(424) モンゴル日記(139)

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【 売り場オープン! 】

 当初は5月開設の予定だった売り場が、ようやくできた。それはパートナーの経営するソヨーチ・ガーデンセンターの一角にオープンしたものだ。面積は30㎡ちょっと(写真左)。面積は小さいが、フジガーデンにとっては大きな出来事なのだ。

 こうして自前の売り場が完成したことはうれしい。これで自前の従業員、自前の温室、自前の売り場がそろった!あとは自前のクルマだけ。けれど、これも今年中に購入したいものだ。

 販売品の鉢花は、前号で紹介したアジサイと球根ベゴニアをメインに飾った(写真右)。さらに 写真では見えないが、右側にラベンダーとミント、それに五色トウガラシも並べてある。また 花以外の園芸資材では、横浜港から送った各種プラ鉢と受け皿,あるいは移植ゴテ,剪定バサミなども置いた。

 ところで、写っている若い女性は従業員のT嬢である。多様な業務をきちんとやってくれる。そして、日本語は会話も読み書きもほとんど困らない。また、交通マナーの悪いウランバートルで、クルマさえも運転する。のみならず、面倒な輸入手続きから経理的なことまで、幅広くこなしてくれる。ひじょうに頼りになる女性だ。

 その彼女は新潟とも縁がある。実は彼女の日本語は、新潟大学に留学した時に学んだもの。それに、T嬢はわが親友B氏の姪っ子でもある。

ようやくフジガーデンが、ほぼ全面的に動き出す。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(423) モンゴル日記(138)

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【 温室の花 】

 写真左は4月に新潟から輸入したアジサイだ。とは言っても、輸送はダイレクトではない。いつもの新潟空港~インチョン空港~チンギスハーン空港という空路で運び入れた。そして、この温室で2ヶ月ほど栽培。

 運び入れた時は、まだ花は付けていなかった。けれど、蕾は確実につけていた。やがて、それらの大半はここまで育ち、開花してくれた。落ちは数%といったところか。正直のところホッとした。

 一方、写真右は球根ベゴニアである。事情があって、生産地はオープンにできない。が、モノは悪くない。花色も3色はそろっている。これも輸入品で、しばらくのあいだ当社の温室で育てた。

 この二つの鉢物が、わがフジガーデンの売り場オープンにちょうど間に合った。それは次号に紹介するとしよう。ところで 球根ベゴニアは完全に販売適期である。が、アジサイの方はもう少し花が開かないと、この国では適期とはいえない。なぜなら、こっちでは満開に近くならないと、人々は積極的に手を出さない。どうも、そういう傾向があるようだ。

 これまでの経験からいうと、チューリップもそうだったし、ボケもそうだった。開花の進んだものが好まれるのだ。チューリップは3月8日の「婦人デー」当日には、花が開ききったものを好んで買っていく男性が少なくなかった。

輸入した花がまともに咲いてくれた時は、本当にうれしいものだ。日々開花、日々感謝。 (K.M)

(422) モンゴル日記(137)

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【 控えめな雷 】

 ウランバートルで、稲光や雷鳴にまぢかで出くわした。この国に通いはじめて6年、初めてのことである。

 それは天候の急変から始まった。南東側に黒い雲が発生し、空の半分を覆ってきた。ときどき小さな雷鳴が響き、弱い稲光が走った(写真左)。それに対して、南西側は写真右のようにまだ青空が見えていた。つまり 同じウランバートルの空でも、こんなふうに東と西で極端に違う様相を見せたのだ。だから、ちょっと驚いた。この国でもこんな天気になることがあるんだ!

 近くのスーパーに夜の買い物に出かけていて、その帰りだった。雲足が速くなっていた。空がしだいに暗くなってきて、遠くで稲妻が光りだす。「こりゃあ雨がやって来るな」。足早にアパートへ戻る。そして、部屋に入りベランダから撮った写真がこの2枚である。午後8時過ぎだった。

 けれど 日本(新潟)のように、雷鳴や稲妻がますます近づき、落雷にまで至るというようなことにはならなかった。拍子抜けするような、おとなしくて控えめな雷でやがて遠ざかった。

 この国の天候は最近の日本のそれのように、急変や災害をもたらすような度を越す異常はないようだ。局所的に激しい降雨が襲ったり、竜巻が発生するといった現象も聞いたことがない。地震も含め、自然災害が少ない国土だと思う。

冬の寒さはかなり厳しいものの、大雨も台風もないモンゴル。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(421) モンゴル日記(136)

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【 六貫だけでは・・・?! 】

 日曜日に親友B氏から、時間があったら一緒に来ないかと誘われた。彼が業務で、お得意さんの日本食レストランに行くというのだ。しばらく和食を食べず、その味が恋しくなっていたので、それを聞いて快諾した。それで連れて行ってもらった。

 そこは、中心部より少し外れた地区にあった。しかし一応は繁華街だし、付近にオフィスビルが並んでいないわけではない。しかし この日は日曜日。昼過ぎだったが、お客は筆者たち以外はいなかった。

 そこの板前さんはモンゴルの人で、B氏の知合いらしい。それでメニューもろくに見ずに、「生ズシが食べたいのでテキトーに。好き嫌いはありませんから」と、頼んだ。しばらくして出てきたのは、サーモン,イカそれにヒラメだ。最近の言い方だと、六貫である(写真左)。回る寿司なら3皿でしかない。これでは飢え死にしそう・・・。

 だから食べ終わる前に、追加のオーダーをした。そうして だいぶ待ってから、写真右のようなトンカツが出てきた。揚げたてだし、みそ汁が付いてきたのはありがたい!そして、うまかった。満足、満足。

 これじゃあ新潟に戻ったら、口の悪い友人にまた言われるだろうなァ、「モンゴルに行っても苦労してないんじゃないの?相変わらず〝豚さん〟だもの」と。

ウランバートルでは今やインド料理からイタリア料理まで、何でも食べることができる。日々満腹、日々増量。 (K.M)

(420) モンゴル日記(135)

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【 奇妙な液体と青い朝 】

 左の写真。キッチンのボードの上に、まるでアリューシャン列島のように転がっている液体。懐中電灯に照らされて、白っぽく見えた。けれど、実はこれ真水である。正確に言うと、水道水の湯ざましである。前夜に電気ポットで沸騰させたものだ。

 それがこのように透明でなく、まるで牛乳のような白い液体に見えた。こんな現象はこれまで経験したことがない。こりゃー不思議,不思議!急いで撮った写真がこれだ。

 現地では、こうした湯ざましが安価で安心と言われている。「シャチョー、水道水は絶対そのまま飲まない方がいいよ。沸かしたものを飲んで」。モンゴル初訪問のときから、親友B氏がこう注意してくれた。だから、それを忠実に守っている。

 まァ旅行のガイドブックにはだいたい書いてあるが、飲み水についてはどこへ行っても気をつけていた。短期間の滞在なら、欧州でも北米でもミネラル・ウォーターを飲んでいた。

 さて話を戻す。これは夜中に小用で起き、再びふとんに戻る時だった。水が欲しくなり、ポットの水をカップに注ぐときにこぼした。そのこぼれた水滴が正体である。

 右の写真はそのあとの早朝風景だ。再び眠りにつけなかったので、起き出して外を撮影。ウランバートルの夜明け前と日の出の間の、青い時間帯だった。空気や物体がみな青めいて映る。不思議で魅力的な時間なのだ。

明け方は 日々青日、時々不思議。 (K.M)

(419) モンゴル日記(134)

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【 卒業式 】

 車窓からだったが、大学の卒業生たちに出くわした。写真左は、その卒業式を終えたばかりと思われる女子学生たちだ。式の際の服装なのだろう、独特の帽子とコートを身につけていた。そして 卒業証書がはさんであるらしい立派なバインダーを腕に抱えた学生もいた(左側の女性)。

 こうした場合は、交通渋滞も都合がいい。乗っているクルマがなかなか動かないので、いろんな光景が目に入ってきた。周辺には卒業生以外にも、両親や親類?とおぼしき人たちも大勢集まり、しきりに写真を撮っていた。

 日本の大学の卒業式とだいぶ違う。まず時期が異なる。モンゴルの卒業式はこのように6月に行われる。そして業界 関係者として興味を引かれたのは、大学周辺で臨時の花屋が出現することだ。売るのは花束だが、学校によっては朝から何十軒も立つらしい。ご存じのように日本ではこんな光景は目にしない。

 筆者たちが目撃したのは式が終り、花の販売も終わり頃だったようだ(写真右)。売り子のおばさんは、後片付けを始めたらしかった。親友B氏が言うには、まず一番にお世話になった先生方に花束を贈るのだという。それは学生たちが一人一人そうするのではなく、お金を出し合って皆で贈るという。

 とは言え、卒業式の花は何と言っても卒業生たちだろう。

なぜか筆者には大学の卒業式の記憶が無い。出席しなかっただろうか?? 日々好日、日々感謝。 (K.M)