(382) モンゴル日記(97)

 

【中央県へ ④】

 あの馬を連れた遊牧民と別れて、だいぶ走った。やがて雪原ハイウェイの終点らしきところに到着。クルマはそこで、その道路を離れた。そして 未舗装の道路をしばらく行くと、だだっ広い高原のような場所に出た。さらにクルマを走らせると、遠くに工事看板らしきものや工事用バリケードが見えてきた。

 写真左のその看板の一番上には、モンゴル国旗と日章旗が描かれていた。その下にはJICAの文字も見え、さらにその下には見覚えのあるマークや業者名もあった・・・ミツビシ,チヨダ。また さらにはSamsungの名前も。

 バリケードの向こうはとにかく広く、真っ平らだった。そのかなたには、仮設なのかいくつかの設備がすでに設置されていた。それが写真右である。けれど 守衛所もあり人もいたので、敷地内には立ち入らなかった。

 ところで、この新空港について詳しい人がまわりにはいない。モンゴル側の日本語による発信情報も見当たらない。だから、当事者の三菱商事の公開情報に基づき以下に記す。

 それによれば、この大工事のスタートは2013年の春で、完成予定は2016年の予定という。施設としては3,600m級の滑走路、年間200万人の乗降客が利用可能な33,000㎡の旅客ターミナルなどが建設されるという。

モンゴルの合弁事業がうまくいって、いずれ完成するこの新空港を利用したいものだ。日々好日、日々感謝。(K.M)

(381) モンゴル日記(96)

 

【中央県へ ③】

 クルマは雪原のハイウェイを走りつづけた。しだいに積もった雪が少なくなってきたろうか。やがて左側の方に、高くはないが山々も現れてきた。白と褐色の平原に高低が加わった。さらに進むにつれて、集落もぽつぽつ見えてきた。写真左がその風景だ。この辺ではウランバートルと違い、空気が澄みわたっていた。

 そして、そこに登場したのが遊牧の民である。一頭の馬を引き連れて、路傍をゆっくり進んできたのだ。彼はかぶっていた帽子をとると、若者だった。馬は小形なので、おそらくモンゴル馬なのだろう。一瞬、彼が童話の世界からやって来たような錯覚をおぼえた。

 ドライバーのUさんは車を止め、降り立つ。そして、しばらくその遊牧民と話し込んでいた。写真右である。・・・レクサス,雪原の広がり,そこを突き抜ける新設道路,馬にまたがった遊牧民。ほんの一時だが、自然と文明,現代と中世、そんな抽象的なテーマを思い浮かべた。

 それはまた詩情に富む、なかなか面白い風景でもあった。日本では決して体験できないことだろう。うっすらと雪におおわれた枯れ草の草原で、異質なもの同士が出会ったシュールな世界!

 そして 去って行くその遊牧民の、哀愁を帯びた後ろ姿を見ながら、現実に戻った。新空港の建設現場まで、あとどれくらい時間がかかるのだろう?

やはり、モンゴルでしか体験できないことがいくつもある。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(380) モンゴル日記(95)

 

【中央県へ ②】

 中央県に入り、県都ゾーンモドも通り過ぎ、なおも車を進めた。そうしたら、雪原のなかにとつぜん舗装道路が姿を現した。それも真新しい。通るクルマはほとんどない。写真左がそれである。

 すると、ドライバーのUさんは筆者たちを乗せたレクサスを、その盛り土の道路に真横から上りつかせた。そして、このハイウェイに乗るや、クルマを疾駆させはじめた。起伏はあるものの、ほぼまっすぐに伸びている。気持ちの良いドライブが続く。

 ところで、この道路はどこまで行くのだろう。ただ工事の始まった新国際空港の建設現場近くまで通じているらしかった。というのは、その現場を見てみたいと、筆者が口にしたら「じゃあ、行こう!」となったからだ。

 でも、この新設道路を走っていったら、空港建設現場に着く前に、いくつかの面白い出会いがあった。まず、放牧中の家畜たちの大集団に出くわした。写真右である。何百頭という数だろう。羊,ヤギ,牛それに野生のガゼルも混じっていたらしい。もちろん筆者は分からなかったが。親友Bさんの話では、ガゼルは冬場、集団で雪の少ない所に移動するという。おそらく南の雪の多い地域から移動してきたのではないか、ということだった。

 不思議なのは、彼らをしばらく眺めていたが、相争うこともなく枯草を食んでいることだった。

雪原の動物集団。これも冬のモンゴルらしい風景だろう。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(379) モンゴル日記(94)

 

【中央県へ ①】

 花屋のご主人Uさんから、一緒に中央県(トゥブ県)に行かないかと誘われた。そこはウランバートルの南側に位置する県だ。共通の親友Bさん(あるいはソヨーチ社のD社長かもしれない)が、筆者の気分転換を兼ねて、どこか“イナカ”に連れて行ってくれないかと、彼に頼んだらしい。

 というのは、こちらで筆者が合弁会社のビジネスで苦戦しているから、ということらしかった。苦戦というのは、オランダからの輸入球根(チューリップ)がなかなか届かなかったのだ。航空貨物として載せる便が、二回も延期されたからだ。(結局 三回目にやっと到着したが、当初の予定日から11日も遅れた!)

 その間、日がむだに過ぎていった。それに冷蔵をかけたとはいえ、球根の生理上のことが心配だった。ちゃんと咲いてくれるだろうか・・・。温度が極端に低い場所や逆に高い場所に置かれていたら・・・。この国では何でもアリ、と覚悟はしていたが、だいぶ悶々としていた頃だ。

 けれど、それらのことは自分の手で何とかなる問題ではなかった。だから 筆者も割り切って、そのご好意に感謝し、お誘いに乗った。

 写真左は、ウランバートルから中央県の県都に行く途中の雪原と丘陵である。ときどき放牧された家畜たちも見かけた。また 写真右はその県都=ゾーンモドの風景である。

ウランバートル以外の地に赴くのもいいものだった。 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(378) モンゴル日記(93)

 

【盗 賊 ?!】

 ソヨーチ社の農場は入口にときどき鍵がかかっている。とくに冬場はそうだ。とは言え、中にはフジガーデンの温室がある。こんな場合、筆者とアシスタントのT嬢ふたりでアクションを起こす。

 まず筆者が、「おーい、開けてくれー」と、日本語でゆったりと呼びかけながら、扉の鉄板を遠慮がちにたたく。それに対して、T嬢は大声で“ГЁДБфӁ,ӐӢӠҴҰӒ”※と 叫びながら、ドンドンドンと手袋をしたこぶしで勢いよく鉄板を叩きつける。迫力が違うのだ!これに限らず、彼女はなかなかたくましい。

 それがダメで、次に関係者へ電話を入れても応答のない場合がある。そうなると、写真のような仕儀となる。この門扉を乗りこえるのだ。もちろんT嬢もである。写真は筆者が先に行動した際、彼女が撮影したものだ。

 扉の高さは2mほどある。だから 背が高くなく機敏とはいえない筆者は、ちょっと苦労する。まず カバンを左側のブロックの上に乗せる。それから慎重に手と足の行き場を確かめながら、ゆっくりと取りつく。幸い、手がかり・足がかりは適当にある。だから バランスを崩さなければ、まァ何とか向こう側には行ける。しかし 時間がかかる。

 この門越えは1,2月で三回はあった。モンゴルに来ると、いろんな事を体験する。

まさか、還暦を過ぎてこんなことをするとは思わなかった。日々意外、日々挑戦。 (K.M)

(※全くデタラメです。)

(377) モンゴル日記(92)

 

【渋滞と “どこでも横断”】

 ウランバートルの道路交通事情は良いとは言えない。まず写真のように、幹線道路では常に交通渋滞がひどい。まぁ 土・日は減るものの、月曜の朝からまたそれが繰り返される。そして 驚くのは、その渋滞時の車間距離だ。

 その点は以前にも書いたことがある。筆者なら前の車との間隔も左右の車とのそれも、最低70~80cmくらいはあけるだろう。それに対しこちらでは、左右の車間距離が20,30cmになることも時々ある。「あっ、こすった!」と声をあげることもある。

 実際に3年前、ソヨーチ社のNさんが運転する車で接触事故を経験した。その時は原因はともかく、こちらは筆者を入れて3人が乗っていた。けれど 相手は1人であり、お互いの傷はそれほどでもなかった。さらに周りの車にクラクションで促されたこともあって、お互いののしり合うように別れた。

 一方、クルマではなく 歩行者側の勧められない習慣(?!)もある。それは写真右のような、歩行者の“どこでも横断”である。老若男女みながやる。横断歩道はともかく、そうでない場所でも、信号が赤でも横切る。

 写真のようにクルマが遅々として進まない、こうした渋滞の時は“どこでも横断”でもかまわない?!ただ写真右の女性は進みたいのだが、車間距離が狭くて通れないようだった。

筆者も、この“どこでも横断”に慣れてきた。日々危険、日々注意。 (K.M)