(407) モンゴル日記(122)

【北京だより ⑩】

 これは良い眺めだった。夜空は雲ひとつなく、月が浮かんでいた。激動しつつあるかの国の首都で見上げた、貴重な月である。時刻は現地時間で19時過ぎ。月齢13日で、満月に近かった。

 この時は、わがフジガーデンの社員T嬢も同行していた。けれど、彼女には月を愛でるというような趣味はないようだった。おそらく、若いモンゴル女性の多くはそうかも知れない。月をときどき見上げる。そして、あの吸い込まれそうになる妖しい光のもとでモノゴトを考えたり感じたり、ただ一心に眺める。これがよいのだが・・・。

 だから彼女は、筆者が口を開けてボケーッとしばらくこの月を見上げていた姿をどう思ったかは知らない。大仰に言えば、だいたい日本人の伝統的な月との関係など知らないだろう。そのうち「カタオカさん、待ち合せ場所にいきましょう」と、促された。

 ところで、写真のこのSoshowというビルは、なぜかは知らないが、日本のガイドブックの地図にも載っていた。(それは後日 分かったことだが。)だから、何らかの理由で広く知られているのだろう。実際ランドマーク的な存在で、翌日D社長と天壇に行った帰りなど、これが目印のひとつになった。

 この先、この地でこうした夜空を見る機会はほとんどないと思う。印象深い北京の月だった。

月はツキにつながり、どこに行ってもツキがついて回るように・・・。日々祈り、日々感謝。 (K.M)

(406) モンゴル日記(121)

 

【北京だより ⑨】

 写真左は、宿泊したホテル近くの街なみである。時間は夕方で、人々の行き来も増えてきた。ガイドブックも地図も持ちあわせていなかったので、ここが北京のどのあたりかは見当がつかなかった。ウィキペディアによれば、北京市の広さは日本の四国ほどだという。でも、中心部らしいことだけはしだいに分かってきた。それは周辺道路の状況・規模、近辺の建築物とその種類と密度、クルマの通行量や人通りの量・・・などからだ。

 また 写真右のユニクロもそう思わせた。ホテルの近くに建つデパートの中に、この店舗があった。そして結局、ここで半袖シャツなどを買うことになった。なぜなら 滞在した2日間は5月とはいえ、とても暑かったのだ。

 「北京は暑いようですよ」。T嬢のアドバイスもあり、半袖シャツ一着だけはウランバートルから用意した。けれど 昼間はだいぶ汗をかき、2日目も同じシャツを着ようとは思わなかった。それで たまたま発見したユニクロに寄ったのだ。結局、あれこれ3点ほど買い込む。

 ところで このユニクロはなかなか賑わっていた。やはり客は若い人たちが多かった。女性客も少なくなかったが、中には母親らしき女性と連れ立ってきた青年もいた。うーん、やはり「一人っ子政策」の歪みだろうか・・・異国のオジサンは勝手に思ってしまった。

北京ではPM2.5は免れたものの、暑かった。日々猛暑、日々多汗。 (K.M)

(405) モンゴル日記(120)

 

【北京だより ⑧】

 北京を訪れたのは十数年ぶり。その間に、この国は急速に経済成長を遂げた。だから、この巨大都市の風景や人々の暮らしぶりが変貌していて、とても驚いた。とくに車窓から眺めていると、その景観の変わりようには別の都市を訪れたのではないか、とすら思った。

 中でも道路沿いの街路樹には感心した。写真左側の中央分離帯には、バラが植栽されていたのだ。それもピンク,黄色,白といった花色のものが混植され、手入れも良さそうで美しい帯を形成していた。延々と数kmにも及ぶ区間もあり、見事だった。まァ、日本では見た記憶がない。

 もちろん中央分離帯ばかりではない。それ以外の道路敷地内も整然と植栽がほどこされていた。樹種は多様だった。高木ならエンジュ,イチョウ,マツ,プラタナス、中木ではザクロ,モミジ,ウメ,モモなどが植栽されていた。また低木はマサキ,ツゲ,ヤマブキなどに混じって、ギボウシ,ヘメロカリス,タチアオイなどといった宿根草類も見られた。ひょっとしたら都市の道路緑化という点からは、日本より進んでいるのではないか、とさえ思えた。

 ところで写真右は、北京市の中心区域に入ったあたりなのだろう。林立といってもいいほど、こうしたビル群があちこちに建っていた。これはタクシーの車窓から撮影したものだ。

共産党支配のもと、この国の発展ぶりをどう捉えたらいいのだろう・・・。日々好日、日々不思議。 (K.M)

(404) モンゴル日記(119)

 

【北京だより ⑦】

 ここは1日目に昼食をとった場所である。現地ではガーデン・レストランと言われていたが、近ごろ北京で流行っているらしい。植物園のような大温室のなかにレストランがある、という感覚だ。

 写真左はその一般席のようすである。訪れたのは月曜日の12時過ぎ。だから お客の入りもこんなものかも知れない。筆者たちは4人でここを訪れた。つまりパートナーのソヨーチ社D社長,フジガーデン社員のT嬢,筆者そして中国人のDさんである。案内はDさんにお任せなのだ。

 彼は長く北京に住んではいるが、内蒙古自治区出身のモンゴル民族である。したがって 中国語・モンゴル語の両方を話す。だから D社長にとってもT嬢にとっても重宝な人物なのだ。D社長との付き合いはもう10年以上に及ぶという。D社長は月に1回は中国を訪れるようだが、その際いつも彼が対応をしてくれるらしい。だから、今回の筆者たちが加わった北京滞在でも、空港への送迎から市内移動の大半までやってくれた。

 ところで 写真右の男の子はウェイターである。筆者は初めて目にしたが、ローラースケートをはいて店内を行ったり来たり・・・。料理の乗ったトレイも片手にのせて、巧みに動きまわる。そして、お客のテーブルにちゃんと届ける。みな若い男の子たちだが、それが実にうまいのだ。

このレストランで食べた料理は美味だった。さすが中国!日々美食、日々満腹。 (K.M)

(403) モンゴル日記(118)

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【北京だより ⑥】

 左・右の写真の植物は同類だとは思ったが、はじめのうちは何だか分からなかった。少ない頭の引き出しをあけて、サボテンの仲間かな・・・?筆者は観賞植物の世界を広くは知らない。正直のところ、この植物は初めて目にする植物だった。そして興味をそそられた。

 姿かたちから、“恐竜の背中”と名づけた。「その名前、いいですね」。同行したT嬢も、同意してくれた。しかし 日本に戻って来てからも、しばらくこの“恐竜の背中”のことは放っておいた。インターネットでも本格的には検索しなかった。ただ一度だけサボテンで検索してみたが、見つからなかった。こちらの親しい同業者数人にも聞いたが、明確に答えた人はいなかった。

 それがひょんなことから、正体が判明した!先日たまたま新潟を訪れた、植物学の泰斗O先生にお聞きした。「ああ、これは確かユーフォルビアの仲間だったと思いますよ。まず、それでネット検索してみたらどうですか?」

 さっそくその貴重なヒントを手がかりに調べたら、難なくたどり着いた。ユーフォルビア・ラクテア。多肉のユーフォルビアで、これの石化(帯化)品種らしい。石化(帯化)とは、植物の茎頂部の成長点に異常が発生し、いわば奇形を引き起こすことをいう。もっとも分かりやすい例はケイトウで、あの頭の部分は石化が遺伝的に固定したものだという。

未知の植物に北京で会えた。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(402) モンゴル日記(117)

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【北京だより ⑤】

 写真の左・右とも、二番目に訪ねた業者向け展示即売場のようすである。ここは面積的には最初の施設には及ばないものの、商品づくりが上手になされているモノが多かった。だから ちょっと手を加えれば、このまま日本の売店やホームセンターでも並べられる商品群だと感じた。

 たとえば左のミニサボテンでも右の観葉植物でも、一鉢一鉢にラベルを挿してトレイにポップでも付けてやれば、このまま日本でも販売できるだろう。つまり植物本体だけでなく、鉢などの容器やラベルなどにも気をつかっている。いわば「商品」になっているのだ。まァ最近の日本の流通では、見た目はいいが植物に蒸れなどが発生するので敬遠されている、フラワースリーブ(フラワーカバー)なども鉢にかけられてはいるが。

 筆者の実感だが、かの国では商品づくりにおいて、見た目のよさは重視される。ホームセンターなどで買ったMade in Chinaの製品が、あまり使わないうちに壊れることはときどき経験している。数年前に購入したネコグルマ(一輪車)などは、1ヶ月もしないうちにペンキが剥げてきた。そして その部分から錆びてきた。中国製品についての「見た目は良かろう、質は悪かろう」という認識はモンゴルの人々も少なからず持っているようだ。

消費者にとって本当の価値を備えた商品づくりが、かの国でもいずれ始まるだろう。日々勉強、日々研鑽。 (K.M)