(541) モンゴル日記(256)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて 4 】

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【この号から写真を大きくして載せられるようになった。それもあって、このシリーズに限り公開 ピッチを上げることにした。基本的には3日ごとに公開していくつもりだ。】

 さて,いずれの写真も行きの道中での写真である。カーブの少ないまっすぐな道路がつづく。この日(7月10日)は朝から降ったり止んだりの空模様。しかしウランバートルから遠ざかるにつれ、雨は上がってきた。

 道路沿いの景観を簡単に表現すると、広がる草原や丘陵の先になだらかな山々が見えてくる。そこに,たいていは放牧家畜の群れが加わる。ただし地域によっては、たまに小麦畑や菜の花畑が広がっていることもあった。

 さて日本と反対で、クルマは道路右側を通る。写真はその走る車からフロントガラス越しに撮影したものだ。写真上のように、同じ車線でも前を行くクルマはひじょうに少ない。前のクルマとの車間距離は1キロ以上?! また対向車もこれまた少ない。来ないときは何分もすれ違わなかった。

 ところで下の写真、右下に斜めに走る太い線が見える。実はこれ、フロントガラスにできた実際の亀裂なのだ。出発してまもなく、対向車のトラックが石コロを飛ばしてきて、その直撃を受けたものだ!心配したが、幸いその亀裂はそれほど拡大はしなかった。

帰路、この亀裂とは別のアクシデントが起きた!! 日々想定外!日々対応! (K.M)

(538) モンゴル日記(253)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて 1 】

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 実は夕べ(7月20日)モンゴルから帰国したところです。今回はけっこう疲れた16日間の滞在でした。なぜなら,そのうちの9日間は北モンゴル最奥部ともいうべき地域に出かけたからです。そこはフブスグル県レンチンルフンブ村という風光明媚の場所でした。

 ですが,そこにたどり着くのに一苦労、帰りも楽ではありませんでした。けれど,得たものは多く充実した旅でした。草原の花々から人々の暮らしぶりまで、これまで見たことのなかったモンゴルにも触れました。このシリーズでは、その旅を語っていきたいと思います。

               *          *          *

 さて写真左は,そのレンチンルフンブ村で宿泊したツーリストキャンプから、いつも望んだ山岳風景である。残雪を筋状に示し、晴れた日には朝と夜とで違った表情を見せてくれた。もっとも夜といっても、午後11時頃にならないと暗くならなかったが。そして,これらの山々の向こう側はもうロシア領だという。

 また写真右は、滞在中に近くの山の中で出くわした野草である。トリカブトの仲間か,デルフィニュームの仲間か?と思われるが、その判定は後日にしよう。それはともかく、花色が鮮やかで茎の上部が紺色をしていた。印象深い花のひとつだった。

北モンゴルの奥地でも 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(531) モンゴル日記(246)

【 婦人デー以後 ① 】

 

 この2枚の写真は、5月11日ウランバートルに積もった雪である。LINEで来た写真を見て、うわァッ!! 驚いた。前夜から降りはじめて、この日の朝には数cmに達したらしい。この時期には筆者はモンゴルに滞在していなかったが、親友Bさんが撮影して送ってくれた。

 けれども,モンゴルとはいえ5月、さすがにこの後は雪が雨に変わり、その日のうちに融けたらしい。とはいえ,観測記録によれば、この日の最低気温は-4℃、最高気温は+4℃だった。

 ウランバートルの5月を表わすとなると、長い冬から短い夏に移行する時期、とでも言えようか。まあ,この国では春と秋が短い。そして,冬が長ーいのだ。

 『地球の歩き方 モンゴル編』によれば、モンゴルの冬は11月から4月の6ヶ月間をさすようだ。ちなみに春は5月,6月、夏は7月,8月、秋は9月,10月というように書かれている。5年前,10月中旬に北モンゴル=ユロ川での釣りに誘われた。その時、明け方のテントの外には霜がびっしりと降りていた!そして,持参した温度計を見たら気温は0℃だった。

 日本人の季節感覚では、春・秋に関して快適さも含まれているように感じる。けれども,こうした感覚はおそらくモンゴルの人たちにはしっくりこないかも知れない。

5月以降の売上げが、こんな寒そうな結果にならないことを祈るばかりだ。 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(508) モンゴル日記(223)

【 エグ川にて~19 】

 

 左の写真は後半の宿泊地のようすだ。川に面した広い草原の角に、前半と同じくテントを3つ張った。左のテントは新潟の若者3人が、また真ん中の大きいそれはモンゴルのT氏,J氏そして釣りの先生B氏が利用した。3人はみな〝大型〟なので、このサイズでなければダメだったろう。そして 親友B氏と筆者は、右側の白いレクサスの後ろになっているテントで寝起きした。

 次に右の写真である。以前書いたように、大規模ではないが、このように川岸の崩壊がここでも発生していた。そして このえぐられた岸辺の草原側に目を凝らしてほしい。一本の棒が立てられている。B氏に聞いたら、「川岸のそばに行かないように、という意味で立ててあるんです。シャチョーはとくに注意してね」とのこと?!

 ところで写真右で、手前から奥に向かって流れているのがタフト川。そして その奥で右側から入って来る清流がエグ川なのだ。つまり、このテントサイトの目の前でこの二つの川が合流していて、川幅が広くなっている。

 さて この新しい場所は前半のそれと比べ、条件がだいぶ違った。ここは尾根の上ではなく、平らな草原だった。だから足もとは安全だった。酔っぱらって岩に頭をぶつけたり、転げ落ちる心配はほとんどなかった。(ただし川岸に近づかねば、の話だが。)

遊牧の牛馬や羊はときどき通るが、人はめったに通らなかった。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(506) モンゴル日記(221)

【 エグ川にて~17 】

 

 写真左の野草も前述してきた河原の、もっとも下流の方で見つけたものだ。草丈はとにかく低い。ご覧のように地面を這うような感じで、花はびっしりついていた。はじめのうち、ちょっと見の印象でバーベナの仲間かなァ、などと思った。

 帰国してから、師匠のO先生にお尋ねした。その結果、筆者の判断はまったく外れていた。先生が写真をしばしご覧になって言われるには、日本でいうとイブキジャコウソウに近い種ではないか、ということだった。シソ科植物で属名はThymusというらしい。

 一方、写真右は前述の河原から数キロ下流。後半の宿泊地から遠くない地点だ。エグ川左岸、高さ10m以上はある川岸の崩落のようすだ。そこは土の崖で、長さは数十mはあったろう。日本ではおそらく、こんな風景を目にすることはないと思う。日本では川岸をこんな風に放置しておいたら、大雨どころかふつうの雨でも災害になり得るだろう。

 これほど大きくはないものの、小さい崩落ならこのあたりの河川ではときどき目にした。後半の宿泊地のすぐそばでも発生していた。たぶん降雨がひじょうに少ないから持っているのだろう。

 ところで ここからクルマで数分走ると、後半のキャンプサイトに到着した。そこは川に近い草原で、目の前ではエグ川とタフト川が合流していた。

さァ,後半の釣り基地だ。誰かタイメンに当たるだろうか。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(504) モンゴル日記(219)

【 エグ川にて~15 】

 

 移動の途中、草原にコテージ群があらわれた。それが写真左だ。一見すると、何やら別荘村のようだった。しかし実はこれ、アメリカの釣り客向けの施設なのだそうだ。夏ここに彼らがやって来て、宿泊するためのコテージ村なのだという。

 最初こんな所にこんな施設が出現したので、ちょっとビックリ。さらに ここを通り過ぎるとき、一軒だけだったが、何とプールがあるのを発見した。そのうえ、ここにやって来て帰っていく交通手段がヘリコプターだと聞いて、三度ビックリ。おそらくここの利用者は、アメリカの金持ちたちなのだろう。

 風も止み、こうした話を聞いたこともあったのか、体が熱くなってきた。冷房の効くクルマから出ると、日かげが欲しくなる。釣り人たちは川の中に入っていて、少しはマシだったろうが。

 ところで写真右も、前述した河原にあった〝植物〟だ。これを発見したのはKt君だ。彼は釣りの合間に、自分が興味を抱いた動・植物を撮影してもいた。しかし,これは?・・・そうなのだ!これは草丈10㎝前後の枯れきった植物なのだ。ちょうどミイラ化したようなものだろうか。

 ところが、これがどうしてどうして美しい!全体がまるで精緻な銀細工のように、輝いて見えた。そして枝には丸い実のようなものが沢山ついていた。

色んな観察、色んな発見。日々好日、日々感謝。 そして年々好年、年々感謝。今年もよろしく。 (K.M)

(500) モンゴル日記(215)

【 エグ川にて~11 】

 

 いよいよ最初の宿泊地とお別れだ。この風景を再び目にすることができるだろうか。この地をまた訪れることができるだろうか。この山河をよーく眺めて、記憶に留めておこう。明日の今ごろはきっと、次の宿泊地にいることだろう。

 数日慣れ親しんだこの風景を後にするのは、ちょっとさびしい気がした。だいたい、そうした感情を抱かせるほどの山紫水明の地なのだ。人工的な音はほとんど聞こえない。ほとんどというのは、前日この上流の彼方から何かの爆発音のような音が響いてきた。大きな音ではなかったが、B氏によれば鉱山の爆破音だろうとのこと。なるほど鉱物資源が豊かなこの国らしい音だ。

 この見晴らしの良い尾根の上からあたりを眺めていると、時間を忘れた。そして 異国の山地にいるという意識も薄らいでくる。だいたい、ここに到着した時の第一印象が・・・ここは何だか見たことがあるような風景だわサ。デジャビュとかいう感覚かなァ・・・。

 いやいや新潟県のある地域にちょっと似ているのだ。それは東蒲原郡の阿賀野川流域の風景である。それほど高くない山地の間を河が流れてゆく。周辺の山容も似ていて、岩がむき出しの峰も混じっている。ただ景観上の大きな違いは、ここには人工物が全くないということだ。鉄道も,高速道路も,橋梁も,送電線も、そして人工林もない。

ほとんど手つかずの風景に触れ 日々好景、日々感謝。 (K.M)

(490) モンゴル日記(205)

【 エグ川にて~1 】

 

 ようやくエグ川にたどり着いた!! 写真はいずれも前半の宿泊地周辺の風景だ。左の写真の撮影地点は幅広い尾根で、ここの平らな場所に3つのテントを張る。お分かりになるかと思うが、手前の斜面には背丈の高い草が生えていない。もちろん気候的,地理的要因からだろう。

 さて 正面に見える清流が目的地のエグ川だ。やっと着いたのだ。この辺でも標高は2,000m近くらしい。この風景に見惚れていると、14時間の長旅の疲れは忘れてしまった。

 ともあれ まずはテント張り。その場所を決めるのに、モンゴル側4人は周辺を見てまわり、最後はBa先生がOKを出した。そうと決まると、2台のクルマは川岸の道路からこの尾根まで一気に駆け上がった。また2日後、次のキャンプサイトに移動する時も、ためらうことなくサッと一気に下って行った。

 この国の人たちはクルマを現代の馬のように考えているのかも知れない。この馬でどこへでも行ってしまう。たいていの山は上り下りし、深くない川は渡ってしまう。その際、躊躇する場面をほとんど見たことがない。

 写真右は、その宿泊地の背後にそびえる岩山である。手前の鞍部には針葉樹が多く、そこにシラカバが混じる。2日目の早朝、目が覚めたので単身登ろうと試みた。しかし とても傾斜が急で、すぐ諦めた。

エグは清らかな流れだった。 さァ、明日から釣るぞー! 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(487) モンゴル日記(202)

【 エグ川めざして~ 9 】

 

 

 幅広い川をクルマで渡河する。こんな体験は日本ではしたことがない。正直のところ、水面を進んでいくときはちょっと緊張した。けれど、窓から入ってくる川風は心地よかった。

 写真左の、先に行く1台目のドライバーはモンゴルの釣りの先生Ba氏。彼は渡りなれているのか、ほとんど止まりもせずに渡りきった。水が澄んでいるとはいえ、川底を把握しているようだった。

 そして 2台目が後につづく(写真右  奥の白い車)。筆者はこれに乗っていた。写真はいずれも、1台目に分乗していた新潟の釣り師Kt君が撮影したものだ。彼は最終日に、とうとう1m級のタイメンを釣り上げた若者だ。

 クルマの話をすると、筆者たちが分乗した2台の自動車はいずれも日本車、トヨタだった。1台はオフロードも走れるようなレクサス、もう1台は正真正銘のランドクルーザーである。こうした車種でないと、モンゴルの山野は駆けめぐることができない。それにパワーも必要だ。

 だいたいウランバートルでは日本車が多く走っている。7割以上はそうだろう。なかでもトヨタ車がトップである。こちらの話では、いま最も人気のある中古車はプリウスだという。たしかによく見かける。

 ところで 渡ったこの清流はタフト川という。この下流で目的地エグ川と合流する。

山紫水明、ビジネスのことはとっくに忘れてしまっていた。 日々冒険、日々感謝。 (K.M)

 

(486) モンゴル日記(201)

【 エグ川めざして~ 8 】

 

 (480)号で紹介したのは、“道のオボー”だった。ところが 写真左のこのオボーは、山の頂上でも峠でもない場所に設けられていた。同行した釣りの先生Ba氏によれば、最奥の町テシグの入口を示すオボーとのこと。そばには案内板のような看板も立てられていた。

 この写真で、ひとりオボーを回っているのは実は筆者である。知らぬ間に、同行の若者Kt君が撮影したものだ。そこでは空気は乾ききって、天空は引きこまれるように青かった。

 テシグは、最終目的地に行くために寄らなければいけない重要な町だ。そこではタイメン釣りの許可を得る手続きもしなければならない。それにクルマの最後の給油地でもある。ところで 町の住人の多くはブリヤート人だという。彼らはもともとバイカル湖周辺に住んでいたモンゴル民族の一派(源流?)である。日本人のルーツのひとつとも言われる人々だ。

 さて 写真右は付近に広がる小麦畑の風景である。標高はこの辺りでも1,500mは越しているらしかった。そのせいか雲が低い。そして 旅行中ずっと悩まされたが、陽射しがきつかった。

 さて町の入口といっても、このオボーから町の中心部にたどり着くまで30分以上かかった。途中ちょっと変わった湖沼をいくつか通り過ぎた。塩湖である。湖岸には白い塩の堆積も見られた。

さて、いつ目的地に着くのだろう・・・でも 日々好日、日々感謝。 (K.M)