(114) 幻のイトウ-北モンゴルにて③

師匠と弟子-北モンゴルにて
 釣り人よりも、まず対岸の白樺林に注目してほしい。こんなに眩しい銀色の樹林を、今まで見たことがない。幹から枝の先まで、付いた霧氷がまだ融けずに、朝日を受けて光り輝いていたのだ。

 一方、筆者たちの釣果は光り輝かなかった。結論から言うと、この午前の釣りは三人ともボウズに終わった。

 写真左側で釣り糸を垂らしている人が、師匠ゴンゴル氏だ。前夜 到着したばかりの夜釣りで、あの第1号のマスをあげた名人である。かつてテレビ番組に出演していたとのこと。釣りと魚料理の名人として登場し、人気を博していたという。

 そのような釣り名人に指導を受けたのに、筆者は一匹も釣れなかった。そのせいか、写真右手の筆者の後姿が心なしか侘しい。

 師匠は、朝食前から筆者とBさんを川に連れ出した。そして、釣り場所を移動しながら、リール竿の扱い方を教えてくれた。どうも筆者は最初のうち竿の扱いが良くなかったようで、何度も指導を受けた。

 けれど、先生は後半になると「良くなって来た。」と、弟子をおだててくれた。それでも依然として、魚はかかって来なかった。けれど途中2回、筆者の餌の小魚が下半分をかじられた状態を見て、「これはイトウの食い方だ。」と、うれしい事をおっしゃった。

 今回のグループの中には、この川でイトウを一日で8匹も釣った猛者がいたらしい。あの開高健が『フィッシュオン』で述べていた、あの幻の淡水魚である。それを耳にして、素人の日本人がまぐれでイトウを釣り上げたならカッコイイだろうなあ、と密かに夢想していたのだが・・・。

午前中は一匹も釣れなかったが、素晴らしい景色に出会い 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(113) 霧氷の世界-北モンゴルにて②

霧氷の世界-北モンゴルにて

 目を覚まして、クルマの中の寝袋から外に出た。やはり寒うー・・・ン?! 昨夜と様子が違う。あたり一面 白銀ではないか!目が馴れてくると、思いがけない景観に驚き、しばし見とれた。雪景色とまた趣が違う。清澄な空気、まだ漂っている霧、吸い込まれるような静寂の時間。足元からずーっと広がる冬枯れの草原、その奥の白樺林や常緑針葉樹に至るまで、霧氷の世界が展開されていた。

 昨夜はとびきり美しい星空を仰ぎ、皆と賑やかにウォッカを飲み交わした。夜遅くなってから、川の上流の方で霧が垂れ込めてきた。また、夜釣りの獲物は50cm級が2匹上がった。既に はらわたを出して樹に吊るしてある。筆者は一番早く寝たろうか。

 実は筆者とBさんは、特別待遇だったらしい。というのは、二人にはテントの中ではなく、座席を倒したレクサスの中に寝床をしつらえてくれたのだ。北モンゴルの明け方の寒さは厳しかろうと、配慮してくれたようだ。

 この写真を撮影したのは現地時間で朝の7時半頃。日本から持って行った温度計は―1℃を示していた。まだ誰も起き出していないようだ。そうだろう、筆者の寝た後も大半の人たちが遅くまで談笑していたようだもの。

 さて、日本にいる時のように、まず朝の体操を始めた。足元は落ち葉混じりの地面なので、ちょっとやりにくい。しかし、先週起こした痛風はほぼ治ったようだ。今日は奇数日なので、締めの体操はラジオ体操第一である。

 ちょうど体操を終えた頃に、一人起き二人起き、焚き火や朝食の準備をし出した。さあ、今日はユロ川で釣りに興じよう!

魚釣りは数十年ぶりだった。ちょっとワクワクしながら 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(112) 釣果第一号-北モンゴルにて①

夜釣りの獲物-北モンゴルにて

 D社長に連れられて、北モンゴルの清流目ざしてウランバートルを出発したのは、16日の午後だった。筆者とD社長を含むメンバー10人がクルマ2台に分乗した。

 途中、クルマを停めたのは3回しかなかった。一回目は、D社長が農場用地に取得した50haの草原に皆で降り立ち、持参したウォッカでお祓いを行った時である。2回目は、魚釣りに餌として使う小魚を、道路近くの小川で捕まえた時だ。ハゼ科の魚だろうと思うが、岩などに身を寄せていた彼らを追いたて、網ですくった。3回目はガソリンスタンドに寄った時である。トイレ休憩など無いのである。

 もっともモンゴルの人達にとっては、長時間の道程も、後半の無舗装悪路のドライブもさして気にならない様子だった。だが筆者は、後半ずーっと続いたあのアップダウンには正直のところ参った。具合が悪くなりかけていた。けれど、親友Bさんからは「あと どのくらい走るのか?」といったような質問は禁句、と釘を刺されていた。

 でも、とにかく無事に目的地に着いたのだ!  ウランバートルを出発してから7時間半。時刻は夜の9時30分になっていた。あたりは真っ暗だが、すぐ近くを流れるユロ川の水音が、かすかに聞こえてきた。

 筆者以外は皆、さっそく道具をクルマから下ろした。そして、テキパキと慣れた段取りでテントを組み立て、焚き火も始めた。そのうちに釣り師のゴンゴル氏は姿を消していた。川に降りて行ったらしい。そして、15分もしないうちに、写真の魚を釣り上げてきたのだ。マスの仲間かな、くらいしか分からなかったが、体長は50cmもあった。

初めての体験だらけ。日々好日、日々感謝。 (E.O)

(111) 痛風とモンゴル-その2

痛風とモンゴル-その2

 今回はモンゴル訪問前に痛風を起こした。だが、2009年モンゴルを最初に訪れた際は、滞在中に痛風が出てしまった。この時は右足の親指付け根であった。

 モンゴルで痛風を医者に診てもらうことは容易ではない。そこで酒を断ったり、野菜ジュースを大量に飲んだり、頻繁に小用を足したりした。一方で 薬局を探し回り、やっと入手した湿布薬を朝に晩に貼り替えた。そうした事で痛みや腫れをしのいだ。しかし、切なかった。

 以前 書いたが、その最初のモンゴル訪問では到着2日目で盗難に会い、現金以外の貴重品を全て失った。そして、痛風である。まさに踏んだり蹴ったりであった。

 そうした訳で、頭の中ではモンゴル行きと痛風は繋がっている。だから、今回の滞在中でも飲酒や食事、用足しには注意を払った。

 それで痛風自体は起こさなかったけれど、過去の痛風の影響を蒙ってしまった。というのは、左足親指の付け根がこれまで何度か痛風の患部になったためか、硬く盛り上がっている。それで親指が外反母趾のように曲がっているのだ。だから、窮屈な靴を履いて長時間歩き回った場合など、そこが痛くなり歩行が辛くなってくる。

 誘われた北モンゴルでの釣りでは、それが起きた。小さめの長靴を履き、底が石ばかりの川の中を行き来したのだ。水温は低い。そのため、しだいに歩きづらくなってきて、転倒しそうにもなってきた。

 写真は清流ユロ川で、筆者が初めてルアーで魚を釣り上げた場面である。(左側の人物はエヘガザル社のD社長。)この時でも、釣った喜びはひとしおだったが、左足親指の付け根には痛みが貼り付いていた。

痛みはあれど魚は釣れた。 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(110) 痛風とモンゴル-その1

痛風とモンゴル-その1

痛風とモンゴル-その1-2

 また痛風が起きてしまった。それも今回は、いつもの足の親指の付け根ではなく、右膝に出てしまった。写真上は、その治療の際に処方された薬である。

 全く予想もしていなかった。痛風が肘に出ることがあるとは知っていたが、今回は膝に出現したのだ。驚いた。

 先々週の三日間、県外に出張した。その折に兵庫県内で宿泊した時、早朝ウォーキングに出掛けた。宍粟市(旧山崎町ほか)の揖保川沿岸を往復したのだ。あの素麺で有名な揖保川である。朝の川音を耳にしながら、浅瀬に降り立つ鳥たちを横目に見ながら、心地よい40分だった。

 けれど、その出張から戻った翌日から右膝に少し痛みを覚えた。ウォーキングで膝を酷使したのだろう、くらいに考えていた。ところが、ウォーキングを休んでも右膝の痛みは消えない。それどころか、日が経つにつれ、かえって悪化した。しまいには、右足を引きずって歩かざるを得なくなった。

 それに絶対直さなければいけない事情があり、整形外科に飛び込んだ。その診断結果が痛風である。そこで注射を打ってもらったら、翌日にはもう楽になった。

 その事情とは、今年3度目のモンゴル行きが控えていたのだ。15日に出発し、帰国は本日。実は、先ほど彼の地から戻って来て、これを書いているのだ。

 この度のモンゴル訪問は、これまでで最も収穫の多いものとなった。また、今回はパートナーであるエヘガザル社のD社長から、モンゴル北部に連れて行ってもらった。写真下は、その際に撮影したものである。

 あくまでも青い北モンゴルの空。このように日中になると、白樺の木立と素晴らしいコントラストをなすのだ。

痛風が起きても 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(109) 宮古からのサンマ

宮古のサンマ1

宮古のサンマ2

 何と、今年も宮古のサンマが届いたのだ! まず、ありがたいと思った。と同時に、送り主のお気持ちに心から恐縮した。

 3.11のあの大震災。そして、その後の報道でも伝えられてきたので、三陸沿岸の水産業の再興はなかなか難しいとばかり思っていた。宮古の水産関係の施設や企業も、営業再開できるほどには至っていないと思い込んでいた。ところが突然、現物が届いて、驚くやら申し訳ないやら・・・。きっと関係者が大変なご苦労や創意工夫をされながら、復旧されたのだろう。

 実は、新しく親戚になった東京に住む一家のご主人が、宮古市の出身なのである。(それも、あの破壊された大防潮堤のあった田老地区だという。)そのご縁で、この産地直送サンマを去年送って下さった。とても美味しく、筆者の口にたくさん入った。そして、今年である。大変なご迷惑・ご苦労をおかけしたのではないか、と推測している。だからこそ、今年のサンマは様々な意味で貴重に、そして特別に思えた。

 サンマは生きが良く、20匹も入っていた。それで、近くの親戚にお裾分けした。「宮古からのサンマです。」と言い添えながら配ったところ、2軒とも感激してくれた。

 我が家では、さっそく配偶者が刺身やタタキに調理してくれた。両方とも大好物で、多くを食させて頂いた。身はシコシコさを失わず微かに甘みがあり、筆者の舌から前頭葉にかけて味わうことができた。

 今回のように、深い思いと感謝の念を抱きながら食べたサンマはこれまで一度もなかった。

身体と心に栄養を与えてくれたサンマがあれば 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(108) 玄関の蛙

玄関の蛙

 何も好き好んでこんな所に入り込まなくてもよかろうに・・・。蛙が朝の玄関の戸に張り付いていた。

 カエルについてはよく知らない。アカガエルの仲間だろうか?残念ながら、図鑑にはピッタシ該当するものが載っていなかった。

 それはともかく この蛙、ガラスと格子の狭い間に、身体を挟んでいるのである。誤って入り込んで、抜け出られないのかも知れない。しかし、プロだからそんな事はあるまい。何か夕べから悩み事があって、こうしているのかも知れない。

 興味と若干の哀れみで、脱出させてやろうと指で試みた。しかし、ガラスと格子のすき間が狭く、筆者の指が入らない。ダメだ。朝の出社前だったので、それ以上構わずに事務所に向った。

 けれど、昼に自宅に戻ってきたら、彼(彼女)はどこかに姿を消していた。ホッとした。

 ところで 蛙というと、反射的に詩人=草野心平を思い浮かべる。若い頃に、変な詩人がいるもんだなァと感心しながら、読み漁った時期があった。とくに、蛙をテーマにしたものがあったが、独自の世界を繰り広げていた。『冬眠』と名付けられた詩は黒丸が一つあるだけ。とても印象深かった。その彼の詩の一編を下に掲げる。

 『秋の夜の会話    さむいね。/ああさむいね。/虫がないてるね。/ああ虫がないてるね。/もうすぐ土の中だね。/土の中はいやだね。/痩せたね。/君もずいぶん痩せたね。/どこがこんなに切ないんだろうね。/腹だろうかね。/腹とったら死ぬだろうね。/死にたかあないね。/さむいね。/ああ虫がないてるね。』

花だけじゃなく蛙もいるから 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(107) ホトトギス「富士の雪」

 ホトトギス「富士の雪」

 緑葉の上に独特の花を覗かせている。「富士の雪」という品種である。

 ホトトギスの名前の由来は、花の斑紋(紫色の点々)が鳥のホトトギスの胸毛の模様に似ているところから来たらしい。まァ、尾羽の白斑に見立てたという説もあるようだが。

 また、この花の名がどうして「富士の雪」なのかは、その栽培者からお聞きした。それによると、ふつうのホトトギスは紫色の斑紋がもっと強く出るが、この品種はそれが小さい点状にしか現れない。その優しい様が雪のようなので、そう名付けられたという。

 ところで、ホトトギスの花は地味さと派手さが同居していると思う。花弁の地色は白や黄色で、強烈な色彩ではない。しかし、その花弁の上に紫色の斑紋が添えられると、おとなしそうな雰囲気が薄まる。さらに、その柱頭が3つに裂け、その先がまた2つに裂ける。なかなか複雑で派手なのである。種によっては、その柱頭がずーっと伸び上がるものもある。だから、花組みはアクロバティックとも言うべき“つくり”なのである。

 とは言え、ホトトギスは秋の茶花としてもよく用いられるようだ。やはり和室空間に似合う花なのだろう。

 さて、恥ずかしながら今回知ったことだが、ホトトギスはユリ科なのだ。ユリ科ホトトギス属である。そう言えば、キバナノホトトギスなどを観察すると、合点がいく。直立する茎,倒披針形や長楕円形の葉,6枚で斑点がきつくない花弁などを目にすれば、なるほどと思われる。

 穏やかではないが、ホトトギスの花の特徴を捉えた一句。「はなびらに 血の斑ちらして ほととぎす」 沢木欣一

花にも鳥にもその名が付けられ、ホトトギスも 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(106) 斑入りセンダン

斑入りセンダン

 このセンダンは普通のものと少し違う。斑入りのセンダンなのだ。初めて見た。

 ご覧のように、斑は葉だけではなく実にも入っている。それが縦じま模様を呈し、なかなか綺麗なのである。おまけに、そうした実が少なくない。

 この斑入りセンダンはまだ若木のようなので、実の大きさは直径1cm程しかなかった。普通のセンダンの場合、実はもう少し大きく、それにもっと楕円形になる。また 実の色は、はじめは緑色で後に黄色くなる。

 そこで気になり、栽培している人に訊いた。この斑入り種の場合、実の色の変化はどのようなものか。また、実はいつ頃まで付いているのか、と。その答えによれば、はじめのうちは写真の通りだが、白い部分がしだいに薄黄色に,緑の部分が黄色に変わるという。また 実が付いている期間については、明確には覚えていないが、短くはなかったように思う、とのこと。だから、実の色の変化を数ヶ月は楽しめるようだ。

 さて、その実の利用についてだが、その核は数珠の玉に用いられる。ところで、英語でこのセンダンの木をbead treeと呼ぶようだ。beadは数珠,装身具用の珠といったような意味である。つまりセンダンはまさしく“数珠の木”なのである。その実の利用法が、西洋とも似通っているらしい。ついでながら、和英辞典も調べてみた。その結果、これが複数になると当然beadsとなり、ビーズ球のビーズのことらしいと分かる。

 なお、あの「栴檀は双葉より芳し」のセンダンは、ビャクダン科のビャクダンの別名で、これとは違う。

そう言えば筆者の人生にも所々に斑が入って来た!? 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(105) マユハケオモト

マユハケオモト 

 マユハケオモトの赤花である。園芸業界では時々あることだが、赤花とは言っても実際の花色は薄いピンクである。

 さて、この花は見た目にちょっと奇妙な印象を受ける。それは普通の植物に比べ、雄しべが異常に多いせいだろう。この和名を漢字で書くと、「眉刷毛万年青」となる。なかなか読めないかも知れない。が、優雅な名前ではある。この和名は、ビッシリと生え出ているその雄しべが、ちょうど眉を描く刷毛のように見えることから付けられたという。

 ただしオモトと呼ばれてはいるが、植物分類上はオモト(万年青)の仲間ではない。葉がオモトに似るから、こう呼んだのだろう。オモトはユリ科オモト属なのである。

 それに対して、このマユハケオモトはヒガンバナ科ハエマンサス(ハエマンツス)属の一種なのだ。正式な学名を記すと、Haemanthus albiflos Jacq.である。原産は南アフリカであり、多くの栽培されているヒガンバナ科植物と同じく、球根植物なのである。

 ところで、この花の雄しべだが、数えてみたら70本までは確認できた。やはり、だいぶ多いのだ。花色については、マユハケオモトの普通種は白花である。ところが 前述したように、この花はピンクなのである。だから、絶対数は少ないらしい。 

 また写ってはいないが、葉は豪快というかオバケみたいというか、厚くて幅広く丸っこい。大きなものは幅が25cmもあった。中にはそり返っている葉もある。だから、美しい葉というより面白い葉と言うべきか。

 その名前だけではなく、花も葉も個性的な秋咲き鉢花の珍品である。

奇妙な花でも、やはり花があれば 日々好日、日々感謝。 (E.O)