(75) モンゴル再訪7-雨のウランバートル

モンゴル再訪7-雨のウランバートル

 ホテルの部屋から見た雨のウランバートルである。路面が濡れ、所々に水溜りさえある。植物も青々として来たようだ。

 モンゴル訪問は今回で5度目になるが、初めて降雨に会った。日本よりは降水量が少ないとは聞いていたが、その点を調べてみた。両国を比較すると、ウランバートルの年間降水量は東京の6分の1くらいなのだ。ただモンゴルでは夏に降水量が多く、年間降水量の70%がこの時季に降るのだそうだ。

 とは言え、この降雨で滞在日程が一部変わった。しかし、おかげで(69)号で書いたようにテレルジに行けたのだから、かえって良かったかもしれない。良かったことは他にもあった。雨で戸外が湿ったおかげで、埃っぽくなくなったことだ。朝のウォーキングには、より好ましい環境となったのだ。

 ついでに言えば、ウォーキングのコースも変わった。今回のコースには“Peace Bridge”あり,その下を流れるセルベ川あり,線路ありだった。ただし、その線路は一方は中国へ,もう一方はロシアまで延びている。退屈しない 変化に富む道筋だった。

 このホテルは3度目となるが、部屋の窓からの風景が一昨年より大きく変貌していた。かつて、道路の向こう側奥には何も無かった。しかし、左手から中ほどまで新築か建築中の集合住宅が立ち並んできた。また、道路の向こう側右手には大きな広告看板が設置され、美女3人が微笑んでいた。それで毎朝起きると、彼女たちに“ウグローニー メンド”(おはよう)と声を掛けていた。ただし、3人とも西洋人モデルでなく、モンゴル女性であることにモンゴル人の矜持を見た思いだ。

雨が降っても 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(74) モンゴル再訪6-テストパターン

モンゴル再訪6-テストパターン

 懐かしいテストパターンである。ウランバートルで宿泊したホテルの部屋のテレビに映ったものだ。

 モンゴルのテレビでは、この画像が時々出てくる。とくに日曜の朝などは、幾つかのチャンネルで朝9時頃まではこれが映し出され、放送休止となっている。また深夜番組が放送されているのか知りたかったが、残念ながら毎晩 現地時間で夜10時(日本時間23時)前後には寝てしまったから、その点は分からなかった。

 ところで、日本のテレビ放送からテストパターンが消えてから、どのくらい経つのだろうか。今や一日中、大半のチャンネルで休みなくテレビ映像が垂れ流されている。 テレビ関係者は、深夜放送で浅薄なタレントが「節電,節電」と声高に唱えている図には、矛盾を感じないのだろうか。

 全くの私見だが、反省を込めて言い切る!・・・日本のテレビ放送が始まって以来、とくに休止時間(テストパターン)が無くなってから、我々の思考力や判断力が休止しがちになってきたのではないだろうか。想像力や感性までが衰えてきたのではないだろうか。家族の団欒や食卓での豊かな時間を、テレビは否応なく奪ってきたのではなかろうか。

 昭和28年2月はテレビの本放送が開始された月であり、実は筆者の生れた月でもある。その意味では“テレビっ子”なのだ。ところが、そのテレビとの付き合い方を根本的に考え直さねば、とモンゴルのテストパターンで気付かされた。なぜなら、今回の大震災が戦後のこれまでの「生き方」や価値観、生活の仕方に至るまで大転換を迫っているからである。

テレビが映らなくても 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(73) モンゴル再訪5-ガーデンセンター2号店

モンゴル再訪5-ガーデンセンター2号店

 出来上がったばかりのソヨーチ・ガーデンセンターの2号店である。

 1号店同様、この2号店も勿論エヘガザル社の経営によるものである。写真左側の食品スーパー向け貸し店舗も同社の施設であり、入居業者は早くから決まっていたようだ。同社のD社長は、その2つの店舗の6月中オープンを目指していた。だから、計画どおりに建設が進んだということになろう。(駐車場の方は、まだ舗装してはいなかったが。)

 これらの店舗の立地場所は、ウランバートルの中心部からは10km以内で、いわば郊外型店舗である。この周辺は住宅やダーチャが集中しており、この敷地の西側には幹線道路が走っている。日中はかなりのクルマの通行量があるようだ。

 いずれの店舗も既に営業を開始しており、D社長の話では週末には大勢のお客さんが訪れるという。とくに家族連れが多いという。狙いは当たったようだ。また、食品スーパーの2階には軽レストランも入っており、この日の遅い昼食はそこで済ました。

 そろそろ ここを立ち去ろうとして、連れて来てもらったD社長を探した。すると、気付かなかったが ガーデンセンターの隣で何やら建設工事が始まっており、彼はその現場の真ん中で作業員と打合わせをしているではないか。戻ってきたD社長に尋ねたら、ニヤッとして今度は建設用資材の販売店を建てるのだと言う。

 D社長の原点は花屋だったというが、今やなかなかの事業家であることを改めて認識した次第である。

やり手のモンゴル人実業家と出会って 日々好日、日々感謝。 (E.O)

  

(72) モンゴル再訪4-農場にて②

モンゴル再訪4-農場にて

 前回述べたエヘガザル社の花卉栽培の農場で、筆者が“指導”をしているところである。

 指導などと言うと、おこがましい。そんなに実務的な知識や体験を持っている訳ではない。ただ単に彼らより知っていることを伝えるだけなのだ。今回は主に、こちらから輸出した苗の植え付けと、その後の栽培方法について話をさせてもらった。

 ところで、写真右端の帽子をかぶった半袖シャツの男性が、D社長の弟=B農場長である。その次 右から2番目の人物が件の友人B氏である。もちろん彼からは通訳を務めてもらった。女性たちは農場の従業員である。

 B農場長は真面目で仕事熱心であり、農場では最も信頼できる人物である。また、彼は改善意欲も研究心も旺盛である。何か分からない点があると、筆者に尋ねてくる。だから、正直のところ困る場合もある。しかし、こちらは頼りにされていると思うと、何とか応えてやろうとする。

 4月に農場を訪れた際には、ユリの冷凍球の扱い方は聞かれるし、農場で発生した害虫のことでも質問を受けるし、ちょっと大変だった。それで筆者が簡単に答えられないと、携帯電話で新潟のうちの会社まで電話を入れ、担当者に教えを請う始末であった。それでも、役に立ったようだ。

 今回の滞在中でも、彼は筆者が話した栽培上の注意点をメモに書き留めておき、それをその日のうちに文書化していた。そして翌日、その文書を栽培区域の皆に見える場所に貼り付けておいたのである。これには感心した。D社長は血のつながった彼のような経営幹部がいることでだいぶ助けられている、と思った。

モンゴルの農場に行っても 日々好日、日々感謝。 (E.O)

 

(71) モンゴル再訪3-農場にて①

モンゴル再訪3-農場にて3

  エヘガザル社の農場の一角である。2月にこちらから輸出した150株のハーブ苗が、このようにもう数多く増殖されていた。

 短期間でよくこれだけ増やしたもんだ、と感心する。写真のような大きさ・姿であれば、もう売り物になる。実際、4月に来た時にはガーデンセンターの店頭には少量だが、既に並べられていた。

 ところで、この農場を初めて訪ねたのは昨年の5月だった。まァ、その時にはびっくりした。冬は-30℃くらいには達するこの酷寒の地に、こんな大温室が建てられている。一体どういうやり方で、何を栽培しているのだろう?と思った。

 農場全体の面積は5ha以上はあると思う。そこに大温室が2棟あり、いずれもオランダ製の中古品ということだった。そのうち、1棟の面積は14,000㎡,もう1棟は6,000㎡である。この温室は後者の方で、昨年訪れた時にはもっぱらトマト生産をしていた。しかし、その後ガラッと中身を入れ替えたようで、今回内部を眺めてみると、見渡す限り鉢花や花壇苗,そして観葉植物といった花卉類に変わっていた。

 前述したように、冬季には屋外の気温が-20~30℃に達する。しかし、温室内は都市暖房の温水をパイプで引き入れるやり方で、5℃くらいには保っているという。ただし、この暖房費が高くつき、安価で適当な別の方法があれば、それに切り換えたいらしい。

 さて、このハーブについてD社長から話を聞いた。それによると、このハーブは病虫害がほとんど無いこともあり、栽培しやすい。そして、ガーデンセンターでの売行きは良いという。内心ホッとした。

 日本でもモンゴルでも、売れてくれれば 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(70) モンゴル再訪2-ホテルの募金箱

モンゴル再訪2-ホテルの募金箱

 宿泊したホテルのフロントに置かれていた募金箱である。モンゴル人の友人B氏の説明では、東日本大震災向けのものだという。

 今回の大震災へのモンゴル政府の支援は、救援隊12名の派遣,義援金100万ドル(8,200万円)の拠出,毛布(2,500枚)・防寒具等の救援物資の提供などであった。

 それとは別に、3月下旬にはモンゴル政府が全ての公務員に給料1日分の募金を呼び掛けた。そうしたところ、一般の国民や企業の自発的な募金活動に発展し、1億数千万円が集まったという。これは報道もされたし、友人B氏も語っていた。

 そういえば、4月にモンゴルに渡った時のことだ。最初にエヘガザル社を訪れた際、こちらが挨拶を済ませた後、まず2月に先方へ輸出した植物の様子を尋ねた。 そうしたところ、「それよりまず大震災のことを聞かせてほしい。」とD社長から求められたのだ。予想外の事であったが、よい意味で驚いた。また話をしているうちに、彼らも民間の募金活動には積極的に応じたことが分かった。それには筆者も心から御礼を申し上げた。

 現在モンゴルの多くの人々が日本に信頼を寄せ、親近感を抱いている。筆者の経験したこうした事例からも、それが窺える。

 東アジアには対日感情が良いとはいえない、付き合うのに難しい大国が2つある。しかし、今さら日本の地理的位置は変えられない。それなら、その2大国にはさまれた親日国であるモンゴルと、外交戦略上もいっそう強く連携すべきではないか。豊富な地下資源だけではない、モンゴルの持つ可能性は低くはないのだ。園芸屋のオヤジでさえも少しは考えてしまう。

モンゴルを思うと 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(69) モンゴル再訪1-羊とエーデルワイス

モンゴル再訪1-羊とエーデルワイス-1

モンゴル再訪1-羊とエーデルワイス2

 草原の羊の群れと、エーデルワイスの花。この時期の、いかにもモンゴルらしい風景だと思う。

 先週、またモンゴルに行って来た。今回は仕事の合い間に、郊外の観光地にも足を伸ばした。というより、それはビジネスパートナーであるエヘガザル社のD社長の心遣いであったようだ。日本で言うなら箱根のような、モンゴルで一番のリゾート地=テレルジに、彼の計らいで1日半ほど滞在させてもらったのだ。写真はその道中で目にした風景である。

 D社長は彼が経営する農場で、筆者が訪れる度に栽培指導めいたことをやってきたことを評価してくれていたらしい。簡単な土壌改良や当方から輸出した植物の育て方の指導などであるが、そんな事にも感謝してくれていたようだ。

 ところで、前日とこの日も雨模様で、モンゴルではこんな“大雨”は珍しいという。そのため、舗装されていない草原の道は、至る所で川のようになっていた。また、水流がない箇所でも道路が掘られたり抉られたりしていて、とても普通車では通れなくなっていた。

 しかし、D社長のレクサスは道路が走行できなければ、その脇の草地を難なく進んでいく。とても頼もしかった。レクサスの種類など知らないが、普通の乗用車タイプのそれでなく、ごつい感じのジープのようタイプであった。

 そんな時の晴れ間に出くわしたのが、草を食みながら移動する羊の群れであった。100頭~200頭はいただろう。そして、その辺りに点々と咲くモンゴルのエーデルワイスだった。そんな光景に感激し、一路テレルジに近づいて行った。

モンゴルに行っても 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(68) ウチョウラン

ウチョウラン

 ウチョウランの花の形容は可憐,雅やか,優美・・・。何れでもよい。しばらく眺めていても飽きない。こんな可愛い花なのに色香を漂わせる。山草の女王と言う人もいる。

 残念ながら、今やウチョウランの野生種は絶滅の危機に瀕しているようだ。もともとは日本特産の野性ランなのに。(分布上は朝鮮半島にも存在するらしいが。)したがって、現在の流通品はほとんどが園芸栽培品である。

 ところで、マニアやプロの見方はよく分からないが、やはりウチョウランは花も素晴らしいが、葉も茎もほっそりしていて風情を感じさせる。草丈もせいぜい20cm前後だろう。こうした植物を観賞するというのは、矮小な植物,ちっちゃな美にも価値を見いだす、この国の伝統文化にもつながるのかも知れない。

 このウチョウランは、先月 親友のMさんから頂いた。かつては数十万円,百万円程になった品種もあったらしい。しかし、近年は実生による大量増殖が普及してきて、価格も特別なものではなくなっているらしい。一般的な山野草の少し高価格のもの、というような捉えられ方がなされているらしい。園芸花卉の大衆化という点では、良い傾向ではないだろうか。

 山草でもあれば 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(※明日から1週間ほど遠くへ行って来ます。それで、その間 本ブログはお休みします。)

 

(67) ジャボチカバの実

ジャボチカバの実

 ジャボチカバである。幹に直接 果実が付く、珍しい植物である。生れて初めて目にし、食してみた。

 木の幹に果実がなる姿は、ちょっと異様に映る。けれど、その果実は甘さも酸っぱさも程よく、うまい。木葡萄と呼ばれるのも確かに頷ける。ただ葡萄の食味・食感に似てはいるが、大きな種が入っていてちょっと邪魔くさい。

 幹に果実がなるからには、花も当然 幹から出る。白い花が咲き、それが実るのである。原産地はブラジルあたりで、南米では広く栽培され生食に供されているという。しかし、日持ちが良くないので、ジャムやゼリー,ジュースなどへの加工も盛んだという。

 このジャボチカバの実、食べたのはN園芸さんのビニールハウスだった。同社のS社長さんが食べ頃だと言って、紫色の濃くなった果実をぽろっと幹からもぎ取って、すすめてくれたのだ。

 日本に入ってきてからだいぶ経つというが、沖縄県や鹿児島県あたりでしか栽培されていないようだ。あまり普及はしていないという。おそらく それは栽培上の面だけではなく、上述したように果実の取り扱いの難しさもその理由ではなかろうか。S社長もそれらしい話をされていた。

 インターネットで検索をしてみると、ジャボチカバの様々な効能や、最近分かってきた有用成分などが紹介されている。素人ながらそうした点を考えると、ジャボチカバを素材にして健康食品が出来るのではないだろうか。だいたい日本の多くの地域が、夏にはこのように亜熱帯地域になりつつある現実を目の当たりにすると、そんな事を考えてしまう。

猛暑日でも 日々好日、日々感謝。とは言え毎日だと大変ですなァ・・・。 (E.O)

(66) 宇宙人は来なかった!

変な夕雲

 夕暮れ時の奇妙な景色だった。先月19日のことである。空の半分ほどが、薄気味悪いような茜雲に覆われた。それでしばらくの間、穏やかでない気分に陥ったのである。

 こんな夕雲はこれまで目にしたことがないと思う。正直のところ映画『インディペンデンス・デイ』に出て来たような不気味な雲だった。だから、連想が一人歩きしていった。・・・この怪しい雲と共に、ひょっとして宇宙からの侵略者がやって来るのではないか!しかし、何もこんな新潟の田舎に来なくてもいいのに・・・。そんな風にまで思い込んでしまった。

 3月11日のあの歴史的な大震災や、世界のあちこちで発生している旱魃や洪水、あるいは身近な所での気候の急変など、最近は自然災害が多発している。それに、もとからUFOは信じてきた人間だ。不吉な予感は去らなかった。何か望まない事が起きるのではなかろうか・・・。

 クルマを傍らに停め、しばしの間 橋のたもとに立ち尽くしていた。周りの田圃の稲は赤緑色を帯びていた。風は生暖かかった。本当に何も無ければよいが・・・。念のために自宅にも電話を入れた。何も変わったことはないという。

 ・・・けれど、気になって20分ほど眺めていた。そして、幸いなことに何ごとも起こらなかった。宇宙人も襲来して来なかった。帰宅してから、配偶者にこの写真を見せたら、「そうそう、さっきの雲は“3丁目の夕日”みたいで綺麗だったわよねェ」。・・・?!

ともかく人類は宇宙人の襲撃を受けずに済んだ。日々好日、日々感謝。 (E.O)