(579) モンゴル日記(294)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて42 】

北モンゴル最奥部を訪ねて42

北モンゴル最奥部を訪ねて42

 上の写真の植物は、昨年のエグ川ツアーでも確か紹介した。明るい林間や林の縁で咲いているが、遠くからでもよく分かる。それは実際の花色がもっとオレンジ色に近く、とても目立つからだ。そして,ご覧のように美しい。

 これはキンポウゲ科のキンバイソウの仲間である。日本の高山植物シナノキンバイなどのグループである。経験からすると、この花はモンゴルでは比較的容易に目にすることができる。あちらの文献によれば、モンゴルではこの花の部分が薬用として使われているらしい。

 また下の写真は、大雑把にいえばリンドウの仲間である。が,詳細はよく分からない。ただO先生のお話だと、これは日本でいうトウヤクリンドウに近いものではないのか、ということだった。たしかに花色の青がうすかった。それとモンゴルの文献によれば、あちらの民間伝承薬としてリンドウ類も広く用いられているようだ。

 ところで,日本のリンドウの多くは夏の後半から秋に咲く。しかし,このリンドウは既にこの時期つまり7月中旬に咲いていた。それに今回のツアーで見た他のリンドウ類も開花期だった。(だいたい花を咲かせていたから見つけたようなものだ。)

 冬の訪れが早いせいだろう、花は早めに咲き早目に種子をつけ、次代へとつなぐのだろう。植物も日々必死、日々懸命。 (K.M)

(578) モンゴル日記(293)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて41 】

北モンゴル最奥部を訪ねて41 -03

北モンゴル最奥部を訪ねて41 -04

 写真の上・下の花は山野を歩きまわってやっと見つけた・・・と,いうのではなかった。ある場所で皆が休憩を取っていた時のことだ。その場所からそう遠くない、林の縁の草原に咲いていた。あたりを散策していたら、たまたま発見したのだ。

 「おっ!こりゃ何じゃ・・・?」。最初に上のうすい青の花を、その後すぐに下の鮮やかな濃い青の花を見つけた。うすい青花と濃い青花の2種類は、それぞれ小群落を構成して隣接と言ってよいほどの位置で咲いていた。「色違い」の花を開いていたのだ。

 正直のところビックリした!こうしたケースもあるんだなァ。後で振り返ると、この2つは今回の旅で最も印象的な花となった。その集団の写真もそれぞれ撮影してあるが、紙面の都合上この2枚しか載せていない。

 草丈は30~50㎝ほど。つやのある花弁の大きさは2㎝前後、はじめて目にした花だった。帰国後に関係資料をあさった。推測でどうやらシソ科のタツナミソウの仲間ではなかろうか?ということで、結局は今回もO先生に判断をお願いした。が,「シソ科は間違いないでしょう。でもタツナミソウにしては大き過ぎると思いますよ。花や姿は似ているけれど。」とのこと。これも引きつづき調査中である。

 探せばまだまだ面白い植物にぶち当たるかも知れない。日々好花、日々感動。(K.M)

(577) モンゴル日記(292)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて40 】

20161105-02

20161105-01

 これから3回にわたり、往路で出会った花についてその一部を紹介しようと思う。

 まず上の写真は(567),(568)号で述べた”峠”の、その周辺で見つけた植物である。樹林の縁といった場所で、どちらかと言うと半日かげで咲いていた。草丈は20,30㎝。花は小さく白い花だったが、実に可憐で印象的だった。気になったので撮影しておいたものだ。

 帰国してから、O先生にお尋ねした。植物のことで見当がつかなくなると,いつも頼ってしまう。なにしろ植物分類の大家なのだから。ともあれ,先生からご教示いただいたところでは、この植物はサキシフラガ(ユキノシタ科)の仲間だろうとのこと。

 一方、下の写真の植物は上記の”峠”に至る手前、道沿いの日当たりのよい斜面に咲いていた。草丈は50~100㎝くらいあったろう。爽やかな青い花が多く付き、遠くからでも認識できた。どうやらシソ科植物のようだった。

 それ以上の詳しいことは、現時点ではよく分からない。ただ道中では,この植物をときどき見かけた。概してモンゴルにはシソ科植物が多く分布しているように感じる。

 日本ほど植物相は豊かではない。しかしモンゴルの地には耐寒性と耐乾性を備えた,たくましくて美しい花々が生きている。日々好花、日々鑑賞。 (K.M)

(576) モンゴル日記(291)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて39 】 北モンゴル最奥部を訪ねて39

 北モンゴル最奥部を訪ねて39

 上の写真を説明する。石だらけの川というよりは、ほとんど水枯れの川原を二つ続けて横断した。いずれも川幅が10メートル前後はあっただろう。

 二つの川は数日前の大雨でだいぶ増水があったと思われる。川原には樹木の根株などが押し流されて来ていた。また,大きな石が所々でむき出しになってもいた。さらに岸辺にはところどころにえぐれも見えた。

 この二つの川原を横断するのにはけっこう時間がかかった。スピードなど出せっこない。大きな石や窪みを避けて、徐行しながら行くしかない。時にバックもした。とくに,わがXトレイルはそうだった。他の3台より小ぶりでパワーが少ないからだ。

 それでも,何とか無事に渡り終えた。と思ったが、Ba氏運転のランドクルーザーは調子が良くないようだった。それで彼は横断後にボンネットを開け、エンジンのチェックをやり出した。しかし,それは短時間で済んだから、ビッグ・トラブルではなかったようだ。その後、ランドクルーザーは再び先頭になって走り出した。

 さて,下の写真の看板は、二つの川原を渡りおわった所に立てられていた。そこには「フブスグル・ウラン・タイガ」と記してある。また,その下には県の特別保護区域であることも書いてある。そうなのだ、この辺はもうタイガ地帯なのだ。アッ,そう言えば、日本の阪神タイガは今ごろ何位なのかなァ・・・。

たしかに風景が変わってきた。目的地は近い?! しだいにタイガ、しだいに予感。 (K.M)

(575) モンゴル日記(290)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて38 】

北モンゴル最奥部を訪ねて38

北モンゴル最奥部を訪ねて38

 上の写真の拡大が下である。この植物は残雪のあった川原の、道路側の湿地に生えていた。そこは川の流れからは離れているが、そばに行くと,靴がズブズブと沈むほどだった。下の写真をよく見ると分かるが、水がしみ出しているのだろうか、あちこちが光っていた。面積は全体で数十㎡くらいはあっただろう。

 写真の植物はプリムラの仲間のようだった。花の大きさは1㎝にも満たないくらいの小輪で、とてもかわいらしい。それは無機質な川原の風景に、可憐さと柔らかい色彩を添えていた。花色はほぼ下の写真どおり、薄い紫ピンクだった。しばし見入っていたが、花弁はハート形というか,蟹の太いハサミ状というか。花弁は4枚のもの,5枚のもの両方が見られた。

 ところで、この植物の葉はまわりにいっぱいある細いヤツではない。その下にのぞく広葉で、丸っこい小さな方だ。葉もかわいらしい。

 このかわいらしい花と、やっぱり水の出どころが気になり、この湿地に指を突っ込んでしばらく観察していた。と,水がやはりどこかからジワーッと出ているようだった。そうでなければ,ジメジメというよりはグシャグシャとしているこの状態を理解できないからだ。水源は湧水ではないか。そうだとすれば、この湿地は湧水湿地と言われるものだろう。

旅ではいろんなモノ,こと,人に出会う。日々湧く湧く、日々ワクワク。 (K.M)

(574) モンゴル日記(289)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて37 】

北モンゴル最奥部を訪ねて37

北モンゴル最奥部を訪ねて37

 ”13のオボー”からはゆるい下り坂が続いた。そして道沿いに流れる谷川の先に、横たわったような白い物体が目に入ってきた。「何ですかね?」とB氏に尋ねたら、「雪でしょう」。近づいてみたら確かに残雪だった!

 その残雪のある川の道端にクルマを寄せた。そして,最初は1台目と筆者たち2台目の、物好きな?数人が川に下りていった。もちろん筆者を含むが。しかし,後続の3台目と4台目ではほぼ全員がクルマから降りて、川原に繰り出した。

 そして,その中には当然 若い人たちもいた。彼らは雪に触れて喚声を上げたり、雪玉を握ってミニ雪合戦をはじめる連中もいた。こうなったら,もう臨時の休憩である。しばし各自はここで時間を過ごした。もちろん、それなりの所用を済ます人も。森林といえば、この辺りではモミやトウヒに混じってマツ類も生えていた。

 筆者も若者たちに交じって、ちょっと遊んだ。雪はもちろん残雪でも冷たい。しかし谷川を流れる水はきれいだが、こっちの方がより冷たく感じた。いやっ,ひゃっこいのだ。10秒も手をつけていられない。

 さて休憩を終えて再出発しようとしたら、大事なドライバーB氏が見当たらない。皆が探しはじめたら、森の中からノソノソと現れた。どうやら彼は”大きな所用”を済まして来たようだった。

夏に残雪に触れることなど、何年ぶりのことだろう。久々触感、久々体験。 (K.M)

 

(573) モンゴル日記(288)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて36 】

北モンゴル最奥部を訪ねて36

北モンゴル最奥部を訪ねて36

 引き続き ”13のオボー”について書く。上の写真は左側に並んだ6つのオボーの手前,森の縁に立っていた看板だ。大きな文字はみなモンゴル語で、よう分からん。しかし,メイン看板の左に丸い札が吊り下げられていた。(上の写真)

 そこには”MONGOLIA NATIONAL PROTECTED AREA”と記されていた。ここからは国の保護区域なのである。この森から特別エリアになっているようだ。

 下の写真は親友でありドライバーでもあるB氏とのツーショット。筆者が小柄なので、まるで子供のように見える。彼は身長190㎝,体重90kgの巨漢。だから,こんな図になる。背後の7つのオボーにも負けていない。いや,彼は14番目のオボーと言ってもいいほどだ。

 前号でも書いたが、モンゴルにも十二支が根づいていることは知らなかった。何の影響なのだろう。やはり、歴史あるお隣の大国から伝わって来たのだろうか?

 ところで,B氏が「シャチョーはなに年ですか?」と聞くので、素直に「ヘビ年ですよ」と答えた。けれど「あっそうですか」・・・と,それっきり。「ヘビ年の人はお金がたまると言われてますよ,モンゴルでも」とかなんとか,気の利いた事でも言ってくれるのかと期待したのだが。

ヘビ年だけど、大金はもちろん,中金にも縁がない。でも,あまり困らずに暮らして来れた。日々小金、日々感謝。 (K.M)

(572) モンゴル日記(287)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて35 】

 北モンゴル最奥部を訪ねて35

 北モンゴル最奥部を訪ねて35

 上の写真は、谷を通過中にヤクの大群に出くわした場面だ。ヤクはウシ科ウシ属に分類されるほど、牛と近縁である。これまで2,3回遭遇しているが、会うとやはり牛より迫力を感じる。

 最初の出会いは、”モンゴルの箱根”ともいうべきテレルジでだった。それは生まれて初めて見るヤクで、その30頭ほどの群れを目の前にしたら、親しみよりはまず「怖さ」を覚えた。そばには近寄れなかった。しかし性質はいたっておとなしいという。そして肉から毛皮,ヤク乳までが利用されるらしい。こういう哺乳類もいるもんだなァと、興味を抱くことになった。

 ところで下の写真は、”13のオボー”という名所である。ここを通る旅人は、ほとんどここに立ち寄るようだ。ところで,なぜ”13のオボー”なのか?簡単に説明すると、十二支の12プラス 大きなオボー1で、計13というわけだ。十二支はもちろん子・丑・寅・・・だ。これがモンゴルにも定着していることにちょっと驚いた。この国に通ってきて7年目になるが、これは知らなんだ。

 正面から見ると、右側に6つのオボーと大オボー、左側に6つのオボー,で合計13基である。お参りや祈りの場所でもあるが、撮影スポットにもなっているようだ。

それにしても十二支の動物を飾るのではなく、オボー化するというのはモンゴルチックで気に入った。日々モンゴル流、日々モンゴルway。 (K.M)

(571) モンゴル日記(286)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて34 】

北モンゴル最奥部を訪ねて34

北モンゴル最奥部を訪ねて34

 上・下の写真とも、広い谷と言うべき場所だ。峠を越えて下ってきて、次の山地に取りつくまでの低地だ。そこは丈の低い草が一面に生えた草原であり、放牧に適した場所だろう。また,水の流れる沢も二本あった。

 上の写真、左側の白い家畜は羊だと思う。そのそば,流れの向こう側で群れているのは牛かヤクか。空気は清浄、雄大でのんびりした風景が広がる。こうした眺めは気持ちをおだやかにしてくれる。心を和ませてくれる。時間があったなら,この草原で仰向けになり、天空を見上げてボケーッとしていたいものだ。

 ところで,中央に白っぽい杭のようなものが立っていた。これについてB氏が推測するには、何かを埋設する工事のマーカーなのではないか、ということだった。たしかに,この先もしばらくこの杭は立っていて、”13のオボー”まで続いていた。

 下の写真は、沢を横ぎるプラドとレクサスである。流れもこんな程度なら厄介でなく、タイヤの汚れ落としをしてくれるから、むしろありがたい。ただ数日前の降雨の際にはかなりの水量になったのだろう。川岸の部分的なえぐれや,中州の大きな石が動いた形跡が見られた。

 なお,わがXトレイルにつづくこの2台、行きも帰りも基本的にはこの順番を変えなかった。色んな点で頼もしい後続車だった。

この程度のオフロードであれば、ストレスは溜まらない。道々和やか、道々穏やか。(K.M)

(570) モンゴル日記(285)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて33 】

北モンゴル最奥部を訪ねて33

北モンゴル最奥部を訪ねて33

 峠からの下り道で、周辺の森の縁や樹間にはこうしたタカネバラ(タカネイバラ)の仲間があちこちで咲いていた。前号で書いたハマナスに似た花というのはこれだった。

 昨年夏に訪ねたモンゴル中北部エグ川の流域では、この花をたびたび見かけた。というか、群落をなしていた場所もあった。だからそれに比べたら、こちらでのタカネバラの分布は少ないという印象である。だいいち今回の旅ではここでしか見なかった。

 上の写真のように花色はピンクで、これが普通だと思う。森の縁や日あたりが悪くない道の脇などで、小さい集まりをつくっていた。また,帯状に生えていた場所もあった。

 そんな中で下の写真のように、濃いピンクの花が一輪 見られた。これは別の種ではなく、おそらく突然変異だろう。ピンクの花々の中に、こうした濃い花色だから目立った。サーッと周辺を見てまわったが、この一輪だけだった。

 ところで,峠で長い休憩を取ってまもないのに、なぜこうして筆者が”花探索”の時間を得たのか?実は今回のメンバーは皆、筆者が花関係のビジネスをやっていることは知っていた。先導車のBa氏もご存じだった。その彼が、長い道中だから一回くらい筆者に花を見せる時間を与えよう、という考えになったらしい。それでクルマを止めてくれたようだ。

今回もいろんな好意や善意に助けられた。やはり 日々好日、日々感謝。 (K.M)