(596) モンゴル日記(311)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて59 】

北モンゴル最奥部を訪ねて59

北モンゴル最奥部を訪ねて59

 清らかな流れとドッシリとした山並み。この風景は日本でのことや時間の感覚を忘れさせてくれた。上の写真の清流はテングス川という。釣りをやる連中は、到着日の午後からさっそく釣り糸を垂らしていた。

 そしてこのテングス川と、もう1本すぐそばの南側を流れているシシケッド川が、この先で一緒になる。後日その合流点まで歩いて行ったが、印象的な風景を目にすることができた。モンゴルで川が合流する地点は、これまで1,2度行ったことがある。けれど,ここの合流点の景観は別格のように思えた。水量も豊富で大河の風格を漂わせていた。

 ところで,下の写真は遊牧民たちのゲルである。この辺りには5つのゲルが立てられていた。ということは,遊牧を営む5家族が生活しているのだろう。時々その生活の一端をかいま見る機会もあった。ある晴天の日,父親らしき人に見守られながら、川で子供が水浴びをする姿を目撃したこともある。

 参考までに、下の写真の中ほど,丸い穴の開いた小屋はトイレだろう。これは左右のゲルの家族たちが共用していると思われる。ということは,それぞれの家族が毎年この辺りまでやって来て、この草原で家畜の放牧を行なうのだろう。ひょっとしたら一族かも知れない。

 夏とはいえ寒暖の差があり、昼は30℃を超す時もあったが、朝はいつも10℃を割っていた。日々朝は肌寒く、日々昼は暖か。 (K.M)

(595) モンゴル日記(310)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて58 】

北モンゴル最奥部を訪ねて58

北モンゴル最奥部を訪ねて58

 たどり着いた所はこのように”いいとこ”だった。写真はいずれも,一眠りして起き出した昼頃の様子である。当初方針を大転換し、夜中の山道ものり越えて,やっとたどり着いたレンチンルフンブ村。そこのツーリストキャンプでの風景である。

 結局 夜中の1時半にこのキャンプに着いた。それですぐ部屋割り(コテジ割りふり)と荷下ろしにとりかかる。それを終えたあと、みながここのオーナー夫妻と簡単な食事をとりながら懇談の場を持った。

 その時に,ご主人から興味ある話を聞いた。あのシマノの会長さんがここにやって来たことがあるという。シマノの釣り具はモンゴルでも知られており、けっこう普及しているらしい。ただし,会長さんはヘリコプターでやって来たから、クルマでここまでやって来た日本人はあんたが最初だ、と言われた。そんなこともあって、ベッドで横になったのは結局明け方になった。

 ところで前号で述べた闇夜の山行は、文字どおり暗中模索となった。あの急坂の難所を手はじめに,その後も高低あり、岩場ありで息の抜けない走行となった。とくに最悪の岩場ではBa氏のクルマ以外は、みな立ち往生した。それで,男どもが押したりしながら、そこを何とか脱出。走りやすい平らな道になったのは、夜中の0時半頃からだった。

 前日の午前9時に出発し、16時間かかって到着!どっと疲れたが,どっと満足。(K.M)

(594) モンゴル日記(309)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて57 】

北モンゴル最奥部を訪ねて57

 真っ暗闇の中を進んだ。写真前方の赤い点はBa氏のランド・クルーザーの後部ライト。

 やがて湖の北端に注ぐ川に出る。そこには橋がかかっていて、鉄製のがっしりした造りだった。しかし何と,橋の向こう側にはゲートがあり、閉まっていた。その脇にはうす明かりのついた小屋があった。門番が詰めているのだ。

 「シャチョー,もし門番から何か聞かれても喋らないでください。」「?!」訳が分からない。何やらスパイ映画のようだったが、その通りにした。・・・ロシア国境が近いせいか?

 ゲートは開けてもらい、皆が無事 渡った。門番からは質問も受けなかった。そうして4台は湖 東岸の闇のなかを走り続けた。ところが・・・

 まもなく急な上り坂にぶち当たった!その勾配はかなりの角度だったが、それに加え,坂道が長く10m以上はあったろう。それでも隊長Ba氏の”ランクル”はたくましく上って行った。しかし,次に続くわがXトレイルは登坂を3,4回試みた。しまいに筆者も降りて、後ろを押したりした。「おっ!」上れないどころか滑ってきた。

 それでXトレイル以下3台はここの登坂を断念。迂回路を通って、”ランクル”が上りついた尾根の先で合流することになった。Ba氏はその迂回ルートも知っているらしく、Xトレイルに乗り込んだ。

 真夜中の山中行軍では気持ちに余裕なし,写真に余裕なし。で,この1枚だけ!(K.M)

 

(591) モンゴル日記(306)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて54 】

北モンゴル最奥部を訪ねて54

北モンゴル最奥部を訪ねて54

 変化に富むサガンヌール湖の風景を楽しみながら、北上した。それは上の写真のとおりである。運転席のB氏が語りかけてくる、「きれいな湖でしょう、シャチョー。サガンヌールというのはモンゴル語で白い湖という意味です」。・・・そうですか・・・。筆者が今もっとも興味があることは、目的地まであともう何時間かかるのだろうか、ということだった。

 ところで,もしこの湖岸の道路が舗装され、周辺の宿泊施設などもある程度 整備されたならば、きっと国内外から観光客がやって来るだろう。草原,山岳,湖沼・・・これだけ風光明媚な地域なのだから。おそらく夏のシーズンならば、釣りマニアのみならず,アウトドア好きな人々も呼び込めると思う。

 とは言え,その大前提はここまでのアクセスロードである。舗装は無理かも知れないが、せめて道路にかかる橋や,横断する水場は最低限の整備をしてもらえたら、と思う。

 ただし道路舗装は無理にアスファルトにしない方がよいかも知れない。なぜなら,あまりにも大勢の観光客が一度にやって来ると、その影響で環境破壊や住民への悪影響が発生するかも知れないと考えるからだ。

 さて下の写真の中ほどには、どうも魚網のようなものが干されていた。だとしたら、モンゴルで初めて目にした魚網である。

 「モンゴル観光論」みたいになってしまったなァ。日々景勝地、日々絶景。 (K.M)

(590) モンゴル日記(305)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて53 】

北モンゴル最奥部を訪ねて53

北モンゴル最奥部を訪ねて53

 峠を越えたら湖が見えてきた。サガンヌール湖である。それは上の写真のように神秘的でさえあった。草原の悪路の果てに、こんなに美しい湖面が出現したのだ。それは感動的でさえあった!

 ところが,その湖岸に近づこうとしたら、下の写真のような「川」が現れた!そこでは上流のほう(右手)から勢いのある水が押し出してきていた。心配なのは深さがありそうなことだった!

 隊長Ba氏は手前でストップ。水面をじっくり眺めたあと,上流側に少し歩いて行き,戻って来た。次に足もとにあった小石を、流れの中ほどに投げ入れた。何のためだろう?

 その後 彼は自分に続くB氏に何か二言三言伝え、クルマに乗り込んだ。そして川に静かに進入していった。流れの中ほどまでは慎重に。とは言え,車体のほぼ半分は水没していた!!だが,そこを過ぎたら一気に向こう側に駆け上がった。さすが!しかし,クルマのタイヤからは水滴がしたたり落ちていた。

 次は筆者たちの番。「ええい,ままよ!! 」 筆者は助手席で両手両足を踏ん張った。いよいよ浸水だ。「ёИЗД  !!」 中ほどを過ぎたら、ドアのすき間から水が浸入して来るではないか!「おおっ!」  そこでB氏が叫ぶ、「ダイジョーブ!」、と渡りおえていた。

 下の写真は後走2台が川を渡るところだ。この後,もちろん彼らも無事こちら側に。ただ筆者たちのクルマの床には水が溜まっていた。 日々緊張、日々冷や汗。 (K.M)

*     *     *     *     *     *     *

≪☆謹賀新年 今年もよろしく≫

(585) モンゴル日記(300)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて48 】

北モンゴル最奥部を訪ねて48-005

北モンゴル最奥部を訪ねて48-006

 4台のクルマは脇目もふらずにドンドン走った。上の写真のように、周囲には大草原と森,なだらかな山々とその稜線、こうした風景が展開していた。これ自体は美しく、のどかだった。それに幸いにも進路の大転換をしてここまで、トラブルめいたことは全く起きていない。

 この頃になると,どういう訳か、放牧された家畜にも出会うことが少なくなった。辺りがちょっとばかり,うす暗くなってきたせいだろうか?日本では信じられないほどの明るさだった。腕時計を見ると、もう午後9時近かったが。

 その後,目的地に着いてから調べてみたら、この時期,晴天の日ならば午後11時ころまで暗くならなかった。その事が今回の”アドベンチャーツアー”では大きな助けになったのだが。しかしその裏返しで、朝は7時を過ぎないと明るくなって来なかった。

 ところで,下の写真も牧歌的な風景である。けれども,この写っている川の下流には怪しげな橋が待ち構えていた。しかし,そんな事は知る由もない。

 次号で詳しく述べるが、こちらは以前おっかなびっくり渡った”屏風岩”の橋より、さらに危うそうな代物だった。だいたいオール木製橋だった。それも数日前に大水の洗礼を受けたのだ。そのうえ川の水は多く、流れも速かった。

一難去ってまた一難。モンゴルの神よ、どうか筆者たちを見捨てんでくれ。日々神頼み、日々祈り。 (K.M)

(584) モンゴル日記(299)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて47 】

北モンゴル最奥部を訪ねて47 -003

北モンゴル最奥部を訪ねて47 -004

 この先どれくらい時間がかかるのか、きょう中に目的地に着けるのか。そうした事は誰も聞かしてくれないし、筆者からも尋ねない。(だいいちB氏から「シャチョー,そういうことは聞かないで」と,釘を刺されているんだもの・・・。)

 4台はスピードを落とさずどんどん北上した。それらしいことは磁石で分かった。やがてフタコブラクダがまた現れた(上の写真)。10頭くらいは群れていただろうか。ちょっとビックリした。が、もうそんなに感動はせず。

 やはりホンネは情報を得たかった。これから先、新しい目的地までどれくらい時間を要するのか?夜間行軍をするつもりなのだろうか?と,しだいに辺りの風景は変わってきた。

 4台はあせったように走り続けた。だから,休憩などは1時間半くらいは取らなかった。下の写真は、進路変更後にはじめて休憩をした場所の風景である。この草原にはあの飛びバッタがあちこちで遊んでいた。けれど,時刻はすでに午後8時を過ぎていたのだが。

 ところで,この辺りは標高も上がってきたようだ。この手前の草原と森林の向こう側に、見えないが,あの涸れ川が流れているという。彼方の連山はズーッと続いていた。持って来たスマホはもう全く通じない。結局このあと1週間ほど、筆者は”音信不通”となってしまった。

 モンゴルの人たちは 日々不安なし、日々心配せず?! (K.M)

(582) モンゴル日記(297)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて45 】

北モンゴル最奥部を訪ねて45 -05

北モンゴル最奥部を訪ねて45 -06

 前号,前々号で述べてきたように、筆者は山岳風景をいわば味わっていた。しかし,そんな悠長な話ではなくなってきた。目的地にたどり着くまでの進路が、大変なことになっているらしい。道路状況である。

 Ba氏はまずこの涸れ川の下流,上流と歩き回っていた。川岸の状態を観察しながら、クルマが対岸に取りつく良い場所を探っていたのだ。その彼の表情がしだいに厳しくなってきた。どうやら,わがXトレイルを含め4台が右岸にうまく渡れる箇所が見つからないようだった。

 上流は泥土と砂利が現れていた。それが畝を立てたような有り様で、上の写真のとおりである。これだとここを突破できない。

 とその時,オートバイがタイガの方からやって来た。隊長Ba氏はそれを止めた。若い男女の二人乗りで、彼らは筆者たちが通り過ぎて来たあの町に行くとのこと。そこで、彼らが通ってきたここまでの道路状況を彼は尋ねはじめた。

 彼らの話によれば、数日前の大雨の影響で、道路や河川の状況が一変したという。この先も道路がかなり傷んでいてズタズタらしいこと。バイクでさえもここまで来るのに大変だったこと等々聞かしてくれた。

 結局,ここを横断できたとしても、先々には色んな障害が待ち受けているようだった。そこで隊長Ba氏は決断した。このルートと目的地を変更しようと。

 決めてからは早かった。日々決断、日々変更。 (K.M)

 

(581) モンゴル日記(296)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて44 】

北モンゴル最奥部を訪ねて44 -03

北モンゴル最奥部を訪ねて44 -04

 写真上・下の山はお分かりの通り,同じ山だ。裏側は見えないが、ほぼ三角錐のようなカタチをしているらしい。とにかく1度目にすると、忘れられない独特の山容である。全山これ岩肌といったようにも見える。

 これほどの”名山”なら名前はあるのだろう。博識なB氏に尋ねた。「あの山は昔から人々に知られてきました。それで名前はデルゲルハンガイ山といいます。高さは4,000mくらいはあるのかな。この数字は正確ではないかも知れません。でも,この山脈の中では最も高い山です」との答え。

 ふーん,なーるほど・・・まるで人を寄せつけないような容姿。それに何かしら別格といった雰囲気を持っている。筆者などは、なぜか”魔の山”というようなイメージさえダブらせていた。大山脈ではないものの、遠くの連山の中では唯一の単独峰で屹立していた。

 記憶をたどると、モンゴルでこんなに尖った山はこれまで見たことがない。今回を含めてこれまでは,いわゆる老年期というべきなのか、ゴツゴツしていない,なだらかな山々を多く目にしてきた。しかしこのデルゲルハンガイは違う。過ぎゆく雲もしたがえて、聳えていた。うーん,ともかく風格というか威厳のある山だわなァ・・・。

 「シャチョー、いつまで眺めてるの。行くよー!」B氏の声が聞こえてきた。と,この先にツアーの大変更が待っていた。日々楽観、日々悲観。 (K.M)

(580) モンゴル日記(295)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて43 】

北モンゴル最奥部を訪ねて43-01

北モンゴル最奥部を訪ねて43-02

 (576)号で述べたように、タイガ地帯に近づいているようだった。やがて,そんな風景が目の前に広がってきた。上の写真がそれである。その中ほどには、タイガを構成する黒緑色の針葉樹林の帯が左右に延びている。そして,その彼方には急峻そうな山々が並んでいた。

 一方,下の写真はタイガの奥の同じ山並みでも険しい姿をしていない。これらは比較的近く、山容もなだらかな山々である。また手前の白っぽい木々はヤナギ類だ。つまりこの場所も川原の縁なのだった。その事は上の写真の手前のようすでもお分かりかと思う。

 この場所に達するまで、二つの涸れ川を突っ切った。これは上記(576)号に書いた通り。その後,ガソリンスタンドと食品スーパーが共にある最後の町を抜け、ここにたどり着いた。その間に難所はなく平地がつづき、比較的スムーズに来れた。

 「この先はどっちに進むんだろう?きっとこの川を越えて前方のタイガの方に行くんだろうなァ。B氏に見せてもらった目的地の唯一の写真も、こんな風景だったけど・・・。」

 辺りはまだまだ明るいが、すでに夕方6時半は過ぎていた。「まァ,ここまで来たのなら早いうちに目的地に着けるだろう。そしたら,簡単な酒盛りくらいは・・・」と内心考えていた。

 しかし,このあと状況は急展開した。まだ明るくても,一寸先は闇なのだ!日々意外、日々想定外。 (K.M)