(205) 初夏のモンゴル⑨

モン夕暮れの決闘

【夕暮れの決闘】

 ドゥガナハッドからの帰路、放牧された牛同士の闘いを偶然目撃した。その激突は目の前で繰り広げられ、迫力に満ちたものだった。茶色に白のぶちの牛と黒牛のぶつかり合いであった。

 その現場の7,8メートルくらい手前だったろうか。クルマの助手席に乗っていたD社長が突然 声を上げた。運転手のMさんに、クルマを停めるように指示したのだろう。後ろの席にいた筆者は、なぜクルマが止まったのか最初は分からなかった。

 さて二頭ははじめ、それほど興奮はしていなかった。けれど、しだいに闘志が高まってきたのか、頭の押し合いが強くなってきた。すると 3人のモンゴル勢は、窓を開け二頭に声を掛けはじめた。闘いはいっそう熱を帯びてきた。おそらく「やれやれっ!」とでも叫んでいたのだろう、D社長をはじめモンゴル勢がけしかけるようになった。親友B氏もその観戦に熱中してしまって、通訳や解説などはしてくれない。

 ガツッ、ガツッと時おり角が激しくぶつかり合う音も聞こえてきた。「おおっ!」筆者も目が離せなくなった。二頭はクルマの右側で闘っていたが、、しだいに車の後ろの方に移動した。ぶち牛が黒牛をじりじりと後退させていたのだ。すると今度はクルマの左側が闘いの場になった。が、間もなく黒牛が離れて、その場を去って行った。勝敗は決した。

 時間にすればほんの数分だったろうか。たまにこうした事はあるそうだが、その場面に出くわすのは幸運(!?)だという。牛は勝敗が決したら、闘いを止める。人は・・・。

モンゴルに来て 日々考え、日々思う。 (E.O)

(204) 初夏のモンゴル⑧

モンドガナゲル内部

モンドガナ孫の手

【ドゥガナハッド―生活者のゲル】

 写真はいずれも、前回触れたダンガンさんの一家が住むゲルの内部である。彼は温厚・実直そうな人で、エヘガザル社のD社長と知り合いであること等は既に書いた。

 これまで観光客向けのゲルは、何度か入ったことがある。1回だけだが、ゲルで宿泊したこともある。しかし、こうしたいわば生活者のゲルには入ったことがなかった。

 中でD社長と懇談していたダンガンさんが、筆者たちをゲルに招じ入れた。内部は整然としていて、ベッドや家具調度,テレビや冷蔵庫なども備え付けられていた。はじめのうちは乳茶を出され、何杯かお代わりした。これは口に合う。やがてウォッカの瓶とグラスが出てきた。これにはびっくり!そして、何杯か勧められた。モンゴルの人々は客人をよくもてなす。

 ところで ウォッカのグラスを手にしながら、このゲルの造作を見回していたら、興味深い道具を意外な所に発見した。梁に挟まっていた孫の手である(下の写真)。ダンガンさんか奥さんが使うのだろうか?

 そのうち中学生くらいの娘さんが入ってきた。そして、持っていた櫛を素早くこの梁の間に器用に挟み込んだ。彼女は母親と二言三言ことばを交わして、また出て行った。このように梁は色んな小物が収められるのだ。感心すると共に、ほのぼのとした生活臭が伝わってきて、楽しくなった。

 ところで後日、インターネットでダンガンさんの名前を見つけた。ドゥガナハッドの乗馬のトレーナーとして紹介されていたのだ。

ゲルは人と人の心も包んでくれる。日々好日、日々感謝。 (E.O)

(203) 初夏のモンゴル⑦

モンドガナ鳶

モンドガナ馬

【ドゥガナハッド―鳶と馬】

 写真はドゥガナハッドで出会った二種類の動物、トビと馬である。

 まずトビの方だが、キャンプ場の隅の井戸のような所に9羽も寄り集まっていた。こんなに多くのトビが一堂に会したのを目撃するのは、日本で一度あるだけである。彼らはそこの四角い立入り禁止柵のような場所に止まり、まさしく井戸端会議をやっていたようだった。「おっ!」それを発見し、カメラを構えてひっそりと近づいて行った。すると、すぐ気づいて1羽去り,2羽去り・・・。9羽全部が近くの高木に飛び移っていった。そこで慌てて撮影したのが上の写真である。  

 しかし その木にも長く止まっておらず、みな弧を描きながら、遠くへトビ去ってしまった。中には日本の仲間と同じように、あのピーヒュルルーという鳴き声を発するものもいた。なお参考のために、例の鳥博士にお尋ねしたら、日本にいるトビの種と変わらないでしょう、ということだった。

 一方、写真のモンゴル馬のことである。以前にも述べたが、サラブレッドなどの競走馬に比べると、明らかに小形なのだ。それに華奢な雰囲気を漂わせていた。けれど、この馬は“名馬”なのだそうだ。飼い主は後日紹介するが、ダンガンさんという方でD社長と知合いだという。

 ダンガンさんだから、弾のように動作が速い人かと思ったが、、ふつうの動きなので安心した。彼の話によると、この馬はときどき催される地方の競馬大会でよく優勝するのだという。どうやら彼のご自慢の馬らしい。

トビが舞い 馬が駆け行き 森もあり。日々好日、日々感謝。 (E.O)

(202) 初夏のモンゴル⑥

モンドガナ遠望

モンドガナ岩

【ドゥガナハッド―吹く風と青い空】

 農場を後にして、「ドゥガナハッド」に向った。初めて訪ねたが、名の知られた景勝地らしい。日本のインターネットでも紹介されているほどだ。上の写真の通り、草原があり山があり森林も豊かである。そして岩山も所々にあり、とくにドゥガナ・ロックと呼ばれる巨石はここの象徴らしい。下の写真がそれである。

 ここには こぎれいなゲル・キャンプや宿泊施設も設置され、少年少女から大人まで大自然のなかで過ごせる。ハイキングやキャンプはもちろん、観光客向けの乗馬も盛んらしい。日本人ならば、星空見物も魅力かも知れない。

 ところでD社長の話では、ここにはときどき従業員を連れてキャンプに来るのだそうだ。ただ驚いたのは、普通なら国道からここまで荷物を皆で分けて担ぎながら、歩いて来るらしい。約9kmの道のりだと言うではないか。

 この日はやわな還暦前の日本人と、モンゴル人とは言え100kg超の体 (本人はいつ聞かれても、99.9kgと答えるが)をゆらす親友B氏が混じっていたので、止めたらしい。そういえばウランバートルを出た時、クルマの中でD社長が突然「10kmくらいなら歩けますか?」と訊ねてきたのだった。

 さて このドゥガナハッド、これまで行ったモンゴル各地のなかで最も森林の多い地域だと思う。ただし気候的条件が大きいのだろう、日本よりは植生が単調で、その主な構成樹種は針葉樹ならアカマツ類、落葉樹ならシラカバ類だった。そして中・低木が少なかった。

モンゴルの森を訪ねて 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(201) 初夏のモンゴル⑤

初夏のモンゴル5-1

初夏のモンゴル5-2

【樹木栽培農場―その2】

 とにかく広い、50haは!東京ドームの総面積の約10.7個分である。(本当は「甲子園球場の総面積の・・・」と書きたかったが、最近のタイガースの成績は何だ!)ともあれ、長辺1,000m×短辺500mの長方形の農場なので、使い勝手がよいだろう。それに幹線国道のすぐ脇である。

 農場の整備状況については先回触れた。ただ驚いたことに、これらの整備工事はほとんど従業員が行ったという。ゲルの組み立てなどはお手のものだろうが、その他の建築,井戸掘りから灌水用配管まで大半を彼らが施工したらしい。ということは、施設の補修や改善も彼らでだいたい対応できるということだ。これは心強い。

 さて写真上で、列状に植えられている苗木はやはり針葉樹が多い。しかし、落葉樹も何割か見えた。これらの多くは米国オレゴン州の業者から入れたものだという。さっと見回った限りでは、枯れはあまり無かった。

 また、写真下は樹木種子の播種作業である。まず、幅広の低い畝をこしらえてから、そこに等間隔で筋を付けて行く。この筋付けにはシンプルな自作の道具があった。その筋目に左側の作業員が種まき機で、種をまいていく。この種まき機は手動だが、ドイツ製である。その後、右側の作業員が表土におがくずを撒いていく。仕上げに、真ん中の女性がそれらの畝に灌水をしていく。

 ところで今回、ここの一角1haを無償で借りて、日本産の耐寒性樹木の試験植栽をやらせてもらうことになった。

この広い農場にいると、気が大きくなって 日々大日、日々大感謝。 (E.O)

(200) 初夏のモンゴル④

初夏のモンゴル4-1

初夏のモンゴル5-2

【樹木栽培農場―その1】

 大草原のなかの大農場である。エヘガザル社の樹木栽培農場だ(写真上・下とも)。モンゴルでも50haという農場面積は小さくはないと思う。奥では数十頭の牛馬が草を食んでいた。足もとでは丈の低い野草が、紫,白,黄色などの花を咲かせていた。

 この農場はウランバートルから車で2時間ほどのバヤン・チャンドマンという所にある。昨年秋にモンゴル北部まで魚釣りに連れて行ってもらったが、その途中で立ち寄った。その時には全く何もなかったのだ。

 しかし、今回 驚いた。かなり整備が進められているのだ。一部だが苗木も植えられ、種まきがなされたエリアもあった。栽培関連施設ではすでに井戸が掘られ、その配水タンクも設置されていた。そして そこに貯められた水は、こうした苗木畑などの灌水にもう利用されていた。また 栽培ハウスもがっちりした一棟が立てられていて、この中にも植わった苗木が見えた。

 その他の施設としては、まず外周に板または鉄線の柵が張りめぐらされていた。話を聞くと、どうやらこれは人間の侵入防止より、放牧動物の入り込みを防ぐためのようだ。一方 休憩・宿泊用には大小のゲルや家族で住めそうな本格的なログハウスも作られている。大きなゲルとログハウスには、パソコンやテレビなども備わっていた。また機材・資材置場として、中古の輸送用コンテナも据え付けられてあった。電気はもちろん通じている。

 今回、この農場整備でもD社長の経営におけるスピード感を見せつけられた。

モンゴルでは 日々発見、日々学び。 (E.O) 

(199) 初夏のモンゴル③

国家的禁酒日1

国家的禁酒日2

【禁酒日】

 滞在中の6月28日がモンゴルの国会議員選挙の投票日にあたった。モンゴルの国政を左右する最も重要な選挙である。写真上は、その選挙結果に関してトップ記事で伝える翌日の朝刊各紙だ。

 4年前の同じ選挙の際には、選挙不正や開票結果に不満を抱いた国民の怒りが爆発し、5人の死者まで出す暴動が起きた。その際、多くの暴徒が酒に酔っていたという。

 そのためか選挙法改正が行われ、観光客にも影響が及ぶ点が出てきた。投票日とその翌日が国の休日となっているが、このこともそれ以来なのかどうかは知らない。しかし この2日間が禁酒日になったのは、その事件が発生したのが原因らしい。だから それ以降アルコール類の販売と提供が禁止され、どこに行っても酒は手に入らないし、飲めない。この措置は酒飲みの観光客にとってはちょっと辛い。写真下は、スーパーの飲料品の棚に貼られた酒類販売の不可を示す札である。

 その上 親友B氏が変なことを言い出した。「シャチョー、お酒飲めないのは7月1日もそうだよ!」「ええっ?」「毎月1日も禁酒日として法律で決まったの」「それじゃあ、6日間の滞在中3日間も禁酒じゃないの!体に悪いよ」「?・・・まァ、いろいろ考えます、シャチョー」

 ある調査によると、モンゴルでは成人男子5人に1人がアルコール依存症という結果が出たという。そうした深刻な事態を憂えたからかも知れない。

 なお今回の選挙では、現役議員だった元旭鷲山や初の立候補だった元朝青龍の兄などは落選した。

自主的な休肝日なら 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(198) 初夏のモンゴル②

初夏のモンゴル2

初夏のモンゴル2-2

【柳絮 (りゅうじょ)】

 6月末から7月初めのこの時期に、モンゴルを訪れたのは初めてだった。だから、ウランバートルの街なかを浮遊する、この白い物体に出くわすのも初めてだった。

 それは数㎜から1cm前後の綿毛のようで、植物の種子だろうと見当はついた。しかし、それが何の植物かはすぐには分からなかった。いい加減なもので、最初はモンゴル・タンポポというのがあって、その綿毛なのではないか等と考えていた。

 けれど、その浮遊物たるや半端な量ではない。昼でも夜でも四六時中、街中に飛んでいた。窓が開いていればホテルの部屋にも、レストランにも侵入してくる。これはひょっとして・・・記憶の奥のほうから、「柳絮」という言葉が浮かび上がってきた。そして、今回もいつものように親友B氏に尋ねた。

 「シャチョー、それはポプラの種ですよ。この時期は毎年こうなるんです。人によってはアレルギー反応を起こすこともあるよ。でも、それほど多くはないようだけど。シャチョーは大丈夫ですか?」やはり、そうだった。

 写真上はポプラらしき樹木に鈴なりに付いた、飛び散る前の柳絮である。また写真下は、それが飛び散って風などの加減で道路端に集まった、いわば柳絮の吹き溜まりである。確かにウランバートル市内には街路樹をはじめとしてポプラ(ヤナギ科)は多い。

 この柳絮さえ気にしなければ、この時期のウランバートルは昼が長く、さわやかで過ごしやすい。見たところ、市民はほとんど気にしている様子はない。

幸い柳絮アレルギーは無かったようで 日々好日、日々感謝。 (E.O) 

(197) 初夏のモンゴル①

初夏のモンゴル

【留学生】

 またモンゴルに行って来た。そして、今回も面白い体験を幾つかさせてもらった。

 行きは写真の女性たちと一緒になった。その彼女たちが示した着陸の際の行動は、興味深いものだった。

 二人ともモンゴルからの留学生で友達同士だという。右の女性がB嬢,左の女性がO嬢だ。チェックインのために並んでいた際、O嬢が滑らかな日本語で筆者に声を掛けた。はじめはてっきり日本人だと思った。ご本人の話でも、たまに日本人と間違われるらしい。

 彼女たちは首都圏の大学院に通っていて、久々の帰国だという。荷物の重量超過の関係でちょっと手助けをしてやったのだが、飛行機の座席も同列になった。

 機内で5時間半も過ごさなければならない。だから、話し相手がいるのは助かる。ましてや日本語の話せるかわいい女性である。隣にはO嬢が座り、しばし話が弾んだ。

 さて会話は尽きなかったが、チンギスハーン空港への着陸が近づいてきた。機はしだいに高度を下げ、丘陵と草原が見えてきた。どうやら雨が降ったらしい。それを眺めながら、二人がそわそわし始めた。しまいには快活な声を発しながら、はしゃぎ出したのだ!

 O嬢がうれしさを表情や動作に表しながら、通訳をしてくれた。「雨降りのわが母国よ、万歳!客人が雨を連れて来たよ!久しぶりの麗しい故国よ!」といった感激の言葉の連発らしかった。何だかこちらまでうれしさが伝わってきた。

 そう言えば、司馬遼太郎『モンゴル紀行』にも、雨を喜ぶモンゴルの人々のことが書かれていた。

雨降って心ときめく。 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(196) 二重の三日月、四海を照らす

乱視の見た三日月

 あなたの目がおかしいんじゃないですよ。乱視の人間が月を眺めると、こんな風に見えるという写真です。目が疲れていると、これが三重や四重に見える場合もあります。

 先日シャバ中を照らすような、神々しい三日月が浮かんでいました。それで、カメラを持ち出してパチリッ。まともに撮れたものもあったのですが、三脚を用いなかったので、こうした一枚も生れました。ただ これはこれで味があります。

 筆者は近視を伴う乱視ですが、二十歳前後から既にそうでした。その頃はそんなに悪くはなかったのですが、クルマの夜の運転の際に前方が少し見えにくいと、しだいに感じるようになってきました。そこで免許更新時の視力検査ではOKでしたが、近視・乱視用のメガネを作り、夜の運転ではそれを掛けてきました。

 けれど、しだいに度が進むのでしょうか、その後メガネを作り直しました。近ごろはそのメガネも合わなくなってきたようです。けれど、行きつけの眼鏡店のお話では、仮にまた作り直したとしてもピッタシという感覚にはならないかもしれない、という事でした。ですので、もうこのままで使い続けようと考えています。

 ところで、乱視でも悪い事ばかりではありません。たとえば飲み屋さんに行くと、女性たちの姿や顔立ちの細部が見えにくく、実物以上に(?)美しく見える場合が少なくないのです。また 色々な醜悪なモノが見えにくいのです。この点でも好都合の場合が多いかもしれません。

 実は昨夜モンゴルから戻って来ました。もちろんお月様の写真も撮影してきました。無事帰国、諸事感謝。 (E.O)