(327) モンゴル日記(53)

モンゴル日記

モンゴル日記

【再びインチョン国際空港について】

 今月もモンゴルに行って来た。26日に戻ったばかりだ。滞在期間は短かったが、中身の濃い3日間だった。それでこの号以降はしばらく、その7月訪問時の話題となる。

 ところで 写真の上(22日)・下(26日)とも、同空港の様子だ。頻繁に飛行機が舞い下り、飛び上がっていく。筆者がこんなに多くの飛行機を目にしたのは、ヒースローやシアトルくらいだ。

 今回も、新潟⇔インチョン⇔ウランバートルで往復した。ただし今回は行き帰りとも、インチョンでの乗り継ぎの待ち時間が長くなった。行きは8時間、帰りはトランジット・ホテルを利用するほどの14時間も待つことになった。それはモンゴル航空と大韓航空の共同運航便の航空券が、取れなかったからだ。

 往復ともその便があり、それを使えばはるかに短い待ち時間で済む。4月と5月の際はいずれもこれを利用できた。しかし、近ごろ韓国・モンゴル間の人の行き来が増えていること、またモンゴルの観光シーズンに入ったこと等の事情から、今回はそれができなかった。結局、全便ともKAL機に乗ることになった。それで、待ち時間が長くなったのだ。

 ところで その待ち時間の点を考慮しても、インチョン空港の使いやすさは特筆したい。新潟から海外に行く場合、たいへん便利なのだ。また 大規模だが機能的そのうえ清潔で、空港として国際的に高い評価も得ているようだ。まァ韓国の空港ということで、こだわりが無いわけではないが。

今回は待ち時間は長かったが、ノートラブルで 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(326) モンゴル日記(52)

モンゴル日記画像

【ウランバートル市 第5学校】

 写真はウランバートルの第5学校である。以前 紹介した第23学校とはだいぶ趣が違う。筆者の感覚からすると、下町の学校のような気がする。周囲はふつうの街並みがつづき、商店やレストランはあるが大きなビルなどはない。通りかかった時は、リュックサックを背負った子が多かった。時刻も午後4時半を過ぎていたから、そろそろ下校する頃だったのだろう。

 でも、校庭は外遊びに興じる子供たちでいっぱいだった。喚声をあげながら、鬼ごっこのような遊びに夢中になっている女の子たち。一人で懸命に、あるいは集団でダイナミックに縄跳びをする子らもいた。また、校庭の隅をローラースケートで滑る男の子も見えた。

 一方、子供たちを迎えに来た祖父母らしき人たちの姿も見えた。おそらくベンチに座っている年配者は、そうした人々と思われる。

 ところで ウランバートルを最初に訪れた時、最も驚いたのは道路を横断する少年たちの俊敏さであった。行き交うクルマであふれる幹線道路の四車線で、わずかの隙を見つけススッと車列を横切り、反対側に駆け抜けてしまう。ほんの数秒のことで、そりゃ危険だが見事だった。

 そうした素早い動きや瞬時の判断力は、こうした常日頃の外遊びによって培われるのではなかろうか。そして こうしたことが結局、“自ら生き抜いていく力”を高めることになるのでは。そんな気がした。近ごろ日本では、外遊びをしない子供たちがいろんな点で問題になりつつあるようだが。

やわな子供たちでは世界競争は勝てない。時々心配、時々憂慮。 (K.M)

(325) モンゴル日記(51)

モンゴル日記画像

モンゴル日記画像

【緑 道】

 最近ウランバートルでは、こうした緑地が所々に設けられてきている。以前ここでも書いたが、近ごろは広場や道路敷地での草花の植栽も増えつつある。また、市が数年前から大規模公園の建設を進めてもいる。そんな風に、都市整備が徐々に進んできているようだ。

 写真はそうした中でも、緑道と呼ぶべきものだ。幅は10m以上、延長400,500mはあろうか・・・。東西をつなぐ帯状につくられている。写真上はいわば遠景で、下は東の端に近い風景だ。

 園路,植栽,ベンチ,照明灯,ゴミ箱・・・、ひと通りの施設が設置されている。そのせいか、木曜の午後4時半頃だったが、通る歩行者は少なくない。また、仲良く座った若いカップルは見なかったが、ベンチに腰を下ろした若い女性には出会った。また 植込みの中には、あの「モンゴル桜」と思われる白い花があちこちで咲いていた。

 さて、写真下の中央に見える門である。チベット仏教に関係した建築物だろう、ということは推測できた。ガンダン寺やボグドハーン博物館あたりで見かけるような門である。ただ、新しいものではなさそうで、ひょっとしてどこかから移築したものかも知れない。

 この緑道は歩いていて、気分がよかった。まずゴミが落ちていない。また、草地は丈が低く、ヤブにはなっていない。日本ならふつう、手を入れなければ背丈の高い雑草も繁茂し、大ヤブになるのだろうが。おそらく 少雨で乾燥気味という、この地の気候的な条件がそうするのだろう。

街なかにこうした緑地が増えてきて 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(324) モンゴル日記(50)

モンゴル日記画像

モンゴル日記画像

【常設植木市?】

 Bさんに連れられて、面白い場所に出かけた。そこは言うならば、“植木市”だった。市の中心部からはちょっと外れていたが、ある広場で開かれていた。そこは周囲より一段高くなっており、クルマは乗り入れられない。その広場の後ろの建物は、何やら政府関係の庁舎らしい(写真上の左奥の建物)。

 そこではビックリするほど様々な苗木や種子,球根類が販売されていた。苗木は写真のように、根を乾かさないように袋に入れたり、ビニールを巻き付けたりして外に並べられていた。果樹苗が多いように思えたが、ポプラの苗木らしきものもあった。一方、種子は一部は外に置かれていたが、多くは球根と同様に写真のような日よけ施設(構造的には日本のビニールハウスと同じ)の中で販売されていた。

 その日よけ施設の内部に入ってみた。うす暗い中に、いろいろなモノと売り手が並んでいた。種子類は野菜が多いようだったが、マリーゴールドなど一年草草花の種も見えた。それは袋の図柄で分かったのだが。また 球根類ではグラジオラスやダリアなどが並べられていたが、なぜかチューリップの球根もあった。なお、ここの種子は多くがロシア産らしい。

 一方 植物以外では、肥料や農業資材も少しだが並べられていた。本当はハウス内部も写真撮影をしたかったが、Bさんに制止された。何か、トラブルでも起きたらという配慮からだろう。こういった場合、彼は簡単に「まァ、いいでしょう」といった態度はとらない。そこがまた頼りになる。

こうした場所は勉強になって 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(323) モンゴル日記(49)

モンゴル日記

【「フラワーセンター」にて】

 写真は、フラワーセンターに入っている花屋さんである。 ここは筆者がよく知る人、つまりソヨーチ社のD社長の兄であるU氏が経営していて、同社のグループ企業の一つである。

 店を訪ねた時、従業員の女性たちが輸入したバラを加工する作業をしていた。写真はその場面である。まず 左側の女性が、一本一本の花にかぶせてあるネットをさっと外す。そして、その閉じていた花の中心部に「ふっ」と息を吹きかける。そうすると 花が少し開き、それを真ん中の女性の横に置く。

 その彼女は今度、花首をそろえたうえで、小さな花束をこしらえる。一方、右側の女性は大きな花束づくりを担当する。それら一連の動作が手慣れており、見ていてもあきない。とくに左側の女性の作業は手際よく、すばやかった。写真で、彼女の右手で持った花がボケているのはそのためだ、と思う。

 これらの花束は、6月1日の「母と子の日」向けに、市役所から受注した仕事らしかった。この日も、とにかく花が売れる特異日らしい。モンゴルでは、こうした“もの日”が少なくない。

 ところで 「フラワーセンター」とは、この三階建てビルの名称なのだ。以前から花屋が入居していたから、こう呼ばれるようになったらしいが、この建物のロケーションは抜群である。目抜き通りに面していて、角地にある。人の集まるスフバートル広場からも、ノミンデパートからも近い。そして ここの現在のオーナーは、実はソヨーチ社なのだ。

この場所は多くのガイドブックにも載っている。 日々好日、日々感謝。 (K.M)

 

(322) モンゴル日記(48)

モンゴル日記

モンゴル日記

【自然史博物館】

 もう十数回もモンゴルを訪れているが、ここも初めてだった。有名な博物館らしいが、これまで訪ねたことがなかったのだ。今や、ガイドブックだけでなくインターネットなどでも紹介されている。

 だから、Bさんが突然「シャチョー、午前中 時間があるから、キョーリュー見ますか?」との質問を、数秒後に理解し、「何とかザウルスとか何とかドンという、あの大昔のでかいヤツですか?行ってみたいです!」。話は決まった。

 入館料は大人だと、日本円で350円ほど。最初のうち、見学者は筆者たちを含めて数人だった。その後、元気のいい子供たちがドドドッと入って来て、急ににぎやかになった。それはともかく、展示品の一つ一つを見はじめたら、興味が湧いてきた。そして、最初に目を引いた展示品があった。

 それは写真下の隕石である。今年2月、ロシアに落下した大隕石の記憶もあったので、足が止まった。英文の説明で分かったのは、この隕石は1952年に発見されたこと。大きさは長さ70cm,幅50㎝,高さ45㎝だが、重さは何と582kgもあるという。

 圧巻だったのは、写真上のタルボ・サウルスの骨格展示だった。とにかくデカい!長さは十数m、高さは4,5mはあろうか。こんなのが、太古は密林だったゴビ砂漠を闊歩していたらしい。迫力が違う。

 「その昔 恐竜見たかと 問うひ孫」 (『シルバー川柳2』より)

 なおBさんの説明によると、まもなく建て替えのために3年間も閉館するのだという。

たまたま閉館直前に見学できて 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(321) モンゴル日記(47)

モンゴル日記

【夜景の印象】

 今回、ウランバートル盆地の夜の風景を眺めることができた。ザイサンの丘からである。ここからは昼間の風景なら、もう何度か目にしている。けれど 夜は初めてだった。それは情感を誘う、とびきり美しいものだった。

 ここにはBさん,Uさんの両夫妻そして筆者の5人でやって来た。発端はみんなで夕飯を食べていた時、Uさんが自宅からザイサンの丘まで毎朝散歩するという話題が出た。それがきっかけで話が盛り上がり、「じゃあ食事が終わったら、みんなで丘に行こう」、となったのだ。

 飲み食いを終えてレストランを出たら、すぐに白タクを2台捕まえた。誰もクルマに乗って来なかったからだ。ウランバートルでは、白タクは日常生活に根づいている。けれど便利だが、筆者は単独では決して乗らない。Bさんを含む現地の人と一緒の場合には、もう何度も利用しているが。

 さて 丘の入口で料金を払い、短い距離だが曲がりくねった道路を上がっていった。すると、だんだんクルマの数が多くなってきて、丘の階段前のスペースはかなり先着のクルマで埋まっていた。が、2台は何とか駐車できた。

 さて それからが大変!薄暗くなってはいたが、上り下りする人は多い。彼らをよけながら、その長く急な階段を、「はァ,はァ」言いながら、酔いを道連れに上っていった。しょうがない、他の4人が皆、丘のてっぺんを目ざすんだもの。けれど、こんなにすばらしい眺望を目にすることができた!現地時間で午後9時過ぎのことだった。

100万トゥグリクの夜景が見られて 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(320) モンゴル日記(46)

モンゴル日記

モンゴル日記

【失敗したダリア栽培】

 4月にモンゴルに輸出した植物のうち、このダリアだけが極端に成績が悪かった。5品種300球を出荷したのだが、品種によって多少違ったものの、8割以上は育たなかった。これはまったく想定外である。

 写真はその悲惨な結果なのだ。場所はソヨーチ社の農場の第二温室。写真上は300鉢全体のようす、下は最も成績の悪かった品種の状況である。こんな風に、鉢から茎・葉を伸ばしているものがほとんどない。

 質の良い球根を送ったのだが、こんな結果になろうとは・・・。だいたい球根植物は、強制的に抑制あるいは促成といった特殊な栽培をしなければ、あるいは ひどい異常気象にでも見舞われなければ、何とか育つものなのだ。よほどのことが無ければ、こんな事にはならない。しかし 置き場所に近づき、球根を植え込んだ鉢の表土を見て、その原因は想像がついた。水のやり過ぎである。超過湿なのだった。

 そこで、10鉢以上は掘り返してみたろうか。案の定、みんな過湿で球根がダメになっていた。完全に腐敗して、全体が軟らかくなっていたものが多かった。正直、ガックリ・・・。「うまくいけば、ガーデンセンターの夏の良い商材にできたのに・・・」。筆者の肩を落とした姿を眺めていたBさんは、「シャチョー、大丈夫ですか・・・」と声をかけてくれた。

 この温室では一律の自動灌水となっていて、手による水やりは事実上できなかったのだろう。それが原因だ。

でも、他の輸出植物は大半がうまくいったのだ、運が悪いなどどうして言えようか。日々好日、日々感謝。 (K.M)

(319) モンゴル日記(45)

モンゴル日記

モンゴル日記

【またまた「サンギ」にて】

 この韓国レストランを取り上げるのは、これで3回目になろうか。親友Bさんとよく来る店の一つになった。まぁレストランといっても、日本なら食堂という雰囲気だが。

 お客は多種多様で、色んな人々がやって来る。前に紹介したと思うが、Bさんの留学時代の仲間がよく集まる場所でもある。繁華街にあり、彼のアパートからも近い。今回はここで出される料理について、少し書こう。

 モンゴルで、まさか焼いたサバやサンマが食べられるとは思っていなかった。ウランバートルでそれらを食べたくなったら、まずここへ来ること。売り切れて一度だけ無かった時もあるが、たいていサバにはありつける。下の写真はすでに箸をつけているが、その一皿である。また その上に写っているように、目玉焼きも出るのだ。

 また写真上は「もろきゅう」ならぬ、味噌きゅうり,味噌にんじんである。これらは何のためらいもなく口に入る。味噌の味は日本のそれより、ちょっと甘みが加えられているが、ダイジョウブ。このほか豆腐などもあるし、メニューの料理にはほとんど違和感がない。あの金属製の箸だけはいただけないが。それほど韓国料理は日本人にとって、なじみの深い味になっているのだろう。

 それに韓国料理といっても、モンゴルの人々に好まれるように、辛みがだいぶ抑えられているように思う。それもあって、食べやすいのかも知れない。それに、しだいに分かってきたのだが、ウランバートルには韓国料理店があちこちにある。

モンゴルでも青魚が食べられて 日々好日、日々感謝。 (K.M)

(318) モンゴル日記(44)

モンゴル日記 画像

【日本語を話す生徒たち】

 「ニホンのヒトですか?」。第23学校近くの道で、とつぜん聞かれた。滑らかな日本語だった。それも、筆者に問いかけてきたのは日本でいえば、中学生か高校生くらいの少年である。通りかかった三人連れの一人だった。聞けば、第23学校の生徒たちだという。ちょっとビックリした。

 写真は、その生徒たちと筆者だ。背景の白い花は、前回とり上げた“モンゴル桜”である。(左から二番目が筆者・・・あっ“説明不要、一目で分かる”。はいっ、そうですね!)。そして、積極的に筆者に話しかけてきたのが、左側の賢そうな生徒だった。年齢は、日本なら高校一年生にあたる16歳。つまり、あちらで言うなら10年生だった。

 彼はもう8年間、日本語を学んでいるという。筆者もすでに中学・高校・大学(前半)で計8年間は、英語を勉強してきたはずだ。しかし、恥ずかしながらほとんど身についていない。それはどうでもいい事だが、引き続き 彼の話によれば、学校には日本語を学ぶクラスがつくられ、合計500人がそこで日本語を勉強しているという。うれしい話である。

 ところで Bさんの話では、モンゴルにおける人口当たりの外国語学習者の人数は、現在 英語がもちろんトップだが、その次は日本語だろうということだった。それと関係する注目すべきデータもある。Wikipediaによれば、モンゴル国民の人口当たりの日本への留学率は世界で一番なのだという。(2006年現在)

この頼もしい子供たちは、どんな大人になっていくのだろうか。日々好日、将来楽しみ。 (K.M)