(188) 被災地に立って

被災地に立って

 先月下旬に仙台へ出張した。翌日、帰路の途中で同じ宮城県内の亘理町を訪ねた。大震災による津波被災地の一つである。同町は仙台市の南にある名取市や岩沼市のさらに南側に位置する。町の北側を阿武隈川が流れ、東は太平洋に面している。

 以前から漠然とは考えていた…“日本人として”機会があったなら被災地を訪れ、惨状の一端でも目にしなければと。土曜日でもあったので、行くことに決めた。以前に何度か報道された同町の荒浜地区を訪ねることにした。

 仙台のホテルを出発し目的地に近づいて行くと、稲や野菜が全く作られていない田畑が延々と広がってきた。おそらく津波で海水が入り、作付けは望めないのだろう。

 カーナビに導かれながら、やがて海と陸側を隔てる堤防にぶつかった。その堤防を上がると、阿武隈川の河口が広がっていた。どうやら荒浜地区に入ったらしい。その堤防自体が暫定復旧工事中で、それを覆ったブルーシートが帯状に何キロも伸びていた。それに沿って南下する。人家や商店は並んでいるのだが、人の姿が見えない。車とはすれ違わない。朝の9時前だった。

 さらに車を進めて行くと、しだいに視界がひらけてきた。遮るものが無いのである。目の前には、家々が忽然と消えたと思われる平地が現われた。家の基礎だけがかろうじて残ってはいる。しかし、その上の建築物が跡形もなく失われている。何十戸,何百戸だろう、立っていたはずの家々が無い。残った人家はぽつんぽつんと一,二軒はあるものの、どこかしら壊れていたり傾いている。住む人の気配はない。ほぼ見渡す限り異様な光景である。今まで味わったことのない無力感からかショックからなのか、しばらくそこを動けなかった。

 あの3月11日まで、そこには人々の暮らしが根づいていたはずだ。それぞれの家族が集まり、一家の団欒があり、温かい家庭が営まれていたことだろう。それぞれの幸せが灯っていたに違いない。それが一瞬にして押し流され、失われてしまったのだ。

 筆者は報道写真家でもないし、研究者でもない。あの廃墟とも言うべき場所に立ったとき、シャッターを押せなかった。本当にそんな気が起きてこなかったのである。何とか撮影できたのが、この1枚だけである。かつての庭の跡だろうか、死者や被災者を慰めるようにアヤメの花が咲いていた。

 この地を去ろうとしたとき、集落跡の一角に裸のお地蔵様を見つけた。上屋は流されたのだろう、無かった。「万人子安地蔵尊」と書かれた標柱が立てられており、筆者にはそのお地蔵様に手を合わせることくらいしか出来なかった。

今回は語ることなし。 (E.O)