(154) つらら二態

つらら二態

つらら二態2

 写真上は、出荷場の軒先にできた“普通のつらら”である。長さ1mくらいのモノもあり、見事だった。この冬は寒さがそれだけ厳しいのだろう。

 それに対して、写真下は垂直に下がっているものと、斜めに下がっているものとが混じっていた。まるで魚の小骨のように並んでいた。いずれも長さは20,30cmだ。こちらは自宅台所の庇に形成されたつららである。

 同じつららなのに、なぜこんな風に違いが出たのだろうか。原因はやはり今冬の厳しい寒さと気温変化なのではないか。それも日によって高低の差がだいぶあったからではなかろうか。当地でも低温だと-5,6℃、暖かくなると+8,9℃まで気温が変動した。それにその環境,場所である。写真上の出荷場の軒先は西側、写真下の自宅の軒先は東側である。前者は晴れていれば昼頃から陽光が当たり続ける。しかし、後者は晴天でも朝から数時間しか陽光が当たらない。

 おそらく“小骨つらら”は、寒さがゆるんだ時には軒先で少しづつ滑り落ちつつあったのだろう。しかし、屋根雪と共に落ちることができなかった。落下しかけたが、冷え込みで落ちきれなかった。さらに、落ちずに後ろの積雪の滑りに押されながら、つららを付けたまま内側に押しやられた。また、その後ろの屋根雪の先にもつららが形成された。これが垂直つららである。この推測が正しいかどうかは分からない。

 ところで、つららは音楽のメロディのようにも感じる♪  さしずめ“小骨つらら”はモダンジャズだろうか♪♪

軒先に音楽がぶら下がっていて 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(153) 墨絵の世界を走る

白と黒の世界

白と黒の世界 

 先月 出張で島根から帰る途中、もう夕方になっていた。雪に会わなかった山陰道を経て、米子道に入る。すると、しだいに雪景色に変わっていった。写真はその時に車窓から見えた印象的な周囲の景観である。白と黒の世界で、まるで墨絵のようだった。唯一の例外は、前を走る車のテールランプ,ブレーキランプの小さな赤色だけだった。

 夕方から雪に変わるという天気予報だったので、訪問先を早めに辞した。親友M氏のクルマを筆者が運転し、写真は後部座席に座った彼が撮影してくれたものだ。雪道になったので、筆者は少し緊張しながらハンドルを握っていた。しかし、過ぎ行く風景がなかなか魅力的であり、彼に頼んでシャッターを押してもらったのだ。

 雪道を走るのは一応馴れてはいる。しかし、滅多に通らない道路である。路面に雪が積もった区間では除雪車も動き始めていた。走り続けていると、積雪の量が多くなってきた。動けなくなって脇に停車した車が何台かいた。また、広い路側帯でチェーンを付ける陸送のトラックもいた。

 雪はなかなか小降りにならない。路面には圧雪も出来てきた。もともとこの米子道は険しい中国山地を縦断している。だから 蒜山高原SAの先あたりまで、路面には積雪があった。しかし、この時の雪は岡山県側にだいぶ入っても降っていた。路面には無かったが、路傍や中央分離帯には積もっていた。積雪が見えなくなったのは、落合JCT手前くらいだったろうか。夜7時前には、その日の宿泊先の宍粟市に無事着いた。

雪道でも安全運転で 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(152) 1月のウランバートルで ⑨(終り)

スモッグの発生

 写真はザイサンの丘から撮影したウランバートルの西部方面である。以前にも書いたが、中央には金ぴかの仏様が立っている。また、そのずーっと奥には煙突から煙を上げる火力発電所がうっすらと見える。

 ウランバートルには火力発電所が4ヶ所ある。それらは全てモンゴル産の良質な石炭を燃料にしている。しかし良質とはいえ、それが主な原因となり冬はスモッグに見舞われることが多いらしい。親友B氏や飛行機で相席だったM嬢もそうした話をしていた。

 そのスモッグの発生には石炭火力の煤煙だけでなく、地形的・気候的条件も関わるらしい。ウランバートルは盆地で、風の出入りがもともと少ない。また年間を通じても、春先を除けば強風がほとんど吹かない。こうした点も影響しているという。気温も関係するのか、冬には度々現れるという。

 そう言われれば、滞在中はだいたい頭の上には青空が広がっていた。しかし、四方の空の低いゾーンが写真のように薄く霞んでいた。

 近年モンゴル経済はリーマンショック直後の2009年を除けば、実質経済成長率で毎年6%以上を達成している。’11年度は予測値で11%台と見られている。

 しかし日本でも高度経済成長期に経験したように、モンゴルもこうした公害をはじめとする様々な社会的問題にこれから直面することだろう。けれど、この国の人々はきっとそれらを乗り越えて行くに違いない。持ち前のバイタリティと楽天性を発揮しながら、そして未来につながる希望を失うことなく。

寒くとも学ぶこと多きモンゴルで  日々好日、日々感謝。 (E.O)

(151) 1月のウランバートルで ⑧

隣の車線を走行していた変なクルマ

隣の車線を走行していた変なクルマ

 写真の上下とも、街なかを車で移動している最中に隣の車線を走っていた変なクルマ2台である。

 上の車で給油口に貼ったハーケンクロイツは、おそらくファッションなのだろう。運転していたのは若い男性だった。どうせ貼るんだったらドイツ車だよ、ベンツとか・・・などとたわいない事を思い浮かべた。その車が通り過ぎるときに後部を見たら、付いていたロゴはNISSANだった。

 と、その数十秒後、写真下のベンツがスーッとやって来た。えっ、タイミングが良すぎる?一瞬驚いた。が、その後部のマークに目を凝らして見ると、ユニークなお遊びを施していた。

 金属で製作したような“作品”は、バイキングか何かをイメージしたものだろうか。例のマークを盾に見立て、その上部には両側に角を生やし、右手には三本槍を持っている。思わずニヤッとしてしまった。運転していたのはサングラスの女性で、澄ました表情でサーッと通り抜けていった。東京あたりでもこんな車は走っているものだろうか。

 ところで、交通マナーは冬道でも相変わらずだ。運転せずとも、乗っているだけで緊張する場面が少なくない。特に車間距離については、ウランバートルでは前後だけではなく、左右も気をつけなければならない。日本であればふつう左右のクルマと50,60cm以上は離れて走るだろう。しかし、ウランバートルでは20cm,30cmである。時には10cmということすらある。今回も「あっ?!」と声を上げる瞬間が何度かあった。

モンゴルで事故にも遭わず  日々好日、日々感謝。 (E.O)

(150) 今冬の雪

吹雪

雪おろし

 写真上は、降雪が吹雪もようになってきた様子である。今月2日の昼頃のことだ。こうなると100m先も見えない。

 雪国とは言え、この冬の雪には悩まされている。何と言ってもその量である。新潟市では南部にあたる当地でもだいぶ降っている。今月3日から4日にかけては、一晩で30cmは積もっただろう。近年こんな事は記憶にない。おいでになった県外のお客様は、たいてい驚いている。

 今月前半は、とにかく降らない日がなかった。本社周りと農場では機械除雪を何度したことか。しまいには二十数年ぶりに、自宅の屋根の雪下ろしまでせざるを得なくなった。大茶ノ間や仏間は、明治年間建築のボロ家である。それに加え昭和39年の新潟地震,平成16年の中越と19年の中越沖の両地震,昨年の3.11と、震度4以上の揺れに何度も襲われて来た。

 筆者も心配になってきた。配偶者も「下ろさないと、そろそろ潰れるかもね…。」と一言。背中を押された。作業は土日を利用した2日がかり。最近は県内でも雪下ろしの事故が少なくないので、念のためヘルメットはかぶった。

 一日目は4日(土)の午後に行なった。助かったのは、後半になってから三男が手伝ってくれた事だ。というより、筆者に比べてかなり広い面積を短時間で彼が下ろしてくれた。結果的にはこちらが手伝ったような格好である。なお写真下はその翌日の晴れ間に、残りの屋根雪をマイペースで下ろしていた時のものである。

 雪下ろし 量と速さで 子に負けて

ボロ家でも雪を下ろせば潰れない。 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(149) 京の老舗の正月飾り

京都下京区の老舗「木乃婦(きのぶ)」

京都下京区の老舗「木乃婦(きのぶ)」画像

 写真上は、祝い事で訪れた京都=下京区の老舗料理店の玄関前である。そこで今まで見たことのない“ディスプレイ”が目に留まった。ちょうど1月だったので、正月のお飾りだったのだろうか。下の写真はそのクローズアップである。

 玄関まわりの色調が、落ち着いた黒でまとめられていた。美しい格子戸も嵌っていた。その玄関の脇に置かれた木製長椅子の隅に、ちょこなんと据えられていたのがこの飾りである。けれど、存在感はあった。

 赤い丸い器に紅白の水引きを結び、その器に鮮やかな松の葉を盛り付ける。その上に、山吹色の大きなイソギンチャクのような“オブジェ”を乗せる。最初はそれが何だか分からなかった。布製か綿で作ったものではないか、と推測した。

 店の中で既にお相手が待っておられたので、その飾りの観察はできずじまい。ただ どうも気になり、写真だけは撮影しておいた。

 後日、長男の“なりたてのお嫁さん”に問合せをした。彼女自身もよく分からなかったので、結局はお店に聞いてくれたという。恐縮した。その結果、松の葉の上に乗っていたのは仏手柑(ぶしゅかん)だったそうだ。なるほど・・・松の葉に仏手柑。古くからの習わしか、よく考え抜かれたものだろう。

 ところで、モンゴルから戻った次の日に京都に入った。その翌日には大事な祝い事が待っていたからだ。京都に住む長男の結婚式である。そのセレモニーを無事済ました後に、新婦側のご両親から食事会を催して頂いた。その会場が、この老舗の料理店だったという訳だ。

この日は特に好日、特に感謝。 (E.O)

(148) 1月のウランバートルで ⑦

葉樹に止まっていた鳥

 写真は農場の落葉樹に止まった6羽の鳥である。新潟では見たことがない種類だ。10羽ほどの群れが飛来し、順々に止まっていったが、順々に飛び去って行った。彼らはみんな長くは留まっていなかった。慌てて、たまたま持っていたカメラを構えた。ほんの数分のことだったろう。

 身体全体は黒っぽいが、腹の大部分と胸が鮮やかな白である。大きさはカラスより小さいだろう。飛ぶ姿を間近で見ると、なかなか美しいものだ。羽ばたく度に翼の白い部分がパッと広がり、それに長い尾もまっすぐ伸ばす。ただし、鳴声はお世辞にもきれいとは言えない。ギャーギャーと叫びに近い声をあげる。

 ただ、この鳥は以前からウランバートル郊外の山野でも見かけた。おそらくカラスの仲間かなァ、とは思っていた。

 今回は良いタイミングを得たので、まともな写真が撮れた。その撮影した写真を拡大し、はじめは自分なりに調べてみた。鳥図鑑を広げたり、インターネット検索を覗いた。 その結果、カササギではなかろうかという結論に達した。

 その後、やはり鳥博士に確認して頂いた。カササギで間違いないでしょう、という返事だった。とは言え、鳥博士は心配もしておられた。雑食性とはいえ、酷寒のモンゴルで餌はあるのだろうか、と。先生はやはり愛情が深い。

 ところで、今回この鳥を調べていたら、興味深い二つのことを知った。一つは日本でも佐賀県とその周辺に棲息していること。もう一つは学名が、Pica picaということだった。

酷寒の地でも鳥たちは生きていて 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(147) 1月のウランバートルで ⑥

1月のウランバートル 

1月のウランバートル 

 写真上は農場の南側から眺めた近郊の山である。夏には青々とした草原に変わる。また写真下は、それが内側のすき間から覗ける“外のトイレ”である。

 事務所棟が冬季閉鎖されていることは前に書いた。実はそこには水洗トイレも設置されている。これまではいつもそこを利用させてもらった。だから 閉鎖中となると、このトイレが利用できないことになる。そんな事は頭に無かった。

 農場通いの1日目、夕方になって生理現象を催してきた。悪いことに‘大’の方である。そこで利用できるトイレについて、T嬢から農場長に尋ねてもらった。“外のトイレ”を使えばいいという返事。“外のトイレ”?ちょっと嫌な予感がした。

 女性たちはそこを利用しているらしく、T嬢がすぐ案内してくれた。それは、あの鉢花栽培ハウスの裏側にあった。ウーン・・・!それを見て一瞬たじろいだ。2室づつ2棟の計4室のトイレ。T嬢は気を遣ってくれたのか、すぐ立ち去った。それから各部屋を恐る恐る覗く。詳述しないが、かつて田舎にあったようなシンプルな構造だった。床板を踏み外すと落っこちる!怖さも伴う風通しの良いトイレだった。

 もうしょうがない、覚悟を決めた。右端の個室に閉じこもり、しばし尻を露出した。どうして俺は今こんなところに存在するのだろう?哲学的な命題も浮かんできたが、最短時間で用を足した。底冷えというより、本当に尻冷えのした数分間だった。けれど、ベンチコートがこんなに役に立つとは思わなかった。

どこででも用を足せれば 日々好日、日々感謝。ウーン・・・。 (E.O) 

(146) 1月のウランバートルで ⑤

猫の″モラー″1

猫の″モラー″2

 写真の上下とも、ソヨーチの農場に棲み着いている猫の″モラー″である。

 モラーという意味はモンゴル語で〝猫ちゃん〟という意味だそうだ。モンゴル語では猫を“モル”と言うらしい。その語尾変化でモラーになるとか。

 前々回(144)号の写真で、通訳のT嬢に擦り寄っていたあの猫である。4歳のオスだそうである。

 写真上は、彼が農場の外の通路を歩いて行く勇姿である。おそらく外気温は-20℃前後はあるかと思う。その中を慌てず騒がず堂々と進む。こうした振る舞いを見ると、新潟の猫のように湿った雪の上をいかにも冷たそうに進む姿とは違う。彼らは足に付いた雪や水分をときどき振り払うように、足を上げて震わせるようなしぐさをするのだ。しかし、モラーはそんな振る舞いはしない。ただ、これは彼我の雪質や気温の違いに因るのかもしれないが。

 かと思うと、写真下のように暖房温室でほっこりとしゃがみ込む姿も見せる。温室の一角にある簡易事務室のラジエーター前で、身体を丸くしているのだ。そんな時、農場長のB氏がたまたま在室していて名前を呼ぶと、彼に寄って行く。そして、ひょんと膝上に跳び乗る。

 農場通いの2日目だったろうか。筆者もモラー,モラーと日本語なまりで呼んだら、三回目くらいには側に来た。抱き上げて膝の上に座らせ、頭などを撫でてやる。異民族だと気付いたかも知れないが、一応は甘える。なかなか憎めない。農場の人たちからも可愛がられているようだ。

ここに居ればモラーにとっても 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(★今朝起きてみたら大雪だ一晩で30cmは降ったろう。屋根の雪は既に50cmは越えた。しょうがない、これから雪下ろしだ。)

(145) 1月のウランバートルで ④

ソヨーチの農場の加温温室

ソヨーチの農場の加温温室

 写真はソヨーチの農場にある唯一の加温温室である。上はその外観で、下はその内部の様子である。

 この温室はかなり細長く、面積はおそらく800㎡前後はあると思う。早い時期から鉢花栽培用だったらしい。冬場でも温湯暖房により+15~20℃くらいに保っている。

 2010年にここを初めて訪れたが、ビックリした。失礼ながら、モンゴルにこうした花を栽培する温室があろうとは・・・。それも加温ができて、一年を通して利用できる施設である。今となっては自分の不明を恥じると共に、D社長の先見性に脱帽する。

 この時期 栽培されていた主な品目は、コリウス,アロマティカス,ミニバラ等である。このうちコリウスは宿根化していて、時々ガーデンセンターの売場でも見かけた。またアロマティカスは昨年2月、こちらから苗を輸出したものである。その後これを大量増殖して、その何割かを店頭に並べた。お客様の反応は良かったようで、こちら側に対する評価を高めた一因らしい。現在はここで、その鉢植え数百鉢を栽培している。どうやら繁殖用の親株にするようだ。

 現在ここで一番多くあるのは、オランダから輸入したミニバラの鉢植えである。その幼苗を最近 数回に渡って入れたらしい。今回訪ねた時にも大半の従業員が、何回目かの到着便の苗を一鉢4本づつ植え込んでいた。下の写真で手前にズラーッと並んでいるのがそれである。どうやら3月8日の「婦人デー」(一年で最も花が売れる日)の販売用に考えているようだ。

どこに居ても花の育つ姿を見れば 日々好日、日々感謝。 (E.O)