(491) モンゴル日記(206)

【 エグ川にて~2 】

 

 前半の宿泊地は前述したが、エグ川左岸に突き出た広い尾根の平らな場所だった。その周辺斜面には花を付けた植物が少なくなかった。

 左はアザミの仲間と思われる。大株などはなかったが、あちこちに見えた。また右はどういった系統のユリなのか、確たる見当がつかなかった。帰国後に わが師O先生にお聞きしたところ、スゲユリの仲間ではないか、ということだった。

 ところで、これらを撮影したのは午後8時過ぎ。けれど、まだまだ明るかった。この時期に日が沈み暗くなってくるのは、晴天ならば午後10時半頃だった。

 さて この一日目の夜、ちょっとした事件が起きた。テントを張り終わって、遅い夕食になった。疲れていたのか、筆者は出されたウオッカで早めに酔いが回った。そして誰よりも早くテントに潜入。だから、その後の出来事はうっすらとした記憶しかない。

 筆者が寝入ったあと、急に強い雨が降り出したようだ。そしてその後、目の前で落雷があったというのだ!雷は対岸、つまり川の真向いの立ち木に落ちて、その木が燃え出したという。それで皆はちょっと緊張したが、その後に再び激しい雨が降ってきて、鎮火したらしい。何やら騒がしい音が寝ぼけ頭に聞こえていたようだが・・・。

 翌朝 対岸を眺めたら、黒焦げになった立ち木があった。

知らぬが仏。そう言えば,モンゴルもチベット仏教だった。日々好日、日々感謝。 (K.M)

 

(490) モンゴル日記(205)

【 エグ川にて~1 】

 

 ようやくエグ川にたどり着いた!! 写真はいずれも前半の宿泊地周辺の風景だ。左の写真の撮影地点は幅広い尾根で、ここの平らな場所に3つのテントを張る。お分かりになるかと思うが、手前の斜面には背丈の高い草が生えていない。もちろん気候的,地理的要因からだろう。

 さて 正面に見える清流が目的地のエグ川だ。やっと着いたのだ。この辺でも標高は2,000m近くらしい。この風景に見惚れていると、14時間の長旅の疲れは忘れてしまった。

 ともあれ まずはテント張り。その場所を決めるのに、モンゴル側4人は周辺を見てまわり、最後はBa先生がOKを出した。そうと決まると、2台のクルマは川岸の道路からこの尾根まで一気に駆け上がった。また2日後、次のキャンプサイトに移動する時も、ためらうことなくサッと一気に下って行った。

 この国の人たちはクルマを現代の馬のように考えているのかも知れない。この馬でどこへでも行ってしまう。たいていの山は上り下りし、深くない川は渡ってしまう。その際、躊躇する場面をほとんど見たことがない。

 写真右は、その宿泊地の背後にそびえる岩山である。手前の鞍部には針葉樹が多く、そこにシラカバが混じる。2日目の早朝、目が覚めたので単身登ろうと試みた。しかし とても傾斜が急で、すぐ諦めた。

エグは清らかな流れだった。 さァ、明日から釣るぞー! 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(489) モンゴル日記(204)

【 エグ川めざして~11 】

 写真は前々号で述べたタフト川で撮影したものだ。この辺では大きな中州ができていた。

 これは“タイメン釣り隊”8人の雄姿である!ン,7人しかいない?あっそうそう、撮影者のJ氏が抜けていた。彼は筆者たちが乗ったレクサスの持ち主であり、今回は運転もしてくれていた。彼はわが親友B氏の親友で人柄がよい。B氏から彼を紹介されてから、もう4,5年になろうか。顔つきは若い頃の泉谷しげるに似ている。

 次に右端のT氏。彼もB氏の親友で、出会いはJ氏と同様だ。彼は経営コンサルタントで、資産家らしい。彼の所有する高級アパートの部屋を、以前ホテル代わりに借りたことがあった。そこでは快適な生活を送ることができた。なお、彼のご長男は関西のK大学に留学、現在は卒業して日本で働いている。

 次に右から2番目の人物。彼が今回の釣りの先生Ba氏である。彼もB氏の友人だが、今回はじめてお会いした。モンゴル側メンバーの中で、彼がいちばん体が締まっている。日本に帰国する前の日、モンゴルの釣りコンクールで彼が優勝したという話を聞いた。

 右から3番目、親友B氏のことは度々書いてきた。だから 省略させてもらう。また紙面の関係で、日本側のメンバー3人については書けなかった。今後 機会を見て、紹介しようと思う。

モンゴル側はみな腹が出ている。だから安心して太ってしまう?! 日々太っ腹、日々感謝。 (K.M)

(488) モンゴル日記(203)

【 エグ川めざして~10 】

 

 最奥の町テシグを出発して、一路エグ川をめざす。丘陵地帯を突っ切って、時には前号のように川越えもする。舗装道路などとっくに消えていた。けれど そんな道路の両側には、花をつけた植物がときおり姿を見せた。

 しかし、このパーティの一番の目的は釣りなのだ。したがって、明るいうちにエグ川の岸辺にたどり着き、テントも設営し、夕食もとらなければならなかった。それが最優先である。だから 日本の園芸屋が「あっ、止まって!あの花を撮影したい!」と叫んでも誰も耳を貸さない。親友B氏はそれをモンゴル語に訳してもくれない。

 そんなふうに、撮影したくてもできなかった植物がいくつかあった。ちょうど咲いていたシャクヤクなどはその代表である。山あいの道路沿いにあちこちで咲いていた。

 でも  途中でどうしても停車せざるを得ない場合もある。トイレ休憩だ。その貴重な時間を利用し、撮影した花が2枚の写真だ。帰国してから、植物のわが師=O先生にお聞きした。写真左はキンポウゲ科のキンバイソウの仲間だろうという。このオレンジ色が遠くからでも林間で目立つのだ。

 また右の写真はマメ科でホソバセンダイハギの仲間では、ということだった。この花はこの後、大群落をつくっていたのを何ヶ所かで見つけた。そんなとき、草原は黄色に染まっていた。

釣り師と園芸屋は同乗できない?! でも 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(487) モンゴル日記(202)

【 エグ川めざして~ 9 】

 

 

 幅広い川をクルマで渡河する。こんな体験は日本ではしたことがない。正直のところ、水面を進んでいくときはちょっと緊張した。けれど、窓から入ってくる川風は心地よかった。

 写真左の、先に行く1台目のドライバーはモンゴルの釣りの先生Ba氏。彼は渡りなれているのか、ほとんど止まりもせずに渡りきった。水が澄んでいるとはいえ、川底を把握しているようだった。

 そして 2台目が後につづく(写真右  奥の白い車)。筆者はこれに乗っていた。写真はいずれも、1台目に分乗していた新潟の釣り師Kt君が撮影したものだ。彼は最終日に、とうとう1m級のタイメンを釣り上げた若者だ。

 クルマの話をすると、筆者たちが分乗した2台の自動車はいずれも日本車、トヨタだった。1台はオフロードも走れるようなレクサス、もう1台は正真正銘のランドクルーザーである。こうした車種でないと、モンゴルの山野は駆けめぐることができない。それにパワーも必要だ。

 だいたいウランバートルでは日本車が多く走っている。7割以上はそうだろう。なかでもトヨタ車がトップである。こちらの話では、いま最も人気のある中古車はプリウスだという。たしかによく見かける。

 ところで 渡ったこの清流はタフト川という。この下流で目的地エグ川と合流する。

山紫水明、ビジネスのことはとっくに忘れてしまっていた。 日々冒険、日々感謝。 (K.M)

 

(486) モンゴル日記(201)

【 エグ川めざして~ 8 】

 

 (480)号で紹介したのは、“道のオボー”だった。ところが 写真左のこのオボーは、山の頂上でも峠でもない場所に設けられていた。同行した釣りの先生Ba氏によれば、最奥の町テシグの入口を示すオボーとのこと。そばには案内板のような看板も立てられていた。

 この写真で、ひとりオボーを回っているのは実は筆者である。知らぬ間に、同行の若者Kt君が撮影したものだ。そこでは空気は乾ききって、天空は引きこまれるように青かった。

 テシグは、最終目的地に行くために寄らなければいけない重要な町だ。そこではタイメン釣りの許可を得る手続きもしなければならない。それにクルマの最後の給油地でもある。ところで 町の住人の多くはブリヤート人だという。彼らはもともとバイカル湖周辺に住んでいたモンゴル民族の一派(源流?)である。日本人のルーツのひとつとも言われる人々だ。

 さて 写真右は付近に広がる小麦畑の風景である。標高はこの辺りでも1,500mは越しているらしかった。そのせいか雲が低い。そして 旅行中ずっと悩まされたが、陽射しがきつかった。

 さて町の入口といっても、このオボーから町の中心部にたどり着くまで30分以上かかった。途中ちょっと変わった湖沼をいくつか通り過ぎた。塩湖である。湖岸には白い塩の堆積も見られた。

さて、いつ目的地に着くのだろう・・・でも 日々好日、日々感謝。 (K.M)