(27) 4度目のモンゴル―モンゴルにて①

 すでに夕刻。茶褐色の大地がしだいに近づく。飛行機は徐々に高度を下げ、チンギスハーン空港に向け着陸体勢に入った。なだらかな山々と広々とした草原。わずかだが、小さな雪というより氷雪が、白い点や筋になって残っている所もある。

 今回で4度目のモンゴル訪問となる。こうした眼下の風景に触れると、頭と身体のスイッチが切り替わり、モンゴル・モードになっていくような気がする。

 モンゴルを最初に訪ねたのは、2009年の3月上旬だった。ウランバートルでは、夜になれば-10℃前後にまで下がる頃である。夕方屋外にいようものなら、足元から這い上がってくる寒さを感じた。

 実はこの時期モンゴルを訪ねたのは、8日の「婦人デー」の花の売行きをこの眼で確かめるためだった。しかし、初めて同地を訪れるシーズンとしては相応しくなかった。それだけではない。2日目に盗難に会ってしまった。パスポートから帰りの航空券、デジカメ、それに大切な電子手帳までカバンごと失ってしまった。それに気づいた時には、正直のところ大変な国に来てしまったと思った。筆者にとって、モンゴル訪問のスタートは悪かったのである。

 しかし、その後の盗難証明書交付、帰国手続き、航空券の再発行など、日本大使館やモンゴル航空など関係の方々のご好意や手際の良さで助かった。とりわけ、同行してくれたモンゴル人B氏の懸命な尽力には、こちらがむしろを胸を打たれた。彼は「こんな事はモンゴル人の恥だ!」と言って、またたく間に警察署から大使館、街の写真屋から入国管理局、それに翻訳屋まで次から次へと筆者を連れて回ってくれた。彼には本当に感謝している。今や彼は大事な友人の一人である。もしかしたら、この事件がモンゴルに惹かれていったきっかけになったのかもしれない。

 筆者は今月9日から昨日までモンゴルに渡っていた。その時のことを何回かに分けて記したいと思う。

モンゴルでも日々好日、日々感謝。 (E.O)

 

(26) 月のアムール川-ハバロフスクで(その②)

月浮かぶアムール川-ハバロフスクで

 アムール川の上にかかった半月・・・昨年9月の写真である。

 異国の地で月を眺めるのも悪くはない。目の前には雄大な川の流れがあり、遠い対岸には中国領の低い山並みが望める。少し不思議な時間と空間の感覚に包まれた。

 アムール川は大河である。支流を含めた全長は世界で8番目という。ところで、ハバロフスクの人々はこのアムール川とうまく付き合っている。川を様々に利用すると同時に、川に親しんでもいる。舟運が発達し、人や物資を積んだ船が行き来する。ちょっと驚いたのだが、水中翼船も疾走する。また所々に船着き場があり、水上バスの船が通勤客を乗せて行く。

 一方、ハバロフスク市民はアムール川を楽しんでもいる。川沿いには園路が整備され、そこを多くの人々が散歩する。また、寒くない時期には泳ぎを含め、水遊びする人も多い。そうした人たちを当てにして、川岸には簡易レストランのテントが連なる。また、釣り人も少なくない。

 けれど、このアムール川が2005年に大きな汚染に見舞われた。かの国で起きた化学工場の爆発事故で、アムール川上流部(松花江)に有毒化合物が流れ出したのだ。そして、下流地域に深刻な影響をもたらした。それが原因で、現在も釣った魚は食べられないという。どういう事情であれ、かの国の環境意識には大きな疑問を抱かざるを得ない。(※と、ここまでの文章は3月11日以前に既に書き終わっていたのだが・・・。)

 しかし翻って3月11日以降、わが国で環境意識について、こんな風に割り切って語れなくなった。なぜなら、福島第一原発の現状が報道されるたびに、深刻度が比べ物にならないくらい環境への悪影響を考えざるを得ないからだ。

「日々好日・日々感謝」と、とても言えない時がまだまだ続くようだ・・・。  (E.O) 

(25) 雪消え

残雪

 写真(上)は、道路の曲がり角に積まれた大雪の名残である。道路除雪によって出来上がった排雪の“山”で、3月6日に撮影したものだ。大きさは、タテ4.0m,ヨコ3.0m,高サ1.5mほどもあった。

 一方、写真(下)はほぼ1ヶ月後の今朝の写真である。残雪は全く消え去った。きょう4月5日は二十四節気の「清明」。万物がはつらつとする頃、万物がすがすがしく明るく美しい頃という意味なのだそうだ。

《消える…雪が消える、悩みが消える、わだかまりが消える、恐怖が消える・・・》

 おそらく消え去りはしないだろうが、わずかづつわずかづつ小さくなって行く悲しみや嘆き。その先にはきっと希望が・・・そう信じたい。この地でも春が確実に進んできた。

 (E.O)