(521) モンゴル日記(236)

【 エグ川にて~32 】

 

 写真左はイリスの仲間だ。後半のキャンプサイト周辺の草原で、あちこちに見られた。独特の姿なのですぐ分かる。ただ,ちょうど花が咲いている個体が、探しても見つからなかった。写真のイリスは咲き終ってまもない株で、その花色は黄色のように思われた。

 ところでモンゴルの文献では,イリスの仲間は7種類ほどが挙げられている。みな背丈が高くなく、紫,青,黄といった花色がある。その文献には、これらイリス類はいずれも薬用植物として記載されている。そして、それら全てがモンゴル伝統薬として書かれていた。山羊の油と混ぜて使われるらしい。伝染病,打撲傷,やけど等に効くという。

 一方,写真右は日本のカラマツソウの仲間である。山野草を知っている人なら、だいたい判断するようだ。これも群落は見られなかったが、草原のあちこちに生えていた。

 ところで,モンゴルの人の話ではこの時期,もっと花が咲き乱れるという。しかし,この年(2015年)は長期にわたる雨不足で、花だけではなく植物全般に異常が起きつつあるらしかった。家畜のエサとなる草などは例年ならこの時期、大いに生育する。しかし雨不足によって草が伸びず、その影響で家畜が順調に太れないほどだという。最近その事を政府も心配しているというニュースが報道されたらしい。

幸いなことに,この1週間後くらいに十分な降雨があった。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(520) モンゴル日記(235)

【 エグ川にて~31 】

 

 ウーン,しみるー!・・・「山崎」がこんなにうまいウイスキーだとは思わなかった。

 ウランバートルに戻る前日、遅い昼食でのことだった。日本から持って来たそれを、全員そろっていたこともあり、栓を開けた。それは新潟から参加したI君が差し入れてくれた逸品だったらしい。

 ひと通り全員が味わった。そしてモンゴル勢は全員、口をそろえて(舌をそろえて?!)その味を褒めた。とりわけT氏はポーズを作ってくれと頼んだわけではないのだが、写真左のような表情で絶賛した。まァ結局,彼がいちばん飲んだようだが。

 写真右のように、T氏に注がれて味わっているのは筆者だ。少し微妙な表情を示しているが、上等なウイスキーがこんなにも美味いとは思わなかった、と思う直前の顔だ。若い頃はともかく、最近はウイスキーなど口にしたことがない。好んで飲む気が起きないからだ。

 ただ今回もそうだが、酒のうまさはTPOが深く関係してくるという思いがある。どんな時に,どこで,誰と,どんな状況で飲んだか・・・これが大いに関係してくると思う。これは経験から来る持論に近い。たとえば東京の飲み屋で、今は亡き親友K君と梅雨どきに飲んだ、あのぬる燗の「寒梅」は一生忘れられない。そのシーンがおぼろげながら蘇ってさえくる。海馬と舌と視覚が覚えているのだと思う。

「何も足さない、何も引かない」 日々好酒、日々感謝。 (K.M)

(519) モンゴル日記(234)

【 エグ川にて~30 】

 

 あのタイメンをエグ川に解放し、全員で帰途についた。来る時とは違い時間はかかるが,こんどは川のなかを進んだ。上流にあるキャンプサイトに戻るのだ。

 釣り上げたKt君やその師匠のBa先生はもちろんのこと、筆者を含む他の同伴者も何となく満足したような表情だった。充足感のようなものが漂っていた。途中でメンバーはエグ川の流れをバックに、代わる代わる記念の写真も撮った。

 と、しばらく左岸側を歩いていくと、浅瀬の土の部分にこんな足跡を見つけた。犬ではなかろう、この辺りでは見たことがないもの。またキツネはこの地にいるのだろうか?・・・その時,Ba先生が言った。これはオオカミの足跡だ、と。それを聞いて、日本人たちはみな「オーッ」と思わず声をあげた。

 それは3,4頭分らしかった。親子かも知れないとのこと。足跡の大きさが違うものがあるし、土への食い込みの深さが異なるらしい。オオカミに関しては、この国で何度か遠吠えを耳にしたことはある。ときには深夜のゲルで聞いたこともある。しかし、足跡ははじめて目にした。

 最近はこの足跡のレプリカが商品になって出回っている。インターネット販売に登場もしている。たいていはアメリカ製品らしいが。でも最近,この国でもみやげ物の新顔としてオオカミの足跡のレプリカを見つけた。

魚類が去って、こんどは哺乳類の登場だろうか?! 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(518) モンゴル日記(233)

【 エグ川にて~29 】

 

 釣り上げた時にその場にいたかった、などと嘆いてもしょうがない。これまでのタイメンの話は一応 前号までで終える。

 さてこの号の話題は、後半のテントサイトでの食事のことである。帰る日が近くなってくると、野菜も果物もしだいに不足してくる。あるいは無くなってきた。だから 食事は肉とスパゲティ、あるいは誰かが日本から持参した麺類が主体となった。

 貴重だったリンゴも、前々日に尽きた。筆者が持ってきたバナナなんか、ツアー初日に皆で分けて食べてしまっている。少しは残しておくべきだったと悔いた。またモンゴル産野菜の根菜3品つまりニンジン,タマネギ,ジャガイモもほとんど残っていないようだった。

 だから、しだいに毎食毎食が野菜少々,やがて無しとなり、肉主体になってきた。一度「やっぱり魚も食べたいよなァ」と呟いた。と、その夕方にモンゴルの某氏がレノックを引っ下げてきた。「これ料理しようや。リリースしようと思ったけど、もう弱っていて放しても死んじゃうだろうから」。なかなか正しい言い訳だと感心しながら、その夜は煮魚となった。

 さて 写真は帰る1日前の夕食である。写真左のように基本的には塩・コショウだけで味付けする。写真右はでき上がった一人前だ。この頃はもう野菜がほとんどなくなっていた。

この後,野菜なしの食事が続いた。でも無理してでも唱えよう  日々好食、日々感謝。 (K.M)

(517) モンゴル日記(232)

【 エグ川にて~28 】

 

 いよいよお別れだ。写真右のように、放す前にKt君はタイメンと別れのキスをした。彼がいちばん名残惜しかったに違いない。夜中に苦闘の末、釣り上げた大物だもの。それも彼にとって今回が初めての国外であり、その海外釣りツアーの最終日で、目的のタイメンを引き当てたのだ。感激と喜びはひとしおだったに違いない。

 さて写真左は、いよいよ放流する場面だ。この後 解放されたタイメンは、最初のうちはちょっと,たどたどしいような動きだった。しかし、やがて本流に近づいていくと、ヌソーッと深みへ泳ぎ去った。何やらホッとした。

 釣った本人ではないものの、こうしてreleaseに立ち会えてほんとうに良かったと思う。こんな場面に立ち会えるのはめったにないだろう。モンゴルでの忘れられない思い出がひとつ増えた。

 ところで後日談をひとつ。以下はKt君の話だ。この大物タイメンを釣ったフライの疑似餌は、実のところ師匠Ba先生から頂いたモノだったそうだ。それはネズミの形に似せたもので、釣り場に行った際に「これを使ってみろ」と渡されたという。言葉が通じないので身ぶり手ぶりだったが、すぐ察したらしい。その事から、おそらくBa先生も彼の腕を認めていたものと思われる。そうだとすれば、日・蒙釣り師の心の交流と言ってもよいかも知れない。

今回のツアー最大の目的が達成されて 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(516) モンゴル日記(231)

【 エグ川にて~27 】

 

 強健そうだが、やはり長く拘束してはおけない。早く解放し、エグ川に帰さねば・・・そしてリリースの時が来た。写真左はその放流前にもう一度、全姿を撮影したものである。

 写真右はモンゴルの釣りの師匠Ba氏が、タイメンのエラに通していた木綿のひもを慎重にほどくところだ。タイメンはまもなく放されると感じたのか、体を少しくねらせた。

 ところで前号のつづきを書く。筆者には、魚おさえ(魚捕り)でこうした1m級の大魚をつかまえた経験がある。昭和39年(1964年)夏のことだ。小学6年生の時で、魚釣りや魚おさえに夢中になっていた。そして、この年6月16日に新潟地震が起きた。が、その後すぐに魚釣りと魚おさえを復活させた。

 やがて夏休みに。実家の前を流れる小阿賀野川の中州に、仲間と出かけた。そこには沼があった。ところが、その沼に地震の際にできた亀裂や新しい深みが形成されていた。「そういう所に魚は寄る。とくに大物は」、先輩たちからそう聞いていた。

 そして その沼の水に腰までつかりながら、沼底の大きな裂け目に足を入れた。ン?そこで何かにぶち当たった。と、それは動き出した。「おっ、デケェぞ!」。悪戦苦闘しながら、2人の仲間の協力も得て、半円形の網に追い込んだ。それはライギョだった。見たことのない1mクラスの超大物だった。

獲物を捕まえるときの興奮は格別だ!日々好日、日々感謝。 (K.M)