(306) モンゴル日記(32)

モンゴル日記

【ホテル近くの寺院?】

 写真は、定宿のホテルのすぐ近くにあるお寺である。と、そう思い込んでいた。けれど、一見そうした建物のように見えるが、実際は博物館であることを最近知った。ボグドハーン宮殿博物館という名所らしい。

 その博物館へは、ホテルから歩いても数分だろう。ただ行ったことがないから、詳しいことは知らない。しかし、ガイドブックやインターネットでいろいろ調べた。それによれば、そこはかつて第8代活仏のボグドハーンという偉い人の冬の宮殿であったという。活仏とはこの場合、ダライラマのようなラマ教における仏や高僧の生まれ変わりとされる人を指すのだろう。

 その博物館の主殿などは、釘が一本も使われていないらしい。また展示品としては、ボグドハーンの生活用品,世界各国から寄贈された動物の剥製,ラマ教の曼荼羅や仏像などが飾られているという。

 仕事だからしょうがないのだが、このところ滞在中の行き場所は決まっている。ソヨーチ社のガーデンセンターか2階の事務所,街なかのフラワーセンター、あるいは近郊の農場のいずれかである。観光などは、その時間がとれない。ただ近ごろは、やはり年齢のせいか仏像には心引かれる時がある。だから 機会があれば、異国の仏像など拝みに一度は行ってみたいものだ。

 朝起きて部屋の西側の窓から外を眺めると、この仏教寺院風の建物が静かに目に入ってくる。信仰心とは別に、どこかしら気が休まるような気がしてくる。

モンゴルは仏教と縁のある国でもある。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(305) モンゴル日記(31)

モンゴル日記

【回転寿司】

 写真は、モンゴルで唯一の回転寿司「和 NAGOMI」の店内だ。ウランバートルの繁華街にあり、日本のHISが入っているビルに開店した。たしか昨年のことだったと思う。

 来たのはこれで2回目だ。店内はカウンターの奥に、5つのテーブル席が設けられている。午後8時ころだったが、お客は写真左に写ったサラリーマン風の男性グループが一組。その後、筆者たちがつまみ始めたら、2組ほどが入ってきた。

 今回は、夕食をとるために親友Bさん夫妻と一緒に来た。彼らも回転寿司はおなじみだし、とくに奥さんは好きらしい。新潟県内で7年間も、家族で日本暮らしを送ったからである。

 メニューは魚種豊富な日本のようにはいかないが、魚の炙りものならマグロやサーモンなどは出てくる。また、これは何だろうと思うようなネタの皿も、けっこう流れてくる。けれど、筆者としてはそれなりに食べられた。

 そのうち Bさんが男性の板前さんに、いくつかの質問をはじめた。筆者は近視なので分からなかったが、3人の板前さんのうち実は2人が女性だった。そして、その男性の板前さんがここの指導者役も兼ねた職人らしい。まず尋ねたのは、シャリのことだ。へえーっと思ったが、秋田小町だという。次に、どこで寿司職人の修業をしたかとの質問に、スウェーデンで修業をしたという。ストックホルムの中国人経営の寿司バーで、経験を積んだという。

 ネタも意外なものが少なくなかったが、職人さんの経歴も意外だった。

日本の味が恋しくなったら、また来よう。 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(304) モンゴル日記(30)

モンゴル日記

【月と母と童謡と】

 これはホテルの部屋から撮影したもので、現地時間で午後10時半ころ。遅い夕食を済まし、ホテルに戻ってきたところだった。少し飲んだが、酩酊というほどではない。今度は気分を変えて、部屋の冷蔵庫から缶ビールを取り出し、月を肴にして飲みはじめた。いい満月だった。

 チビリチビリやり始めた。さまざまな事が頭の中を去来し、飛び交う。だいたい、こうして醸し出される時間は嫌いではない。まして異境の地なのだ。ただこの時は、3月に亡くなった実母のことを思い浮かべた。

 以前にも書いたが、母はもともと新潟県人ではなく、伊豆で生まれ育った女性だった。気丈でネアカ、末っ子だった筆者には甘かった。

 その母は晩年、養護施設にお世話になっていた。それが、2月のモンゴル行きから戻ってまもなく、医者から入院を勧められ、実家の家族もそれに従った。その際、医者からは既にそれなりのことを告げられていた。

 入院後はできるだけ時間を作り、母の顔を見に行った。すでに半ば意識がなかったが、こちらが語りかけると、かすかに反応することもあった。ある時、何気なく枕もとで母の大好きだった童謡を歌った。「桃太郎」,「一寸法師」など、歌詞は不完全だったが、続けた。すると 驚いたことに、母は閉じていた両目を数秒、わずかに開けた。そうして母の痩せた手を握っていた筆者の手を、強くはないが握り返してきた。「ああ 母さん、分かるんだね。道夫だよ、道夫!」

 その3日後、母は94歳の生涯を閉じた。

日々好日、日々感謝・・・本当にありがとう、母さん。 (K.M)

(303) モンゴル日記(29)

モンゴル日記

モンゴル日記

【ウランバートルの大文字山】

 ウランバートルの南側、立ち並ぶ建物の背後に、写真のようなモザイク模様が描かれている。それは山腹に作られたものだ。定宿「パレスホテル」の8階の部屋からは、両方を望むことができる。

 写真上、山の斜面の肖像は最初の訪問の時から気がついていた。そして、それが説明を受けなくともチンギスハーンだと察した。しかし、社会主義時代にはこうしたチンギスハーンに関する像やモニュメント類は、許されなかったという。だから、これは民主化の進んだ最近のものらしい。

 一方、写真下のこの山腹のデザインは、最近まで何を意味するか分からなかった。なぜか、あの物知りのBさんにも尋ねたことがなかった。しかし、何度か眺めているうちに、ようやく気づく。

 どうやら この模様の上の部分は、モンゴル国旗に描かれているマークそのものと思われる。鮮やかな赤・青・赤の縦じまの、左側の赤地に描かれた黄色いデザインだ。調べたら、それは“ソヨンボ”と呼ばれ、古い時代に作られたモンゴル文字だったらしい。しかし現在では、国を象徴する紋章のような扱いを受けているようだ。

 ただし、その下のタテ3列の模様は見当がつかない。ひょっとしたら、これらもモンゴル文字だろうか?現在はロシア語のアルファベットであるキリル文字を用いて、モンゴル語が読み・書きされている。けれど、もともとモンゴル文字は古くからあったのだ。

 なお、どちらの模様も斜面に白い石が並べられ、描かれているという。

京都の大文字とはだいぶ性格が違うけれど 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(302) モンゴル日記(28)

モンゴル日記

モンゴル日記

【大陸の鉄路】

 ソヨーチ・ガーデンセンターのすぐ南側を、この鉄道が走っている。その東の終点は北京、西の終点はモスクワだという。2009年に初めてこの国を訪れた時にそのことを聞いて、ちょっと感動した。頭の中にユーラシアの地図が広がり、思った。「ああ,大陸の国に来たんだ!」。

 写真上は、ガーデンセンターに入ろうとした時、たまたま旅客列車が来たので、とっさに撮影したものだ。西から東へ(写真では右から左へ)行く列車だった。Bさんに尋ねたら、北京行きだろうとの答え。

 それは貨物列車に比べれば長くはないが、、重厚さのなかにも風格を感じさせる姿だった。黒緑の車体に、黄色いラインが窓下に描かれている。その黄色いラインの下に白い線2本が引かれている車両は、日本でいうとグリーン車らしい(右側の車両)。この列車が通り過ぎるまで眺めていたら、「シャチョー、行くよ」と、Bさんの声。

 写真下は後日、線路に上って撮ったものだ。日本と違い、立ち入り禁止の柵もなければ、警告板のようなものも見当たらない。左右を何度も見ながら、線路に足を踏み入れるときは緊張した。1,2分はいたろうか。「うーん、これがロシアや中国にもつながっているのか・・・」。わずかの間だが、思いを馳せることはできた。

 ところで、この鉄道はロシアの支援で作られたものなので、線路は広軌だ。けれど、不思議に思ったのはこれほどの大動脈なのに、単線であることだった。通る列車が少ないせいだろうか。

線路内に入ったのは、悪童の頃以来だろう。でも 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(301) モンゴル日記(27)

モンゴル日記

【輸出植物の販売】

 鉢植え植物を空輸したが、インチョン空港に5日間も留め置かれたこと。けれど、それらの植物の大半が無事だったこと。これは述べた。それはひじょうに幸運だったと思う。

 その大きな理由は、まず現地の低温だったと考える。インチョンの気温は把握できなかったが、ソウルの5日間の気温は毎日インターネットで調べることができた。それによれば、期間中は1℃~18℃で推移した。毎日PCの画面を見ながら、現地の気温が上昇しないよう祈った。

 また、荷造りのやり方を工夫したことも良かったのだろう。そのうえ、荷受けをしたソヨーチ社側の対応も適切だった。こちらの指示どおりにやっておいてくれた。

 けれど、それらを収容した温室内は日中30℃前後にまで達していた。だから、シャクナゲの花が咲き出したのだ。そこで急きょソヨーチ社では、それらを同社のガーデンセンターで販売したらどうかと、渡航前から提案してきた。他の対処のしようがないから、それは了解した。それで モンゴル滞在2日目からBさんに手伝ってもらい、輸出した植物の販売をすることになった。

 写真はその時の一コマである。正面奥の人物がBさん。彼は簡単な商品説明を筆者から聞くと、巧みに販売トークに仕立て、よく売ってくれた。ただ困ったことに、店内も晴れた日には温度が上がる。だいたいモンゴルでは晴天が多く、曇天は少ない。降雨は珍しい。だから、シャクナゲは次から次へと咲いてきて、止まらなかった。

今回は高い授業料を払って、色んな事を勉強した。でも 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(300) モンゴル日記(26)

モンゴル日記

モンゴル日記

【明け方のUFO?】

 写真は、ウランバートルの定宿「パレスホテル」の部屋の窓から写したものだ。早朝の風景を撮ろうと、何気なくシャッターを押した。

 ところが、ンッ?中央の建物の右横に見えるのは何だ。二つの物体が浮かんでいる。すぐさまメガネを取り出し、拡大モードで撮りなおした(下の写真)。まさかUFOでは・・・?

 うーん、どう見ても山や丘陵の頭とも違う。やはり浮かんでいる。けれど、単純に二つの雲とも思えない。やっぱり二つのUFOで、どちらかが母船で片方を引っ張っているような感じもする。モンゴルなら、UFOが現れても何となく納得できるもの。

 ほどなく夜が明け、その二つの浮遊物体はまぶしさの中で見えなくなった。・・・何だったのだろう?しかし、今日はBさんのお迎えが9時だから、さっそく体操を済ましてシャワーを浴びよう。そして、近ごろは好みの料理も出るようになったホテルの朝食もとろう。こうして、謎の浮遊物体のことはすっかり忘れてしまった。

 ところで滞在期間中、日中の気温ではウランバートルは新潟と変わらなかった。というより、新潟は4月もそうだったし5月に入ってもそうだが、例年より低温である。だから、昼間は晴れて日差しが強くなり、風もほとんど吹かないウランバートルは、現在の新潟より暖かいと感じた。

 そのせいか 下着の話で恐縮だが、モンゴルに行くのに穿いていった半長ズボン下を、暑いので滞在2日目に脱いだ。そうして、こちらに戻って来てから、再び穿いている。

UFOだったとしても 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(299) モンゴル日記(25)

モンゴル日記

【「サンギ」】

 以前、韓国レストランでモンゴル人,ロシア人,日本人(筆者)が集まり、“国際的な飲み会”をやったと書いた。その時の会場が、ここ「サンギ」である。

 この店には親友Bさんに連れられ、すでに何度も訪れている。実はここでは、焼いたサンマが食べられるのだ。それに、日本人には韓国料理はなじみがある。ただし、あの鉄製の細い箸はいただけない。でも、最近はBさんの指示なのか、店員さんが竹の箸を持って来てくれる。

 さて 写真の右側、メガネをかけた人物がおなじみのBさん。真ん中は彼の留学生時代からの親友Jさん、そして左側がJさんの親友Nさん。Nさんとは初対面だったが、Jさんとはもう何度か会っている。彼に対して抱いた第一印象が、“モンゴルの泉谷しげる”である。筆者は、似てる!と思うが。

 彼のビジネスは輸出も手がける食肉卸しで、ほかに何かの鉱山の権利も持っているらしい。「商売は最近どう?」と尋ねると、「忙しい!」とのこと。そりゃ、結構。

 一方、Nさんはかつて飛行機のパイロットとして、空を飛びまわっていたという。けれど 音楽が大好きで、どうしてもその種のビジネスがしたくて、地上に降りたという。そして、今ではアメリカあたりにも足を伸ばす音楽プロデューサーで、ウランバートルにスタジオを持っているらしい。

 ところで、この4人が盛り上がった話題は年齢と風貌の話だった。筆者も頷ける点が少なくなかった。参考までに、彼らは筆者よりほぼ一回り若い。

モンゴルでは、友だちの友だちはみんな友達。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(298) モンゴル日記(24)

モンゴル日記

モンゴル日記

【災難に負けなかった植物】

 写真は今回、新潟空港からインチョン経由でモンゴルに輸出した植物である。場所はソヨーチ社の大温室の中。上がシャクナゲ、下がミヤマシキミである。この他にアジサイもあった。モンゴルに到着するや否や、まずこれらの状態が気になり、真っ先にここを訪ねた。

 今回、3種類を合わせると、その数は千本近くに達した。鉢植え植物が、これほど大量に日本からモンゴルに入ったのは初めてらしい。そうした事情もあったのだろう、いろいろ想定外のトラブルも発生した。けれど、そうした災難に会ってもなお、植物がこんなに元気な姿を保っていたことに驚いた。覚悟もしていたのだが、大半は枯死もせず半枯れにもなっていなかった。「助かった!」

 経過は次のようなものだった。まず4月10日午後、植物が大量だったので、植物防疫所にお願いをし、当社農場において出張検疫をしてもらった。それは何事もなく、無事に済んだ。その後に、急いで本荷造り。そして、それら54箱の航空貨物を新潟空港に持ち込んだ。そこで通関、翌日のKAL機への積み込みに備えた。

 翌日、荷は予定どおり載せられ、インチョンまでは運ばれた。しかし、ここからが悪夢だった。一言でいうと、手続きや関係書類が原因で、結果としてインチョン空港で5日も止め置かれたままとなってしまったのだ。さあ、大変!最悪の場合、全数枯れ!まで覚悟した。

 けれど、大部分の植物が良好な状態でモンゴルに届き、そこで適切な養生を受けた。

インチョンでもウランバートルでも 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(297) モンゴル日記(23)

モンゴル日記

モンゴル日記

【再びインチョン経由で】

 4月もウランバートルに行って来た。今回は再び、新潟~インチョン~ウランバートルの往復コースを選んだ。以前 書いたが、2月にはこのコースをとって、帰路に大変な目にあった。けれども突然の欠航が起きる冬以外なら、新潟に住む筆者としては、やはりこちらの方が利用しやすい。直行便は成田~ウランバートル間で出ているが、この時期はまだ週2便なのだ。それに対して、乗り継ぎ時間の長さは別にして、新潟~インチョン間もインチョン~ウランバートル間もこの時期なら毎日飛んでいる。

 そのうえ、成田まで行くのに新幹線や成田エクスプレス等を使うしかなく、カネも時間もだいぶ費やす。その点 新潟空港ならば、クルマで行って駐車場に止めればOK。その料金は1週間でも、5,600円でしかない。

 さて写真は、上・下ともインチョン空港での風景である。上は行きのときに撮影したものだ。掃除のおばちゃんたちの仕事ぶりに感心して、シャッターをきった。彼女たちは実に丁寧に、観葉植物の古葉とりをやっていたのだ。枝にまだ付いてはいるものの茶色に変色した葉があれば、鋏で切り落とす。また、鉢の中に落ちた古葉も一つも残さず拾っていた。そうした作業をテキパキと進めるのだ。

 また下の写真は、帰りの乗り継ぎ時に出くわした、かつての王朝時代の行列である。以前も見たことがあるが、優雅さを感じる反面、複雑な思いも抱いてしまう。その理由は、機会があれば述べよう。

残念だが、利用し慣れると、インチョン空港は便利で 日々好日、日々感謝。 (K.M)