(559) モンゴル日記(274)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて22 】

北モンゴル最奥部を訪ねて22

北モンゴル最奥部を訪ねて22

 道路から少し離れた所に大形の鳥を2羽 発見!「ツル?」。彼らは筆者たちのクルマが近づいても、飛び去らなかった。だから,この写真が撮れた。(写真上)

 「Bさん,ゆっくりゆっくり!」。筆者の頼みに彼は珍しく応じ、速度を落としてくれた。これには別の理由もあったようだ。つまり,先頭車のBa氏たちがこの先で筆者たちを待っていてくれて、一緒に休憩をとるという段取りだったらしい。だから多少遅れても,たまに筆者の願いも叶えてやらなきゃ、という気持ちがB氏にあったみたいだ。

 さて,鳥のことである。帰国後に鳥博士に判定してもらった。その結果,あのアネハヅルだったのだ!!数年前にNHKテレビが特集を組んで、このツルの特異な生態を放映した。筆者も偶然その番組を目にして、感動したのを覚えている。彼らはツルとしては体が最も小さいが、ヒマラヤを飛び越える大物なのだ。

 彼らは暖かい時期には繁殖と子育てをしながらモンゴルなどで過ごす。そして,寒くなる前にインドに渡って越冬する。そのときに編隊を組み、あのヒマラヤ山脈上空を大飛行するのだ。

 さて下の写真は,そのツルがいた場所の奥に立っていたゲルだ。3棟のうち2棟から、うっすらと煙が出ていた。彼らは昼食の準備だったようだ。ゲルから生活の匂いが感じられた。

「鶴を見て 休憩もとり 大草原」  日々好日、日々感謝。 (K.M)

(556) モンゴル日記(271)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて19 】

北モンゴル最奥部を訪ねて19

北モンゴル最奥部を訪ねて19

 今回の旅行では行き・帰りの途中でも、印象的な風景や出来事にいくつも遭遇した。というよりは、その道中も旅の一部なのだ。目的地で過ごす時間だけが旅の中身ではない、と今回その思いを強くした。

 さて上の写真である。野鳥の集団が踊っていたのだ!ほんとうにそんな風に感じた。翼を広げ動かし、何羽もそうした動作をしていた。一方,飛んできて着地するのか、翼を広げてまだ空中にいた鳥もいた。また地上に下りて羽を休めているだけの連中もいた。数は20,30羽はいたろうか。これはほんの十数秒の貴重な目撃だった。運が良かったのだろう。

 この光景を目にしてうれしくなった。感激した!イヌワシにつづいて、こんな近距離で異郷の”ガン”を見ることができた。(この時は知識もないのに、勝手にガンと思い込んでいた。あとで鳥博士に正解をお聞きして、少し驚いた。彼らはガンではなくカモの仲間だったのだ。アカツクシガモという鳥だった。)

 さて下の写真は、路面の色がまた変化してきたようすだ。やはり土質の変化なのだろうか。今度はこんな風に黒っぽくなってきた。

 ところで,この風景の中でゲルのそばに電柱が見える。「あれっ!?」と思われるかもしれない。が,モンゴルではこうした電柱のある風景というのは奥地でも目にする。

いずれ機会があったら、その電柱の説明もしたい。日々草原、日々鳥々。 (K.M)

(552) モンゴル日記(267)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて15 】

>【北モンゴル最奥部を訪ねて15 】

>【北モンゴル最奥部を訪ねて15 】

 この2枚の写真はボケていて恐縮だが、筆者にとっては貴重なものとなった。生まれて初めてイヌワシの姿を撮影したのだ!これは今回の旅の忘れられない情景のひとつである。

 草原の道を走っていたときだ。運転していたB氏が突然、「シャチョー、コンドル,コンドル!!」と叫んだ。彼はハンドルから右手を離し、クルマの前方左の方を指さすではないか!「ん?!おっワシだ,ワシ!カメラ!あれっ?!」

 カメラは首からぶら下げていた。そのカメラをスタンバイするには,ちと時間がかかった。幸いカバーを外してあったのはいい。が,振動する車内から望遠でその姿をとらえるには、筆者にはムリだった。しかし「エーイッ」、シャッターを何度か押す。その中で比較的マトモだったのがこの2枚なのだ。上の写真には2羽しか写っていないが、イヌワシは全部で4羽いた。

 うまく撮影できなかったのは、まずスキルが身についていないことが根本原因。それにもう一つ、「クルマ停めてー!写真撮るから」、などとは言えない事情があった。クルマを停めると、はるか先の目的地をめざして急ぐ各車に、迷惑をかけるからだ。筆者以外の人たちは、トイレ休憩かランチタイムの時しか停車しないものと考えていた。

 なお,この不鮮明な写真を手がかりにイヌワシと判定してくれたのは、久々の登場,鳥博士のK氏だった。

こんな間近でイヌワシに会えて興奮した!日々幸運、日々感謝。 (K.M)

(547) モンゴル日記(262)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて 10 】

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 翌朝、お世話になった製茶会社の若社長にお礼を申し上げ、そこを発った。そしてムルンの町からウブスグル湖まで延びる舗装道路に乗る。この道路は最近つくられたという。

 気持ちよくクルマを走らせていくと、「んっ?!」。進行方向の左手遠方に、見慣れない四ツ足らしい動物を発見。・・・ラクダ?! 2頭いて、その背後には湖も見えてきた(写真上)。

 その先をもう少し進むと、道路脇にフタコブラクダの群れがいた。あの四ツ足も正体はこれだ!6,7頭がのんびり草を食べていた(写真下)。この国でラクダを見るのは2度目。数年前に,有名な観光地テレルジで会って以来だ。

 B氏の話によれば、フタコブラクダはモンゴルにしかいないという。(それは半分正しいが、Wikipediaによれば中国北西部にもいるらしい。)

 それはともかく、ふつうラクダといえば砂漠というイメージが浮かぶ。しかし,ここではラクダは草原におり、その背後には湖が広がっていた。だからここのラクダは暑いと,この湖で泳ぐのではないか?!と, 変な想像をした。

 あとから振り返ると、このラクダとの出会いが舗装道路での最後の出来事となった。筆者たちはこの後、16時間,400kmにわたるオフロードの「冒険」に挑んでいくことになる。

このあとからは色々あった,何でもあった。 先々adventure、先々Exciting。 (K.M)

(542) モンゴル日記(257)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて 5 】

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 この国では放牧された家畜があちこちにいる。ガソリンスタンドの前であろうと、草が生えていればやって来る。また広い草地が道路で分断されていても、片側を食べ尽くすと反対側に移動する。その時,彼らは左右をよく見て道路横断するということはまずない。しかし,モンゴルの人たちはこうした動物たちの行動に慣れていて、鷹揚に接する。

 上の写真はモンゴル第二の都市エルデネトの市街地に入る前、立ち寄ったガソリンスタンドである。ここで4台とも給油。そこにいた牛は3頭のグループで、まだ若そうな体つきだった。一心に草を食べ、カメラを構えた筆者なぞモー気にしないようす。店の人も彼らにはまったく注意を払わない。

 下の写真は、その給油後まもなく遭遇した場面だ。横断は終わり頃だったようだが、牛の大きな群れが道路を横ぎっていた。しょうがないから、両車線のクルマは一時停止。右側のクルマはT氏一家が乗るランドクルーザー”プラド”だった。

 T氏もやはり、クラクションも鳴らさずに彼らが通り過ぎるのを待っていた。失礼ながら、連想した・・・彼を放牧の家畜に例えると,何だろう。T氏の風貌や受ける感じからすると、彼は牛だろう,いやいやヤクかなぁ。

モンゴルの人々はクルマに乗ると、家畜にはやさしく接する。けれど,街なかではあのシビアな運転ぶりとなる。ときどき不思議、ときどき理解不能。           (K.M)

(519) モンゴル日記(234)

【 エグ川にて~30 】

 

 あのタイメンをエグ川に解放し、全員で帰途についた。来る時とは違い時間はかかるが,こんどは川のなかを進んだ。上流にあるキャンプサイトに戻るのだ。

 釣り上げたKt君やその師匠のBa先生はもちろんのこと、筆者を含む他の同伴者も何となく満足したような表情だった。充足感のようなものが漂っていた。途中でメンバーはエグ川の流れをバックに、代わる代わる記念の写真も撮った。

 と、しばらく左岸側を歩いていくと、浅瀬の土の部分にこんな足跡を見つけた。犬ではなかろう、この辺りでは見たことがないもの。またキツネはこの地にいるのだろうか?・・・その時,Ba先生が言った。これはオオカミの足跡だ、と。それを聞いて、日本人たちはみな「オーッ」と思わず声をあげた。

 それは3,4頭分らしかった。親子かも知れないとのこと。足跡の大きさが違うものがあるし、土への食い込みの深さが異なるらしい。オオカミに関しては、この国で何度か遠吠えを耳にしたことはある。ときには深夜のゲルで聞いたこともある。しかし、足跡ははじめて目にした。

 最近はこの足跡のレプリカが商品になって出回っている。インターネット販売に登場もしている。たいていはアメリカ製品らしいが。でも最近,この国でもみやげ物の新顔としてオオカミの足跡のレプリカを見つけた。

魚類が去って、こんどは哺乳類の登場だろうか?! 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(517) モンゴル日記(232)

【 エグ川にて~28 】

 

 いよいよお別れだ。写真右のように、放す前にKt君はタイメンと別れのキスをした。彼がいちばん名残惜しかったに違いない。夜中に苦闘の末、釣り上げた大物だもの。それも彼にとって今回が初めての国外であり、その海外釣りツアーの最終日で、目的のタイメンを引き当てたのだ。感激と喜びはひとしおだったに違いない。

 さて写真左は、いよいよ放流する場面だ。この後 解放されたタイメンは、最初のうちはちょっと,たどたどしいような動きだった。しかし、やがて本流に近づいていくと、ヌソーッと深みへ泳ぎ去った。何やらホッとした。

 釣った本人ではないものの、こうしてreleaseに立ち会えてほんとうに良かったと思う。こんな場面に立ち会えるのはめったにないだろう。モンゴルでの忘れられない思い出がひとつ増えた。

 ところで後日談をひとつ。以下はKt君の話だ。この大物タイメンを釣ったフライの疑似餌は、実のところ師匠Ba先生から頂いたモノだったそうだ。それはネズミの形に似せたもので、釣り場に行った際に「これを使ってみろ」と渡されたという。言葉が通じないので身ぶり手ぶりだったが、すぐ察したらしい。その事から、おそらくBa先生も彼の腕を認めていたものと思われる。そうだとすれば、日・蒙釣り師の心の交流と言ってもよいかも知れない。

今回のツアー最大の目的が達成されて 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(516) モンゴル日記(231)

【 エグ川にて~27 】

 

 強健そうだが、やはり長く拘束してはおけない。早く解放し、エグ川に帰さねば・・・そしてリリースの時が来た。写真左はその放流前にもう一度、全姿を撮影したものである。

 写真右はモンゴルの釣りの師匠Ba氏が、タイメンのエラに通していた木綿のひもを慎重にほどくところだ。タイメンはまもなく放されると感じたのか、体を少しくねらせた。

 ところで前号のつづきを書く。筆者には、魚おさえ(魚捕り)でこうした1m級の大魚をつかまえた経験がある。昭和39年(1964年)夏のことだ。小学6年生の時で、魚釣りや魚おさえに夢中になっていた。そして、この年6月16日に新潟地震が起きた。が、その後すぐに魚釣りと魚おさえを復活させた。

 やがて夏休みに。実家の前を流れる小阿賀野川の中州に、仲間と出かけた。そこには沼があった。ところが、その沼に地震の際にできた亀裂や新しい深みが形成されていた。「そういう所に魚は寄る。とくに大物は」、先輩たちからそう聞いていた。

 そして その沼の水に腰までつかりながら、沼底の大きな裂け目に足を入れた。ン?そこで何かにぶち当たった。と、それは動き出した。「おっ、デケェぞ!」。悪戦苦闘しながら、2人の仲間の協力も得て、半円形の網に追い込んだ。それはライギョだった。見たことのない1mクラスの超大物だった。

獲物を捕まえるときの興奮は格別だ!日々好日、日々感謝。 (K.M)

(515) モンゴル日記(230)

【 エグ川にて~26 】

 

 この釣り上げたタイメンは重厚感も感じさせた。各人が写真を撮っている間も、むやみに暴れ出すこともなかった。また 水中ではゆったりという風で、激しい動きはしなかった。かといって、弱っているようにも見えない。余裕だろうか?ひょっとして、いずれ放されると確信していたのかも知れない。

 さて写真左に写っている尾びれは鮮やかな赤茶色で、大きく厚くがっしりとしていた。幅は20cmはあったろうか。また、写真右は頭部である。どうもサケ科の魚の頭とは思えない。そんなに詳しいわけではないが、サケの頭というよりはライギョかナマズに近いのではなかろうか。タテ長ではなく横に広く厚い頭部なのだ。日本でこんな鮭の仲間は見たことがない。

 ただ気になったのはこの目である。ややうつろな眼(まなこ)にも見える。けれど、「ええかげんに放したらどないや?」というような、筆者たちを呆れたみたいな?目つきにも思える。結果としては、この数分後に川に帰したのだが。

 ところで 自分が釣った魚ではないが、これに関連して古い記憶を思い出した。実は、これに匹敵するような大魚を目の前で見たのは2度目である。しかし、それは釣り上げたものではなく、筆者が捕まえた魚だった。それは印象深い思い出で、詳しくは次号に記す。

日々好日、日々感謝?! 「ふん,オレはここんとこ 日々危険、日々災難やで」(タイメン)  (K.M)

(514) モンゴル日記(229)

【 エグ川にて~25 】

 

 写真左のように、釣り上げたKt君は尾びれのつけ根をしっかりつかまえ、ゆっくりと水面から持ち上げた。写真右はその胴体部分だ。「うーん,デカい!!」。

 観念したかのようにおとなしく横たわっているタイメンを、しばし眺めていた。彼(彼女?)は風格のようなものすら漂わせている。そして 横目で筆者を睨みながら、こう呟いているようだった。「同情なんていらねえよ!オレの失態だわさ。それにお前らが喋ってるのを聞いてると、オレを釣った奴ぁー,外国が初めての人間だって言うじゃねえか。そんな異国の若造に引っかかるなんて、オレも焼きが回ったもんだ。ああ情けねェ。ただ若造は日本人だっていうから、まァ幸運か」

 「なぜ,幸運かって?分かんねえのか。ほら最近まで元気のよかったモンゴルの南の国があるじゃねえか。そこの人間なんざに釣られたら最悪だったわなァ。だいたい不名誉だし、キャッチ&リリースなんて守るわけがねェ。連中すぐ食っちまうよ。オヤジ,おめえも日本人みてぇだが、何なら後学のためにオレを喰ったっていいんだぜ」

 そこで筆者はあわてながら答えた。「何を言うんですか。そんな事はしませんよ。日本は法治国家でルールを尊重する国がらです。もう少し写真を撮らせてもらったら、すぐ解放しますよ」

彼が答えた。「おっそうかい,日本人に釣られてやっぱり良かったぜ!」 日々好日、日々感謝。 (K.M)