(215) コスモスにとんぼ

コスモスにとんぼ

 今年初めてトンボの撮影に成功した。お盆前の朝、鉢植えコスモスの花に止まっていた。場所は事務所の玄関脇である。

 花札のように「牡丹に蝶」ではなく、「コスモスにトンボ」だった。トンボはたいてい棒や枝・葉の先に止まるもの、とばかり思っていた。だから、その花に止まった姿が珍しいこともあって、発見した時には急いでカメラを取りに行った。ただカメラを構えて数メートル手前に近づくと、何回か花を離れて気をもませた。が、 何とか2枚は撮影できた。

 おまけに、そのコスモスはふつうの種類ではなく、チョコレートコスモスである。この組み合わせも面白かった。まさかチョコレートに似たその香りに惹かれたわけでもあるまい。ただ正確に言うと、トンボが取りついたのは花ではなく、開きかけの蕾だった。トンボの種類は、でかい複眼などからすると、ヤンマトンボの仲間だろうか。

 子供時代のことを思い出すと、トンボについてはその捕獲方法がユニークだったのを覚えている。何かに止まったトンボにゆっくりと近づく。そして、その目玉に向かって人差し指で円を描きながら、さらに近づいて行く。そうすると、彼らは複眼を回しながら、しまいに目を回してしまい、飛び立てない場合がある。そこをさっと手で捕まえるのだ。確か先輩たちから教わったことだ。最初そのやり方を聞いた時には、冗談かと思った。しかし、これは冗談でも漫画の世界のことでもなく、実際に筆者も何度か経験した。

子供の頃に小動物を捕まえ、時には死なせてしまって、はじめて生命を学ぶ。日々学び、日々感謝。 (E.O)

 

 

(214) 初夏のモンゴル⑱(終わり)

船下り

船下り

【川下り―その2】

 ボートによる川下りはそう簡単ではない。乗ってから気づいた。クルーが役割分担して操らないと、ボートは安全にちゃんと進まない。打ち合わせはしなかったが、自然とボートの左側に筆者、舳先にD社長、右側にE君という配置になった。前方に注意を払いながら、左右の岸に寄り過ぎないように、各自が状況に応じてオールを漕いだ。

 また時々、川をふさぐ流木・倒木が現れたが、それを避けるのが容易ではなかった。流速のある場所でそれに出くわすと、とくに大変だった。それを避けようと、皆が必死にオールを漕いだ。けれども、終点近くになってからのことだ。川の真ん中に居座った大木を避けきれず、舳先に乗っていたD社長がとっさに川へ飛び込む事態が起きた。幸いにも、流れが強くなく背の立つ所だった。とにかく気は抜けなかった。

 このトール川は、川幅が広い所で20~30mはあったろうか。写真上は豊かに水の流れる、そうした地点である。こんな場所なら、比較的ゆったり構えていられる。

 そうかと思うと1ケ所だけだったが、皆がボートを降りて引っ張りながら通った浅瀬もあった。また川が二股に分かれていて、右するか左するか迷った場所もあった。

 そうした操船上のことは別にして、青空,川風はあくまでも心地よく、そして川岸の風景の変化は楽しいものだった。樹林や草原だけではなく、時には下の写真のようにお花畑も現れた。植物の種類は分からなかったが、そのピンクの花々は鮮やかだった。

川を下るときには、くだらないことは考えない!日々好日、日々感謝。 (E.O)

 

(213) 初夏のモンゴル⑰

船下り

船下り

【川下り―その1】

 前夜にD社長が試した夜釣りの結果が良くなかった。そのため、急きょ朝になってから釣りは取りやめ、川下りをすることになった。

 それで皆がボートとその付属品を車から引っ張り出し、手際よく準備を進めた。そのうち「シャチョー泳げますか?D社長が訊いています」、とB氏。「大丈夫、中学生のとき水泳部だったから」、と筆者。

 それでも心配だったのだろう。準備完了後、D社長は筆者の救命胴衣の具合をチェックした。それは少し大きめで、下の方に腿に巻きつけるベルトが付いていた。しかし、それを締めてはいなかった。彼はそれを見つけると、自ら筆者のベルトをしっかりと両腿に巻きつけてくれた。

 でも、大丈夫かなァ・・・少しは不安を抱いていた。けれど、これまで幾度もこうしたツアーに連れて来てもらったが、トラブルには一度も遭遇していない。郷に入っては郷に従え!川に入っては川に従え!覚悟を決めると、気持ちは落ち着いた。

 写真上で、手前の3人はクルーである(左からE君,D社長,筆者)。この撮影後すぐに、ボートを川に下ろした。さあ出発!離岸である。ボートは水面を順調に滑り出した。川風も適度に吹いてきて清々しい。

 そのうち水鳥らしき野鳥が飛来し、運よく前方の中ほどに何羽かが身を浮かべた。このチャンスを逃すまいと、とっさにシャッターを押したのが写真下である。(例の「鳥博士」によると、これらはカワアイサではなかろうか、ということだった。写真はぜひ拡大してご覧あれ。)

日本の夏の猛暑と比べたら・・・日々極楽、日々感謝。 (E.O)

(212) 初夏のモンゴル⑯

キャンプ花

キャンプ花

【河畔の花園】

 草原は花園だった。紙面の都合で写真は多く載せられないが、確認した花だけでも十数種はあったろうか。白,黄色,紫,ピンク,うす緑・・・実にさまざまな花が咲いていた。

 なかでも 一見キクに似たこの花は群落をつくり、草原を白っぽく染めていた。写真上がその風景である。奥の山すそが白く帯状に見えるのも、同種の群落と思われる。写真下はその植物の花である。

 この白花、当初はキク科植物かと考えていた。ところが、帰国して写真を見直していたら、そうではないような気がしてきた。うちの部長に訊いてみたら、花や枝の様子は日本のカラマツソウに近いという。それで改めて調べると、確かに花の構造も色彩もよく似ている。もともと花弁を持たず、萼も早く落ち、細く白い花弁に見えるのは雄しべで、黄色い先端が葯である。たぶんカラマツソウの仲間なのだろう。

 そのカラマツソウらしき群落に混じって、多様な植物が花を開いていた。アブラナ科と思われるクリーム色の花、タデ科であろう穂状の白花、黄色い花をつけたセダムの仲間、キキョウ科と思える紫の小花、日本のキンバイソウによく似たオレンジ色に近い黄色の花(前回述べたキンポウゲ科植物)、花序や花色からセリ科と思われる白花、鮮やかな黄花が目立つケシ科植物、白っぽい花のノコギリソウの仲間・・・。

 D社長の話では、この時期にしては例年より咲いている花の種類が少ないと言う。今年の冬の寒波が厳しく、開花が遅れているのだろう、と語っていた。

モンゴルでも花があれば、もちろん日々好日、日々感謝。 (E.O)

 

(211) 初夏のモンゴル⑮

日の出

キャンプ花

【河畔の朝】

 テントを張ったこの河畔の地は四方を山々に囲まれ、丈の低い草原が広がり、様々な花が咲いていた。岸辺には森林が形成され、草原の所々にはブッシュも生い茂っていた。そうした辺りから野鳥のさえずりが聞こえてくる。とくに日の出前はにぎやかだった。

 鳥の種類が豊富なせいか鳴き声も多様で、日本では聞けないものが多い?ようだった。それを筆者なりに聞きなしたものが、以下の通りである。―――プポーッ,プポーッ,プポーッ(これは森の奥から)・・・シャキル,シャキル,シャキル・・・スーッチョ,スーッチョ,スーッチョ(虫の音のようだが、間違いなく鳥だったと思う)・・・ペニュー,ペニュー,ペニュー・・・ゲンツキ,ゲンツキ,ゲンツキ,ピュ,ピュ,ピュ,ピュー(風変わりな鳴き声だが、これでひとまとまりだった)、グワッ,グワッ,グワッ(これは以前紹介したカササギの声だった。姿が見えた。)・・・。これらのさえずりを一人楽しみながら、燃料用のタキギ集めに精を出した。

 やがて、辺りが明るくなってきた。それでテントに戻り、中からカメラを持ち出した。テントの皆さんはまだ夢の中。そこを静かに立ち去り、日の出の撮影準備に取りかかった。写真上は、太陽が顔を出す直前を捉えたものである。7枚ほど撮ったうちの一つだ。

 また写真下は、この草原に咲く花で最も目を引いた花だった。おそらくキンポウゲ科の植物だろう(後述する)。ただ残念なことに、数本しか見つからなかった。

ここには“花鳥風月・・・人”、すべてがあった。日々好日、日々感謝。 (E.O)

 

(210) 初夏のモンゴル⑭

モンキャンプ地名月

【月とトール川と・・・】

 満月に近い月が夜空に浮かび、それを映した川面が小さく波立ちながら、ほのかに白く光っていた。油絵のような風景だ った。詩心を持ち合わせていれば・・・と、また自らの才能の乏しさを悔やんだ。

 川音が聞こえ、幻想的な雰囲気すら漂っていた。ウオッカが少しまわり始めたが 、まだ足もとは危なくなかった。そのうち妄想が始まった・・・かぐや姫はきっとこんな妖しいほどの月夜に帰っ て行ったのだろう。それにしても、月への帰り土産は何にしたのだろう。コシヒカリだったろうか。・・・小学校 の時、お世話になったカワグチ先生は今もご健在だろうか。やはり独身を通されたのだろうか。・・・頭の中を詩心とは全くかけ離れた、とんでもない想像と記憶が駆け巡る。

 そんな時「カタオカサン!」と叫ぶ声が聞こえた。D社長である。発音しやすいのか、最近は筆者の名前をミスタ ーカタオカではなく、こう呼んでくれる。さて何の用事だろう?また、双眼鏡を貸してくれるのかな。実はD社長、 旅先にはよく双眼鏡を持ってくる。それで月や星を眺めるのが好きなのだ。自分で覗いた後は、たいてい筆者にその双眼鏡を貸してくれる。今回もその通りだった。

  しだいに星星があちこちで輝いてきた。一番星、二番星と数えていったが、十番星くらいでやめた。ところで、よくモンゴルでは星空が美しいと言われる。けれど、澄んだ空をもつこの国では月の姿もそれに劣らず美しい。

眠気がさしてきた。いびき魔のB氏より早く、テントで寝つかねば。日々・・・省略。(E.O)

(209) 初夏のモンゴル⑬

初夏のモンゴル

【月とテントと・・・】

 ウランバートルから4~5時間は車を走らせたろうか。あのゲル運搬隊に出会ったり、コオニユリの咲く 森で休憩をとったり、目的地の手前で試し釣りをしたりと、いろいろ道草をしながら来た。けれど、 それほど暗くならないうちにトール川河畔の目的地に着いた。

 今回のメンバーは、おなじみの親友で通訳のB氏,D社長,運転から調理までこなすMさん,若手のE君そして筆者の5人。皆はテント設営地点が決まると、手際よくそれを組み立て、晩飯の準備も始めた。筆者の出る幕はなかった。少し気温が下がってきたが、雨は降ってこない。また、強い風も吹いていない。その上どういう訳か、 蚊が寄って来ないのだ。だから 辺りを散策しながら、夜空に浮かぶ月をしばし観賞していた。

 ところでウランバートルを 出発するとき、いろいろな資材や飲食物を車に積み込んだのは見た。ただ、キャンプには必須の飲み水らしき液体がその中に なかった。調達はどうするのだろう?とちょっと気になっていたが、合点がいった。すぐ側の清流トール川を 利用するのだ。まァ、ウランバートルの水道の供給源だから問題ないか、と妙な納得をした。やがて食事の用意(飲む準備)ができた。

 すると、当たり前のようにウオッカが登場し、グラスに注がれ皆に回された。用意された今夜の酒の肴は、調理したハ ムとポテトだった。また、味覚以外の肴ではまず月があり、心地よい夜風があった。それに、座を沸かせるD社長の小話も加わった。

贅沢な時間を過ごして、今日も 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(208) 初夏のモンゴル⑫

初夏のモンゴル

初夏のモンゴル

【ゲルの移動】

 ゲルはモンゴル遊牧民伝統の移動可能なテント式住居である。けれど、その移設の場面に出くわすこ となど無かった。D社長やB氏などウランバートルの人々でさえも、めったに会わないらしい。その隊列に、たまたま遭遇した。

 滞在四日目、エヘガザル社と業務上の大きな交渉を終えた。D社長は「ビジネスが終 わったから、田舎へ行こう」と、いつものように筆者をアウトドア・ライフに誘った。そこで今回は魚釣りの目的で 、トール川の上流を目指すことになった。その移動中のことだ。D社長がこの隊列をいち早く見つけ、彼らに道を譲るよう運転手のMさんに指示した。彼はレクサスを道端の草むらに止めた。

 D社長は興味があったのだろう。車を降りて先頭の男性に声をかけ、話をはじめた。B氏の通訳では、彼ら二人は親子でゲル移動の最中なのだ そうだ。分解したゲルの組み立て資材一式を積み込み、運搬しているところだという。飼っている多くの家畜たちは、先に他の家族が移動させているらしい。

 彼らは八台の荷車を八頭の牛に引かせていた。正確にいうと、七頭の牛と一頭のヤクである。牛より一回り大き い。このようにヤクも役牛同様に使っているのだ。

 D社長が「めったにない機会だから、先頭の父親と一緒に写真に納まったらどうか」と勧めた。それで撮影して もらったのが下の写真である。人の良さそうな親父さんで、笑顔を絶やさず被写体になってくれた。逆光ではあったが、貴重な記念の一枚になった。

今回も印象深い遭遇があっって 日々好日、日々感謝。 (E.O)

(207) 初夏のモンゴル⑪

日本人慰霊地

【日本人慰霊園】

 ウランバートル郊外にある日本人慰霊園をやっと訪ねた。義務が果たせる!そんな思いだった。

 この辺りにはかつて、旧日本軍兵士などモンゴルで死亡した日本人たちの墓地があった。その多くは敗戦後に 強制労働を強いられ、命を失っていった抑留者である。

 ここを彼らの慰霊の地にしようと、戦後モンゴルと日本の関係者が交流を始め、その後は両国政府も動き出した。 その結果、遺骨の収集・返還などと共に、ここの整備も始まった。

 入口には受付も説明板もなかったが、門扉が開いたのでB氏と共に中に入った。ほどなく、中年の男性が現れた。彼が管理人で、ここの説明役も兼ねていた。彼はまず、記念堂に案内してくれた。

 堂内に入り、日本から持参した菓子を祭壇にお供えし、合掌した。展示台には氏名の分かった埋葬者の名札が何百枚も並べられていた。また、一通の遺書と言うべき手紙が展示されていた。それは、苦悶のうちに異境で生を終 えることを覚悟し、祖国にいる家族に感謝の念をしたためた文面であった。読んでいるうちに、込み上げてくるものがあった。

 そのあと慰霊碑(写真)前でも説明を受け、小冊子をもらってそこを辞した。ホテルに戻り、それを読んだ。そ の中には当時の関係者の証言が記されていた・・・収容所ではモンゴル人職員と日本人捕虜との間に信頼関係が生 まれた、心の交流が芽生えた、といった記述がいくつもあった。そうであったとしたならば、少し救われる思いがした。

異境で命を終えた方々に、改めて慰霊の思いと感謝の念を捧げたい。 (E.O)

(206) 初夏のモンゴル⑩

モン夕暮れミーティング

モン農場の日没

【樹木栽培農場―その3】

 前回と同じく、ドゥガナハッドからウランバートルに戻る際の話である。D社長は、その道沿いにあるバヤン・チャンドマンの農場に再び寄った。

 現地時間では午後8時15分頃。暗くなるまでには少し時間があった。日本より緯度が高いので、この時期は日 が長い。D社長は現場スタッフを前に、いわば日没前ミーティングを始めた。写真上で、青いジャージを着て前にいるのが彼である。

 彼がどんな話をしているのかは、見当がつかなかった。ただ この時はリラックスした話しぶりで、従業員は静 かに耳を傾けていた。実はこの中に、D社長の長男と次男も混じっていた。長男のV君はアメリカに留学した後に 、父が経営するエヘガザル社に入社した。そして現在では、英語が達者なこともあり、さまざまな業務をこなしている。すでに筆者も顔なじみだ。

 一方、次男のD君は中国に留学中と聞いていたが、今は夏休みでここに居合わせたのかも知れない。どうやらD 社長は、次男も留学後には社業に携わらせる考えのようだ。

 ところで 日の入りが迫ってきた。下の写真は農場から眺めた日没直前の風景である。バヤン・チャンドマンの 草原に闇が広がり、その奥の連山がシルエットをつくる。凝視すると、農場の柵が黒っぽく直線状に山裾を隠して いた。そして、沈む夕陽が一瞬オレンジ色に輝き、まもなく消えた。現地時刻で午後8時40分過ぎ。余韻のなか で静かな感動が湧いてきて、夕陽を久しぶりに美しいと感じた。

この国では星や月だけでなく、日の入りも絵になる。 日々好日、日々感謝。 (E.O)