(144) 1月のウランバートルで ③

ネコ

 写真の場所はソヨーチの農場だ。右手の四角い建物が事務所棟である。この施設、冬場は閉鎖していた。(それで稀な体験をしたが、詳しくは後述。)また、奥の三角屋根の連なる施設が鉢花の栽培ハウスだ。 ここも3月まで閉鎖ということだった。

 次に人である。写真手前で猫と遊んでいる若い女性が、今回の通訳を引き受けてくれたT嬢である。彼女は、筆者がモンゴル滞在中にいつも通訳兼案内役をお願いするモンゴル人の親友=B氏の姪っ子さんなのだ。彼女は気が利くし、親切だった。

 左手奥にいる男性二人のうち右側が、エヘガザル社のD社長の弟さんB氏である。若いせいか帽子すら被っていない。明朗な人柄で仕事熱心である。ここの農場長も兼ねている。日本酒が好きなことを今回はじめて知った。ただ この度は荷が多すぎて清酒は持参しなかったので、申し訳なく思った。左側の男性は運転手を務めてくれたN氏である。

 積雪は10cmあるか無しかだった。パウダースノーなので、軽くて片栗粉のようだった。歩くたびに軽いキュッキュッという音がする。新潟などの重い雪とは違う。また 天候も当地とはかなり異なる。インターネットで調べた天気の週間予報でも、毎日が晴れまたは晴れ時々曇りだった。そして風がほとんど吹かない。いつも風速0~5mの範囲だ。実際、滞在中はその通りだった。

 今回は、入国と出国の日以外は農場に通った。そして、栽培植物の観察から一部植物の植え込みや栽培指導など、やる事は少なくなかった。

農場に通って 日々好日、日々感謝。(E.O) 

(143) 1月のウランバートルで ②

1月のウランバートル2

 真冬のモンゴルで眺める有明の空も、なかなか味わい深いものだ。月は欠け始めていた下弦の月だった。撮影時刻は現地時間で朝の8時10分頃。まだ外は薄暗かった。写真はカメラをオートにセットしたので、自動的に鮮明な映像が撮れた。

 ただ寒々とした月と言うより、凍り付いて落ちてきそうな月だった。おそらく-30℃前後に下がっていただろう。だから、外で10分と眺めていられなかった。

 寒さ対策で、下着のシャツもズボン下も長めのタイプを身につけ、厚地のコーデュロイ・シャツにセーターを着込んだ。ズボンも厚地のコーデュロイものを穿いていた。その上にベンチコートで身を包んだ。そして、コートのフードをすっぽり被っていた。耳まで隠れる帽子のようなものが無いと、外には居られない。靴は雪用ブーツを履いていた。しかし、頬は痛いような冷気に触れるし、ブーツにもコートにも覆われない脛には厳しい寒さがひしひしと伝わって来る。

 ウランバートルの寒さは新潟の寒さと質が違うように思う。新潟の寒さは“湿ってはいるが温かみのある軟質の寒さ”、それに対してウランバートルのそれは“乾いて厳しい硬質の寒さ”である。

 今回のホテルは写真右手の建物で、以前にも宿泊したことがある。部屋はラジエーターよる温湯暖房で、たいてい+24,25℃くらいに保たれていた。だから、寒いとは全く感じない。しかし、一旦外に出ると、それより40,50℃低い世界である。この気温の落差に、まず戸惑った。

異国の酷寒の地でも 日々好日、日々感謝。 (E.O) 

(142) 1月のウランバートルで ① 

1月のウランバートル 1-1

1月のウランバートル 1-2

 写真上は、飛行機からの白いモンゴルの山並みである。また、写真下は市内の「ザイサンの丘」から街の中心部方面を望んだものだ。

 真冬のウランバートルに行って来た。これまで7回ほど渡っているが、1月は初めてである。今回の主な目的は、3月にソヨーチ・ガーデンセンターで計画している展示会の準備である。(※ソヨーチに関しては38,39号に記述。)

 その仕事とは別に、以前から最も寒い時期にモンゴルを一度は訪ねてみたいと思っていた。零下30℃,40℃の地とはどんな世界なのだろう。人々はそこでどんな生活を送っているのだろうか。今の時期でも、人々は花を買い求めるのだろうか。また、筆者なぞはそこでまともに過ごせるのだろうか。そこではどんな感覚を持つのだろうか。あれこれ考えながら、MIAT(モンゴル航空)の飛行機に乗り込んだのである。

 この時期ではあったが、往復の便とも乗客は6割くらいだった。MIATには悪いが、エコノミークラスでは程よい搭乗率と言うべきか。それに行きも帰りも、たまたま隣に若い女性が座ってくれた。行きは日本に留学中のモンゴル女性で、日本語が上手な娘さんだった。帰りは日本語はあまり話さなかったが、ソーシャルワーカーとしてモンゴルで働くオーストラリア女性だった。いずれの女性とも話が弾んで、ドスンと振動が伝わってきて はじめて着陸が分かった次第だ。こうした経験は初めてだった。エコノミークラスでも快適な空の旅となった。そして、何よりも1月のモンゴルも悪くはなかった。

気温に関係なく 日々好日、日々感謝。(E.O)

 

(141) 山茶花とつらら

山茶花とつらら

 朝食後の歯磨きをしていたら、窓外の景色にオヤッと目を留めた。どうやら、この日の朝方は氷点下になったようだ。

 写真の花は八重のサザンカである。しかし、それだけに注目した訳ではない。その周りの葉の様子に目が行った。葉に積もった雪が融け出したのだが、それが明け方の冷え込みでつららになったようだ。寒中に健気に咲くサザンカと、その葉から下がったつらら。この取り合わせを面白く感じたのである。このような現象はあまり見たことがない。否そうではなく、これまでそうした事には気付かなかっただけなのかも知れない。

 ともあれ 歯を磨きながら、戸外の花を愛でることが出来るというのはありがたいと思う。と言うよりは、この小さな藪のような裏庭がときどき目を楽しませてくれたり、小さな感動を与えてくれるのがうれしい。

 植物なら、このサザンカをはじめツバキ,ヤマボウシ,カルミアなどの花々。また新緑と黄葉が味わえるイタヤカエデ、あるいは花と実のカリン。訪れる鳥ならば、ウグイス,ウソ,モズなどが挙げられる。スズメなどはあまり目にしない。たまにメジロも飛んで来る。蝶の場合、キアゲハヤアオスジアゲハは時期になるとよくやって来る。

 日々の暮らしの中で、こうした場と時間が持てるこの事に、心から感謝をしたいと思う。

やはり日々好日、日々感謝。 (E.O) 

(※またモンゴルに行って来ました。今ほど帰宅したばかりで、5日間にわたって零下30℃の世界を垣間見てきました。こんな風につららが形成されるどころの土地ではありませんでした。)

(140) 「塞の神」行事 ②

塞の神

 「塞の神」の火勢がピークを越え、やがて下火になってくる。それにつれ、高さ6mほどの塔が少しづつ西北に傾いてきた。それでも青竹の破裂する音はまだ止まない。ちょうどその頃、写真のように東から満月に近い月が雲間に顔を出した。普段と違う不思議な月明かりだった。

 ところで、この地で行われる「塞の神」はおそらく他所と同様、もともと五穀豊穣と災厄払いを願ったものである。以前はたいてい小正月の15日に行ったものだが、近年は休日との絡みがあり、その前の日曜に実施されるようになってきた。それで今年は1月8日(日)になった。

 また実施場所についてはここ十数年間変わらず、この信濃川右岸堤外地である。もちろん国交省には事前に使用届けを提出している。

 さて、点火時刻が迫ってきた。すると 例年通りに、塔の前で今年の厄年の男女が“神主”さんからお払いを受ける。今年は3人だったようだ。その頃から地元や周辺の人々がしだいに集まリ出す。彼らは手に手に、神棚に飾った前年の注連縄や古いお札などを持ち寄る。そして、点火前にそれらを「塞の神」に結んだり、その足もとに置く。今年の参集者は50名くらいは居ただろうか。

 1時間くらいでほぼ火も収まった。その前に参加者も帰り始める。ありがたいことに、今年は万全と言ってよいほど、うまく安全に事が運んだ。筆者を含む主催者側は火の状態を確かめた上で、一旦はここを引き揚げた。例年通り、この後の「なおらい」に臨むためだ。

塞の神、始め良ければ終わり良し。 年々好年、年々感謝。 (E.O)

(139) 「塞の神」行事 ①

塞の神 1 

塞の神 2

 写真上は出来上がった「塞の神」の前で、“神官”が祝詞をあげている場面だ。この後に点火となる。この神官、実を言うと大工さんで、職業柄この「塞の神」の塔の組み立て指揮官でもある。

 写真下は、集まった住民たちが燃え上がる「塞の神」を見守っている様子である。中には、竹ざおに吊るしたスルメを早く焼こうと待っている子供や大人も少なくない。

 二年ぶりの塞の神だった。集落の正月に行う伝統行事だが、一昨年・昨年と諸般の事情で休んでいた。しかし昨年は、大きなところではあの3月11日の東日本大震災、それにこの地域の信濃川沿岸を襲った7月末の洪水と、災害が重なった年だった。そして、いっこうに明るさが見えない国や地域の経済状況などもあり、人々が元気を失い閉塞感に陥っていたことは皆感じていたようだ。

 そうした背景がまずあったので、「塞の神」を今年は挙行しようという声は、昨年夏頃から聞こえていた。また どういう事情であれ3年は休めない、今年も休むと絶えるのではないかという気持ちを、担い手たちの多くが共通して抱いていたようだ。担い手、つまり「子成場 塞の神保存会」のメンバーである。一応、筆者もその一人ではあるが。

 そんな思いが天に通じたのか、当日は絶好の天候に恵まれた。まず、程よく積雪があった。また、穏やかで風も吹かず、降雪も無かった。こうした点から参加者が集まりやすかったし、また防火という面からも心配が少なかった。良い「塞の神」だった。

集落でつなげる伝統行事があれば 年々好年、年々感謝。 (E.O) 

(138) 百両金(カラタチバナ)-其の七

百両金(カラタチバナ)-其の七

 写真は百両金の「宝冠」である。まず印象的なのは実である。小さいものもあるが、大きな実は輝くような赤色を帯びる。

 葉の表面にはしわが出来て縮んだようになる。これを“多羅葉(たらば)”と呼ぶ。前回紹介した“岩石性”は、これがもっと進み凹凸が強く現われた場合をいう。

 この多羅葉に斑が入る。幹は緑色を呈する“青木”である。こうした独特の姿形に、赤い実がアクセントになって映える。

 ところで前回(137)号では、百両金の全く大雑把な歴史しか記さなかった。ことに江戸時代以降の事柄にはほとんど触れなかった。だから、ここで少し補う。

 百両金は江戸時代の後半にかけて大いに盛り上がった。そして、明治期に入ってからも人々の愛好熱は冷めなかった。それどころか、ますます高まった。やがて流行の中心地は京都から、名古屋,東京などにも拡がっていった。

 明治の中頃になると、わが新潟県でも百両金が熱狂的に受け入れられ、高値で売買されるようになった。あげくの果てに投機の対象にまでなってしまったのだ。そうした事態となって、とうとう県が売買禁止令を打ち出し、その沈静化に乗り出した。何やらオランダのチューリップ狂時代を連想する方もあるかも知れない。

 その影響で人々の百両金への熱は冷め、価格も下がっていった。しかし、これほどまでの異常な流行は一面、品種改良を盛んにさせ、多くの品種も生まれた。何やら昭和40年代の皐月ブームと少し似ているような気もする。

名花には魔性も潜んでいる? けれども 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(137) 百両金(カラタチバナ)-其の六

 

百両金(カラタチバナ)-其の六

 これは百両金の「出雲小判錦」という品種である。

 名称に付く‘小判’は葉の形を示し、写真のように小判形の丸っこい葉のタイプをいう。また この品種の特徴の一つだが、葉に厚みがあって表面に強い凹凸が現れる性質を“岩石性(がんせきしょう)”という。

 さて、この品種の斑には葉の縁に線状に出現するものもあれば、葉に面状に出現するものもある。面状に斑が出るものの中には、葉の主脈から半分が薄黄色の斑、もう半分が地の緑色という対照的で鮮やかな柄が出る場合もある。このような場合、「源平斑」と呼ぶようだ。そうした斑の個体も見た事はあるが。

 ところで 写真では見えないが、この「出雲小判錦」には実が一つ付いていた。上品で優美な、大きめの白実だった。

 さて前回は、百両金の江戸時代における園芸的な発展や人気ぶりを伝えた。その後 明治期に移っても、その愛好熱は冷めなかったようだ。簡単に言ってしまうと、それは連綿と戦前まで続き保たれた。機会があれば、後にもう少し述べたい。

 しかし、戦後は時代状況が一変し、花卉園芸全体が沈み込んだ。勿論 百両金も衰微した。けれど昭和30年代に入ると、高度経済成長につれて、花卉園芸業界も活況を呈してくる。やがて百両金も見直しの機運が出てくる。40年代に至ると、少しづつ人気を盛り返してきたのである。しかし、栽培者や愛好家は新潟県と島根県以外あまり増えなかった。そうして現在に至っているが、近年の和物への再評価と共に見直しも兆している。

百両金、愛でるほどに 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(136) 百両金(カラタチバナ)-其の五

百両金(カラタチバナ)-其の五

 やはり正月は、おめでたい それでいて落ち着いた植物がふさわしい。それで百両金を再び掲載する。撮影場所はあまり良い所ではなかったが。

 写真の百両金は「太平殿」である。葉の色や姿が派手で、遠くからでも目立つ品種である。葉の幅が広く、このように全体に大きくうねるような動きの葉の変化(葉芸)である。こうした葉芸を「鳳凰葉(ほうおうば)」と呼ぶのだそうだ。この鳳凰葉に派手に広く斑が入る。何と言っても、これが「太平殿」の魅力であろう。葉が荒々しい姿をしているが、なかなか美しい。人気品種らしい。

 関係資料では実は茶色となっているが、赤茶色とでも表現すべきだろうか。また 幹の色も赤味を帯びている。

 ところで 以前にも若干触れてきたが、この百両金をはじめヤブコウジやマンリョウなどヤブコウジ属(Ardisia)の植物は、江戸時代に大いに受け入れられ、園芸的に発展した。当時の文献によれば、その頃すでに百両金は60以上の品種数が記載されていたという。

 この江戸期には、いわゆる伝統園芸植物としてこれらの他に、木本ならツバキ,ボタン,キンシナンテンなどが、また草本ならキク,フクジュソウ,アサガオ,ナデシコといった多彩な植物が人気を集め普及していった。変わったところでは、マツバランのようなシダ植物も盛んだった。

 話を戻し、百両金はとくに文化・文政期(1804~1830年)には、斑入り品種や葉変わり品種が大変な人気を集めたという。(※このテーマ次号に続く)

 常緑で実も付く植物こそ正月にふさわしけれ。日々好日、日々感謝。 (E.O) 

(135) 一富士、二鷹、・・・

一富士、二鷹-01

一富士、二鷹-02

 謹賀新年。

 新年にあたり「一富士」は無理であるが、「二鷹」はたまたま一週間前に遭遇した。それで初夢ではないが 縁起ものなので、その鷹の写真を載せる。タカ科のノスリである。

 ノスリについては以前(44)号でも触れた。ただ、あの時は飛び去っていく小さな後姿しか撮れなかった。しかし今回は、新しいカメラを偶然クルマに積んでいたので、上の写真のように以前よりは拡大撮影ができた。

 遭遇したのは年末の午後。田園地帯を横切る広域農道をクルマで走っていた時だ。おっ、進行方向左手の先 ポールに一羽の鳥が・・・。積雪時に道路の端を示すそのポールの頭に、少し大きめの鳥が羽を休めていたのだ。トビではなさそうだし・・・。

 アワワ、そんな事を考えていたら、そのポール直前にまで来てしまった。もう少し離れて様子を見よう。後続車が来ないことを確かめ、クルマをゆっくりバックさせた。幸い、その鳥は逃げなかった。

 それで十数メートル手前くらいの所で様子を窺う。胸がときめいてきた。大きさはトビくらいだが、羽の色が黒っぽいし、やや太目の体つきだ。やはりトビではないようだ。おそらく それ以外のタカ科の野鳥だ!何度もシャッターを押した。

 間もなくその鳥は、ポールから近くの柿の木に飛び移った。そこでしばらく止まっていた。それが写真下である。

 翌日すぐ「鳥博士」に写真をメールした。博士はその日のうちに返事を下さった。ノスリの判定である。正月を前にして鷹に出会い、縁起が良いと思い込んだ。

今年は昇竜とまではいかないが、飛翔できそうな気がしてきた。年々好年、年々感謝。 (E.O)