(681) モンゴル日記(396)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて144 】

 写真上の花はウメバチソウの仲間だと思う。これも群落と言えるほどの集団は見当たらなかった。が,このくらいのりっぱな株が特定のエリアに生育していた。この草原は近くに山もなく、また周囲に樹木も無いので、どこも日当たりが良い。それで,このウメバチソウが生育していた辺りも日はよく当たったいた。それにやや湿ったような場所だった。

 10輪前後の白い花をつけ、その花弁にはタテに走る脈のような線が透けるように刻まれていた。実に清らかな姿で、日本でもこの姿に魅せられた山野草ファンが少なくないらしい。

 ところで下の写真の植物である。どうも花が終わった状態のものだったようだ。だから,花が確認できず。その代わりに綿毛のようなものが出来ていて、その間から”しべ”が突き出ているような姿だった。これがもう少し進むと種子が形成され、やがて周囲に飛んでいくのだろう。またご覧の通り、花色は青系か紫系だったようだ。

 ではこの草本は何だろう?いろいろ調べた。山野草に通じている方からも意見をお聞きした。その結果、タマシャジンなのではないか、となった。それならばキキョウ科のタマシャジン属(フィテウマ属)の植物である。筆者は詳しいことはよく分からない。ただ気になったのは、その種のもともとの分布域はヨーロッパ・アルプスだとされていたことである。

 日々目新しさ、日々疑問。 (K.M)

(680) モンゴル日記(395)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて143 】

 テント設営地の南側にはズーッと草原が広がっていた。そこでは様々な花が見られた。テントを張る前に時間ができたので、周辺をちょっと観察しながら歩いてみる。もちろん撮影しながらである。

 ただ,ここに着く前にカメラは充電池の能力切れのために使えなくなっていた。しかし,たまたまスマホ用の車載充電器をJ君が持っていて、それを借りてスマホを復活させた。そのスマホ・カメラで撮ったせいか、サイズがちょっとカメラと違うようだったが。

 それはともかく,そこには大群落こそなかったものの、メガネをかけてよーく見まわすと、なかなか色んな花が目に入って来た。雲の多い日だったが、夕方の7時近くでもまだ明るかった。

 上の写真はおそらくリンドウ類(ゲンティアナ属)だと推測する。日本にはリンドウの仲間が10種以上は分布しているようだが、葉がこんなに長くて剣のような種類はないように思う。草丈はないが、なかなか個性的な草姿だった。それに,この花形とこの青色は独特で目を引かれた。よーく観察したら、花の下にツボミをいくつも抱いていた。

 一方,下の写真はおなじみのモンゴルのエーデルワイスだ。すでに何度か紹介していると思う。けれど,こうしたりっぱな株はあまり目にしなかった。この草原ではこうしたものがあちこちで小群落をなしたり、点在をしていた。

 あちこち花々、あちこち目移り。 (K.M)

(679) モンゴル日記(394)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて142 】

 上の写真は来た道を振りかえった風景だ。川は奥から手前の方に流れている。実はこの川、来るときに最初に渡ったあの橋の下を流れていた。

 その橋は(563)号で書いたが、建設費の関係なのか、橋の中央には床板がなかった。つまり左右にだけ床板が設けられていて、真ん中からは水面が見えた!それでドライバー以外はみな降りて渡った。

 しかし今回はその橋を渡らず手前で右折し、川沿いに進む。下の写真はその川に沿ってだいぶ下流まで走ってきた景観だ。そして,テント設営地として決めた岸辺の方を望んだものである。曲がりくねった川の右岸、正面にちょっと広く見える流れの下流部にテントを4つ張ることにした。筆者はもちろんB氏と一緒のテントだった。

 とは言え、テント設営地点を簡単に決めたわけではない。候補地を2ヶ所に絞り、アウトドアのベテランBa氏の意見を聞きながら、現地踏査をした上で決めた。そんなこんなで結局テントを張り終わったのは、20時を過ぎていた。まァ,まだ明るいからいいものの。

 それから全員で協力しながら、夕食の準備に入る。3組の夫婦とB氏は、手際よく調理に取りかかった。そして若い男の子たちと筆者は、周囲に枯れ木や朽ち木を集めに出かけた。燃料の収集役だった。

 夕食後、飲んだ缶beerが効いてきた。そして一番早く寝袋に入った。

 日々ほろ酔い、たまに夢見。 (K.M)

(678) モンゴル日記(393)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて141 】

 ウランウール村を出発してからは、あまり寄り道をしなかった。夜のキャンプ場所を探していたからだ。そして、しだいに草地が増えてきた。それに連れ、道沿いの植物も目立ってきた。

 写真上は、花を咲かせたネギ類(アリウム属)とキキョウの仲間と思われる。ネギ類の原産地のひとつはモンゴルの山地だと、去年だったか?NHKテレビで放送した。確かにそれはネギ類だったようだが、チト系統が違うらしい。

 参考までに調べてみると、ネギの原産地は一般的には中国西部,中央アジアとされている。けれど資料によっては、中国西部だけの記載のものもある。あるいは中央アジアから中国西部,バイカル湖付近までとする説もあるようだ。

 だから、モンゴルに野生ネギの原種があったとしても不思議ではなかろう。また,それらが採取され人々の食材にもなっているという事実は自然だと思う。

 思い出してほしい。来るときに、これに似た野生ネギを抱えた女性に出会った。正確に言うと、夫らしき人物が運転するオートバイの後部座席に跨っていた,あの女性である。彼女は、料理して食卓に出すと言っていた。そのことは(568)号で書いた。

 ところで写真下はナデシコ類(ダイアンサス属)だろう。こちらもこの辺りでは、たびたび見かけた。可憐な花だが、この花色に接すると何やら元気が出てきた。

 花に慰められ、花に活気づけられ。 (K.M)

(677) モンゴル日記(392)

【北モンゴル最奥部を訪ねて140 】

 前号で述べたあの木橋を渡って、しばらくの間走る。そして,この地域で唯一の売店を持つ村―ウランウールに寄って用を足した。そこの売店はコンビニに似ており、きれいで明るい店内だった。各自そこでいろいろな物を買い求め、近くにガソリンスタンドもあったので、給油をするクルマもあった。

 ところで,この村でちょっと珍しい動物と人々に出会った。それが上の写真である。荷台に乗せた動物はトナカイ。そしてそのトナカイをトラックに積んで運んで来たのは、ツアータンという少数民族だという。

 彼らはモンゴルの最北部に住み、ふだんはタイガの森林山岳地帯で暮らしているらしい。トナカイ以外は放牧せず、たまにこっちに出かけて来るらしい。とくにナーダムのときはフブスグル湖付近で会える可能性が高いのだという。

 トナカイというのは、その肉や乳,皮が利用されるほか、その角は漢方薬の原料として珍重されているらしい。

 ちょっと面白かったのは、牛馬や羊を見慣れている人々がトナカイにとても反応を示したことだ。みんなが代わる代わる荷台の彼らを覗いた。モンゴルの人たちにすれば、トナカイというのはなじみの薄い珍しい動物で、興味深い動物と映るらしい。

 さて下の写真は、以前にも紹介したキキョウの仲間だろう。この花はこの辺ではときどき現れた。

 モンゴルの人も時には驚き、もちろん日本人は日々驚き。 (K.M)

(676) モンゴル日記(391)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて139 】

 写真上の木橋は行くときには渡らなかった。この橋を横目に見ながら、大回りになる違うルートをとったからだ。しかし今回の帰り道では、この橋を対岸からこちら側に渡った。水の流れはせいぜい幅4,5mくらいだろうか。ふだんは濁りもなく、おとなしい清流のようだった。

 4台のクルマが橋を渡ったあと、皆で休憩をとる。それでメンバーの中には背伸びをしたり、歌を口ずさむ人もいた。メンバーの間にはリラックスした雰囲気が生まれた。それにこの橋はお金をとらなかった!それというのは、1時間ほど前に渡ってきた橋のことである。(587)号でも述べた橋だが、帰って来るとき,そのたもとには地元役人らしき人間2人がいて、「大水で橋が傷んだから修理をしたい。それで橋を渡る人たちから、その修理代の一部を負担してもらっている。皆さんにもお願いしたい」と言う!渡らないわけにはいかないから、払って来た。

 さて写真下は、この橋の下流に広がる河原である。砂利の原っぱのあいだを本流が流れていた。そして対岸のズーッと先には白いゲルが4棟、またその彼方には三角錐のようなあのデルゲルハンガイらしき山も見えた。来るときにはこの辺りに、女性観光客たちを乗せたあの”観光バス”がいたことを思い出した。

 この頃になって、この日の夜はテント泊するという話を聞いた。日々遅い情報、日々後まわし?。 (K.M)

(675) モンゴル日記(390)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて138 】

 ナーダムを見物していたサガンヌール村を後にした。そして休憩もとらずに進む。4台は結局 3時間も走り続けた。やがて来るときに眺めた、あの連峰が見えてきた。そして,それが望める草原で一服。

 来るときには,この連峰の東側を流れていた川が、大水の影響であちこち氾濫した跡に遭遇した。そして道路の寸断の情報も通行人から聞かされもした。それで当初計画していた進路と目的地を断念し、別ルートで北上。それは(582)号で述べた通りである。そして何とか新しい目的地レンチンルフンブ村にたどり着いた。

 こうして眺めると、絵になる山岳風景ではあった。けれど緑が少なく、山々は峨峨たる様子の連なりだった。その中には最高峰であるデルゲルハンガイ山も見えた。(写真下の左側の尖った山容。)

 浮雲が流れていたが、日差しは強かった。この日も30℃を越したが、風はやわらかく湿気が少ないので、爽やかだった。筆者の腹の具合は徐々に回復してきた。サガンヌール村で飲んだ漢方の胃腸薬が効いてきたようだ。もちろん,それは日本から持参したものである。

 ところで写真とは全く関係ないことだが、気づいた事がひとつ。それはリスの死体である。この帰り道、進路を横切って轢かれたと思われるリスの多いこと!実はこの休憩場所までで10匹以上は目撃した。

 リスにとっては 日々受難、日々リスキー! (K.M)

(674) モンゴル日記(389)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて135 】

 競技種目のなかでは、やはりモンゴル相撲がいちばん人気があるらしい。B氏もそう言っていたし、この会場でも取り組みが進むにつれ観客は増えてきた。上・下の写真とも、そのモンゴル相撲の観客たちのようすだ。

 上の写真は前半で、観客はそれほど多くはなかった。しかし取り組みが進むにつれ、しだいに観客が増えてきた(下の写真)。そして多くの老若男女が相撲場を囲み、しだいに盛り上がってくるのが分かった。けれど掛け声や立ち上がっての声援などはない。また,この相撲場では序盤戦で一度に4組が対戦した。取り組みが進むと2組となり、やがて1組が優勝を掛けて闘うらしい。(ただし時間の関係でそこまではいられなかったが。)

 詳しいルールは知らないが、モンゴル相撲は日本の大相撲とちょっと違う。まず土俵やそれを示す白線などが見当たらない。それは出し技はないからだ。決まり手はすべて投げ技か倒し技らしい。つまり相手の頭,肘,背中,膝などを地面につけると、勝ちになる。ただし掌だけは地面についても負けとはならないという。この点も大相撲と異なる。

 ところで,上の写真ではバックに広い水面が見える。また下の写真でも,左側中ほどに小さく水面が覗く。もちろんサガンヌール湖である。サガンヌール村はいつも湖と共にある。

 ここで一首 「ナーダムは 相撲に競馬 弓を射り 遠き祖先の血が騒ぎ」 (K.M)

(673) モンゴル日記(388)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて136 】

 上の写真は会場を行く競馬関係者たちだ。国旗を掲げ先頭を進む3人は主催者だろうか。その後ろが、出走する騎手たちだ。彼らはみな子供で、年齢は7歳から12歳までだという。

 騎手が子供なのは、以前から聞いてはいた。けれど目の前でその雄姿を目にすると、軽い衝撃を受けた。そして,日本の同年代の子供たちとつい比較してしまった。教育制度から国の歴史や国民の気質まで、日・蒙で大きな違いはあろう。けれど,それらを考え合わせても素朴に感じたこと。それは、彼らが日本の子供たちよりはるかに逞しいことだった。慣れてるとはいえ,レースは落馬の危険と隣り合わせなのだから。

 実際,こんな少年時代を過ごしたらしい親友B氏が、目の前で落馬したことを忘れてはいない。それは5年前のこと。日本なら、その場に居合わせた筆者が救急車を呼んだだろう。しかし,場所はウランバートルから遠い草原で、救急車などはムリ。落馬直後の彼は仰向けになって、動かなかった。すぐそばに駆け寄り,声を掛けると、「・・・だいじょうぶ」と絞り出すような声。それから十数分後にようやく起き上がった。その時の彼の第一声は、「丈夫に産み,育ててくれた親に感謝していました」。

 ところで下の写真は、観戦していたモンゴル相撲の序盤戦のようすだ。まだ観客が少なかった。

  はじめてのナーダム、相撲,競馬,弓射があった。 (K.M)

(672) モンゴル日記(387)

【 北モンゴル最奥部を訪ねて135 】

 サガンヌール湖は、その周囲の大半が草原か岩地のようだった。だから障害物がほとんど無く、近くならその湖面はたいていの場所から望めた。上の写真の通りである。

 そして,湖畔にはサガンヌール村があった。ここは来るとき最後にガソリンを入れた、最奥の燃料補給基地である。ところでこの日は村の大イベントの開催日で、運よくそれに出くわした。たまたま村のナーダム、つまりモンゴル夏祭りの真っ最中だったのだ。ナーダムはモンゴル正月と並ぶ、モンゴル最大のイベントで国全体が休暇に入る。そして期間中,モンゴルの大半の市町村では競馬やモンゴル相撲など,いくつかの伝統競技が行われるのだ。下の写真はその会場の一角である。

 「シャチョー、何か見たい?」、B氏が聞いてきた。「初めてだから見たいですよ」。それを受けて、B氏など男性陣が相談して次のような段取りとなった。「私たちはおなかが空いたので、会場の食堂に昼飯を食べに行きます。あなたはおなかの調子が良くないようだから、食べない方がいい。でも,あなたの分は買っておきます。その代わり,相撲でも弓でも見ていればいいですよ。競馬は時間がかかるから、最後までは見られないと思います。」という。

 そう,実をいうと、筆者の”大”問題は腹痛がらみだったのだ。それはさておき、初めてのナーダムだった!

 食には日々注意、たまに不注意?! (K.M)