(676) モンゴル日記(391)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて139 】

 写真上の木橋は行くときには渡らなかった。この橋を横目に見ながら、大回りになる違うルートをとったからだ。しかし今回の帰り道では、この橋を対岸からこちら側に渡った。水の流れはせいぜい幅4,5mくらいだろうか。ふだんは濁りもなく、おとなしい清流のようだった。

 4台のクルマが橋を渡ったあと、皆で休憩をとる。それでメンバーの中には背伸びをしたり、歌を口ずさむ人もいた。メンバーの間にはリラックスした雰囲気が生まれた。それにこの橋はお金をとらなかった!それというのは、1時間ほど前に渡ってきた橋のことである。(587)号でも述べた橋だが、帰って来るとき,そのたもとには地元役人らしき人間2人がいて、「大水で橋が傷んだから修理をしたい。それで橋を渡る人たちから、その修理代の一部を負担してもらっている。皆さんにもお願いしたい」と言う!渡らないわけにはいかないから、払って来た。

 さて写真下は、この橋の下流に広がる河原である。砂利の原っぱのあいだを本流が流れていた。そして対岸のズーッと先には白いゲルが4棟、またその彼方には三角錐のようなあのデルゲルハンガイらしき山も見えた。来るときにはこの辺りに、女性観光客たちを乗せたあの”観光バス”がいたことを思い出した。

 この頃になって、この日の夜はテント泊するという話を聞いた。日々遅い情報、日々後まわし?。 (K.M)

(675) モンゴル日記(390)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて138 】

 ナーダムを見物していたサガンヌール村を後にした。そして休憩もとらずに進む。4台は結局 3時間も走り続けた。やがて来るときに眺めた、あの連峰が見えてきた。そして,それが望める草原で一服。

 来るときには,この連峰の東側を流れていた川が、大水の影響であちこち氾濫した跡に遭遇した。そして道路の寸断の情報も通行人から聞かされもした。それで当初計画していた進路と目的地を断念し、別ルートで北上。それは(582)号で述べた通りである。そして何とか新しい目的地レンチンルフンブ村にたどり着いた。

 こうして眺めると、絵になる山岳風景ではあった。けれど緑が少なく、山々は峨峨たる様子の連なりだった。その中には最高峰であるデルゲルハンガイ山も見えた。(写真下の左側の尖った山容。)

 浮雲が流れていたが、日差しは強かった。この日も30℃を越したが、風はやわらかく湿気が少ないので、爽やかだった。筆者の腹の具合は徐々に回復してきた。サガンヌール村で飲んだ漢方の胃腸薬が効いてきたようだ。もちろん,それは日本から持参したものである。

 ところで写真とは全く関係ないことだが、気づいた事がひとつ。それはリスの死体である。この帰り道、進路を横切って轢かれたと思われるリスの多いこと!実はこの休憩場所までで10匹以上は目撃した。

 リスにとっては 日々受難、日々リスキー! (K.M)

(674) モンゴル日記(389)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて135 】

 競技種目のなかでは、やはりモンゴル相撲がいちばん人気があるらしい。B氏もそう言っていたし、この会場でも取り組みが進むにつれ観客は増えてきた。上・下の写真とも、そのモンゴル相撲の観客たちのようすだ。

 上の写真は前半で、観客はそれほど多くはなかった。しかし取り組みが進むにつれ、しだいに観客が増えてきた(下の写真)。そして多くの老若男女が相撲場を囲み、しだいに盛り上がってくるのが分かった。けれど掛け声や立ち上がっての声援などはない。また,この相撲場では序盤戦で一度に4組が対戦した。取り組みが進むと2組となり、やがて1組が優勝を掛けて闘うらしい。(ただし時間の関係でそこまではいられなかったが。)

 詳しいルールは知らないが、モンゴル相撲は日本の大相撲とちょっと違う。まず土俵やそれを示す白線などが見当たらない。それは出し技はないからだ。決まり手はすべて投げ技か倒し技らしい。つまり相手の頭,肘,背中,膝などを地面につけると、勝ちになる。ただし掌だけは地面についても負けとはならないという。この点も大相撲と異なる。

 ところで,上の写真ではバックに広い水面が見える。また下の写真でも,左側中ほどに小さく水面が覗く。もちろんサガンヌール湖である。サガンヌール村はいつも湖と共にある。

 ここで一首 「ナーダムは 相撲に競馬 弓を射り 遠き祖先の血が騒ぎ」 (K.M)

(673) モンゴル日記(388)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて136 】

 上の写真は会場を行く競馬関係者たちだ。国旗を掲げ先頭を進む3人は主催者だろうか。その後ろが、出走する騎手たちだ。彼らはみな子供で、年齢は7歳から12歳までだという。

 騎手が子供なのは、以前から聞いてはいた。けれど目の前でその雄姿を目にすると、軽い衝撃を受けた。そして,日本の同年代の子供たちとつい比較してしまった。教育制度から国の歴史や国民の気質まで、日・蒙で大きな違いはあろう。けれど,それらを考え合わせても素朴に感じたこと。それは、彼らが日本の子供たちよりはるかに逞しいことだった。慣れてるとはいえ,レースは落馬の危険と隣り合わせなのだから。

 実際,こんな少年時代を過ごしたらしい親友B氏が、目の前で落馬したことを忘れてはいない。それは5年前のこと。日本なら、その場に居合わせた筆者が救急車を呼んだだろう。しかし,場所はウランバートルから遠い草原で、救急車などはムリ。落馬直後の彼は仰向けになって、動かなかった。すぐそばに駆け寄り,声を掛けると、「・・・だいじょうぶ」と絞り出すような声。それから十数分後にようやく起き上がった。その時の彼の第一声は、「丈夫に産み,育ててくれた親に感謝していました」。

 ところで下の写真は、観戦していたモンゴル相撲の序盤戦のようすだ。まだ観客が少なかった。

  はじめてのナーダム、相撲,競馬,弓射があった。 (K.M)

(672) モンゴル日記(387)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて135 】

 サガンヌール湖は、その周囲の大半が草原か岩地のようだった。だから障害物がほとんど無く、近くならその湖面はたいていの場所から望めた。上の写真の通りである。

 そして,湖畔にはサガンヌール村があった。ここは来るとき最後にガソリンを入れた、最奥の燃料補給基地である。ところでこの日は村の大イベントの開催日で、運よくそれに出くわした。たまたま村のナーダム、つまりモンゴル夏祭りの真っ最中だったのだ。ナーダムはモンゴル正月と並ぶ、モンゴル最大のイベントで国全体が休暇に入る。そして期間中,モンゴルの大半の市町村では競馬やモンゴル相撲など,いくつかの伝統競技が行われるのだ。下の写真はその会場の一角である。

 「シャチョー、何か見たい?」、B氏が聞いてきた。「初めてだから見たいですよ」。それを受けて、B氏など男性陣が相談して次のような段取りとなった。「私たちはおなかが空いたので、会場の食堂に昼飯を食べに行きます。あなたはおなかの調子が良くないようだから、食べない方がいい。でも,あなたの分は買っておきます。その代わり,相撲でも弓でも見ていればいいですよ。競馬は時間がかかるから、最後までは見られないと思います。」という。

 そう,実をいうと、筆者の”大”問題は腹痛がらみだったのだ。それはさておき、初めてのナーダムだった!

 食には日々注意、たまに不注意?! (K.M)

(671) モンゴル日記(386)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて134 】

 ツーリストキャンプを出発してから2時間後。前号で述べた”大”問題は片付いた。しつこくB氏に頼み込んで、森の外れで行なったからだ。笹はなかったが、ササッと済ました。

 そして長く続いた森林のオフロードを抜けると、美しい湖面が現れた。サガンヌール湖である。来るときB氏から、”サガンヌール”はモンゴル語で「白い湖」という意味です、と聞いた。なるほど耳にした時、言葉の響きも意味も悪くないと思った。そして何よりも姿が美しかった。

 その湖岸は入り組んでいて、様々な景観を見せてくれた。しばらく走り、湖岸で休憩をとる。とはいえ、そこは湖面から100m以上は離れた乾燥地。下の写真はその時に見つけ、撮影しておいた植物だ。写真中央、イワレンゲの下で鮮やかな赤い実をつけた細い葉のヤツだ。その時は何だろうと思ったが、忘れていた。

 ところが帰国してから、今回の写真にじっくり目を通す機会があった。その際,「これは何だったろう」と、あの川の合流地点で撮影した水生植物も含め、あれこれ調べた。そして,これについては日本とモンゴルの関係書籍や資料、そしてWikipediaでも確認して結論が出た。マオウである。

 マオウ科マオウ属という一科一属の,日本にはない植物と分かった。乾燥厳しい地で生育し、薬用にも使われるらしい。

  森の後は湖だった、湖の後はナーダムだった?! (K.M)

(670) モンゴル日記(385)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて133 】

 道を譲ったあのピックアップ・トラックの後を追うように走った。あのプラドの立ち往生以後は、道も手こずる箇所はなかった。しかし、周囲の森林の様相がしだいに変わってくる。立ち枯れの木々が林立し、まるで死んだ森のようになってきたのだ(上の写真)。

 この光景はしばらく続いた。そして本来は青々とした森林空間を通り抜けるのだから、気分が塞ぐわけがない。しかし,この黒と灰色の世界である。ここを抜ける間、気分が落ち込んでしまった。商売で生きた植物を相手にしているせいか、枯れ木の”死骸”はとても気になった。こうした木々の立ち枯れ現象も、以前述べた削孔虫の被害なのだろうか?

 とはいえ下の写真のように、やがてまわりの木々の緑葉が徐々に増えてきた。何か景色が明るくなってきた。そして気分も,もとの軽やかさをとり戻してきた。この後,来るときに見たあの立ち枯れ林以外、こんな光景には出くわさなかった。ただ,新たな不安がひとつ体内に生まれていた。”大”がしたくなって来たのだ。隣で運転を続けるB氏に訴えたら、「ちょっとガマンして下さい」と言うだけ。こちらにすれば、”大”問題なのに。

 今までこんな事は無かった。ずっと揺られたせいか、それとも何か食い物にあたったろうか?念のために持って来た日本の漢方胃腸薬を取り出した。

 日々快食、日々快便だったのに・・・。 (K.M)

(669) モンゴル日記(384)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて132 】

 写真上・下は林の中だ。後ろからやって来た他のグループに先を譲り、マイペースで進む筆者たちである。この林の中では、2つのグループが追い越していった。中にはアメリカのピックアップ型トラックのようなSUVも通過して行った(写真上)。

 その荷台にはいろんなモノが積まれていたようだ。けれど,カバーに覆われていて中身は分からなかった。面白かったのはその他に、キャビンの屋根や荷台との間にも様々な道具(キャンプ用品や何かのカバンなど)が載せられていたことだ。またこの車にも国旗ではなかったが、何かの旗が掲げられていた。とにかく外観が賑やかな車体で、”満艦飾”のオフロード車だった。

 ところで,しばらく経ってもT氏のプラドとJ氏のレクサスが来なかった。その2台はわがXトレイルの後ろにさっきまで続いていたはず。それで前を行くBa氏と共にクルマを止め、彼とB氏,筆者の3人で進んできた道を戻る。

 そうしたら,あまり歩かないうちにプラドが止まっていた。小さな峠のような岩混じりの所で、どうやら後輪が岩に乗り上げたような状態だった。それで動けなかったらしい。

 結局,筆者も加えた男連中4人がプラドを後ろから強力に押した。それで幸いにも1回で脱出!その後,プラドの後ろに控えていたJ氏のレクサスは、難なく乗り越えてきた。

 今のところ大事なし、小事で済んでいる。 (K.M)

(668) モンゴル日記(383)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて131 】

 筆者たちの後から、元気なオフロード車の集団が追いかけてきて追い越していった。以前触れたが、こうして同じ車種や似た車種でグループを組み、山野を走りまわるツアーが最近モンゴルでは盛んになってきているらしい。

 そんなグループを見ていると、イメージが膨らむ。つまり先祖が偉大な騎馬民族で,一時ははるかヨーロッパにまで遠征した人々である。その末裔たちの民族的DNAが騒ぎ出し,馬をオフロード車に乗り換えて山野を駆けめぐる。これは以前にも書いたかもしれないが、そんな理解となる。

 ともあれ,そうしたオフロード車の軍団にときどき追い抜かれながらも、筆者たちの4台は進んだ。来た時と同様に、筆者はB氏のXトレイルの助手席に座っていた。そして、しばらくはアクシデントもトラブルもなく順調だった。

 上・下の写真は、そうした集団のひとつが筆者たちの後からやって来て,やがて追い越して行った姿だ。車種はみなジープのようだった。上の写真はそのグループの最後尾車がやって来たところ。最後尾とはいうが、こいつは上り坂をガンガン飛ばして来た。筆者たちはしぜんにそのクルマに道を譲る。通り過ぎる際,感謝の意味か助手席の女性が左手を挙げ、過ぎて行った。そして彼らはまもなくグループに合流し(下の写真)、小休憩をとってから再びスタートしていった。

 順調な滑り出し、マナー良き通過人。 (K.M)

(667) モンゴル日記(382)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて130 】

 さらばダルハッド・バレー、レンチンルフンブ村よ。いつかまた来るぞー?! それでもって,ツーリストキャンプを出発。一路ウランバートルに向かう・・・。が,そうはならなかった。結局ウランバートルに着くまで2泊もした。でもこれまで通り、筆者は事前に何も聞いていなかったが。

 上の写真はあの見慣れたロシア国境沿いの山並みである。今回が見納めだった。これは出発数分前の風景。しかし,これが朝早くではなく、時間は10時をとっくに過ぎていた。たしか前夜の申し合わせでは、7時スタートだったはずだが。”新潟時間”ならぬ”モンゴル時間”だった。概してモンゴルの人々は時間に鷹揚である。まァ厳格さに欠ける。

 とは言え,あちらに滞在していると、この”モンゴル時間”も場合によっては合理的か、と思うこともある。たとえばウランバートル市内の交通渋滞は慢性化していて、ひどい場合は時間が読めない。その結果,約束時間に10分,20分遅れるケースがある。けれど,この程度は「約束時間の範囲内」のようで、これくらいの遅刻は連絡を受けたことがない。

 さて下の写真は、4台がしばし止まった場所だ。奥の残雪を抱く連山はやはり国境沿いなのだろう。オフロードを順調に進んできて、最初の休憩をとった。その見晴らしの良い場所でふり返った風景である。

 今のところ順調な帰路、見晴らしの良い帰路。 (K.M)