(569) モンゴル日記(284)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて32 】

北モンゴル最奥部を訪ねて32

北モンゴル最奥部を訪ねて32

 眺望の良かったあの峠を後にした。ところが,下り道はなかなかの悪路。上の写真のようにぬかるみの連続だった!数日前の大雨で、溝にまだ水が溜まっていた所も少なくなかった。それで4台とも難渋し、意外に時間が食われた。とくにXトレイルは、車体の”腹”をたびたび 地面にこすって大変だった。

 下の写真は、そのぬかるみゾーンをやっと抜けた様子である。写っているのは前走車のランド・クルーザー。まともな路面になってきた。ここを過ぎると、今度は広い谷状の草原に出るのだ。しかし、そこにたどり着くまでもけっこう時間がかかった。この下り道がなかなか長いのだ。

 ところで,この辺から本格的な樹林が出現する。樹種はやはり針葉樹のようだが、峠の手前で見られた”枯れ現象”はここでは見られなかった。このことは、先に筆者があまり根拠もなく軽率に”枯れ”の原因を酸性雨ではないのか、とした考えを改める契機にもなった。

 標高が低くなってきたら、樹間が少し詰まってきた。そして,その樹林の縁や木々の間に、多くはないが低木も見えてきた。ただし種類は日本のように多様ではない。そのうちハマナスに似た花や、タンポポみたいな草本も現れた。それを見て、ちょっとビックしたり,嬉しかったり。

オフロードの旅は半分には達したと思う。ここまでは無事に来たのだから感謝しよう。やはり日々好日、日々感謝。 (K.M)

(568) モンゴル日記(283)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて31 】

北モンゴル最奥部を訪ねて31

北モンゴル最奥部を訪ねて31

 峠では各人が思い思いに時間を過ごした。まぁ,多くの人は眺望を楽しんでいたが。上の写真で奥に見える尾根上の物体が、前号で紹介した”ヒヒ岩”である。実際,こいつは峠のランドマークのような役割を果たしているようだ。

 ところで,メンバーの誰かが双眼鏡を持って来ていた。それで筆者も覗かせてもらった。そのレンズを通した眺めは美しい映像のようで、催促されなければ何分でも見ていた。

 と,いつの間にか、オートバイに乗った男女がそばにやって来ていた。そして男性は腰に下げていたケースの中から、これまた双眼鏡を取り出して、遠くを眺めはじめたではないか。

 一方 下の写真である。後ろの座席に乗った女性は防風のためだろう、顔をマフラーですっぽり覆っていた。そして,この近くで採ったらしいアリウム(ネギ類)を束にして持っていた。興味を覚え、彼女に尋ねた。通訳はもちろんBさんだ。

 「それは食べるのですか?」「ええ、そう」「生で食べるの?」「いいえ、炒めて食べるわ」「その花も食べるわけ?」「もちろん。今夜の食卓に出すの。おいしいわよ。良かったら,あなたに少しやるわよ」・・・ここでBさん「シャチョー、もらっておきなさいよ」。ということで、数本頂いた。

 感じのよい二人だった。きっと夫婦だろう。子供が3人くらいいる、幸せな家庭生活が想像された。日々良き出会い、日々良き人々。 (K.M)

(567) モンゴル日記(282)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて30 】

北モンゴル最奥部を訪ねて30

北モンゴル最奥部を訪ねて30

 上の写真は峠の手前、長い尾根上にあった巨大な岩である。長さは6,7m、高さは2,3mはあったろうか。遠くからでも目立つ。ただ近づく前は何かでかいヤツがあるなァ,くらいにしか思わなかった。しかしそばに行ったら、びっくり!姿形がヒヒに似ていた。

 天然の造形物ながら面白い。この写真でいうと、岩の右側の尾の部分が短い点以外は、まさしくヒヒだろう。左側上部を頭に見立てると、目や鼻に見える凹凸がある。ただし,実際のヒヒはこんな座り方はしないかも知れないが。

 このような姿形をした個性的な岩を見ると、やはり日本人なのか、何か名前を与えたくなる。まァ平凡だが、分かりやすさから”ヒヒ岩”といったところだろうか。

 さて,下の写真は峠からの眺望だ。これが抜群だった。山道を進んでくると、”ヒヒ岩”を右の尾根に見て、まもなく峠に着く。そこからは,手前から奥まで山々が三列に重なる風景が広がる。そして,彼方には雪を残した高い山々も拝めた。この山並みの向こう側がロシア領なのだという。空には雲が多かったが、筆者を含め何人かがこの素晴らしいパノラマに驚きの声をあげた。

 この美しい眺めを堪能していたら、仲の良さそうな夫婦連れがやって来た。そこでまた,印象深い場面が生まれた。それは次号に記す。

良い景観は人の足を止める。人を喜ばせる。人に希望を与える。日々絶景、日々感動。(K.M)

 

(566) モンゴル日記(281)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて29 】

北モンゴル最奥部を訪ねて29

北モンゴル最奥部を訪ねて29

 上の写真は先々号で紹介した、ナーダムの競馬に出走する馬の練習風景だという。峠に着く前、走るクルマから見えた。ただ仔馬らしき姿も見えたから、その内容がどういうものか,終始見ていた訳ではないのでよく分からなかった。ただ日本とは違って馬場ではなく、こうして大自然の中でやるのがいい。

 ところで帰り道に、ある村のナーダムに立ち寄った。会場のあちこちで、出走前の人馬が行き来をしていた。何と,そこで馬に跨っていたのは日本の小学生くらいの子供たちなのだ!人々は彼らに声援を送っていた。モンゴル相撲に比べても、人気が高いことを実感した。

 ところで,下の写真は峠の手前で見られた、樹木の”枯れ”現象である。向い側の斜面で針葉樹が被害を受けていた。その時よく調べもせずに、「酸性雨の影響かも知れませんね」と、B氏に言ってしまった。が,気になったので帰国後 写真を見せながら、専門家の意見を求めた。そうしたら虫の害、つまり幹に穴をあけ内部を食い荒らす削孔虫によるものではないか、ということだった。

 その専門家は、既に何度かモンゴルに渡っている。彼によれば、ウランバートルでも最近この種の被害が認められるとのこと。

この道は帰りも通った。沿道には撮影したい植物も少なくなかった。しかし,カメラもスマホも電池がとぼりかけていた。帰りはマシンが電池切れ、人間も電池切れ?! (K.M)

(565) モンゴル日記(280)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて28 】

北モンゴル最奥部を訪ねて28

北モンゴル最奥部を訪ねて28

 皆でランチを食べた集落から、さらに奥へと向かう。道は日本の昔の田舎道のようで、そのうえご覧のとおり山道だった。《目的地まであと何時間かかるのだろう、だいたいどの辺まで来たのだろう?》 といったことは、もう考えないことに決めた

 ところで,この山道の谷側には、細いが小さな沢が流れている。それは下流ではしだいに幅が広がり小川となって、結局あの橋の架かった川に注ぎ込んでいた。上流は絶えることなく、細いままでずーっと繋がっているらしい。そして,この先の峠までは達していたようだ。水質は良いようで、メンバーの中でも飲んだ人間がいたらしい。そんな風に、その水は放牧の人々や家畜たちにときどき利用されるようだ。やはり貴重なのだ、水資源は。

 やがて下の写真のように、ヤギの群れに出くわす。数十頭の一団を、精悍な顔をした男の人が誘導していた。彼とヤギたちは筆者たちのクルマが近づくと、自主的に谷側によけてくれて通してくれた。申し訳なかったが、彼は嫌な顔も見せずに道を譲ってくれた。

 さて,この山道をしばらく進むと、大きな峠があった。そこからは見晴らしがきき、すばらしい眺望が得られた。詳しいことは次々号で述べるが、そこでは印象深い景観と出会いが得られた。

ムルンを出発して既に7時間が経つ。しかしどういう訳か、疲労感は覚えない。日々元気?! 日々充実?! (K.M)

(564) モンゴル日記(279)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて27 】

北モンゴル最奥部を訪ねて27

北モンゴル最奥部を訪ねて27

 上の写真は前号で書いたあの橋を渡った側、つまり右岸側の小さな集落である。戸数は10戸もない。しかし,この集落にはレストランが二つもあった。ちょっとビックリ。お客がそれだけいる?! まァ,レストランといっても村の食堂といった風情なのだが。

 さて時刻は午後2時、日本なら昼食はもう過ぎている時間だった。筆者たち一行14人がランチをとろうと、その一つに飛び込んだ。すると,先客がすでにあること、食材がそれだけ揃わないことを理由に断られた。それでもう一つの方に行ってみる。

 幸いにも? こちらのレストランはお客が誰もいなかった。しかし,ここの主人も筆者たちの人数を見て、少し躊躇したようだった。食材の量が心配になったのかも知れない。しかし,何とか引き受けてもらい、ここで全員がランチをとった。それは簡単なモンゴル食だったが。

 さて下の写真である。この馬は地域で最優秀に選ばれ、ナーダム(夏祭り)に参加する名誉ある一頭なのだそうだ。近々この地域のナーダムが行なわれるので、その競馬部門に他の何頭かと出走するという。それでその名誉を、馬体に巻きつけたモンゴル国旗で表しているのだそうだ。なおこの後,偶然にもその練習風景をかいま見ることができた。

この次の集落に立ち寄ったのは給油のためで、真っ暗になった9時間後だった。目的地、まだまだ先だ,まだ遠い。 (K.M)

【号外】NHKが再放送!(559)号で紹介したアネハヅルに関するテレビ放送『アネハヅル 驚異のヒマラヤ越えを追う』⇒10月17日(月)午後8時~ NHK BSプレミアム

(563) モンゴル日記(278)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて26 】

北モンゴル最奥部を訪ねて26

北モンゴル最奥部を訪ねて26

 この辺は山あり,草原あり,清流あり。前号で述べた”屏風岩”もあるし、さわやかな山紫水明の地なのだ。日本なら一流の観光地になるかも知れない・・・けれど,そこに変な橋が現れた。

 ”屏風岩”に感激したのも束の間、そのすぐ上流に架かっていたこの橋には正直ビックリ。渡らなきゃ先に進めない。しかし,この橋は安全に渡れるのだろうか?

 そのうえ真ん中が開いていて、上手に渡らないと車輪を落とさないとも限らない。でも,たぶん釣り師Ba氏にとっては、この橋は初めてではないのだろうが。と想像していたら、もう彼は渡り出していた。それも事前に同乗者を降ろし、ドライバーである自分ひとりで注意深く進んで向こう側に行った。渡りきった。

 次にXトレイルが、そしてプラド,レクサスがつづく。いずれもドライバーだけが乗り、同乗者は下ろして進んだ(上の写真)。そして,全車うまく渡った。けれども,この先も危ない橋には何度か出くわした。

 まァ,ふつうの日本人ドライバーなら、筆者のような不安を抱くことだろう。だいたい,こんな橋は日本中どこへ行っても無いだろうから。

 4台が渡りおわってから、橋の下の方をじっくりと眺めて見た(下の写真)。この構造を目にして、改めてザワーと寒気がした。

モンゴルでも、危ない橋を渡らないと物事は成就しない?! ときどき佳境、ときどき架橋。 (K.M)

【号外】NHKが再放送!(559)号で紹介したアネハヅルに関するテレビ放送『アネハヅル 驚異のヒマラヤ越えを追う』⇒10月17日(月)午後8時~ NHK BSプレミアム

(562) モンゴル日記(277)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて25 】

北モンゴル最奥部を訪ねて25

北モンゴル最奥部を訪ねて25

 水の難所を乗り切ったら、今度は道がごつごつした路面に変わった。岩石混じりなのだ。そんな路傍に地味な花が咲いていた。それが上の写真で、これが何とデルフィニウムの仲間だという。一見して、それとは思えない花色だった。

 デルフィニウムというのは、これまで青い花の代表格だと思っていた。それが見過ごしそうなくすんだ焦げ茶のような花色で、草姿もさえない感じなのだ。だから、そばを走っていても最初のうちはこの植物の存在すら気づかなかった。

 そのデルフィニウムの原っぱを過ぎると、まもなく目の前にとても美しい景観が現れた(下の写真)。清流に突き出た見事な岩壁である。そそり立つ断崖は川の流れと融合した絶景だった。高さは10メートル前後、長さも数十メートルはあろう。

 さて,この絶景が仮に日本ならば、”北モンゴル屏風岩”とでも名付けているかも知れない。しかし,こちらの人たちは特定のモノ(岩とか樹木など)に、そうした呼び名や愛称を付けるということはあまりしないようだ。だから,これほどの風景なのだが、名前がないらしい。

 ただ,この奇観に魅せられたのだろう。親友B氏もこれを何枚か写真におさめていた。ということは、こうした自然景観に対する美的感覚は日・蒙であまり差はないのかも知れない。

この景観に見とれていたら、今度は怪しげな橋が行く手に現れた。次々課題、次々解決?! (K.M)

【号外】NHKが再放送!(559)号で紹介したアネハヅルに関するテレビ放送『アネハヅル 驚異のヒマラヤ越えを追う』⇒10月17日(月)午後8時~ NHK BSプレミアム

(561) モンゴル日記(276)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて24 】

北モンゴル最奥部を訪ねて24

北モンゴル最奥部を訪ねて24

 このあたりは水場の連続だった。短い区間で3ヶ所も横断を強いられた。そのなかでも上の写真のような場所は、横切るのにそれほど困難はなかった。

 しかし,下の写真の場合は甘くはなかった。これは沢や流れではなく、もはや川だった。水量も豊富で深さもあった。川幅も10メートル近くあり、流速もあった。だいいち前走のBa氏のランドクルーザーさえ、ストレートに渡りきれなかったのだ。川の途中で向きを変えること数回、苦労しながら渡った。

 ドライバーB氏は、その一部始終を目の前で見ていた。ここを渡らなければ先に進めない。それに後ろには2台いる。愛車Xトレイルを慎重に水に入れた。そして、川なかで進路変更を何度か試みながら進む。けれど、はた目にはモタモタという様子に映っただろう。事実、川の中ほどで動けなくなった。「おおっ」、とっさに筆者も脱出方法を考えた。下の写真はこの時に撮ったものだ。

 とその時、先に渡ってその様子を注視していたBa氏が大声を発した。運転席のB氏に向かって、両手を動かしながら何かを指示したようだった。・・・と、B氏がそれに従う操作をしたのか、Xトレイルは再び対岸に向かって徐々に動きだした。・・・脱出できた!!「ふーっ」。

振りかえると、ここが水の難所では2番目に大変だった。最大の難関はズーッと後に現れた。何とか渡渉、何とか乗り越え。 (K.M)

(560) モンゴル日記(275)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて23 】

北モンゴル最奥部を訪ねて23

北モンゴル最奥部を訪ねて23

 上の写真は休憩のとき、草むらにいたバッタである。この他にも数種類のバッタがいた。中には五角形のような背中をして、その色が地面と似ていて,なかなか見分けがつかないヤツもいた。けれど,この連中は特徴が際立っていた。

 彼らはシャキシャキッというような音を出しながら、飛ぶのである。跳ぶのではない、飛翔するのだ。その飛行距離は長いと、数十メートルに及ぶ。また,その高さも5,6メートル以上に達する時もあった。とくに風に乗った場合など、百メートル以上の”最長不倒距離”を記録する猛者もいた。

 体長は3,4センチ、体の色彩・模様はさまざまだった。背中の色が薄茶色もいれば、薄緑も灰色もいた。また模様は縦じまが多かったが、中には点々や模様がないモノもいた。実に多様なのだ。ただ厳密に言って,彼らが同一種かどうかは分からない。

 この飛行バッタ、目的地のキャンプの周囲にもたくさん生息していた。そこで、彼らの飛ぶ姿を撮影しようと何度か試みたが、果たせなかった。

 下の写真はその休憩後、再び走り出したら見えてきた風景だ。どうやら,この辺りから山の様子が変わってきた。草すら生えないような山肌で、すべすべした岩が露出しているように見える。しばらく忘れていた筆者の頭部のことを、つい思い出してしまった。

楽しいけれど、目的地にはいつ着くのだろう。時々気がかり、時々忘却。 (K.M)