(93) モンゴル再訪24-乗馬②

モンゴル再訪24-乗馬2

 落馬だけはすまいと、必死になって乗っていたら1時間経った。それで休憩をとった。写真はその時の写真である。テレルジで最も名高い観光ポイント“亀石”の前で撮った勇姿だ。バットゥルさん(左)と筆者、そして馬たちである。

 途中 駆け足で走った場面もあった。トラブルは起きなかったが、筆者には少しスリリング過ぎた。だが、とにかくここまで無事に乗馬を続けることが出来たのだ。

 独特の揺れと速度、視線の高さと広がり、人馬一体となった動きなど・・・。少しばかり乗馬の面白さに触れたような気がした。

 休憩の際に バットゥルさんが「クルマに迎えに来てもらおうか?まだ乗り続けるなら、あと1時間ほどだが・・・。」と尋ねた。筆者は正直のところ膝や尻も痛かったが、まだ乗る気だけは十分だった。

 そこでB氏に相談した。彼は「3時間近くも乗ることになるけど、ふつう初心者はそんなに長く乗らない。シャチョー、大丈夫ですか?」と聞いてきた。こちらはOKである。

 それで決まり、乗馬は続行となった。しかし、これが後の「事件」の原因となった。休憩を終え、3人は再び馬に跨った。そして、やや早足で歩行を再開した。だいぶ慣れてきたのか、馬上で片手を離し写真撮影ができるほどになった。

 B氏は相変わらず筆者たちに付かず離れず、自由自在に白馬を乗りこなしていた。確かに手綱さばきなどはカッコ良かった。けれど、間もなく終点!という地点で、馬と彼に「異変」が襲ったのだ。

 終点のゲルキャンプに着き、筆者がさて馬を降りようとしたまさにその時、後方で「ドッスン!」という鈍く重い音がした。振り向くと、何とB氏が落馬していたのだ!

 すると、筆者の乗った馬も騒ぎ出した。なぜなら、仲間に何かあった!と反応し、動揺を来たしたらしい。モンゴルの馬は仲間意識が強いとも聞いていた。

 こちらの馬はすぐバットゥルさんが鎮めようとしたが、なかなか落ち着かない。けれど、筆者はあわてながらも、何とか降りた。すぐさまB氏のもとへ駆け寄った。

 彼は地面に仰向けになって、目をつむったままである。時たま、低いウーンという声しか出さない。筆者が後頭部や背を手で当たりながら、「痛くない?大丈夫?」と尋ねると、絞った声で「ダイジョーブ・・・」。日本なら救急車を呼ぶことを考えるが、ここではそれは望めない。一時はどうしようか、と迷った。

 十数分そんな状態だったろうか。彼は仰向けになったままようやく口を開いた。「落馬は小さい頃から何度も経験しています、何ともないです。寝ながら色々なことを考えていました。そして、丈夫に生んでくれた両親に感謝をしていました。」という。やがて、彼は上半身をゆっくり起こした。そして、助けを受けながらも立ち上がり、歩き出した。

 ところで、B氏が乗っていた馬が突如 暴れた原因は、鉄線の輪が後ろ足に絡まったせいだった。見つけにくい細い鉄線の輪が、草に覆われた地面から出ていて、そこに後ろ足が引っ掛かったのだ。そして、馬が驚き、彼を落としたということだった。

 その後、彼の身体には何ら異常も発生せず、翌日からのスケジュールにも全く支障がなかった。本当に幸いだった。やはり騎馬民族の末裔なんだなァ・・・。

落馬しても怪我がなくて 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(92) モンゴル再訪23-乗馬①

モンゴル再訪23-乗馬

 馬上から筆者が撮った写真である。右はB氏、左はインストラクター(!?)のバットゥルさんである。この2人の間に挟まれ、少し後ろで筆者が茶色の馬に跨っている。この頃は少しは慣れてきたので、こうして撮影する余裕も出てきたのだ。

 生れて初めて馬に乗った。突然乗せられたというのが真相に近い。

 ゲルで泊った翌朝、朝食前にB氏が「シャチョー、もう馬が来ているから、なるべく早く食事を終わってヨー。」と言うのだ。「ええっ!何のこと?」。そういえば前の晩にB氏が、酔っていた筆者に「あす馬に乗りますか?」と誘ったような気もするが・・・。

 窓の外を見ると、馬が3頭 既に入口につながれている。それで質問をする間もなく、覚悟をする心の準備もなく、事前の指導もなく、いきなり馬に乗せられた。

 インストラクターといってもバットゥル氏がやってくれたのは、筆者が馬に跨るとき尻を押してくれたこと。それに、鐙の長さを調整してくれたことだけである。あとは、筆者の両足が鐙にちゃんと収まっているのを確認すると、自分の馬に跨り、わが馬の引き綱を持ちながら すぐに馬を歩かせ始めた。

 どこを掴んで、どんな風に乗ったらよいのか、どんな点に注意したらよいかなど、全く説明無しである。B氏も乗馬に関しては何も教えてくれなかった。ただ「大丈夫、大丈夫。」だけだった。

 しかし、こちらは堪ったものではない。息が抜けなかった。最初のうちは とにかく落ちまいとして、鞍の前部に付いている鉄棒を固く握り締めて離さなかった。必死だった。

初めての経験でも落馬せずに済んで 日々好日、日々感謝。 (E.O)

 

(91) モンゴル再訪22-モンゴルの月

モンゴル再訪22-モンゴルの月

 写真の上の方にある丸っこい光が月である。下に幾つか見える点のような光は、各ゲルの入口に設置された外灯である。目を凝らしてよーく見ると、中央下あたり、闇の中にうっすらと白いゲルが認められる。

 夜中の0時。枕元に置いた携帯電話のアラームが耳もとで鳴った。パカッと目が覚めた。向かい側のベッドに寝ていたB氏はもう起きて、外にいるようだ。

 寝る前に火を点けておいたストーブが、赤々と燃えている。このストーブと、B氏から借りたコートを着込んで眠りについたのだが、これでちょうど良いくらいだった。やはり、気温がだいぶ下がっているようだ。

 筆者も外に出てみた。出の遅かった月は満月ではなく、右側が少し欠けていた。月齢で言うと、18くらいだったか。数時間前には、犬の遠吠えやどこかのキャンプから かすかに歌声が聞こえてきていた。しかし今は、静寂そのものである。

 異国のこうした場所で、月をボケーッと見上げていると、日本にいる時よりいっそう気持ちが落ち着いてくる。心が洗われてくる。流行の言葉だと、これを“癒される”と言うのだろうか。ひょっとしたら、月光にはこうした作用がもともと備わっているのかもしれない。

 ところで、月の出ている東の空はひとまずおき、それ以外の三方の夜空を見上げた。数え切れない星星が、天空に貼り付いていた。中には明滅する星もある。噂どおり、やはりモンゴルの高地で見る星は美しい。神秘的でさえある。

 とは言うものの、星座などには全く疎い筆者は、北斗七星と北極星を探し出すのが精一杯だった。

モンゴルの 夜空も美味し 酒肴かな。日々好日、日々感謝。 (E.O)

(90) モンゴル再訪21-夜のゲル・キャンプ

モンゴル再訪21-宵のゲル・キャンプ

 テレルジのゲルキャンプの夜である。そこには独特の空間が広がり、一種ふしぎな時間が流れた。

 筆者とB氏が泊ったのは左側のゲルである。宵の口のようだが、時刻は既に現地時間22時過ぎ。おそらく外気温はもう20℃を切っていたことだろう。

 風はほとんど吹いていない。ただ、この時間では星はまだ少なかった。と言うよりも、この日はだいたい月夜だった。だから、月の周辺の星は見えないだろうから、満天の星空という訳にはいかなかった。

 宿泊するゲルの近くに、屋外用のテーブルとイスが置かれていた。そこに腰を下ろし、モンゴルウォッカをチビリチビリやりながら、様々なことに想いをめぐらす。

 どうも新潟あたりと比べると、夜の質が違うようだ・・・夜に深みがある。黒を帯びた紺色の闇が満ちる。それが日常と違い、様々な思いや考えを生み出してくれる。商売のこと、来し方・行く末、家族のこと(とくに3月に生れた孫という新しい係累のこと)、新潟のこと、故国とこの国のこと・・・。

 ふつう日没から夜明けまでのつなぎの時間帯を夜と思っている。しかし、ここではその日が終わり、新たな次の日を生み出すための濃厚な時が夜なのではないか、と感じさせられる。

 犬の遠吠えがひとしきり聞こえていた。が、やがて静まった。代わって遠くのキャンプからだろう、若者の歌声らしき音がかすかに響いてくる。しかし、苦にならない。B氏と約束したように、0時までゲルで仮眠をしよう。そして、起き出してテレルジの月を拝もう。・・・それでは、とりあえずお休みなさい。

ゲルで泊って 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(89) モンゴル再訪20-野草⑨

モンゴル再訪20-野草8-1

モンゴル再訪20-野草8-2

 宿泊したゲルキャンプの裏山に咲いていた花の中で、最も背の高い野草である。高さは1m前後はあったろうか。その上、茶褐色の茎にピンクの花を輪生状にびっしり付けているので、遠くからでも認識しやすかった。

 これも他の野草と同様で、写真以外の情報がない。しかし、筆者なりの見方は記しておきたいと思った。まず、シソ科だろう・・・そしてハッカかメハジキ,キセワタに近い仲間だろうか?と見当をつけた。次に文献・資料を調べてみたが、大外れはしていないようだが、ピタッと来る種がない。

 困った末に、「社内の植物事典」に尋ねた。彼はしばらく写真を覗きこんで、“フィロミス”ではないか、と言う。そこで植物事典類をあたってみた。しかし、“フィロミス”は出てこない。学名の属の綴りをPhylomisで探ってみたが、見当たらない。インターネット検索でも調べてみたが、しっくり来るものが出ない。

 うーん・・・困った。そこで原始的な探索方法を採用。『園芸植物大事典』(小学館)の索引で、属名の頭にPhの付く種を片っ端から調べていった。そうしたら、シソ科の“フロミス”(Phlomis)に出会ったのだ。

 その中のPhlomis tuberosa(フロミス ツベロサ)によく似ている。花の形状や花色・花序、草丈や茎の形状・色、葉の形等々。ただ、分布域がヨーロッパとされている点が引っ掛かるが。因みに、Phlomis属は和名ではオオキセワタ属とされている。

 ところで この属名を聞くと、某サラ金会社を連想してしまうのは筆者だけだろうか。

名前が分からずとも花があれば 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(88) モンゴル再訪19-野草⑧

モンゴル再訪19-野草

 白花と青花の清楚なコンビネーション。どちらも程よい草丈、スッキリした草姿だった。ウスユキソウ(エーデルワイス)とデルフィニウムの組み合わせである。その二つの植物がうまく溶け合い、印象的だったので思わず撮影した。

 高原の澄んだ空気が満ち、柔らかな朝日を受けながら、そこには周囲と違う雰囲気が漂っていた。まったくの無風で、時折 聞こえる鳥の鳴き声以外は耳に入らない。まるで引き寄せられたように、草原の中でこれを発見したのだ。筆者に見せるために活けられた、自然の生け花のようだった。時が経つのも忘れ、じーっと見入っていた。

 そのうち、ある曲のタイトルが頭に浮かんできた・・・ここら辺が平凡なのだが、“朝日のようにさわやかに”である。何人ものジャズメンに演奏されている有名なスタンダードナンバーだ。学生時代から聴いている。そんな名曲を思い出させてくれたテレルジの花だった♪♪♪

花を見て名曲浮かび 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(87) モンゴル再訪18-野草⑦

モンゴル再訪18-野草1

モンゴル再訪18-野草2

 野生のデルフィニウムの仲間である。この2株はすぐ近くに咲いていながら、ご覧のように花色が異なっていた。写真下の青花が普通なのだが、上の写真のような紫花があった。青花の変異なのだろう。

 以前紹介したが、色は違うもののマツムシソウにもそうした例があった。テレルジの草原をじっくり探せば、他の種でも発見できるのではないか。

 このデルフィニウム、宿泊したゲルの周りでは比較的見かけた。群落をなすという程ではなかったが、あちこちに咲いていた。

 ところで、素朴な疑問を抱いた。このあたりの草原はお花畑であると同時に、放牧地でもある。デルフィニウムが生えている辺りにも、放牧家畜の排泄物は少なくはなかった。けれど、なぜ放牧地のデルフィニウムが絶えないのだろうか?放牧された牛や馬はそれを食べないのだろうか?

 結論から言えば、彼らは食べないと思われる。なぜなら、デルフィニウムには有毒物質が含まれているからである。デルフィニウムに毒があることは昔 聞いたことがある。そこで今回改めて調べてみると、デルフィニンなど何種類かの有毒アルカロイドを持っているという。

 デルフィニウム類はもう300年くらい改良の歴史があり、青系の色調をほとんど持っている。今や花壇用から切花用,ドワーフタイプの鉢物用まで揃い、晩春から初夏にかけて咲く有力な花材になっている。しかし、やはり日本の今年の夏のように高温多湿の気候は苦手のようだ。

花色の変異があっても、いや変異があるからこそ面白い。日々好日、日々感謝。 (E.O)

 

(86) モンゴル再訪17-ツーリストキャンプ

モンゴル再訪17-テレルジの宿泊施設1モンゴル再訪17-テレルジの宿泊施設2

 テレルジにあるツーリストキャンプの2つのタイプである。写真左(上)はコテージが立ち並ぶキャンプで、写真右(下)はゲルを中心にしたキャンプである。ゲルはいわばモンゴル伝統の移動式テント風住居といったものである。

 以前に、このテレルジ滞在はいわばエヘガザル社のD社長のご褒美である事は述べた。だから、ありがたい事に筆者は滞在中には一銭も支払いをすることが無かった。そして、筆者は全く知らなかったが、こちらのゲルキャンプに一泊することになっていたのだ。もちろん親友のB氏と共にである。

 ところで、この宿泊したゲルキャンプの背後の岩山は、奥秩父の名山=瑞牆山(みずがきやま 山梨県)の姿を連想させた。登ったことなど無いが、以前から写真などで目にし記憶していた。岩々が林立したような独特な山容で、この“テレルジの瑞牆山”はそれを滑らかにしたような雰囲気であり、樹林帯を草原に置き換えたような印象であった。

 ゲルキャンプと言っても、ほとんど不自由はない。寝泊りはゲルでしても、その他の用事は全部できるゴルフ場のクラブハウスのような施設がある。そこでは食事や用足し・シャワー等は勿論、ビリヤードやカラオケの施設まで備えている。

 さて、夕刻の草原をしばし散策した後、夕食を済ました。それも酒量を控えながら。なぜなら、この後の夜空を楽しみにして、ゲルで数時間の仮眠をとることにした。既に外の気温は20℃より下がっていた。

澄んだ夜空のもと、テレルジで泊る。日々好日、日々感謝。 (E.O)

  

(85) モンゴル再訪16-野草⑥

モンゴ再訪16-野草6-1

モンゴ再訪16-野草6-2

 写真上は、まずセリ科のウイキョウによく似た花だと思った。しかし、花色や花序は似ているものの、葉はどうも違うようだ。のみならず、ウイキョウの原産地は南ヨーロッパというから、その点でも疑問である。まさかモンゴルに帰化したわけでもないだろう。また、この辺は冬なら-30℃以下にはなる地域だ。葉の匂いも嗅がなかったので、その点でも手がかりはなし。結局“ワカラナソウ4”に分類した。例の『地球の歩き方』には、これと同種と思われる植物が載っていて、写真には「セリの仲間」という説明が付いていた。どうも頷けないが・・・。  

 下は多くの読者もお察しのように、アザミの仲間だろうと思われる。(まれにタムラソウの場合もあるようだが。)草丈は70,80cm前後で、草原のあちこちに点在するように生えていた。こんなアザミ類を目にすると、日本のどこかの高原にいるのでは、というような錯覚も覚えた。

 これら2つの花はたまたま近くで咲き合っていた。それに、この黄色とピンクのコントラストも目を引いた。

なじみの花が咲いていれば 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(84) モンゴル再訪15-野草⑤

モンゴル再訪15-野草5-1

モンゴル再訪15-野草5-2

 ちょっと変わった植物を紹介する。いずれもベンケイソウ科の多肉植物かと思われる。写真上はセンペルウィウム(センペルビウム)の仲間だろう。見たことはないが、まるで恐竜の足裏のような植物だ。

 また写真下は、日本にも自生するイワレンゲの仲間かと思われる。どちらも群落を形成するという程ではなかったが、このイワレンゲの方は草原のあちこちで見かけた。

 テレルジでは事前に蛇や毒虫の話は聞いていなかったし、今回も出会っていない。だから、岩山周辺に広がる斜面を、放牧家畜の排泄物にだけ注意しながら歩き回った。といっても万が一、新しいそれを踏みつけても、ほとんど悪臭はしなかった。親友B氏に言わせると、モンゴルの家畜は天然の草しか食べていないから、臭くないのだという。よく分からないが、説得力はある。

 それはともかく、斜面の草原には多様な山野草が根づいている。それらだけではない。日本では耳にしないような鳥の鳴き声や、目にした事のないようなバッタもいた。

 早朝 そこで写真を撮りまくっていると、あっという間に時間が経ってしまう。それに前日充電をしてきたデジカメのバッテリー電力がどんどん減ってくる。だから、撮影したいのに出来なかった写真は少なくなかった。鳥などは1枚しか撮影できなかったし、草原に唯一あった沼に生えていた浮葉植物は全く撮れなかった。心残りである。

時間を忘れ撮影に興じて 日々好日、日々感謝。 (E.O)