(485) モンゴル日記(200)

【 エグ川めざして~ 7 】

 

 写真の植物は毒草らしい。ナス科植物で、写真右が花,左が種子である。学名はHyoscyamus nigerというらしく、検索していったらヒヨスと記されていた。ユーラシアに広く分布していたが、現在は世界中に拡散しているらしい。ただしナス科植物だから、日本には持ち込めない。だから、国内では目にしたことがないのだろう。

 前号でとり上げた羊と山羊の道路横断の場所からまもなくして、町があった。そこの売店でドリンク類を求め、皆で休憩をとる。筆者はその周辺をちょっとウロウロ。すると、この植物がところどころに生えていた。草丈は50㎝以上。

 こんなに目立つのに、どうして家畜は食べ残すのだろう。ひょっとしたら毒を持った植物かも知れないな。結果的には、その予想が当たった。そう言えば目を凝らすと、茎・葉に毛が生えていて、いかにも毒草のような感じがした?!(調子がいい・・・)

 ところで、今回のメンバーのなかでは、一応 筆者が植物に詳しいということになっていた。だから 、目にとまった植物があった場合、よく分からないでは格好が悪い。だから、問われた場合のみ、この植物はケシの仲間のようだ、こっちはバラ科でしょう等と、推測できる範囲で大ざっぱに語った。決して断定的なことは口にしないように努めた。

北モンゴルで最初に目についた植物が毒草だったとは。でも 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(484) モンゴル日記(199)

【 エグ川めざして~ 6 】

 

 田舎に行くと、道路を横切る家畜たちにときどき出くわす。こんな場面を目にするのも、案外 モンゴルの田舎旅の面白さかも知れない。この時は数十頭もの羊・山羊が、マイペースであわてずに横断していた。

 ところで 以前述べたように、北部モンゴルでは牛・馬より羊と山羊が多い。この時も二者が混じって、ゆっくりと道路を横断していた。馬がクルマの前を横断するということは、まず無いと思う。また、牛の道路横断も間近ではあまり目にしたことがない。だから、撮影機会は少ない。けれど こうした羊・山羊の場合だと、相手がゆったりしているせいか、カメラ撮影が間に合う。

 さすがにモンゴルの人たちは、横断する家畜たちに対しては寛容だ。クラクションなどは決して鳴らさない。おどさない。たいていは、群れが通り過ぎるのをただ待つだけ。そのせいか、クルマに轢かれた家畜の死体などは、まだ一度も目にしたことがない。

 ウランバートルでは、乱暴な運転をしたり高速で飛ばすドライバーが少なくない。そうした点から考えると、道路を横断する家畜にやさしく対応するのは意外な気もする。家畜たちには、たいていのドライバーが大らかな気持ちで接するようだ。彼らには何百年,何千年にわたる家畜との付き合いの歴史があるからだろうか。

こうした光景をじっくり眺めていると、何だか楽しくもなってくる。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(483) モンゴル日記(198)

【 エグ川めざして~ 5 】

 

 モンゴル第二の都市エルデネトに到着した。人口9万人、銅を中心にモリブデン,レアメタルも産出し、その採掘や精錬で成り立っている都市だという。写真左は、車窓からそのエルデネトの中心部方面を遠望したものだ。ここでは街の中心部には行かず、昼食場所として寄っただけだった。

 エルデネトは北部モンゴルのオルホン県の県都でもある。上述したように産業の中心は鉱業であり、それによってこの街はモンゴルのGDPの13%以上を稼ぎ出しているという。

 さて、写真右の奥に見えるのは銅鉱石の堆積場である。最初のうち、何だろうと思った。変な色の丘陵だなァ?!・・・親友B氏に聞いら、銅鉱石の山だと言う。「ホホゥ」。はじめて見る異様な山の風景に、不思議な感覚が走った。

 その堆積場はてっぺんが平らにならされ、どうやらそれを取り囲む柵などは無いようだった。雨が少ないから、これで持つのだろう。なお、ここの銅鉱山エルデネ・オールはアジア最大で、埋蔵量は世界でも4位だという。

 昼食は、この街の「ノミン」で全員が済ました。ノミンというのは旧国営デパートで、今やモンゴル小売り最大手の業者である。それが首都以外のこの地にも出店していた。そして、店舗の一角にファスト・フードのコーナーを設けている。そこで各自が好きなメニューを選んだ。

さァ,ここから一路 最奥の町テシグへ。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(482) モンゴル日記(197)

【 エグ川めざして~ 4 】

 

  前号で書いたハラ川を過ぎて、一路 西に向かう。両側には草原だけではなく、畑も目に入ってきた。写真左は、何かの模様がつけられた草原ではない。長い直線状に畝がつくられた小麦畑なのだという。こうした風景は車窓からときどき見えてきた。

 北モンゴルの土地は肥沃なのか、根菜類の産地だと聞いたことがある。ニンジン,タマネギ,ジャガイモである。そして モンゴルの国産小麦の大半は、ここモンゴル北部で生産されるのだそうだ。政府の農業政策で、小麦の輸入を減らし国産化をすすめるという方針で、小麦生産には国の支援がなされているという。だから、現在では100%国産と言ってもよいほどになっているらしい。以上は、モンゴル側の参加メンバーの一人T氏から教えられた。何と,彼は経営コンサルタントなのだ。

 ところで、モンゴル北部は畑ばかりではない。草原も広がっている。だから やはり放牧も行われている。しかし、そこで群れをつくって草を食んでいるのは、羊と山羊が多かった。この辺りでは 牛馬はほんとうに少なく、その大集団には出会わなかった。

 写真右はその羊と山羊の群れだが、彼らは混在している。群れに一緒にいても、二者は喧嘩など起こさないようだ。だいたい筆者がちょっと見ても、どっちがどうか識別できなかった。

昼食をとる予定のエルデネトめざし、車は走り続けた。日々好日、日々感謝。 (K.M)

 

(481) モンゴル日記(196)

【 エグ川めざして~ 3 】

 

 写真はもちろんエグ川ではない。これはそのはるか手前、ハラ川という水量の多い川だった。ダルハンという町の南側を流れている。

 3時間前にウランバートルを出発し、北上してきた進路もこの辺りで大きく西に曲がる。とはいえ、この地点はまだ旅の前半だ。ここから、この日の目的地まではその後10時間ほどかかった。

 前号でとり上げたオボーに寄ってからはじめて、休憩をとるために2台の車はこの川原に下りた。途中 道路が工事中で、う回路の草原を走っても来た。その土ぼこりのなかを駆け抜けるとき、サファリ・ラリーもかくやと思った。

 ところで 川原で休憩をしていると、数多くのツバメが飛びまわっているのに気づく。川辺にはエサとなる虫が多いのだろうか。また、草原には黄色のかわいらしい花々が咲いていた。キンポウゲ科の植物だろう。それにしてもゴミが多いなァ。

 とするうちに、馬に乗った男の人がいつの間にか橋の下にやって来た。そして 躊躇することなく、対岸からこちら側に渡河をはじめたのだ!(写真右)これにはちょっと驚く。同行の3人の日本の若者も「おおっ!」と、みなカメラを構えた。

 何ごともないかのように、彼と馬は文字どおり人馬一体となって、躓きもせず無事に渡りきった。そして こちら岸に上がり、休憩をとるでもなく去って行った。

小さなドラマは思いがけず起きる!日々好日、日々感謝。 (K.M)

(480) モンゴル日記(195)

【 エグ川めざして~ 2 】

 

 写真左は筆者たちが最初に寄ったオボーである。ウランバートルから北に行く街道の峠に作られていた。ここでメンバーは小石を3個づつ拾い、オボーを時計回りに1周するごとに、1個づつ石の小山に置いていく。そして、それを3回繰り返す。旅の安全を天の神に祈るのだ。

 オボーは、モンゴルの人たちが古来から行ってきた習俗である。昔モンゴルの人々は、山や川には神様が住んでいて、もっとも偉い神様は天に住んでいると考えていた。それで人々は自分たちの思いを伝えようと、天の神様が分かりやすいように、石を積んで小山のようにしたという。

 また そうした宗教的な意味あいだけでなく、道標などの役割も果たす。石積み,石積みプラス木といった姿が多い。これは道のオボーと呼ばれる種類で、数の上ではもっとも多い。

 写真右はそのオボーから北の方を望んだ風景だ。高くはないが、山々が重なっている。この先に長い道のりが待っていた。手前の平地には、鳩たちが群れていた。

 ところで 今回の釣りツアー団、言うなら“タイメン釣り隊”は8人で構成された。モンゴル人4名と日本人4名。その8人が車2台に分乗し、ウランバートルを朝6時に出発した。40分後、この最初のオボーに到着。そして ここで祈りをささげた後、小休止もとって荷物を積み直したり、りタバコを吸ったり・・・。

さあ,再び出発だ!日々好日、日々感謝。 (K.M)