(104) ウォーキングは霧の中で

霧のウォーキング

 こうした霧の中、早朝ウォーキングをするのは格別である。いつもの見慣れた風景とはだいぶ違う。空気は肌寒いが、幻想的な雰囲気で別世界を行くような気分であった。先日の早朝のことである。

 この風景のなかでは、物の姿・形はソフトフォーカスがかかったように、皆ぼやけている。また、色彩は手前の黒から上空の柿色まで微妙に変化していき、美しいグラデーションをつくり出していた。さらには 霧の微小な水滴が時間の粒子を宿したように、停止したままの不思議な時間感覚すらおぼえた。

 深い霧の中の歩行は、年に2,3回あるか無しかである。稀にしか遭遇しない貴重な時間なのだ。だからシャッターチャンスとばかり、ウォーキングの足を速めて自宅に戻った。それで すぐデジカメを持って、出直して撮った写真がこれである。

 霧が無ければ、手前に稲刈りの進んだ田んぼがずーっと広がる。中ほど右手には、農村公園の木立なども見えてくる。だが、この時はうっすらとその輪郭しか分からなかった。そして、快晴であれば奥に五頭(ごず)山塊と、その背後に標高2000m級の飯豊(いいで)連峰が望まれる。しかし、この状況では全く見えない。

 この霧世界の中では、太陽さえも滲んで見える。その他に確認できるのは、送電線の鉄塔と田んぼの四本松だけである。

 この四本松、霧だけではなく筆者の近視もあって、細部がはっきりしない。それで連想したのは、前かがみになって進む人の姿だ。昔の股旅物の映画に登場した、急ぎ足の旅の衆に見えた。

霧の朝でも 日々好日、日々感謝。 (E.O)