な生活の場に置かれた花を見て、ちょっと良い気分になる。あるいは、ささやかだけれど明るい気持ちにさせてもらう。そうした花の役割があってもいいのではないか。そんなことがシャバにちょっとした潤いをもたらしてくれる。

 ところで、このヒマワリはその日のうちにちゃんと仏壇に飾られていた。

生活に花あれば、日々好日、日々感謝。 (E.O)