(661) モンゴル日記(376)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて124 】

 二つの河川が合流して一つになる場合、その形態がいくつかあると思われる。関係学会ではそうした区分があるのかも知れないが、ここでは以下に自己流で記す。

 まず「卜」型に合流する場合。大きな本流があり,そこに小さな支流が流れ込むようなパターンである。次に,規模のあまり違わない二つの川が一本になるケース。これを「Λ」型と言うことにする。シシケッド川とテングス川はこのパターンだろう。そのΛの中に止水域が生まれ、そこが沼のようになったというわけだ。

 そこには写真のように、ホタルイの仲間と思われる小形の抽水植物が多く生育していた。ただ観察していて気づいたことがひとつあった。それは岸に近い方で、その先端の多くが何らかの理由で切られたような跡があったことだ。まさか誰かが刈ったわけではないだろう。だいたい切られた穂先が周囲に見当たらない。とすると,牛が草穂を食ったと考える方が妥当だろう。だいいち,これまでも牛が川辺で草を食べる姿は目撃していた。牛は水をあまり恐れない。それは後の号でも紹介する。

 ところで下の写真である。その集団のなかには広葉の抽水植物が混じっていた。それは日本のエゾノミズタデに似ていたのだが・・・。

 若いころ休日になると、水生植物の観察に出かけていた。その時の記憶が少しよみがえってきた。

 合流地点で思い出し、合流地点でチョイ興奮。 (K.M)

(660) モンゴル日記(375)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて123 】

 合流地点手前のシシケッド川の岸辺から、舌のようにカーブになった縁を移動。つまりシシケッド川右岸からテングス川左岸方向に動くカタチになった。すると,こんな場所が広がっていた!おそらく水深はそれほどないが、底が泥土らしき止水域だった。これは意外、こんな場所があろうとは!さらに,ここでは水生植物が目に入ってきた。

 モンゴルではこれまで,水生植物を一ヶ所で何種類も見つけた場所はなかった。以前 訪ねたことのある国立公園のテレルジにもそれはなかった。筆者が見た限りでは、せいぜい2,3種類。しかし、ここダルハッド・バレーではシシケッド川の抽水植物,沈水植物だけでも、きちんと調べ上げれば6種以上にはなるだろう。

 つまりシシケッド川右岸側では浅瀬から川中にかけて、びっしりとヒルムシロ属と思われる沈水植物(浮葉植物)が川底に生育していた。それにその他,マツモの仲間のようなモ(藻)も見られた。一方,左岸側の浅水域にはヨシやガマが群落を形成していた。またカヤツリグサ科らしき植物も1種見られた。

 そのうえ,この止水域での水生植物である。数種類が新たに加わろう。だから合計すると,ここでは10種以上にはなるだろう。中でも興味をそそられたのが、下の写真に見られる浮葉植物である。それは日本のエゾノミズタデに似ていた。

 合流点 意外な場所に、意外な植物。 (K.M)

(659) モンゴル日記(374)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて122 】

 水面の広がる雄大な景観が待っていた。写真はシシケッド川とテングス川の合流地点だ。そこの川幅は広く、30m以上はありそうに思えた。それに水量も豊富で、りっぱな「大河」だった。そして,おとなしいが、涼しげな水音も聞こえてくる。写真はシシケッド河畔からのものだ。

 結局ここにもB氏から送ってもらった。彼は筆者を降ろすと、キャンプに戻っていった。「帰りはシシケッド川沿いに上れば大丈夫。一人でも迷わずに戻ることができますよ、シャチョー」と言われ、単独行動となった。

 このダルハッド・バレーに来てから、いずれはこの二つの川の合流地点を見たいと考えていた。昔から川の合流場所とか、川と湖が接する場所とかに興味を抱いてきたからだ。しかし結局ここにはこの日,つまり帰る日の前日の午後遅くに訪ねることになった。でも,やはり来て良かった。これら二つの川が交わるこの景観は、今回の旅で印象的なひとつとなったからだ。

 さて写真下はテングス川方面の景観だ。川沿いの山岳風景はこちらが優れていた。丘陵と山々が三列に並んで奥行きをつくり、いちばん後にはロシアとの国境がある峻険な山々が聳えていた。また,テングス川はシシケッド川に比べると、川幅は狭いが流れは速い。けれど水は清い。釣り師たちも自然とこちらに集まった。

 魚座のせいか、水のある風景が好きだ。日々水ぎわ、日々水面。 (K.M)

(658) モンゴル日記(373)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて121 】

 上・下の野鳥については、やはり鳥博士 K氏に判定をお願いした。まず上の写真の鳥は草原でこうした変な格好をしていたこともあり、とっさに撮影したものだ。結論から述べると、博士によれば鳥の名前はおそらくコチドリではないかということだった。それはともかく、このおかしな様子はひょっとして具合が悪かったのか、あるいは何かを保護していたのか。

 しかしながら、K博士の説明は興味を引くものだった。博士によれば、これは「疑傷」といわれる行動だという。つまり親鳥が雛や卵を守るために巣や雛からわざと離れて、いかにも傷ついて飛べないふりをして、外敵の注意をそらすものだという。「逆に言うなら、近くに巣または雛がいるということでしょう」と語った。なるほど・・・。これが驚きの一つ目。

 さて下の鳥だが、これはセグロカモメではないかという。博士によれば、セグロカモメはオオセグロカモメに酷似し,またウミネコにも似ているという。しかし写真を拡大したら,その相違点が確認できたので、やはりセグロカモメでしょう、とのこと。また彼らカモメの類が海から遡上し、川に入ることは稀ではないとのこと。それに,このセグロカモメの繁殖地はユーラシア大陸で、湖の岩場などでも巣を作っていると思われるとのこと。へえー・・・。これが驚きの二つ目。

日々 野鳥を目撃、日々 野帳にメモ。 (K.M)

(657) モンゴル日記(372)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて120 】

 この岩壁は例の「城砦」の北側だ。上の写真はその全体の姿。このように垂直に近い角度で切り立っている。下の写真は、その絶壁上部の節理部分を拡大したものだ。そしてこれが見納めとなった。

 ボートでシシケッド川左岸に渡り、戻って来てからは皆としばしティータイム。そのうちB氏から、今度はあの城砦の北側を流れているテングス川の方に行ってみないか、と声を掛けられた。そんなにあれこれ誘わなくてもいいのに・・・ああ,そうだった、明日ここを発ち、ウランバートルに戻る段取りが決まったのだ。それで、筆者を色んなことに誘ってくれるのか・・・。そう考えると,感謝。

 それでB氏のXトレイルに乗り、ここまでやって来た。それにしても,この日は何台ものクルマにすれ違っている。今までにはないことだ。彼の話によれば、ナーダム(モンゴル夏祭り=休暇)に入ったので、この辺まで足を延ばす人たちが増えてきたとのこと。それを裏付けるように、すでに川沿いにはテントを張っているグループや、バーベキューを囲む人たちがいた。

 ところで下の写真の方である。柱状節理が斜めになってはいるが、これがなかなか美しいのだ。そして,こうした風景を見ていると、この城砦を下りて来るときに踏み越えてきた岩の凸凹は、やはり節理が地上に現れ出たものだったように思う。

 撤収日の前日、やる事多し、見るもの多し。 (K.M)

(656) モンゴル日記(371)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて119 】

 あちこち歩き回っていたとき、何の気なしに向こう側を眺めた。おっ,岸辺のボートに人が寄っている!どうやら迎えに来るようだ。しかし,ひとりだけ?B氏は来ないの?どうやら管理人のお兄さんしかやって来ないようだった。まァいいや。とにかく対岸に戻れればいい。

 で,それに乗ろうと、”花園”を離れて岸辺に近づいていった。相棒のJ君はすでに気づいていた。と,岸辺近くの斜面で足もとに見覚えのある小さな植物があちこちに点在していた。うーん,なんて言ったっけアレアレ・・・。還暦を過ぎてから数年が経った。植物名がなかなか浮かんでこない時がある。ひょっとしてMCI(軽度認知障害)だろうか?

 でも思い出した。あれだ!日本のイチヤクソウの仲間だ。彼らはあたかも針葉樹の落ち葉とコケをベッドにするようにして、ゆるい集合を形成していた。

 下の写真は右岸に戻る最中のボートだ。約束の時間よりだいぶ遅いお迎えとなった。オールをこぐ相棒 J君の顔は、戻るうれしさときつい日差しを避けるために、言うならばウレシ・マブシイ表情となっていた。(ドリカムの歌で”うれし恥ずかし朝帰り”というフレーズがあるがそんな複雑な表情・・・でもないか#)

 筆者は結局この川渡りでは、何もしなかった。これがホントのオールorナッシング。

 うれし恥ずかしアサ帰り、うれし腹ペコ キャンプ帰り♪♪ (K.M)

(655) モンゴル日記(370)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて118 】

 上の写真の植物は結論から言うと、何ものか分からなかった。筆者の野生植物に関する知識ではとても・・・。帰国してから、持っているモンゴル側の資料にもあたったが,載っていなかった。

 この植物、草丈は50,60㎝くらいだったろうか。花は白い小花の集合で、まるでボール花序とでも表現できるほど、球状にビッシリと小花が付いていた。そして日当たりのよい特定の場所だけで、ポツン,ポツンと生えていた。

 地元新潟の親しい先生にもお聞きした。しかし,先生は「うーん,四弁の花らわね。ひょっとしてジンチョウゲの仲間らかも知れんね。おめさん,匂いを嗅いでこねかったかね?ほんのき草本らったかね」と,矢継ぎ早やに質問を受けた。

 そう言われても・・・。確かに,ジンチョウゲ科の植物は大半が木本だと事典にも記してあった。よう分からん。ただ印象に残った花のひとつだから、まァ次回への宿題にしよう。けど,この奥地に再び行けるだろうか?

 それはともかく,写真下の植物は分かりやすいキキョウの仲間。端整な5弁の花組みで、清楚な姿を見せていた。これも群落ではなかったが、この辺りではときどき目にした。思うに,だいたいキキョウなどは群落を形成しないのだろう。

 それにしても,もう1時間はとっくに過ぎている・・・お迎えのボートはまだ来ないのだろうか。

 花も貴重、迎えの船はもっと貴重。 (K.M)

(654) モンゴル日記(369)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて117 】

 引きつづきシシケッド川左岸の植物を紹介しよう。数は多くはなかったが、興味を引かれる花がいくつかあった。

 まず上の写真の植物である。こんな白い花穂がヤナギランが林立するなかに、すっくと立っていた。だから目立った。数は多くはなかったが。これがはじめのうちは何だか分からなかった。見当もつかなかった。草丈は1m前後で花色は白というよりクリーム色と言うべきか。花は何となくデルフィニウムに似ているような気もした。

 けれど帰国してから、地元の先生のところに伺いヒントを頂いた。そして,その後モンゴル側の資料をあたってみる。そうしたら,ひじょうによく似た写真が載っていて、やっと確信を得た。この植物はAconitum つまりキンポウゲ科トリカブト属なのである。日本では近ごろトリカブトと言うと、良いイメージを抱かれないようだ。しかしモンゴルでは薬用にも用いられているようである。また日本でのこの仲間は青や紫の花が多いように感じる。

 さて下の写真、ボケてはいるが,ヤナギランの後ろにある赤茶色の花だ。上の写真の植物と違い、分かりやすい。ワレモコウの仲間である。これは日本でもおなじみだ。この植物はモンゴルの山野でよく見かける。大群落はまだ目にしたことがなかったが、この旅の帰路で大きな集団に出会った。それは後日,記したい。

 左岸側 ときどき珍花、ときどき美花。 (K.M)

(653) モンゴル日記(368)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて116 】

 まず上の写真。前号でも述べたように、こちら東側は針葉樹の密度がうすくなり、森林という感じではなくなる。いわばその疎林になった針葉樹の間に、大小の岩が頭を出していた。そして,その空隙を草本が埋めているといった風景だ。

 このあたりでも、日本でいう低木や中木といった高さ数十㎝から1,2mの木本がほとんど見られない。高木プラス草本といった単純な構成になっているようだ。だから,いわゆるヤブが形成されていない。これらの背景には,まず気候的な要素や地理的な要素があるだろう。また,放牧という人為的な要素も影響しているのかもしれない。

 ところで日本の森林では、この時期なら聞こえてくるであろうセミの声がここでは全く聞こえない。前年の夏に出かけた北部モンゴルのテシグ周辺でも、やはり耳にしなかった。北モンゴルではセミ類が生息していないのだろうか?耳鳴りのセミの音は四六時中いつでも付いてまわっているのだが。

 さて下の写真である。この花を発見したとき思わず、「おおっ」と驚いた。草丈40,50㎝はあったろう、そして花付きがひじょうに良く、その姿・形に感激!キキョウかリンドウの類だろう、とは思った。帰国してから本格的に調べる。そして結局,キキョウ科ホタルブクロ属の仲間だろうと判断した。ヤツシロソウというのに近いように思えたが。

 時に赤花、時に青花。 (K.M)

(652) モンゴル日記(367)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて115 】

 森の中にはこうしたシランの群落があちこちにあった。その時はそれを単純に喜んだ。しかし後で,せっかく遭遇したシランの見せ方としては全くヘタで、こうやって同じ構図の写真を上・下に並べるとは芸のないことをしたなァ、と反省しながらこの号を書く。

 それはさておき,針葉樹の森林はここでは東の方より、西の方に展開されていた。東側は岩が多くて樹林が形成されないのだろう。写真はいずれも東の方から西の方に向かって撮影したものだ。ご覧の通り,西側は奥が見通せないほどの森となっていた。

 さて上の写真のJ君について語ろう。彼はもちろんモンゴル人だが、ふだんはチェコに住んでいるという。勤務先はプラハのブティックだとのこと。販売ではなく、何か企画開発的な部門にいるらしい。

 こうした例はあるようで、東欧で働くモンゴルの人が時々いるのだ。兄弟姉妹があちらで働いていてナーダム(夏祭り)などに帰って来る例を知っている。だいたいJ君がそれだ。かつての社会主義国同士で、東欧諸国とは関係が深いのだ。

 さてJ君は男兄弟3人の真ん中だという。 兄上は医療関係の仕事でカリフォルニアで生活しているらしい。また弟さんは東京に住んでいるという。けっこうインターナショナルな兄弟なのだ。

 なお蛇足ながら、下の写真は日本人だ。そう筆者である。

 ときどき東欧の話題、ときどき日本の話題。 (K.M)