(388) モンゴル日記(103)

 

【 チューリップ栽培③ 】

 写真左のチューリップは、温室で開花にまでこぎ着けたものである。栽培期間は約40日。ダッチ・デザインという切花に向く品種で、栽培した種類のなかで最も早咲きだった。

 蕾が色づいてきた時、ある種の感慨を覚えた・・・オランダからの空輸・到着日が2度も延ばされ、1月末近くに十数人が2日間で植え込んだチューリップである。途中カビの発生もものともせず、よくここまで育ってくれた!と。

 写真右はその切り花を直販しているところだ。3月8日の婦人デー当日、場所はソヨーチ・ガーデンセンターの臨時売り場である。モンゴルのお客さんたちは日本人と違い、蕾よりは開いた状態の花を好む。これは毎年感じる、おもしろい消費傾向だと思う。人々は3月8日の婦人デー当日には、満開のものから買い求めた。

 また多くの事業所では最近、婦人デーの前日または当日に男性軍から職場の女性たちに花を贈ることも普及しているらしい。今回もそうした目的で、まとめて数十本も買っていった男性も何人かいた。

 ところで、切り花用チューリップは次から次へと咲いてきた。チューリップが切れるときは、1日で200本以上は切ることができた。けれどソヨーチ・ガーデンセンターでもグループの花店でも、これらを毎日消化できるところはなかった。これが新たな課題となった。

でも、よくぞ咲いてくれたチューリップ!日々好日、日々感謝。 (K.M)

(387) モンゴル日記(102)

 

【 チューリップ栽培② 】

 写真左は10,000球余りの球根を植え終わった後、従業員のTさんが水やりをする様子である。チューリップは品種特性を考慮して7割をコンテナ植えに、3割を鉢植えにした。コンテナ植えのものは切花用である。

 日本だと、コンテナ栽培にはふつう黒いオランダ製のものを利用する。しかし、こちらではそれがあまり出回っておらず、ソヨーチ社には10個くらいしかなかった。そこで勿論それも利用したが、足りない分をやむなく韓国製のコンテナを用いることにした。

 それはオランダ製より一回り小さく、底に穴もあいていなかったので20ヶ所くらいの穴をあけた。写真左の白いコンテナがそれだ。オランダ製は底も格子状になっていて、水が溜まることはない。けれど 韓国製のそれは初めて使うこともあって、20穴ほどの水抜きで大丈夫かと心配した。が、結果は悪くなかった。

 また従業員には、温度管理と水やりをきちんと実行するよう指示した。ただ気になったのは、一部に発生した球根のカビである。しかし 日本でよく使用するカビ止めの薬剤が手に入らず、相談のうえロシア製のそれを散布した。気がかりだったが、1回の散布でおさまった。

 さて写真右は、植込み後5週目のチューリップの姿だ。草丈がやや足りないものの、何とかうまくここまで育ってくれた。

この後、うまく開花に至るよう心から願った。 日々気がかり、日々祈り。 (K.M)

(386) モンゴル日記(101)

 

【 チューリップ栽培① 】

 合弁会社フジガーデンが、最初に栽培した植物はチューリップである。それはオランダから直接輸入した球根を用いた。ところが、これが難儀な仕事になった。

 5品種10,800球を注文したのだが、まず輸入予定日が大幅に遅れた。コンテナにして18箱になるのだが、それは冷蔵球でもあり、なるべく早くモンゴルに着くように航空貨物に仕立てた。けれど、その荷積みがベルリンで二度も延期され、結局その到着は1月末近くにずれ込んでしまった。

 写真左がやっと到着したチューリップである。場所はチンギスハーン国際空港そばの税関施設。けれども、この到着荷物をもらい受けるまで、面倒な手続きや税金支払いを経なければならない。だから、この日に手続きはすべて終えたのだが、チューリップの現物を手にしたのは翌日になってしまった。

 翌日、荷受けをしてさっそく温室に運び入れた。そして すぐに植え込み作業に入る。当初、10,000球のチューリップを植え込むには、5人くらいでやっても数日かかると心配していた。しかし パートナーのD社長が急きょ、農場の人たちやガーデンセンターの職員を動員してくれた。筆者が植え方について口頭や手描きの絵で説明をした後に、総勢13人で取り組んでくれた。その結果、1日目で70%以上を植え込む。これは大助かりだった。

まずは植え込んでホッとした。日々好日、日々感謝。 (K.M)

 

(385) モンゴル日記(100)

【ベランダからの月 あるいは海外で単身生活をする方法】

 友人や親しい同業者からときどき、「ひとりでよくモンゴルあたりで生活できますね。いろいろ大変でしょう?」と問われる。そう言われても・・・。まぁモンゴルには失礼ながら、欧米などよりは気候が穏やかでなく、生活の面でも不便が多いかも知れない。

 けれど 突然の停電や断水などはたまにあるけれど、わりと早く復旧するので、今のところそれほど苦にならない。「ああ、こういう事もあるんだなぁ」くらいに受け止める。いや、努めて受け止めるようにしている。場合によって、こちらに3週間も滞在し続けることもあるが、ひじょうに不便だ,困ったということは案外少ない。おそらく、その人なりのこの国との相性や、この国の空気へのなじみも関係してくるように思う。

 ところで、どうやってモンゴルのアパートでひとり生活できるのか?そこで少し考えた。まず何といっても身体が健康であること。そして、心の健康である。そのためには毎日の生活で、新潟にいる時と変わらぬ生活パターンを保つこと。起床時刻や就寝時刻、体操,炊事などなど。あとは、日常のちょっとした発見や感動を、この地でも経験すること。また大切なのが、心が通じる友をもつこと。筆者の場合はもちろん親友Bさんである。そして、ボケーッとお月様を見上げる時間を持つこと。

まず基本は身と心の健康です、はい。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(384) モンゴル日記(99)

 

【受難の交通警察官】

 写真は、二つの大きなショッピングモールがはす向かいに建っている大きな交差点である。

 写真右の女性が渡っているのは正規の横断歩道。“どこでも横断”ではない。とくにこの場合、交差点の中央に警察官が立っているから、その指示に従えばまぁ安全だろう。このようにウランバートルの街なかでは、交差点で警察官を見かけることが少なくない。

 ただ、この交通整理をする警察官は大変だと思う。寒いなか渋滞の真っただ中にいて、排気ガスは吸うし、指示に従わないドライバーも時々いるし・・・。そんな場面を見ていると、彼らに同情したくなる。けれど、マスクをした警察官など一度も目にしたことがない。また 指示に従わない悪質な運転者に向かって、彼らが怒鳴り声をあげる場面に出くわしたこともある。

 昔の話だが、新潟あたりでも大きな交差点では、交通整理をする警察官がいたように記憶している。けれど、たしか高さ数十cmの立ち台があって、そこに乗ってホイッスルも使っていた。そして、通る車はその指示通りに整然と対応していたと思う。

 ところが、こちらではそうした台はもちろん、ホイッスルもほとんど用いない。交通警察官は黄色のベストと黒い帽子を身に付け、たまにトランシーバーを持っているが、ほかは誘導灯を手にしているだけ。ちょっと気の毒にすら感じる。

過酷な環境のなかで、日々ご苦労さんです!日々好日、日々感謝。 (K.M)

(383) モンゴル日記(98)

 

【中央県へ ⑤】

 新空港の建設現場に寄ったのち、1ケ所だけ旧跡を訪ねた。それは比較的知られた場所で、日本のガイドブックなどにも紹介されている。「マンジュシュリヒード」と呼ばれるラマ教の寺院跡である。

 それは国立公園の区域内にあり、数年前に一度連れて来てもらった場所だった。草原ではなく、岩や石の多いごつごつした山腹には、かつて壮麗な寺院群,修道院の建築があったという。そして現在は、ごく一部が残っている。その風景が写真左である。

 ここは18世紀から寺院建築がはじまり、19世紀前半には350人もの僧がいたという。けれど、この国が社会主義になってから、大半がソ連によって破壊されたらしい。それはスターリンの時代だったようだ。現在わずかに残った施設が点在し、一部は再建され博物館などになっている。

 これらの伽藍跡に立って散策すると、やはり何やら侘しいような虚しいような気分になってくる。「宗教はアヘンだ」と決めつけた社会主義の、人間理解の底の浅さをいまさら思ってしまう。

 ところで この辺り一帯には、珍しく針葉樹が多い。比較的 雨量が多い地域なのか、何らかの水源(積雪もそうだろうが)でもあるのか、面積の広い樹林を形成している。だから、寺院跡の高台から南側を望むと、写真右のように針葉樹の混じった美しい山岳風景が展開する。

中央県ではさまざまな出会いがあって 日々好日、日々感謝。 (K.M)