(266) 伏見稲荷①

伏見稲荷

伏見稲荷

 京都出張だったので、いつものように伏見稲荷にもお参りしてきた。商売の神様というだけでなく、以前におみくじで「大大吉」を二度も授かった、縁起の良い稲荷様である。

 今回は朝早かったせいか、参拝者はまだ少なかった。しかし、空気は清々しかった。やはり、神域だからだろうか。上の写真に写った入口の大鳥居(第二鳥居)をくぐる。中に足を踏み入れると、雪の新潟の白い世界からやって来て、朱色の異界に入り込んだような気がした。この鳥居が、そこへの入口のように思える。その感覚はそう的外れでもないだろう。鳥居というのは本来、神域と人間世界を区分する意味合いがあったらしいから。

 さて、楼門,本殿を経て奥に上がって行くと、まるでトンネルのように鳥居がずーっとつながっている。このびっしりとすき間なく連なる区間は、「千本鳥居」と呼ばれている(写真下)。

 さらに進むと、その先の方にはきれいなトイレも設置されている。また、途中で一方通行も設けられており、上りの参拝者と下りの参拝者が一緒になって混雑しないよう、鳥居道が二列に分かれている区間もある。

 ところで その鳥居の数は、およそ一万基とも言われている。そのおびただしい数の鳥居に記された寄進者を見ていくと、なかなか興味深い。その多くは企業で、やはり場所がら西日本からが多い。でも、さすが広く名の知られた神社であり、稲荷様の総本社である。寄進者は全国区である。多くはないが、新潟県の企業の名ももちろん確認できる。

京都にはやはり異界があちこちに存在する。日々好日、日々不思議。 (K.M)

(265) 善峯寺③

善峰寺

善峰寺

 善峯寺では、実はつらい思い出も蘇る。京都での学生時代、たまに気が向くと、人の行かない場所を選び、散策したものだ。その中でも忘れられない一つがこの寺である。というのは、ここを最初に訪れた時、今は亡き親友K君が一緒だった。そして、彼もここを大変気に入った。彼はその後も何度かここを訪ねたらしい。それで今回、境内を歩くうちに、やはり彼のことを思い出した。

 入学時から3回生頃まで右京区に下宿し、そこから通学していた。その最初の下宿に入居したその日に、K君に初めて会った。陽性で人なつっこい彼と話を交わしていくうちに、二人とも驚いた。まず、通う大学も学部も同じ、出身も同じ新潟市。そのうえ高校も一緒で、彼が一年後輩にあたるのだった。そして、お互いの誕生日が二ヶ月しか違わなかった。

 彼は卒業後、通信社に就職した。彼がロサンゼルス駐在になった数年間を除けば、その京都での出会い以来ずーっと平成20年の彼の急死まで、30年以上にわたって親交を重ねた。東京本社に落ち着いてからは、筆者が上京するたびに夜はふたりで盃を重ねた。そんな間にも、彼は職場では部長にまで上り詰めていた。

 その彼が平成20年6月、急性の心臓病で命を落とした。訃報を受けた時、全く信じられなかった。そして 新潟での葬式では、筆者が親友代表として弔辞を捧げた。

 写真上は、参道から伽藍の屋根と洛南方面を望んだものである。また 写真下は東門そばの雑木林で、まるで筆者を見送りに来たような野鳥のウソである。

このウソはK君の生まれ変わりかも知れない。合掌。 (K.M)

(264) 善峯寺②

善峰寺

善峰寺

 善峯寺は善峰寺と書かれる場合もある。また 天台宗の寺院だが、皇室や徳川家とも縁があるようだ。その事は、正直のところ今回まで知らなかった。というよりは、忘れてしまっていたのだろう。

 皇室の関係では、青蓮院門跡の宮様(法・親王)が代々この寺に入山され、住職を勤められたという。そのため、一時は西山宮門跡と呼ばれたこともあったらしい。その方々の廟所も奥にあり、その管理は宮内庁が行っている。道理で、境内には宮内庁と刻まれた石柱が建てられていた。

 一方、徳川家の関係では五代将軍綱吉の生母である桂昌院が、この寺院を盛り立てたという。善峯寺の開基は平安中期で、その後しだいに発展を遂げていったようだ。室町時代には僧坊が五十二もあったといわれる。しかし、その後に起きた応仁の乱では七堂伽藍を焼失した。しかし 江戸時代に入り、桂昌院が熱心に再建にあたったという。そのためだろう、境内の北東にあたる見晴らしの良い場所には、彼女の遺髪を納めたという墓所もある。

 ところで、眺望が良いことは前回記した。洛中はほぼ全て見渡せる。上の写真で、市街地の向こう側に相対する山が比叡山と思われる。また、手前の方の高層住宅が並ぶあたりが、おそらく洛西ニュータウンだろう。筆者が学生の頃には、竹林の丘陵地だったはずだ。一方、下の写真は桂昌院の墓所近くから撮影したもので、洛北方面から市北部の山並みまで望める。訪ねた日は雲が多く、これが晴れ渡っていたなら、いっそう美しかったろう。

懐かしさと京都らしい眺望が得られて 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(263) 善峯寺①

善峰寺

善峰寺

 出張を兼ね、京都に行って来た。仕事に区切りがついた後、かねてから行きたかった古寺を訪ねた。それは「善峯寺」(よしみねでら)である。

 洛中からは遠く離れた地にあるのだが、学生時代には3回ここに来た。その頃、下宿のあった桂からは比較的近かったこともある。一度目は仲間と共に、二度目は単独で、三度目は新潟からの人たちを案内してである。だから、今回はそれ以来だから、三十数年ぶりになるだろう。

 善峯寺は西山の名刹で、西国二十番札所・洛西一番札所だという。しかし、そんな事には今でもあまり関心がない。そうしたことより、化け物のような五葉松のあるお寺、山に張り付いたように伽藍が配置され独特の雰囲気をもつ寺院、という印象があった。それに今回 境内を回りながら、その魅力に改めて気づいた。一つはここの開放的な空間であり、敷地が広く高低差に富む境内である。そして、眺望が良いことである。

 園路を上がり下がりしながら眺望を楽しみ、堂塔をお参りしながら落ち着いた気持ちになっていく。時にはこうした時間を持ちたいものだ。

 冬の平日でもあったせいか、ほとんど来訪客がいなかった。参道下のバス専用駐車場にはバスはおろか、乗用車も筆者のクルマ以外は一台も止まっていなかった。すれ違った観光客は二組だけだった。この点も良かった。

 写真上は天然記念物の「遊龍の松」と、左から経堂,多宝塔,護摩堂(屋根)の建築物。下は同じくその「遊龍の松」と、桂昌院お手植えとされるしだれ桜(右)である。

古寺を散策しながら、想う。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(262) 『24 TWENTY FOUR』

24 TwentyFour

 タイトルは最近までアメリカで放映され、人気を集めたTVドラマの題名である。写真の男性は主演のキーファー・サザーランドだ。実在しない政府の対テロ機関で、ジャック・バウアーという捜査官を演じた。

 全く知らなかったが、このドラマはこれまで日本のいくつかのテレビ局で放送されてきていた。またビデオ化されたものは、レンタルビデオ店で行列ができる程だったらしい。

 そんな予備知識など持たずに、去年の秋に偶然WOWOWで初めて見た。それ以来、いくつかのシーズン(シリーズ)を見ている。正月5日からの放送も7,8割は見てしまった。

 WOWOWでは、5分前後の休憩は一区切りごとに入れるが、1シーズン20時間ほどをぶっ続けに一挙に放送する。内容は大統領暗殺計画、核爆弾テロ、バイオテロ・・・等々、恐ろしい,すさまじいものばかり。しかし、最初に観たときから、テレビの前から離れられなくなった。その映像とストーリーにぐいぐい引き込まれて行った。そして、主演男優の名がキーファー・サザーランドだということも知った。

 ところで、ドナルド・サザーランドという個性的な俳優がいる。古い映画だが、『特攻大作戦』や『マッシュ』などに出演した。それらの中では、脇役の時でも強い印象を放っていた。だから、名前と顔は覚えていた。あァ、ちょっと似てるかなあ。ファミリー・ネイムは同じだし・・・ひょっとして親子?そこでウィキペディアであたってみた。やはり、そうだった。

良くも悪くも国の違いをひどく感じさせられるドラマだ。でも 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(261) 正月のボタン

正月のボタン

正月のボタン

 写真は、松の内を過ぎても咲き続けてくれたボタンである。抑制栽培したものだが、均整のとれた姿にりっぱな蕾を七つも付けていた。また 葉は緑濃く、枝々は赤く鮮やかだった。写真上は先月26日のもの、下は今月6日の撮影である。開花してからは、弱いが芳香も放ってくれた。

 このボタンは、親しい島根県の生産者が先月下旬に送って下さったものだ。品種は「八千代椿」で、寒牡丹ではない。事務所の応接フロアに置いたが、訪れたお客の何人かは目に留め、愛でてくれた。実は島根県は、この抑制栽培のノウハウを技術特許として国に申請し、認められている。まァ、いろいろな意味で「やられた!」という思いがしないでもない。

 それはともかく、満開は8日前後だったろうか。その後 花は完全に開ききり、花弁の重なりが平らに近くなった。まだ散らずにいた一昨日の早朝、その花に驚かされた。事務所で朝飯前のデスクワークをこなしていた時、ふと「まだ散っていないかな・・・」と気になり、応接フロアに行った。そして、いつも持ち歩いているミニ懐中電灯で花を照らした。すると一瞬、淡いピンクになっていた花弁が輝いた。ほんとうに光り輝いたのだ!薄明りのなかで、それはぞっとするほど妖艶だった。

 花びらは今日現在でも、一枚も散り落ちていない。健気なものである。外は雪ではなく冷たい雨が降っているが、心が温まる。送って下さった島根の女性生産者Kさんと、この「八千代椿」に心から感謝をしたい。

やはりボタンは花の王。色香という点でもそうかも知れない。 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(260) 百両金とパソコン

鉢植えとパソコン-百両金

 正月を迎えるのに、縁起の良い植物を飾ろう!そこで、親しい栽培家から貸してもらった百両金(カラタチバナ)を、仕事机の一角に置いてみた。ふだん乱雑な場所が、いっときだが少し見違えるようになった。

 これは、以前からやってみたいことでもあった。パソコンのそばに和物の植物を置くと、どんな空間が生まれるのだろうか。これを確かめたかった。

 百両金は「上巻鳳凰(あげまきほうおう)」という品種である。黄緑色(萌黄色)の葉が、斜め上に向かって伸びている。その葉には白い縁取りが入っている、つまり覆輪である。葉柄や実を支える小枝(花柄)は美しい肌色。そして、直径1cmくらいの鮮やかな赤い実をつけている。優美でやわらかい姿である。その一鉢をパソコンのそばに置いてみた。

 すると、じわーっと空間が変質したような気が する。だいぶ雰囲気が違う。 すぐ目の前に鉢植え植物があるのだ。それもふつうの洋物観葉ではない。伝統園芸の粋、百両金である。眺めるというよりは、味わう感じになる。そして、対話をするようにもなる。

 現在、観葉植物の大半は洋物で、和物を飾ることはまれだ。というか、和物のインドアグリーンはほとんど聞かない。けれど、 百両金は最も室内向きの和物観葉かも知れない。栽培条件で言うならば、陽光がささない,風も当らない場所こそふさわしい。温度に気をつけてもらえば、置き場所としては室内の方が好ましいと思う。・・・何か新しい観賞の仕方にヒントを得たような気がした。

百両金とパソコンのシュールな関係?・・・日々好日、日々感謝。 (K.M)

(259) マッソニア①

マッソニア

マッソニア

 正月早々、少し珍妙な植物を紹介する。マッソニア(マッソニア・プスツラータ)という。近所の珍品屋さんにあった。

 原産地はあの南アフリカで、その限られた乾燥地域に分布するという。現在のところ、この仲間は8種に分類されているようだ。ユリ科植物である。

 ご覧のように独特の姿で、いつまで経ってもずっと二枚の葉のままなのだ。これだけでも興味を引かれるのだが、その葉の付け根に一個ちょこんと蕾を出す。そして、冬に白い花を咲かせる。珍奇なのだが、神秘さも兼ね備えている。写真は年末の咲き始めの様子で、松の内にはきっと満開になるだろう。そうしたら、またお伝えしよう。

 さて このマッソニア、艶のある多肉質の葉の表面には黒っぽい縞模様が表れる。長さ10㎝ほどのその二枚の葉が、両側にベタッと広がり出て、茎や枝は持たない。原産地も開花期も花も似ていて、同じ球根植物だから、ハエマンサス(眉刷毛オモト)に近縁のイメージを持っていた。しかし、長い花茎は持たない等の違いもあるため、念のために確認してみた。そうしたら、ハエマンサスはヒガンバナ科であった。

 以前は、マッソニアは知る人ぞ知る植物だった。園芸業界でも、わずかの人々がこの植物の栽培に取り組んでいた。しかし、最近は球根植物の珍品として、インターネットでも顔を出すようになってきた。それに栽培方法なども知られるようになってきている。

 こうした咲き出しの状態から、満開まで数週間は楽しめるだろう。

こんな珍奇で楽しい植物を知ると、世界観がまた広がって 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(258) 柿の木への来客③

ヒヨドリ

ヒヨドリ

 写真は、年末に柿の木にやって来たヒヨドリである。まともに撮影できたし、ヒヨドリをこの紙面で紹介するのは初めてだったので、取り上げた。彼らは二羽で飛んできて、柿の実をしばし啄ばんでいた。その旺盛で巧みな食べ方にも感心!今回も、もちろん鳥博士に判定をお願いした。

 このヒヨドリ、体長はムクドリなどよりは大きいが、少しほっそりしている。また 灰色から茶褐色にかけた羽の色で、華やかさはない。鳴き声もピーッ,ピッピーッという風に聞こえ、少し甲高い感じを受ける。古人がヒーヨ,ヒーヨと聞いたから、ヒヨドリと呼ばれるようになったという説もある。

 ところで、年が改まってから最初に目にしたのも彼らだった。その他にも常連のムクドリ,メジロ,それにメジロより小形の鳥なども顔を見せた。きのう4日の厳しい冷え込みの中でも、青空が一時のぞいたら、彼らは立ち寄った。それに、きのうはカラスまでもが食べに来た。一羽だったが、三口,四口実を啄ばんでから立ち去った。

 だから、正月で昼間 家にいたときには、この柿の木に自然と目が行った。実は自宅裏には柿の木が二本あり、一本は甘柿の子成場柿(こなしばがき)であり、この木の実は既に一つも残っていない。それに対して、写真に写ったもう一本は平核無柿(ひらたねなしがき)という品種だ。渋柿ではあるが、熟すと甘くなってくるという。どうやらこの事を鳥たちも知っていると思われる。

今朝も一羽だったが、ヒヨドリが筆者の朝食前に実を啄ばんでいた。

野鳥たちには正月もお盆もない。でも 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(257) 巳年

冬の蛇

 謹賀新年。平成25年=2013年が、皆さんにとって良い年になるよう祈念します。

 さて、今年は年男である。5回目の年男つまりカンレキである。正直、ここまで概ね健康で大過なく年を重ねて来れるとは、あまり思っていなかった。ここ5年で、大学時代からの親友二人が50代で相次いで逝ったことも思うと、半分信じられない。

 大過は無かったが、「中過」は少なくなかった。小学校時代にはたまに行方をくらましていた。また、十代では学生運動やその結果の検挙,高校中退。その後の今の会社でのアルバイト、そして大検,立命館入学。タキイ園芸専門学校でのベンキョウ・・・。ふつうの人間の1.5倍くらいは色々な経験をしてきたと思う。

 当時はともかく、いま振り返ると、その中でも京都での生活は悪くなかった。実に様々な体験をした5年間だった。それらの中で培った多様な人間関係,とりわけ親友たち(しかし前述したように2人は亡くなったが)。5年も費やした学業!?,一時は月に十数万円も稼いでいたアルバイト・・・。

 ある時、円山公園で大枚をはたいて、女性易者から手相を見てもらったことがある。彼女が予言したことで、子供の数などはピッタリ当った。また金には不自由しない、という指摘もそうだった。大金持ちというのではないが、とにかく生活する分には不自由はしないというような話だった。ありがたいことに、今のところそう違ってはいない。

 なお、今年からは筆者の戸籍上の名前、カタオカミチオの略称K.Mを用いることに決めた。

年初に改めて 日々好日、日々感謝。 (K.M)