(509) モンゴル日記(224)

【 エグ川にて~20 】

 

 写真左は日没の風景である。とは言っても、時刻は現地時間で午後10時半ころ。6月の北モンゴルでは、やっと日が暮れる。実は今年(2015年)、モンゴルでは試験的に夏時間制を採用していた。だから 日本との時差はなかった。しかし 日没がこんなに遅いと、ちょっと調子が狂う。

 とは言えモンゴルの大自然のなかでは、夕暮れもときどき神秘的にさえ感じられる。刻々と微妙に変化するその様子。そして 辺りが暗くなってくる頃から、独特の時間が流れ出す。

 その暮れゆく時間の中で、モンゴル人と日本人が遅い夕食を囲んでいた。写真右はその一コマだ。折り畳みイスは4つしかない。だから、基本的には交代で食事をとるしかない。このメンバーは左からモンゴルのT氏,B氏,J氏、それに新潟の若手K君だ。彼は釣りに興味がないのか、ツアー中は釣竿を一度も握らなかった。

 ところで Ba先生を含む釣り師たち3人は夕食を早く済ませ、すでに出かけていた。彼らはエグ川のだいぶ下流に夜釣りに行ったらしい。しかし、なかなか帰ってこなかった。帰還予定は0時頃と聞いていた。が、 1時を過ぎても戻らなかった。それで筆者を含む3人はちょっと心配になり、彼らの帰りを待った。結局,戻って来たのは2時だった。

この晩Ba先生が大物タイメンを釣り上げた。が、逃げられてしまったという!! でも日々好日、日々感謝。 (K.M)

(502) モンゴル日記(217)

【 エグ川にて~13 】

 

 写真左は移動の途中もっとも長い時間にわたり、釣り師たちが試し釣りをした場所だ。釣っているのは手前がBa先生、奥にいるのはT氏だ。このとき新潟の若者Kt君とI君は、このすぐ上流で釣り糸を垂れていた。

 写ってはいないが、この写真の左側には河原が広がっており、そこでは何種類かの野草を見つけた。この次の号からはそれらの幾つかをご紹介しよう。

 さて写真右は、この試し釣りの場所から上流方面を望んだ風景だ。空には吸い込まれるような鮮やかな青が広がり、足もとには流れる川水の青があった。実に印象的な景観である。この強烈な空の青さも、モンゴルの魅力の一つかも知れない。また、右端の奥には後述するが、コテージ群も見える。

 ところで、筆者は釣り第一日目にT氏と共に竿を持って川に出かけた。そこは前半のテントサイトからそう遠くない場所だった。そして 釣果において、はじめのうちはT氏と互角に勝負していたのだ。レノックながら、2匹は釣り上げた。けれども T氏が3匹目を釣ったあと、昼食にテントサイトまで戻った。実はそれ以後は戦意を失ってしまい、もう釣りに出かけなかった。

 後半の釣り場でも1,2回は釣り糸を垂らしたが、結局一匹も釣ることができなかった。だから、この釣りツアーの筆者の釣果はレノック2匹に終わってしまった。

釣れない時は、野の花が慰めてくれる。日々好花、日々感謝。 (K.M)

(501) モンゴル日記(216)

【 エグ川にて~12 】

 

 写真左は移動日の朝のテントサイトである。高台にあり、見晴らしの良かったこの前半の宿泊地とも、いよいよ今日おさらばだ。この日、いつものように早朝に目が覚めた。それでまずシラカバ林で用を足し、エグ川に下りて顔を洗う。その後、カメラ片手に野に咲く花を求め、歩き回ってきた。けれど、まだ誰も起き出していない。

 やがて J氏が起き出し、料理をはじめた。そして 皆が起きてきて遅い朝食をとった後、各自が動き出した。テントをたたみ、折り畳みテーブルやイスを片付け、作業は終わった。その最後には、周辺のゴミ拾いも行った。ただ炉に用いた石などは、次に使う人のために?集めるだけにしておいた。

 写真右は荷を積み終えて、いよいよ斜面を下ろうとするレクサスである。筆者はこっちに乗っていた。運転手は引きつづきJ氏。前方のエグ川の水面が、キラキラと輝いていた。

 前にも触れたように、モンゴルの人々はこうしてクルマで斜面を下ることにはほとんど抵抗がない。J氏もそうだった。鼻歌こそ出なかったものの煙草をくわえ、助手席に乗っていたB氏と談笑しながら下りていった。その間,筆者の方が緊張して体はこわばっていた。

 ところで釣りの方だが、今のところ皆がレノックは釣り上げているようだ。しかし 誰もタイメンを上げていない。

日々レノック、でも日々感謝。ああモンゴルの神様、誰かにタイメンを・・・。 (K.M)

(496) モンゴル日記(211)

【 エグ川にて~7 】

 

 アマたちも自分たちなりに釣り場を探し、釣果をあげはじめた。左が筆者、右がT氏だ。釣ったのはどちらもレノック。この辺りのエグ川には3種類の魚がいる、と釣り師Kt君から聞いていた。すなわちモンゴル・イトウ(タイメン)、レノック、それにグレーリングだ。その中でも良く釣れるのがこのレノックだという。マスの仲間なのだろう。

 最初に釣り上げたのは筆者だった。それからしばらくして、先生T氏が同じレノックを上げた。今回もいろいろT氏に教わったのだが、実はモンゴルではじめて釣りをする時にも彼から指導を受けたのだった。

 小学生の頃には新潟の堀や川に行き、フナやウグイの釣りに夢中になった。たまにコイやナマズがかかると、興奮した記憶がある。それはふつうの浮き釣りか、エサを付けたリール釣りだった。だからモンゴルに来るまでルアーなどはいじったことがなかった。

 ところが 2011年の10月、こちらで釣りに誘われ、そのときルアー釣りにはじめて挑んだ。その際、それを筆者に親切に教えてくれた人物がT氏なのだ。場所は同じモンゴル北部でも、ユロ川という清流だった。

 さて、一足先に筆者が釣り上げ、その魚の寸法がT氏のそれより少し大きかった・・・ように感じた。写真には、そんなことが二人の表情に微妙に現れただろうか・・・。

しかし、しだいに形勢が逆転していったのだった。日々釣日、日々感謝。 (K.M)

(495) モンゴル日記(210)

【 エグ川にて~6 】

 

 写真は前号で述べた朝食の後、2組の釣り隊が出陣するところだ。いよいよエグ川に挑むのだ。身じたくからお分かりかと思うが、写真左がプロたち、右がアマたちだ。もちろん筆者は右の写真に納まっている。当然のことだが、いずれも日・蒙の混成チームだった。通訳はいなかったが、意思疎通は可能だった。

 写真左で右側の人物は紹介済みだが、モンゴルの釣り名人Ba氏。彼はもう姿・所作からして、師匠といった風格。そして日本側メンバーだ。中央は以前にも触れたKt君。彼はさまざまな釣り道具を携行していた。彼は自然大好き・生き物大好き人間で、若き釣り師といった雰囲気を漂わせていた。

 また左側はI君である。友人の会社に勤める若者で、釣りが趣味。ご本人によれば、釣りではKt君の弟子だという。そのせいか常に彼と行動を共にしていた。I君は地味な雰囲気だったが、好人物であった。ともあれ,この3人のプロが先発組として出かけていった。

 次に 写真右のアマふたりである。やはり格好からしてプロとは違う。筆者なぞは、竿も胴付き長靴も借りものであった。そして わが先生は経営コンサルタントのT氏だ(左側)。アマとは言え、彼はときどき釣り糸を垂らすことはあるらしい。だから、釣り場では渡河も含めマンツーマンで教えてもらった。

プロより30分遅れ、二人のアマも勇躍出かけていった。 日々釣日、日々感謝。 (K.M)

(494) モンゴル日記(209)

【 エグ川にて~5 】

 

 ツアー2日目、釣り初日の朝食の一コマだ。写真左で、立ったまま食事を始めているのは右がBa先生,左がI君である。また奥の人物が、(489)号で集合写真にのっていなかったJ氏だ。彼は今回、料理人も引き受けてくれていた。

 さて テーブルの上にはけっこう食品や飲み物が並んでいる。まだツアー前半だから、野菜からジャム,乳製品まであった。中には日本から持ってきたモノもあり、「食卓塩」と記された瓶も見える。「サトウのごはん」もあった。

 話はちょっとそれるが、このパックご飯はモンゴル生活でなかなか役に立つことが今回分かった。このツアーに同行したK君から彼の食生活のようすを聞き、これが便利なものだということを認識した。彼はこの時期、日本とモンゴルとの合弁事業の関係で、数ヶ月間ウランバートルに単身赴任していたのだ。

 それで8月以降、筆者もモンゴルに行くときはこの便利なパックご飯を携行している。これとレトルトカレーがあれば、何食分かは日本的な食事を楽しめるのだ。これは重宝している。

 ところで写真右だが、このように切った食パンと肉の加工品を用意しておき、各人が必要な分だけとる。最初のうちはこれでも「まァ,いける」と思っていた。けれど これが毎食となると、だんだん食傷気味になってきた。

とは言え、まず食うこと。いかなる時も、これが基本だ!  日々食日、日々感謝。 (K.M)

(489) モンゴル日記(204)

【 エグ川めざして~11 】

 写真は前々号で述べたタフト川で撮影したものだ。この辺では大きな中州ができていた。

 これは“タイメン釣り隊”8人の雄姿である!ン,7人しかいない?あっそうそう、撮影者のJ氏が抜けていた。彼は筆者たちが乗ったレクサスの持ち主であり、今回は運転もしてくれていた。彼はわが親友B氏の親友で人柄がよい。B氏から彼を紹介されてから、もう4,5年になろうか。顔つきは若い頃の泉谷しげるに似ている。

 次に右端のT氏。彼もB氏の親友で、出会いはJ氏と同様だ。彼は経営コンサルタントで、資産家らしい。彼の所有する高級アパートの部屋を、以前ホテル代わりに借りたことがあった。そこでは快適な生活を送ることができた。なお、彼のご長男は関西のK大学に留学、現在は卒業して日本で働いている。

 次に右から2番目の人物。彼が今回の釣りの先生Ba氏である。彼もB氏の友人だが、今回はじめてお会いした。モンゴル側メンバーの中で、彼がいちばん体が締まっている。日本に帰国する前の日、モンゴルの釣りコンクールで彼が優勝したという話を聞いた。

 右から3番目、親友B氏のことは度々書いてきた。だから 省略させてもらう。また紙面の関係で、日本側のメンバー3人については書けなかった。今後 機会を見て、紹介しようと思う。

モンゴル側はみな腹が出ている。だから安心して太ってしまう?! 日々太っ腹、日々感謝。 (K.M)

(483) モンゴル日記(198)

【 エグ川めざして~ 5 】

 

 モンゴル第二の都市エルデネトに到着した。人口9万人、銅を中心にモリブデン,レアメタルも産出し、その採掘や精錬で成り立っている都市だという。写真左は、車窓からそのエルデネトの中心部方面を遠望したものだ。ここでは街の中心部には行かず、昼食場所として寄っただけだった。

 エルデネトは北部モンゴルのオルホン県の県都でもある。上述したように産業の中心は鉱業であり、それによってこの街はモンゴルのGDPの13%以上を稼ぎ出しているという。

 さて、写真右の奥に見えるのは銅鉱石の堆積場である。最初のうち、何だろうと思った。変な色の丘陵だなァ?!・・・親友B氏に聞いら、銅鉱石の山だと言う。「ホホゥ」。はじめて見る異様な山の風景に、不思議な感覚が走った。

 その堆積場はてっぺんが平らにならされ、どうやらそれを取り囲む柵などは無いようだった。雨が少ないから、これで持つのだろう。なお、ここの銅鉱山エルデネ・オールはアジア最大で、埋蔵量は世界でも4位だという。

 昼食は、この街の「ノミン」で全員が済ました。ノミンというのは旧国営デパートで、今やモンゴル小売り最大手の業者である。それが首都以外のこの地にも出店していた。そして、店舗の一角にファスト・フードのコーナーを設けている。そこで各自が好きなメニューを選んだ。

さァ,ここから一路 最奥の町テシグへ。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(479) モンゴル日記(194)

【 エグ川めざして~ 1 】

 しばらく、【エグ川めざして】というタイトルで連載をはじめる。ここではモンゴル北部での魚釣りのこと、そしてそこの野生植物のことを中心に述べていく。

 さて、エグ川というのは北モンゴルを流れる清流である。釣り人たちには、タイメン(モンゴル・イトウ)が釣れる川として知られているらしい。筆者はそんなことは全く知らなかった。だいいちツアーの目的地は分からないままだった。ただモンゴル北部に行ける、そこの植物を見れる!というので、ちょっとワクワクしてはいた。

 さて その釣りツアーに出かける前日。メンバーは手分けして、物資の買い出しに走った。それで筆者は親友B氏と共に、担当の飲食料を買うために街なかの食品スーパーに寄った。

 買い出しを終えて、車の所に戻ってきてからだ。何と,駐車場の角地に止めておいた彼のXトレイルの後ろに、それをふさぐようにしてプリウスが止められていた。写真のとおりで、奥の暗緑色のXトレイルと手前のプリウス。

 しかし、このプリウスのフロントガラスの隅には、運転者の携帯電話の番号が示されていた。(466)号で紹介した例のステッカーが貼られていたのだ。さっそく彼はその電話番号に連絡を入れた。そうしたら、2,3分後に本人がやって来て、すぐクルマをどけてくれた。中年のきれいな女性だった。

こりゃあ,幸先がよいかも知れない・・・。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(478) モンゴル日記(193)

【 講演会 ② 】

モンゴル日記画像 

 写真は2枚とも講演会本番のようすである。左は筆者と、通訳をやってくれた社員のT嬢だ。ボンサイの話になった場面だろう。背後のスクリーンにその映像がうっすら映っている。

 また、右の写真は聴講者である。40,50名は集まったくれただろうか。これが多いのか少ないのか・・・。ただ、会場の面積の関係で、イスは30脚程度しか並べなかった。そのため立ち見(立ち聞き?)のお客さんが10人以上は出たという。筆者は余裕がなかったから、彼らを数えるなんてできなかったが。

 ところで 講演の前半は、一年草のプランター植栽について、実演をまじえながら行った。また後半は、映像を見せながら盆栽に関する簡単な話をした。自分としてはとちったり、難しい表現をしなかったと思う。しかし T嬢の通訳を介した話だったから、お客さんにどう受け止めてもらえたかは気になった。

 会場に来てくれていた親友Bさんご夫妻の話では、悪くなかったという。それは割り引いて聞くしかないが・・・。この後、民間のテレビ局1社からインタビューを受けた。まァ,無難に答えたとは思うが。

 それも終わった後、T嬢がガーデンセンターの担当者Hさんから率直な感想を聞いたらしい。その質問には、彼女は「悪くなかったわ」と答えたという。ちょっと複雑な気持ち・・・。

聴衆の真剣な表情,メモをとる姿を見ると、来年も・・・。日々好日、日々感謝。 (K.M)