(286) モンゴル日記(13)

モンゴル日記

【展示即売会 ④】

 展示会初日の午後、モンゴル駐在の清水大使が会場においでになった。もちろん筆者たちのブースにも寄られ、うちの花も新潟米もお買い上げくださった。また、写真撮影にも快く応じてくださり、写真はその時のものだ。右から三番目の方が清水大使で、その左隣が筆者である。

 ところで ウランバートルの日本大使館には、かつて大変お世話になった。それは初めてモンゴルを訪れた2009年3月、滞在2日目に盗難にあってしまった時のことだ。パスポートから航空券,カメラなどが入ったバッグを盗まれたのだ。

 事件の翌日早く、Bさんに連れられ日本大使館に行った。そこで経緯を説明し、帰国の際に必要な渡航書(「帰国のための渡航書」)の交付をお願いした。「揃えるべき書類が整ったら、速やかに発行します」とのお答え。その結果、実質2日間で発行してもらった。忘れもしない、そのとき実にテキパキと物事を処理してくれたのが、勝又さんという方だった。その渡航書の発行以外にも、「いつも服用している薬があればおっしゃってください。医務官に調べさせて、お渡ししますから」と言ってくださった。何と親切な・・・!

 そのうえ、このモンゴル初訪問時にはこの事件だけでなく、痛風発作も起こしてしまった。これは痛みを伴うから厄介だった。通例ならば、こうした目にあうとモンゴルには良い印象を持たないだろう。けれど、そんな気持ちを払いのけるほどに、親友Bさんが筆者のために懸命に動き回ってくれたのだ。

持つべき友に国籍は関係ない。 日々好日、日々彼に感謝。 (K.M)

(285) モンゴル日記(12)

モンゴル日記

【展示即売会 ③】

 一つのブースを当社と分けて出展したのは、新潟クボタの子会社=新潟農商さん。同社は花屋ではないが、コシヒカリなど新潟米の有力な販売会社である。ガーデンセンター側のご好意でブースを出した。

 同社の出展目的は、新潟米をモンゴルで販売することが、ビジネスとして成り立つかどうか、その可能性を探ることだった。モンゴルの親友Bさんは以前から言っていた。つまり、モンゴルの人たちは幼い頃から米には親しんでいる。価格的な面で折り合えば、おいしい日本米はきっと売れる、と。やがて、Bさんと新潟農商さんのご縁ができ、こうした場面がつくられた。

 同社は今回の出展にあたり、モンゴル側のパートナー会社の協力を得て、2会場で3日間がんばった。そこで彼らはさまざまな手法を駆使して、お客さんを集めた。

 会場の一つはこのソヨーチ・ガーデン・センター、もう一つはナラン・デパートだった。後者は中流以上の若い客層が集まる大型店舗だ。そこに特設売り場をこしらえて、出展した。いずれの会場でも、スタッフの一人に着物を着せ、試食コーナーも設けた。そして、そこでは日本製の食材を用いた特製おにぎりをこしらえ、来場者に配った。その結果、両会場とも反響が大きく、持ってきた350袋の新潟コシヒカリ(1kg袋)は、あっという間に売り切れた。

 写真上は、ブースに立った新潟農商のK課長と現地の女性スタッフ二人。下は、ブース裏でおにぎりづくりに励むK課長と女性スタッフ。

モンゴルの人々もコシヒカリが好き?! 日々米日、日々感謝。 (K.M)

(284) モンゴル日記(11)

モンゴル日記

モンゴル日記

【展示即売会 ②】

 モンゴル以外の参加国では、筆者たち2社が出展した日本と中国(1社)があった。それにビックリしたのが、北朝鮮である。もともと この国はモンゴルと国交を保ち、大使館も置く。それで最近でも、日本政府が北朝鮮側とウランバートルで接触した、という報道を耳にした方もおられるだろう。

 その北朝鮮ブース(写真上)では、「金正日花」と呼ぶ球根ベゴニアの鉢花が、メインの展示品になっていた。その花の出所については、どうも日本の園芸家が関係している、という噂が以前からあった。興味のある方は、Wikipediaで「金正日花」で検索を。

 さて、わがブースの話に戻る。今回、植物の販売品はいろいろ事情があって、チューリップの切り花とヤブコウジの鉢物だけになった。数量も前者は300本、後者は30鉢しか揃わなかった。売れ行きはよく、2日目には販売制限を設けたほどだ。

 その上、お手伝いの女性二人が実によく働いてくれた。一人は親友Bさんの知り合いのM嬢、もう一人はプロの通訳のB嬢である(写真下 右側がM嬢,左側がB嬢)。展示会の初日、彼女たちに花以外の販売品である扇子を含めて、簡単な商品説明をした。そんな時、彼女たちはメモなど取らない。日本であれば「大丈夫かな,このお嬢さんたち?」と思う。けれど、それは全く杞憂に過ぎないことが分かる。昨年のアルバイト嬢Tさんもそうだったが、彼女たちは1回聞くと、忘れないのだ!実に記憶力がよい。

テキパキと気持ちよく動いてくれるモンゴル女性と仕事ができて 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(283) モンゴル日記(10)

モンゴル日記

モンゴル日記

【展示即売会 ①】

 「モンゴル日記」を再開することにした。実は今月、またモンゴルに行って来た。というより、今後は毎月1回はあちらに通う。現地の花卉販売最大手のエヘガザル社と、合弁会社を設立することにしたからだ。

 ところで、同社が経営する「ソヨーチ・ガーデン・センター」は、モンゴル唯一のガーデンセンターである。ウランバートル市街地にあるこの店は、幹線道路に面していて面積2,000㎡近くはあろう。

 ここで昨年から、INFF(インターナショナル・フラワーフェア)と称し、3月6,7,8日の3日間、花関係の展示即売会を開催している。最終日の3月8日は、婦人デーという国の祝日である。その日、モンゴル中で男性たちが女性たちに花を贈る。亭主は奥さんに、ボーイフレンドはガールフレンドに、男の子は母親に花をプレゼントする。だから、モンゴルで最も花が売れる日なのだ。近年ウランバートルの会社では、男性たちが職場の女性たちに花を贈ることも定着してきたという。当社もはじめから参加していて、今年で2回目なのだ。

 この婦人デーは、旧社会主義国ではたいていあるようだ。かつてハバロフスクをたびたび訪れていた時、この日に花束を抱えた男の子が街なかを行き来する姿を、はじめて目にした。その時は驚き、うらやましさすら覚えた。

 写真上は当社(左側)と、隣に出展した新潟クボタ・グループの米販売会社との共同ブースの、開店前の様子。下は3月8日昼頃の当社ブースの繁盛ぶり?!

ウランバートルで今年も展示会に参加して 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(282) インチョン日記(3)

インチョン日記(3)

インチョン日記(3)

【インチョンの風景】

 泊まったホテルは悪くはなかった。気に入ったのはバイキング式の朝食に、みそ汁や日本製の納豆すら用意されていたことだ。もちろん食べた。

 仕切り直しの出発日は、午後2時まで時間があった。それに抜けるような青空!気持ちを切りかえて、インチョン視察と決め込んだ。それで、カメラをぶら下げながらホテルの周辺を散策。そして、驚いた。巨大な都市が誕生しつつあったのだ。ビルが立ち並び、シドニーのオペラハウスに似た建築もあれば、何十階ものノッポビルもあった。また 建築中のビル群もあちこちで目にした。それに遊覧船まで浮かぶ都市公園があり、宿泊したホテルの名前ソンド・パーク・ホテルの、そのソンド・パークがここなのだろう。

 写真上はビジネスビルが立ち並ぶ地区。下は、集合住宅が連なる居住地区といったところである。日本で現在、これほど大規模な都市建設を行っている地域があるだろうか。お台場のような地区が、いくつも出来上がりつつあるような印象を受けた。

 経済におけるグローバル競争はますます進んでいる。中でも韓国はあなどれない国の一つだろう。とは言え、韓国経済も様々な矛盾を抱えてはいるようだ。しかし、空港ではインチョン、そして港湾では釜山が東アジアのハブ的機能を果たしていることは実感する。オランダからユリなどの球根を輸入し、新潟港に陸揚げする場合、荷は釜山港で大型コンテナ船から小型船(フィーダー船)に積み替えられ、新潟港までやって来る。

飛行機は一日遅れたが、貴重な勉強ができて 日々好日、日々感謝。 (K.M)

 

(281) インチョン日記(2)

インチョン日記(2)

インチョン日記(2)

【臨時宿泊は高級ホテル】

 二晩つづけてベンチ寝は耐えらえない!運行休止が分かった時点で、KALのカウンターへ急ぎ、日本語の話せる係員とやり合った。「なぜ突然の休止なんだ?」「明日まで待つなら、今晩泊まるところがない。近くのKAL系のホテルでも心配してくれ」。その結果、ホテルなら宿泊できる所があるという話になった。

 そして、とにかく空港1階にあるKALの案内所に行けば、受け付けてくれるということだった。一応ホッとはしたが、そこから先も大変だった。空港内のあちこちを行ったり来たりしたが、1階に下りられないのだ!考えた挙句、トランジット客の手荷物検査所に行って、日本語の分かる人を探し出し、その人に聞こうと思った。幸い、そうした女性がいて、親切に順路などを教えてくれた。

 けれど、そのホテルはインチョン中心部にあり、いったん入国手続きをしなければならない。だから、パスポートコントロールを通ってくれ、という話だった。さっそくそこへ向かったが、たくさんの到着客で大混雑なのだ。

 そこを何とか通過し、1階に下りてKALのカウンターも発見した。その前で旗を持ち、日本語を話す関係者が待っていてくれた。「バスが来ますから、ここでしばらくお待ちください」という説明を聞いたら、やっと安心できた。

 空港から30,40分ほどバスに揺られ、着いた先はソンド・パーク・ホテル。どうも安ホテルではなさそうだった。ラッキー☆☆☆☆

写真上・下とも、ホテル近くで建設中の開発特区のようす。

その晩はまともに眠れた!日々好日、日々感謝。 (K.M)

(280) インチョン日記(1)

インチョン日記(1)

インチョン日記(1)

【家なき子】

 突然、モンゴル日記がインチョン日記に変わったが、その経緯を書く。

 今回はすべて大韓航空を利用し、新潟~インチョン~ウランバートルの往復というコースをとった。その結果、帰りは不運の旅となった。けれど、収穫もあった。

 往路は新潟からインチョン、そしてウランバートルへ。ほぼ予定通りにチンギスハーン空港に到着。ここからモンゴル滞在は始まったが、事は順調に進んでいった。そして、エヘガザル社と合弁会社設立について合意するという成果も得た。

 ところが 復路のモンゴル出発の際には、まずKAL便が3時間遅れでウランバートルを発ち、インチョン到着は夜中の12時過ぎ。ここでホテルの空室がなく、生まれて初めて空港の長ベンチで寝るはめになった。旅行業者から、インチョンのトランジット・ホテルは予約がなくてもたいてい泊まれる、と聞いていたので、予約は入れなかった。これが災いした。

 待合室のソファーは先着の客に占められていた。やむなく、何とか横になれそうなベンチで数時間は眠った。目が覚めてからは、無料のシャワーを利用したり、各種の書き物に時間を費やした。また、朝食・昼食では久しぶりにうどんを食べた。そうしながら待つこと16時間、夕方6時に新潟行きKAL便は飛ぶ予定だった。

 ところが、“事件”は再び起きた。その新潟行きの飛行機が、何と出発の1時間前に急きょ運行中止になったのだ。結局、インチョンに臨時宿泊となった。

写真上は宿泊したホテルからの眺め。下は街角にあった都市整備のパース。日々災難、でも日々感謝。(K.M)

(279) モンゴル日記(9)

モンゴル日記

【冬のテレルジ⑨  ライオン犬?!】

 写真は、このゲルキャンプの番犬の大型犬だ。遠くから眺めていると、たてがみのある雄ライオンのようにも見える。そして、風格と威厳を漂わせていた。ただ、意外にかわいらしい目には不気味な光も浮かべていた。

 一見おとなしそうにしているが、本性は分からない。一昨年の夏、Bさんに連れられて、はじめてこのゲルキャンプを訪れた。その際、この犬だと思うが、彼が近づいてもはじめは何ともなかった。が、ごくそばまで寄ったら、いきなり吠え立て飛びかかりそうになった。たぶん、この犬だったのではないか?記憶が少し定かではないが、大型犬だったのは確かだ。

 その記憶も消えていないし、小さい頃 犬に咬まれそうになった経験は何度かある。だから 犬は嫌いではないが、得意でもない。しかし、このライオン犬には興味がわいてきた。それで、そばには近寄らずに遠巻きで観察していた。

 キャンプの従業員に尋ねたら、カフカス地方の犬だという。カフカス?うーん、コーカサスのことか?地理的な位置は大雑把にしか分からない。それに犬の種類などはさっぱり分からない。・・・帰国してから、ウィキペディアで調べてみた。それによれば、素人判断だが、どうもコーカシアン・シェパード・ドッグのように思える。だとすれば、厳寒の中でも働き、ある程度の粗食にも耐える強健な犬だという。護畜犬と呼ばれ、何者かが家畜や家族に害を加えようとすると、勇猛果敢に立ち向かうという。

牛,馬,羊,ヤク、それにライオン犬もいるテレルジ!日々好日、日々感謝。 (K.M)

(278) モンゴル日記(8)

モンゴル日記

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【冬のテレルジ⑧  雪原の輝き】

  上の写真で雪原を歩いているのは、Uさんである。ウランバートルに戻る日の午前、筆者と共にゲルキャンプの周辺を歩きまわった。ウランバートル中心部に住む彼は、朝に散歩をするらしい。そのうえ筆者より若いせいもあろう、やはり足は速い。この時は付近の丘陵を上ったり下ったり・・・。筆者は散歩中、一度も彼を追い越したことはなかった。

 一方、下の写真は雪原に積もったパウダースノーで、それを拡大したものだ。それが雲母のような氷結になって、陽光を浴びると反射する。きらきらと輝く。それがいたる所にあるのだ。雲一つない青空のもと、空気は乾いていてひじょうに冷たい。けれど、広大な雪原のあちこちが光り輝くのだ!実に印象的な風景だった。

 そして その光る雪原の上を、キュッ,キュッと乾いた音を立てながら進んで行く。これも気持ちがよい。新潟市あたりに積もる重い雪では、こうした音にはなりにくい。ギュウッ,ギュウッというような湿った音を発する。ところで、ここの積雪の深さは20cmくらいはあったろうか。履いていたブーツがもぐるということは、ほとんど無かった。

 さて夏になると、この大雪原は一面の草原やお花畑に様変わりする。そして 牛馬や羊、あるいはヤクの草を食む姿まで目撃できる。だいたい生まれて初めてヤクを見たのも、乗馬をしたのもここでだった。そうした様子は、このブログの(78)号から(94)号の中で紹介しているが。

その気になれば、テレルジは四季を通じて楽しめて 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(277) モンゴル日記(7)

モンゴル日記

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【冬のテレルジ⑦  熱唱カラオケ】

 まさかモンゴルで、それも大自然に囲まれた真冬のテレルジで、カラオケを歌おうとは思わなかった。たしかにウランバートルでは、あちこちにKARAOKEバーの看板を見かけるが。

 筆者は10年以上も前から、カラオケには行ったことがない。あの喧騒と義務的な気配りが嫌だからだ。けれど、その気持ちはモンゴルでは忘れることにした。クラブハウスのレストランで夕食を済ましたあと、みんなで地下にあるカラオケルームに下りた。

 そこで、まずモンゴル側から始まった。元SWAT隊員のJさん(写真上 左)の熱唱が皮切りとなった。そのうち、聞きおぼえのあるメロディを3人がハモリはじめた。「ええっ!」何とピンキラの「恋の季節」なのである。Bさんいわく「年齢にもよりますが、この曲は私たちの世代ならたいてい知ってますよ」。そして 彼らの歌は続いた。

 その後 Bさんから、厚い選曲ファイルを渡され、「シャチョーも歌ってください」。うーん、どうせ日本の曲があっても少ないだろう・・・ところが、モンゴル語,中国語,ハングルに混じって日本語の曲名が何百曲も載っているのだ。知っている曲や歌える曲もチラホラ。

 結局、筆者もチューリップからテレサテン、安全地帯、果てはサザンまで熱唱してしまった!それは、すばらしい外の環境、ビュンビュンまわってきたウオッカの勢い、それに良き友の存在がそうさせたのだと自分に言い聞かせている。

モンゴルの流行歌はメロディが美しいものが多くてビックリ。 日々好日、日々感謝。 (K.M)